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マカロン~世界の筋書きを殴り返せる少女~  作者: S@top


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33/45

守られる少女から、守る兵士へ

帝都スエンジールの朝は、相変わらず早い。

まだ太陽が城壁の縁から顔を出す前。

厨房では火が入り、パン生地を叩く音と、煮立つ鍋の音が重なっていた。

その少し離れた裏庭。

手入れの行き届いた芝と花壇の、そのさらに端。

使われなくなった物置小屋の影に、一本の木剣が立てかけられている。


「……ふっ」


細い息を吐きながら、その木剣を振るう少女がいた。

マカロンだ。

制服ではなく、動きやすい練習用の服。

袖をまくった腕には、うっすらと固くなり始めた皮の感触。

「もう一回……」


剣を構え直す。

肩の高さにまっすぐ。足は半歩引き、重心を低く。

マリアに教わった基本の型を、ひとつ、ひとつ、丁寧に辿る。


「腕だけで振らない。足から、腰から、肩。順番に――」


頭の中で、マリアの声を反芻する。

最初に王城に来た頃。

マカロンは完全に「守られる側」だった。

救護室のベッドから見上げた天井。

マリアの「ここで働いてみない?」という提案。

名もなき使用人として、皿を運び、帳簿を整理し、洗濯物を干す日々。


あの頃の自分は、

「ここに置いてもらえること」だけで精一杯だった。

でも、ひまわりの家の子たちが、西門で倒れていたあの日――

ビッケの痩せた顔と、エレンの赤い目と、ローラの冷たくなりかけた手を見てから、

何かが変わった。

(私、何もできていなかった)

その悔しさが、今、木剣を握る理由になっている。


「……いい足だな」


裏庭の端。

石垣にもたれかかるようにして、その様子を眺めている男がいた。

近衛軍宮廷西門管理隊長、ブルート。

不精ひげに、くたびれかけた制服。

だが、その目は常に周囲をよく見ている。

「隊長。朝から見学ですか」

背後から声がして、ブルートは片手を挙げた。

近衛軍所属の若い兵士だ。まだ二級兵士の身分で、胸元の木製ワッペンには小さな星型と、十字の簡略化された紋が刻まれている。

「見学というか、監視というか」

ブルートは、顎でマカロンを示した。

「勝手に裏庭で剣を振り回してる使用人がいたら、普通注意するだろう?」

「注意しないんですか」

「……さっき注意しようとした」


短く笑う。


「でも、『やめろ』と言う前に二十本素振りを見て、これは止めちゃいけない方だと思った」

「そんなにですか」

「たいしたもんだよ」

ブルートの目が細くなる。

「身体の使い方が、もう“兵士候補”のそれだ」

「でも、使用人ですよね?」

「今はな。――今は、だ」


「ひとつ、ふたつ――」

マカロンは、数を数えながら型を繰り返す。

剣だけではない。


朝の鍛錬が終われば、そのまま洗濯場に回る。

合間の時間には、文書棟で帳簿を付ける。

夜には、部屋で小さな灯を手のひらにともす。

「……灯」

掌の上に浮かぶ、小さな光球。

蝋燭一本分ほどの明るさ。

それでも、路地裏で凍えていた頃の暗闇に比べたら、十分すぎる光だ。

「マカロン」

背後から声がした。

振り返ると、マリアが立っていた。

いつもの白いマントではなく、簡素な外套だけ。

女王というより、ひとりの「姉」のように見える。

「マリア様」

慌てて木剣を下ろし、頭を下げる。

「続けていいわよ」

マリアは、ベンチに腰掛けながら言う。

「見に来ただけだから」

「……恥ずかしいです」

「何が?」

「こんな――自己流の鍛錬で」

マカロンは、木剣を軽く振って見せた。

「ちゃんと習ったこともないのに、見よう見まねで……」

「ちゃんと、見よう見まねになっているのが問題なのよね」

マリアは、くすりと笑った。

「あなた、誰の戦いを見てる?」

「マリア様の……です」

「あと?」

「ケイン様や、ブルート隊長や、

 時々、訓練場で見かける近衛さんたちの……」

「そう」

マリアは、椅子の背もたれに寄りかかった。

「じゃあ、あなたの“自己流”は、

 うちの近衛と聖四神軍の動きが混じった、とても贅沢な混合技、ってことね」

「……そんな」

マカロンは、耳まで赤くなる。

「私なんて、まだ、ブリッツさんの足元にも及ばないです」

その名前を口に出してから、しまった、という顔をした。

マリアは、わざとらしく目を細める。

「ブリッツね」

「い、今のなしで」

「なしにはならないわよ」

マリアは立ち上がった。

「でも、覚えておく」

マカロンの手から木剣を受け取り、軽く構える。

無駄のない動き。

太陽星の担い手としての戦い方ではなく、

「剣を持つひとりの女」としての構え。


「あなたに、足りないものが何か、分かる?」

「……腕力とか、体力とか、経験とか、いっぱいあると思います」


「一番足りないのはね」

マリアは、木剣をひと振りしてから、すっとマカロンに返した。

「“自分がもう、守る側に立ってもいい”っていう自覚よ」

「……」

マカロンは、木剣を受け取りながら、うつむいた。

「守られている側でいた時間が長い子ほど、自分を低く見積もるもの。

 あなただけじゃない」

マリアは、柔らかく続ける。

「でも、私は知っているわ」

「あなたが、ひまわりの家でみんなを支えていたことも」

「路地裏で、それでも誰かを恨まずに生きていたことも」

「救護室で、“ひまわりのように笑って”と祈って、子どもたちを呼び戻したことも」

マカロンの喉が、きゅっと鳴った。

「だから、私は」

マリアは、真っ直ぐ彼女を見た。

「あなたに、『守る側に来てほしい』ってお願いしているの」

「……守る側」

マカロンが、そっと呟く。

「近衛軍の、ですか」

「そう」

マリアは頷いた。

「ただし、いきなり兵士隊長、なんて無茶は言わないわ」

「最初の一歩は――」

マリアは、片手を背後に回した。

「近衛軍・初級兵士しょきゅうへいし


その手の中に、小さなものが握られている。

マリアが開くと、そこには木製のワッペンがあった。


掌に収まる、星型の板。

中央には、小さな十字。四方に向かって、細い線が伸びている。

近衛を示す簡略化された紋章だ。


「聖四神軍の階級は、あなたも聞いたことがあるわね?」

マリアはワッペンを指先で軽く撫でながら言う。

「初級兵士、二級兵士、三級兵士――ここまでは木製のワッペン。

 星の形に、各軍のシンボルが刻まれている」

「兵長、兵士副長、兵士隊長――このあたりから鉄製。

 星型に、各軍のシンボルが銀で浮き彫りになる」

「連隊副長、連隊長、大連隊長――銅製の台座に銀の縁。

 中央の星とシンボルは銀」

「少将、中将、大将――十八金のワッペン。

 各隊のシンボルカラーの宝石で縁取られていて、

 シンボルは水晶+金+銀で立体になる」

「そして元帥」

マリアは、少し笑う。


「プラチナの十字架の真ん中に、

 各軍のシンボルが水晶+金+銀で立体的にあしらわれる。

 うちの元帥たちは、普段は隠しているけれど、

 いざというときは“マリアの代理”としてそれを見せる」


「……マリア様のワッペンは」

「プラチナの十字架。

 十字の各先端に、少し小さめの四聖獣のシンボルと中央には太陽のシンボルが付いているわ」

マリアは、自分の胸元を指した。

今日はマントを外しているので、服の下に僅かに光るものが見えた。

「まあ、これを堂々と見せられる場面が、少ない方がいいんだけれどね」

軽い冗談で空気を和ませてから、

マリアは木製ワッペンに視線を戻す。

「近衛軍は、形式上は聖四神軍とは別の枠だけど、

 階級とワッペンは同じ体系を使っているの」

「だから、あなたがこれを付けるってことは――」

マリアは、木のワッペンをマカロンの胸元にかざした。

「もう、王城で“ただの使用人”ではいられない、ってこと」

「……」

マカロンは、息を呑んだ。

「嫌なら、断ってもいいわ」

マリアは、わざと軽い口調で言う。

「その場合は、ひまわりの家の子たちに、

 『マカロンは、守られる側のままでいたいんだって』って報告するけど」

「卑怯です、それ」

マカロンは、半分泣きそうな顔で笑った。

「そんなの、断れないじゃないですか」

「じゃあ」

マリアは、木のワッペンをマカロンの手のひらに乗せた。

「聞かせてくれる?」

「近衛軍・初級兵士マカロンとして」

「ここで何を守るのか」


少しの沈黙。


マカロンは、自分の胸の上、心臓の少し上あたりに、

そっとワッペンを当てた。

木の感触。

紋様の細かな彫り。

不思議と、あのひまわりの家の「名札」と似た重さを感じる。


「私は」


声が、ほんの少し震えた。

「ひまわりの家で、アンナ院長に守られてきました」

「フィオレアの路地裏で、何もできずに震えていたとき、マリア様に拾ってもらいました」

「王城で、“ここにいていい”って言ってもらって、やっと、居場所をもらいました」

「だから――」

マカロンは、顔を上げた。

「今度は、私が守る側に立ちます」

「王城と、マリア様と、ひまわりのみんなと、まだ会ったことのない誰かの、“ここにいていい場所”を」

「近衛軍・初級兵士、マカロンとして」

マリアの目が、静かに細くなる。

「そう」

「じゃあ――」


マリアは、右手を差し出した。

「非公式だけど、ここで先に握手しておきましょう。

 正式な辞令は、文書で出すから」

マカロンは、木剣を左手に持ち替え、

その右手を、そっと取った。

掌越しに伝わる温度。

あの日、路地裏で自分を抱き上げてくれた腕の感触と、同じ温度。

「……よろしくお願いします」

「こちらこそ」

マリアは、短く握ってから手を離した。

「近衛軍の訓練場は、西棟の裏。

 ブルートに言えば、メニューを組んでくれるわ」

「それと――」

マリアは、悪戯っぽく笑った。

「階級が上がるごとに、ワッペンも少しずつ豪華になるから、楽しみにしてなさい」

「いつか、鉄や銅のワッペンが似合うようになるくらいには、強くなってね」

「……はい!」

返事は、いつもより少し大きかった。


それからの日々は、

さらに慌ただしく、しかし充実したものになった。


朝――裏庭と訓練場での剣術と体術。

昼――文書棟、厨房、洗濯場での仕事。

夕方――近衛の基礎訓練。

夜――小さな灯をともしての魔導式練習。

「マカロン、新しいワッペン、似合ってるね」

イルマが、洗濯籠を抱えながら目を輝かせる。

胸元には、昨日まではなかった木製の星形が光っている。

「ひそかに憧れてたんだよねぇ。近衛さんの制服に付いてる星」

「まだ、一番下ですけどね」

マカロンは、照れくさそうに笑う。

「初級兵士さんだもんね」

イルマは、わざとらしく強調した。

「でも、“名もない使用人”じゃなくなったんだよ。それって、ちょっと誇っていいことだと思うな」

マカロンは、手を胸に当てて、小さく頷いた。

(まだ、本当に守れてはいない)

(でも、これがきっと、最初の一歩)

(ひまわりの家の子どもたちを、あの日守れなかった自分から)

(誰かを守れる自分へ)


星型の木の板が、小さくカタンと音を立てた気がした。


ひまわりの剣は、まだ木製。

ワッペンも、まだ木製。


それでも――


「いつか、ちゃんとした鉄の剣とワッペンが似合うように」

マカロンは、空に向かって小さく呟いた。

(アンナ院長)

(見ていてね)

(ひまわりは、まだ伸びるから)

その決意を胸に刻みながら、

近衛軍・初級兵士マカロンは、新しい一日へと歩き出した。


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