大精霊建国祭と、石像の前の喧噪
数年ぶりの、大精霊建国祭の日が近づいていた。前ガルド王崩御後、しばらく開催されていなかったが情勢も安定してきたこともあり今年から再開する事となった。
帝都スエンジールの空は、いつもより少しだけ澄んでいるように見える。城壁の外から内へ、地方から帝都へ。人と物と声が一斉に集まり、帝都全域が、ひとつの大きな鼓動のように脈打っていた。
中央広場。
そこには、主神エンドールの巨大な石像がそびえている。白い石で形作られた神は、片手に杖を、もう片手に世界の球体を掲げ、その眼差しは、帝都の中心から、遠く世界の果てまでを見通すようだった。
祭りの日には、この石像の前に「聖域」が張られる。
帝国東方連合エルミス領大領主:マルクス・アルザード・エルミス(青龍軍元帥)
帝国西方連合ヴィルナース領大領主:ケイン・タタン・ヴィルナース(白虎軍元帥)
帝国南方連合マルス領大領主:アレキサンドル・ルビリア・マルス(朱雀軍元帥)
帝国北方連合アルディール領大領主:シン・ジャクス・アルディール(玄武軍元帥)
東西南北の四大領主。聖四神軍を束ねる元帥たちが一堂に会し、その力を合わせて帝都を守護する結界を張る――それが、大精霊建国祭の「聖域儀」の中核だった。
「人、多い……」
広場近くの通路から人波を見下ろしながら、マカロンは小さく呟く。
屋台の列。色とりどりの布。焼きたてのパンや焼き菓子の匂い。広場の周りに張られた見物用の柵には、既に多くの市民が陣取っていた。
「そりゃそうよ」
隣で、先輩使用人のイルマが肩をすくめる。
「四大領主が勢ぞろいして詠唱するの、年に一回だけだからね。帝都の人間だって、一生にそう何度も見られないよ」
「そんなに、すごいんですか」
「“帝国の背骨”みたいな人たちだからねぇ」
イルマは、広場の中央を顎でしゃくる。
「東の青龍、マルクス・エルミス。軍人ってより、『歩く要塞』って噂だし」
「南の朱雀、アレキサンドル。マルス地方の変な坊ちゃん……じゃなくて、豪傑様」
「西の白虎、ケイン様は……まあ、マカロンも知ってるでしょ?」
「……はい」
王城で何度か顔を合わせた白虎の元帥。穏やかで、しかし情報の網を張り巡らせる男。
「で、一番よく分からないのが北の玄武、シン・アルディール」
イルマは小さく肩をすくめる。
「“輪環封鎖”だの、“因果の鎖”だの。とにかく、魔法の方も人となりも、よく分からない人らしいよ」
「そんな人が、四人も……」
マカロンは、ごくりと喉を鳴らした。
(マリア様とブランディアさん、それに十二星の方々)
(私の知っている“すごい人”たちの上に、まだこんな人たちがいるんだ)
「まあ、私たちはあくまで『裏方』だから」
イルマが笑う。
「今日は、儀式前後の準備と片付け。広場周辺の警備の邪魔にならないように動くのが仕事」
「はい」
マカロンは、気持ちを引き締め直した。
(でも――)
(せっかくなら、ちゃんと目に焼き付けておきたい)
(“この国の柱”を)
正午前。中央広場の喧噪が、徐々に静まっていく。
「そろそろだな」
誰かの声が、自然とささやき声になる。
エンドールの石像の前には、既に簡素な壇が設けられていた。壇の四隅――東西南北に、それぞれの立ち位置が印されている。
まず、東側の列から、一人の男が歩み出た。
マルクス・アルザード・エルミス。青龍軍元帥。
蒼い紋の入った軍装。深い緑色の瞳。一歩進むごとに、足下の空気がわずかに冷え、張り詰めていくような気配。
胸元には何の飾りも見えないが、制服の下にはプラチナの十字架
——青龍元帥のワッペンが隠されている。
「青龍さまだ……」
観衆の間に、小さなざわめきが走る。
続いて、西側。
ケイン・タタン・ヴィルナース。白虎軍元帥。
マカロンにも見覚えのある白い軍服姿で、彼は落ち着いた足取りで持ち場へ向かう。その歩みは柔らかいが、一切の隙がない。
マリアから預けられた白虎元帥の十字架は、今日も服の下に隠されている。
「白虎が……」
市民たちが息を呑む。
南側。
アレキサンドル・ルビリア・マルス。朱雀軍元帥。
赤の意匠を取り入れた軍装。炎のようなオレンジの瞳。笑っているように見えて、その実、刃のような冷静さを湛えた表情。
胸の内側では、朱雀を象るシンボルを抱いた十字架が、ひそかに熱を帯びていた。
「マルスの炎だ……」
北側。
シン・ジャクス・アルディール。玄武軍元帥。
黒と深緑の重厚な軍装。淡い灰色の瞳。歩いているのに、地面と一体化しているような沈黙。
彼の十字架もまた、決して人前には出されないまま、その場の「要石」として静かに在る。
「玄武……」
四人が、それぞれ規定の位置に立つ。
東に青龍。南に朱雀。西に白虎。北に玄武。
エンドールの石像を中心に、四聖獣の配置が整った。
マカロンは、広場の端から、その光景を見守っていた。
(すごい……)
圧倒される、という言葉しか浮かばない。
兵士でも、魔導師でもない。ただの使用人の視点から見ても、この四人の「格」ははっきりと分かった。
(この人たちが、“この国の四隅”を押さえているんだ)
(だから、帝都は――世界は――まだ立っている)
静寂が、広場を満たす。
やがて、マルクスが口を開いた。その声は、それほど大きくはないのに、広場の隅々まで届いた。
「森羅万象を見守る無垢の理よ──」
四人の声が、ほぼ同時に重なる。
「この地に満ちた穢れ、今ここにて断絶せよ。清風は淀みを裂き、大地の鼓動は不浄を呑む。我が宣言に応じて、顕現せよ “聖域胎動”」
足下から、空気が変わった。地面の下で、何か巨大なものが目を覚ましたような感覚。マカロンは、思わず息を呑む。
続けて、それぞれの位置から、四人の声が分かれて響く。
「東方・蒼き龍──青龍の柱よ、風と水の理を束ね、守護の牙を天へと掲げよ」
マルクスの足元から、蒼い光が立ち上る。それは、竜の形を模した光柱となり、天へと伸びていく。
「南方・紅き翼──朱雀の柱よ、灼熱の焔を掲げ、侵す者を灰へと還せ」
アレキサンドルの周りに、紅蓮の炎が舞う。それは鳥の翼のように広がり、上空へと飛び去っていく。
「西方・白き牙──白虎の柱よ、金と鋼の気を集め、刃と化して邪を裂け」
ケインの周囲に、白銀の光の線が奔る。それは無数の刃のように空を切り、四方へと配置されていく。
「北方・黒き盾──玄武の柱よ、大地と水脈を鎧となし、いかなる災いも受け止めよ」
シンの足元から、深い黒と緑の光がにじみ出る。それは見えない盾となって地面に沈み込み、目には見えない壁を築いていく。
「四柱よ、今ここに顕現せよ──森羅万象を結ぶ聖なるコアとして、天地を支えよ」
四つの光が、中心――エンドール石像の足元で交差する。
「――『神柱降臨(ラグナ・アス=ピラー)』」
轟音も、眩い閃光もなかった。ただ、世界の「基準」が一段変わったような、そんな静かな衝撃だけがあった。
マカロンは、足下の石畳が少しだけ柔らかくなったように感じた。
(これが、聖域……)
(世界の“土台”を、もう一段厚くする儀式)
四人は、休むことなく次の詠唱へ移る。
今度、声を張ったのはアレキサンドルだった。その声音には、炎を思わせる熱が宿っている。
「原初より告げる。我が足下を起点として、波紋となれ、聖なる衝撃波──」
南から、赤い光の波紋が広がる。
「森羅万象の調律に反するすべての邪気よ、退け、砕け、消え失せろ」
東西北からも、それに呼応するように光が走った。
「青龍の風が穢れを吹き飛ばし、朱雀の炎が残滓を焼き尽くし、白虎の爪が呪鎖を断ち切り、玄武の盾が侵蝕を拒む」
目にはっきり見えるわけではない。しかし、マカロンには感じられた。
胸の奥につかえていた、路地裏の冷たさ。ひまわりの家の子どもたちを襲った「黒い仮面」の残り香。世界のどこかで、誰かが流した理不尽な涙。
そのすべてが、少しずつ洗われていく。
「この中心から外縁へと広がるすべての範囲──一片の邪も残すことなく浄め尽くせ」
「――『滅悪神極波動』」
見えない波が、帝都の隅々へと走り抜けた。
マカロンは、思わず胸を押さえた。
(あの日)
(路地裏で、何度も流しかけた“諦め”みたいなもの)
(少しだけ、軽くなった気がする)
今度は、ケインが一歩前へ出た。白虎の軍装が、陽光を受けて淡く光る。
「四聖獣よ、今こそ輪となりて交わり、天と地の縫い目に“聖なる境界線”を描け」
上空。
青い弧。赤い環。白い刃の帯。黒い盾の列。
それらが、帝都を取り囲むように走り、交差していく。
「青龍は東天に弧を引き、朱雀は南空に炎環を灯し、白虎は西方に剣壁を立て、玄武は北土に盾壁を沈める」
マカロンには、ぼんやりとしか見えない。だが、その「線」が描く輪郭は、確かに帝都全域を覆っていた。
「森羅万象の理の名において命ず──この故郷において、あらゆる悪意・呪詛・災厄の侵入を許さず」
「――神聖結界・発動」
見えない膜が、世界の内と外を分ける。
その瞬間、マカロンは、ひどく不安定だった足場に、ようやく一本の支柱が通されたような感覚を得た。
(この国は、まだ守られている)
(マリア様だけじゃなくて)
(この人たちも)
最後に、一歩前へ出たのは、シン・ジャクス・アルディールだった。
「揺らぐはずの時の流れを、一瞬だけ縫い止めよ。四聖獣の誓約を楔とし、森羅万象の加護を鎖とする」
声は、静かだった。しかし、その静けさが、逆に重い。
「青龍の息吹を鍵に、朱雀の炎を封印の印とし、白虎の咆哮を戒めの鎖となし、玄武の沈黙を最後の錠前とせよ」
広場の空気が、ぴたりと止まる。風も、人のざわめきも。時間そのものが、ほんの瞬きの間、動きを止めたように感じられた。
「ここに宣言する──この地は、変わることなき聖域。我が解呪の言葉無くして、決して崩れず、決して穢れず、森羅万象に見届けられながら、静かに在り続けよ」
「――『永世絶対領域』」
次の瞬間。空気が、ゆっくりと動き出す。
観衆の誰かが、大きく息を吐いた。
マカロンも、いつの間にか呼吸を止めていたことに気づき、慌てて息を吸い込む。
(“変わることなき聖域”)
(世界がどんなふうに書き換えられそうになっても)
(ここだけは、守り切るって宣言)
胸の奥で、何かがじんわりと温かくなった。
(いつか――)
(いつか私が戦うとき)
(この場所が、帰ってくる場所でありますように)




