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マカロン~世界の筋書きを殴り返せる少女~  作者: S@top


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30/45

ひまわりと風の、帝都での一日

市場の中央広場は、朝の光でまだほんのり白んでいた。

人通りは増え始めているが、昼の喧噪にはまだ遠い。露店の店主たちが布をめくり、パン屋が焼きたてを並べ、香辛料の匂いが少しずつ混じり合っていく時間帯だった。

 広場の端。噴水のそばで、ブリッツは一度深呼吸した。

(落ち着け。今日は“視察”じゃない)

 一応は帝都への仕事の出張だ。マルセ商会との商談、その後の報告、アレキサンドルへの挨拶。それらを全部、きちんとやり遂げたうえで――

(これは、その“ご褒美”みたいなもんだ)

 胸元を少しだけ整える。いつもの視察用の服より、少しだけ質の良いジャケット。髪も、何度もやり直した。寝癖を直すのに、いつもの三倍くらい時間が掛かったことは誰にも言っていない。

 広場の向こうから、淡い色が近づいてくるのが見えた。

 朝の光を受けて揺れる、薄いラベンダーの布。

 ひまわりみたいに、まっすぐな背筋。

 マカロンだった。


 いつもの使用人服ではない。膝丈のワンピース。軽く巻かれた黒髪はハーフアップにまとめられ、小さな銀のひまわりの髪飾りが、耳の横でさりげなく光っている。喉元には、淡い紫水晶がひとつ。

 ブリッツの頭の中で、何かの計算式がまとめて吹き飛んだ。

(なにあれ)

(めちゃくちゃ綺麗じゃない?)

 さっきまで「最初何を話そうか」と考えていた台詞が全部消えた。

 ただ、近づいてくるのを見ているしかできない。

 マカロンも、こちらに気づいたらしく、少しだけ歩みを早めた。頬が、ほんのりと色づいている。

「お待たせしてしまいましたか?」

 いつもの少し控えめな声。だが、服と髪型が違うだけで、まるで別人に聞こえる。

「い、いや。俺もさっき来たところだから」


 完全な嘘ではない。だが「さっき」の幅は、一般的な感覚よりかなり広い。

 ブリッツは、目線のやり場に困った。

 全身を見たら失礼な気がする。

 かといって顔だけ見るのも、直視がきつい。

 結果、彼の視線はマカロンの肩の辺りでうろうろしたあと――

 ふと、正面から目が合った。


 マカロンが、少し不安げに眉を下げる。

「あの……変じゃないですか?」

「え?」

「この服……普段は制服ばかりなので、こういうの慣れてなくて」

 マカロンは、スカートの端をつまみ上げ、ぐるりと一回転する。裾がふわりと広がって、朝の光を受けて揺れた。

「変じゃないかなって……」

 ブリッツは、喉がひどく乾いていることに気づいた。

「……すごい」

「え?」

「すごい、かわいい」

 口が勝手に動いた。


 その瞬間、自分で自分の言葉に驚いて、耳まで熱くなる。

(俺今、何言った?)

(何言ったよ、おい)


 マカロンの目が一瞬大きく見開かれて、そのあと、見る見るうちに頬が真っ赤になった。

「あ、ありがとうございます……」

 声が一オクターブくらい上がっている。

「い、いえ、あの、その……ブリッツさんも、とても……」

 言いかけて、喉に引っかかった。


 目の前のブリッツは、いつもの「ちょっとくたびれた視察用の服」ではない。きちんとしたシャツ、落ち着いた色のジャケット、軽く整えられた髪。

 フィオレアの港で見たときよりも、ずっと「整って」見える。

(かっこいい、とか)

(面と向かって言えるわけないでしょうが……)

 マカロンは、内心で慌てながら、かろうじて言葉を絞り出した。

「いつもより、その……“貴族の人”っぽいです」

 ブリッツは、一拍置いてから苦笑した。

「それ、褒めてる?」

「たぶん……褒めてます」


 二人の間に、ふっと空気が緩んだ。

 さっきまで胸の中で膨らんでいた緊張が、少しだけ溶ける。

「じゃあ」

 ブリッツは、勇気を振り絞って一歩近づいた。

「今日は、一日、付き合ってもらってもいい?」

「はい」

 マカロンも、しっかり頷いた。

「よろしくお願いします」

 軽く会釈を交わしながら、二人は広場から歩き出した。

 市場通りは、すでに活気づいていた。

 露店の前を通るたびに、あちこちから声が飛んでくる。

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 本日限定、蜂蜜漬け干し果実!」

「新鮮な魚だよー! 朝に港に上がったばかり!」

「旅人さん、南方の香辛料はどうだい?」


 マカロンは、目線のあちこちに引っ張られながらも、足を止めすぎないように気をつけていた。

(今日は、“仕事の途中”じゃない)

(でも、王城の使用人として、あまりはしゃぎ過ぎるのもどうかな……)

 そんなことを考えていたのを見透かしたように、ブリッツが笑う。

「気になるところがあったら、遠慮なく止まっていいよ」

「でも……」

「今日は、視察でも仕事でもなく、“デート”ってことでしょ?」

 さらっと言われて、マカロンは足を滑らせそうになった。

「で、でー……っ」

「おっと」

 ブリッツが、咄嗟に腕を支える。マカロンの体が、危うく屋台の山賊串の山に突っ込むところだった。


「だ、大丈夫?」

「あ、ありがとうございます……」


 マカロンは、危うく串に顔面を刺さるところだった自分を想像し、同時に「今の一言を聞き逃してやり過ごすべきか」真剣に悩んだ。

 しかし、このままスルーするのも変な気がしたので、覚悟を決めて口を開く。

「あの」

「うん?」

「いま、“でー……”って言いました?」

 ブリッツは、一瞬だけ目を逸らした。

「言ってない」

「言いました」

「気のせいじゃない?」

「はっきり聞こえました」

 短い押し問答。

 最後に折れたのは、ブリッツだった。


「……まあ、似たようなもんだろう、今日は」

 マカロンの顔が、更に赤くなった。

「仕事の打ち合わせ、って自分で言ってたのに」

「それは、自分に言い訳してただけでしょ」

 ブリッツの突っ込みは容赦ない。

 だが、どこか優しい。

「だって、その方が緊張しないじゃないか」

「……たしかに」

 言い負けて、マカロンも苦笑した。


(そうだ)

(これは、ちょっとだけ特別な“仕事の打ち合わせ”だ)

 そう思い直すと、胸の中のもやもやが少し晴れた。

 途中で、串焼きの匂いに惹かれて足を止めたり、色とりどりの布地を見て「アンナならどれを選ぶかな」と考えたり。

「この布、ひまわりの色に似てませんか?」

 マカロンが指さしたのは、柔らかな黄色の布だった。

「言われてみれば」

 ブリッツも、それに手を触れる。

「ひまわりの家の庭に、一本だけ咲いてたひまわりの色に近いね」

「覚えてるんですか?」

「忘れようがないよ」


 さらりと返された一言に、マカロンは胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。

 市場で買った、焼きたての小さなパンを半分こしながら、二人は帝都の外れへ向かって歩く。

 帝都を囲む城壁の一角には、緩やかな丘になった公園があった。

 石段をゆっくり登ると、視界が開ける。

 帝都スエンジールの屋根が、一望できた。

 赤茶色の瓦屋根。石畳の道。遠くには王城の塔。朝の光で、すべてが少し柔らかく見える。

「すごい……」

 マカロンは思わず息を呑んだ。

「ここから、こんなふうに見えるんですね」

「南方には海があるからさ。たまにこういう“陸の海”を見ると、別の世界みたいで面白い」

 ブリッツは、軽く両手を腰に当てながら言った。

「フィオレアの丘から見た海も、こんなふうに広がってたよね」

「……はい」

 ひまわりの家の丘。アンナと、子どもたちと過ごした日々。そしてブリッツと一緒に見た海。

 青と白の光景と、今目の前に広がる赤茶色の街並みが、胸の奥で重なった。

「座ろっか」

 丘の頂上近く。木陰に置かれたベンチがひとつ。

 ブリッツが座り、マカロンもその隣に腰を下ろした。

 少しだけ空間が空いている。

 触れない距離。でも、遠すぎもしない距離。

 その少し離れた場所。

 背の高い木の影に、二つの人影が隠れていた。

「……ふふ」

「何を笑っておられますか、陛下」

 黒髪をきっちりまとめ、地味な街娘風の服を着たリーゼロッテが、ささやくように言う。

 隣では、簡素な作業服に頭巾を被った金髪の女が、やけに生き生きと目を輝かせていた。

「いやぁ、いいわねぇ、若いって」

 マリア・サン・クオンドール。仮の女王にして、今は完全に「近所のおばちゃんモード」の顔だ。

「しれっと“陛下”って呼ばれるとバレますよ」

「今のは心の声だから大丈夫」

「口から漏れております」

 リーゼロッテのツッコミは容赦ない。

 マリアは、木の幹からそっと顔だけ出し、ベンチの二人を覗く。

 淡いラベンダーのワンピースにひまわりの髪飾りをつけたマカロン。

 横顔だけ見えても、頬の赤さが分かる。

「……ちゃんと、最高の美少女になってるわね」

「お任せいただきましたから」

 リーゼロッテは淡々と答える。

「ヘアセットは、私の会心の出来です」

「うん。これで、どの角度から見ても“可愛い”わね。あとは、男の側の問題よねぇ」

 二人の視線の先では、ブリッツが何かを言おうとして、口を開きかけては閉じる動きを繰り返していた。

「……押しが弱い」

 マリアが、眉間に皺を寄せる。

「もっと“今日ここで言わなきゃ一生後悔する”くらいの勢いで行きなさいよ」

「陛下。男にも色々ございます」

「分かってるけど、見てるとちょっとむずむずするのよ」

 そうぼやいているところに、後ろからひとつの影が近づいてきた。

「陛下?」

 火の気配。赤を基調とした上着。少し砕けた笑み。

 アレキサンドル・ルビリア・マルスが、半ば呆れたように首を傾げていた。

「何をなさっているんです? こんなところで」

「見学」

 マリアは、木の陰からひょいっと顔を出した。

「南方マルス地方の“坊っちゃん”と、うちの“ひまわり”のデートのね」

「……うちの坊っちゃん、ですか」

 アレキサンドルは、一瞬だけベンチの二人を見て、すぐに視線を外した。口の端が、わずかに緩んでいる。

「ほんと押しが弱いわよね。あなた、もう少し背中押してきなさいよ」

「それを言うなら、陛下もマカロン嬢の背中を押しに行っては?」

「私は既に全力で押したわ。服も髪もメイクも」

「たしかに」


 リーゼロッテが同意する。

「これ以上押すと、あの二人、転びますね」

 三人の視線の先では、ブリッツが何かを取り出そうとして、ジャケットの内ポケットをまさぐっていた。

「お?」

 マリアが身を乗り出す。

「来た?」


「いえ、まだですね」

リーゼロッテは冷静だった。

「これは多分、昼食前の雑談用のネタです」

「よく分かるわね」

「観察の結果です」


 アレキサンドルが、肩をすくめた。

「まぁ……少なくとも、あの顔を見る限り、坊っちゃん、変な真似はしないでしょう」

「変な真似くらいしなさいよ」

「陛下」

 三人分の圧が、木陰で渦巻いた。


 ベンチの上。

 ブリッツは、もう一度深呼吸してからマカロンに向き直った。

「えっと、その……」

「はい?」

 マカロンが、首をかしげる。この仕草をされると、説明しようとしていた話の半分くらいが飛んでいく。

 これではいけない。

 ブリッツは、内心で自分に喝を入れた。

「実は、俺の方から持ってきたものもあるんだけど」

 そう言って、ジャケットの内側に手を入れる。

 マカロンの目が、少しだけ輝いた。

「例の、スペシャルマカロンですか?」

「それは、後のお楽しみ」

 ブリッツは、からかうように言う。

「まずは、マカロンの方から。何か、用意してきたんじゃない?」

「え」

 図星だ。


(さすがに、気付かれてたか……)


 マカロンは、そっと足元に置いていた布包みを膝の上にのせた。小さなお弁当箱が入っている。

「大したものじゃないんですけど」

 包みを解き、中身を見せる。

 小さなおにぎりのような、丸いパン。薄く切ったハムとチーズを挟んだもの。帝都の市場で手に入る安い材料を組み合わせた、素朴なおかずたち。

「王城の厨房で、端っこを分けてもらって作りました」

 照れくさそうに言う。

「以前、フィオレアでパンを半分こしてもらったので……今度は私の番かなって」

 一瞬、ブリッツの表情が固まった。

 すぐに、目元が緩む。

「……覚えててくれたんだ」


「忘れるわけないです」

 マカロンは、少しだけ視線を逸らした。

「あんまり、いい状況ではなかったですけど」

「それでも、“いい記憶”にしたいって思ってたから」

 ブリッツは、お弁当箱の中身をしげしげと眺めて、頷いた。


「じゃあ――いただきます」

「はい、どうぞ」


 マカロンも、自分の分を取り出す。

 帝都を一望しながら、二人で小さなパンをかじる。


 噛むたびに、ささやかな塩気と、小麦の甘みが広がる。

「うまい」

 ブリッツが真顔で言った。

「思ったより、ずっと」

「“思ったより”とは何ですか」

「ほら、前にフィオレアで作ったおかゆの味を思い出して……」

「それは言わない約束です」

 二人で小さく笑い合う。

「でも、本当に美味しいよ」

 ブリッツは、真面目な顔に戻った。

「王城の料理人も驚くと思う」

「そんな、おおげさな」

「おおげさじゃないさ」

 軽く肩をすくめる。


「好きな人と一緒に食べるご飯って、それだけで大抵の料理より美味しくなるからね」

「……好きな人?」


 マカロンの声が、かすかに上ずる。

「え?」


「いま、“好きな人”って」

「あ、いや、その」

 一瞬、空気が固まった。

 ブリッツは、頭をかきながら視線を泳がせる。

「一般論です、一般論」

「そうですね、一般論ですね」

「一般論だね」

「一般論です」


 二人とも、強引に話を落ち着かせた。

 だが、お弁当箱の中身が少しずつ減っていくにつれて、言葉少なになっていく沈黙は、不思議と居心地が悪くなかった。


 帝都の風が、丘の上を抜けていく。

 遠くで、鐘の音が鳴った。


 十分に時間をかけて、お弁当を食べ終える。

 マカロンが小さな布で口元を押さえている間に、ブリッツはそっと足元の包みに手を伸ばした。

「じゃあ――満を持して」

 マカロンが顔を上げる。


 ブリッツは、白い箱を膝の上に置き、ゆっくりと蓋を開けた。

「ショコラさん、スペシャルマカロン。八個セット」

 中には、色とりどりのマカロンが並んでいた。

 淡いレモン色。深いチョコレート色。ミントグリーン。ベリーのような赤。ピスタチオ。ラベンダー。薄桃色。そして、真っ白な一つ。

 どれも、丁寧に模様が描かれ、小さな宝石のようだった。

「……きれい」

 マカロンの目が、丸くなる。

「これが、じゃんけんで勝ち取ったやつですか」

「そう。ウルティアさんの三十連勝を止めて手に入れた一箱」


 誇らしげに言う。


「最初で最後かもしれないから、今日一緒に食べようと思って」

「一緒に……」

 マカロンの胸が、きゅっと熱くなった。

「はい。ぜひ」

 ブリッツは、箱をマカロンの方に少し押し出した。

「どれからいく?」

「えっと……」

 マカロンは、恐る恐る指先を伸ばす。


 最初に触れたのは、淡いラベンダーのマカロンだった。

「これ」

「服の色とお揃いだ」

 ブリッツが笑う。

「じゃあ、俺はこれにしようかな」

 彼が手に取ったのは、ひまわりのような、柔らかなレモン色のマカロンだった。

「“ひまわり”のイメージで」

「それ、私のことですか?」

「さあ、どうでしょう」


 軽口を交わしながら、二人は同時にマカロンを口へ運んだ。


 さく。


 外側の薄い殻が、ほんのわずかに抵抗を見せてから、舌の上で溶ける。

 中から、香りが広がった。

 マカロンのラベンダーは、優しいミルクの甘さの中に、ほんのりとした花の香りが混じっている。

 ブリッツのレモンは、すっきりとした酸味と甘味のバランスが絶妙で、口の中を一瞬で明るくする。


 二人は、一口食べたところで――

 同時に、手を止めた。


 目が合う。


 互いの口元に、白いクリームが少し。

 それを指摘する余裕もなく。

 しばらく、ただ見つめ合っていた。

(……)


(……)


 時間の感覚が曖昧になる。

 風の音も、人々のざわめきも、遠くの鐘の音も、全部どこかへ行ってしまったような。

 マリアが見ていたら「三十秒くらいね」と言ったかもしれない。

 実際には、もっと短かったかもしれないし、もっと長かったかもしれない。

 ただ、二人には、永遠みたいに感じられた。


「……」


「……っ」


 先に耐えきれなくなったのは、マカロンの方だった。

 視線を逸らし、慌てて口元を拭う。


「お、おいしいです」


「……ああ」


 ブリッツも、咳払いを一つしてから笑う。

「ショコラさん、やっぱりすごいな」

「なんか……」


 マカロンは、胸の前で指を組んだ。

「食べた瞬間、ちょっとだけ泣きそうになりました」

「俺も」

 ブリッツが頷く。

「“今ここにいる”って感じがした」


「はい」


「次、どれにする?」

「全部食べ切ったら、お腹はちきれませんか」

「そのときは一緒にはちきれよう」

「それは嫌です」


 二人は笑い合いながら、少しずつマカロンを分け合う。

 ひとつ食べるごとに、「これはナッツが強いですね」「このベリーのやつ、ちょっと酸っぱい」と、他愛もない感想が増えていく。

 言葉の合間に、時々、視線がぶつかる。

 そのたびに、どちらかが少し赤くなり、視線を落とし、そしてまた笑いに戻る。

 木陰から、その様子を眺めていた三人は――

「……」

「……」

「……」


それぞれ、複雑なため息をついた。

「押しが弱い」

 マリアが、何度目か分からない文句を言う。

「そこで“美味しいね”だけじゃなくて、“君と食べられて嬉しい”くらい言いなさいよ」

「言えない男もいるのです」

 アレキサンドルは、肩をすくめた。

「それに、あれはあれで満足してる顔ですよ」

 リーゼロッテも、静かに頷く。

「マカロン嬢の表情も、今まで見た中で一番柔らかいです」

「そうなんだけどねぇ」

 マリアは、頬杖をついた。

「もっとこう、“世界に負けないくらいの子になりそうな女の子”なんだから、その隣に立つ男も、もうちょっとガツンと行きなさいよ、って気持ちになるのよ」


「陛下、それは少し八つ当たりです」

「自覚はあるわ」


 三人の間に、ふっと笑いが漏れた。

「……まあいいか」

 マリアは、最後にもう一度ベンチの二人を見た。

 スペシャルマカロンの箱は、ほとんど空になっている。

 マカロンが、手のひらを口元に当てて笑っている。

 ブリッツも、それに笑顔で何か返している。


「本人たちが、今のペースで満足してるなら」

 マリアは立ち上がった。

「私たちが、とやかく言うことじゃないわね」

「珍しいですね」

 リーゼロッテが小さく目を見開く。

「陛下が“見守る”という選択をするのは」

「たまにはね」

 マリアは、肩をすくめた。

「それに、マカロンには――」

 少しだけ、目を細める。

「これから、もっとたくさん“理不尽なこと”と戦ってもらわなきゃいけない」

「せめて今くらいは、普通の女の子として笑っていてもらわないと」

 アレキサンドルも立ち上がる。

「では、我々は先に戻りましょうか」

「そうね。リーゼロッテ」

「はい」

 三人は、そっと木陰から離れていった。

 丘を下りる途中で、マリアはふと立ち止まり、振り返る。

 ベンチの上の二人は、もうこちらに気付いていない。


(ちゃんと、幸せになりなさいよ)


 心の中でだけ、そう呟いた。


 日が傾き始めた頃。

 帝都の影が、少しずつ伸びていく。

 ブリッツとマカロンは、丘から下り、王城へと続く道の手前まで歩いていた。

 王宮の塔が、近くに見える。

「そろそろ、戻らないとですね」

 マカロンが、小さく言う。

「そうだね」

 ブリッツも、足を止めた。

 その場に、短い沈黙が落ちる。

 忙しない日々の中にある、ふとした静寂。

 その静けさの中で、言わなければならないことがあるのを二人とも分かっていた。

 先に口を開いたのは、ブリッツだった。

「……手紙、送ってもいい?」

 唐突なようで、自然な問い。

 マカロンは、一瞬驚いた顔をして――すぐに、微笑んだ。

「もちろんです」

「王城宛てに?」

「はい。『マリア陛下のもとで働くマカロン宛て』で」


 ブリッツは、少し笑う。

「それ、宛名だけで色んな人の目に触れそうだな」

「リーゼロッテさんが、ちゃんと届けてくれます」

「じゃあ、頼りにしよう」

 ブリッツは、少し真面目な顔になった。

「南に戻っても、帝都には時々来る」

「仕事の話もあるし、それに……」

 言い淀む。

 マカロンが、首をかしげる。

「それに?」

「それに、また会いたいから」

 それは、「好き」と言うほどの直球ではなかった。

 けれど、「ただの友達」と言い切るには、少し熱がこもりすぎている。

 マカロンの頬が、ぽっと赤くなった。

「私も」

 俯きかけた顔を上げて、はっきりと答える。

「また、会いたいです」

「王都に出られる機会があれば、マルセ商会か、ショコラの店に行きます」

「そのときは――」

「また、砂糖を食べ過ぎようか」

「太りますよ」

「一緒に走ればいいさ」

「じゃあ、決まりですね」

 二人は、ほんの少しだけ笑い合う。

「じゃあ」

 ブリッツは、短く息を吸って、右手を差し出した。

「今日、一日付き合ってくれて、ありがとう」

 マカロンも、その手を握り返す。

「こちらこそ。とても、楽しかったです」

 握手は、ほんの一瞬だった。

 けれど、握り合った手の温度は、しばらく消えなかった。

「それじゃ」

 ブリッツは、一歩下がる。

「また手紙を送る」

「待ってます。王都に来られそうなときは、ちゃんと知らせて」


「うん。でも明日大精霊建国祭があるから、明日は帝都にいるよ」

 名残惜しさは、確かにあった。

 もっと話したいことも、聞きたいことも、たくさんある。

 でも、それを全部、今日この場で完結させてしまうのは違う気がした。

 続きは、また今度。

 その「また今度」が、本当に来ると信じられるくらいには、お互いのことを信頼していた。

 マカロンは、王城へ続く門の方へと歩き出す。

 数歩進んでから、ふと振り返った。

 ブリッツが、まだその場に立っている。

 手を振る。

 ブリッツも、笑いながら手を振り返した。

 夕暮れの風が、ラベンダーの裾と、ひまわりの髪飾りを揺らす。

 マカロンは、胸の前で手をぎゅっと握りしめた。


(またね)


 声には出さない。

 でも、その言葉は、確かに届いている気がした。

 ブリッツも、胸の奥で同じ言葉を繰り返す。

(また)

(ちゃんと、会いに来る)

 それは、いつか世界の筋書きに殴り返すことになる二人が交わした、ささやかな約束だった。


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