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マカロン~世界の筋書きを殴り返せる少女~  作者: S@top


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29/45

ショコラのマカロンと、じゃんけん大帝

大精霊建国祭の喧噪が、まだ帝都のあちこちに残っている翌朝。

市場の中央広場――王宮からも、マルセ商会からもほど近い、帝都の「胃袋」のど真ん中。

今日は、そこで待ち合わせだ。

ブリッツは、いつもの視察用のラフな格好ではなく、少しだけこぎれいな服装に身を包んでいた。

襟元がきちんと整えられたシャツ。上から羽織るのは、装飾を抑えた濃紺のジャケット。貴族らしい質の良さはあるが、紋章などは目立たないように控えめに選んである。

(貴族度、控えめ)

(“南の偉い家の坊っちゃん”じゃなくて、“ひとりの男”として会いたいからな)

髪も、いつもより丁寧に整えた。鏡の前で何度かため息をついたことは、護衛には内緒だ。

約束の時間までは、まだ少し余裕がある。

(まずは――)

ブリッツは、中央広場から少し外れた通りへ足を向けた。

有名パティシエ、ショコラの菓子店。

帝都でも屈指の人気店で、特に「マカロン」の評判は高い。日によっては、開店前から行列ができるほどだ。

(今日は、ショコラのマカロンを一緒に食べるって決めてる)

(“ずっと気になっていた、幾度もすれ違って、やっと会える子”と)

だからこそ、行列が短いうちに動く必要があった。

「……セーフ」

角を曲がった先に見えた店の前の列を見て、ブリッツは小さく息をついた。

店の前には、すでに十人ほど並んでいる。しかし「いつもの」ショコラの行列からすれば、これでも短い方だ。

「あまり待たなそうだな」

列の最後尾につき、周囲を何気なく眺める。

そのときだった。

(……あれは)

視界の端に、違和感。

店から少し離れた建物の陰。黒い服。黒い仮面。素顔は見えない。

だが、身のこなしと、立ち方の「無駄の無さ」が、ただ者ではないことを物語っていた。

(仮面?)

(……手練れ、だ)

片手が自然と腰の剣に触れそうになるのを、意識的に抑える。

黒衣の仮面は、何かを探しているようにも、何かを待っているようにも見える。だが、その姿は上手く周囲の風景に溶け込んでいて、知らない者が見れば単なる「影」としてやり過ごしてしまいそうだ。

(たまたま、目に入ったのは幸運かもしれないな)

今のところ、こちらに敵意を向けてくる気配はない。動きもない。

(余計なことは、今は考えない)

(“何かあっても、動ける”くらいでいい)

内心だけ警戒を残し、ブリッツは列へと意識を戻した。

そうしているうちに、行列は少しずつ進んでいく。

時間をちらりと確認する。

(大丈夫。まだ余裕はある)

やがて、店の前の扉が目の前に迫る。

甘く香ばしい匂いが、隙間から漏れてくる。

(ここに来るのは、久しぶりだな)

ショコラの店に最後に来たのは、前にマルセ商会の帰りに寄って、「限定マカロンはもう売り切れです」と笑顔で断られた日以来だ。

(今日は、その“とっておき”をちゃんと手に入れて)

(あの子と一緒に食べる)

胸の奥が、少しだけ熱くなる。

順番が回ってきて、扉を押す。

店内に足を踏み入れた瞬間――空気が変わった。

(……殺気?)

空気がぴりりと張り詰めている。剣を抜く直前の兵士たちの空気に似ている。けれど、ここは菓子店だ。

(何だ?)

ブリッツは、さりげないふりをしながら店内を見渡した。

客たちの視線が、ある一点に集中している。ガラスケースでも、厨房の方でもない。

壁の一角。

そこに、色鮮やかなポスターが貼られていた。

『じゃんけんに三連勝したら、あなたのためだけの

 本日限定スペシャルマカロン豪華八個セットを

 金貨一枚で販売!』

ポスターの下には、小さく手書きの注意書きが添えられている。

『※ショコラの気が向いたときだけ開催』

『※採算度外視』

『※神をもひれ伏せさせる自信作(予定)』

『※前回開催は三年前』

(……これか)

店内に満ちていた「殺気」は、すべてこのポスターが原因だった。

客たちの眼差しは真剣そのもの。

誰もが、喉から手が出るほどほしいのだ。

(ショコラの“本気のスイーツ”)

(三年ぶりの、採算度外視の一品)

ブリッツは、喉を鳴らした。

(やるしかない、よな)

列の最後尾に再び並び直す。今度は、「マカロンを買う客」の列ではなく、「じゃんけん挑戦者」の列だ。

「次の方〜」

カウンターの向こうから、明るい声が飛んだ。

声の主は、店の制服を着た小柄な女性。

ショコラ本人……ではない。見た目は、十代後半くらいだろうか。黒に近い紺色の髪をまとめ、エプロン姿でテキパキと客に対応している。

横に立て掛けられたボードには、こう書かれていた。

『じゃんけん担当:アルバイト店員 ウルティア』

(ウルティア?)

(どこかで聞いた名前だな)

頭の片隅で、マルス地方で聞いた「三姉妹」の話がかすめるが、目の前のウルティアは普通の娘にしか見えない。

ただひとつ、普通ではないのは――

「二十九連勝中?」

ボードの端に小さく書かれた数字だった。

ウルティアの横には、簡単な戦績表が貼ってある。

対戦回数:二十九。

勝ち:二十九。

負け:ゼロ。

引き分け:数えきれないほど。

(これは……)

店の中の客たちが、みな「一回戦負け」の顔をしている理由が分かった。

(恐ろしくじゃんけんが強いな、この人)

「次の挑戦者さん、どうぞ〜」

ウルティアが、にこりと笑う。

ブリッツは、一歩前に出た。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

ウルティアは、細い指を軽く握って見せる。

「ルールは簡単」

「三回勝ったら、あなたのためのスペシャルマカロン」

「一回でも負けたら、そこで終了」

「引き分けは、ノーカウント」

「いいかしら?」

「もちろん」

(負けられない理由がある)

ブリッツは、心の中で小さく呟いた。

(数年に一度あるかないかのチャンスで)

(幾度となくすれ違ってきた、忘れられない彼女と)

(やっとここまでこぎつけた)

今日は、その「特別な日」だ。

(その日に、特別なスイーツを用意できるチャンスがあるのに出来なかったら――)

(きっと、一生後悔する)

これが、ショコラの店全体から漂っていた「殺気」の正体だった。

もしかしたら、さっき見かけた仮面の男も、このポスターを狙っていたのかもしれない。

(……かもしれないけど)

(今は、目の前のじゃんけんに集中だ)

「じゃあ、一戦目」

ウルティアが、両手を前に出す。

「最初はグー」

客たちの息が、一斉に止まる。

「じゃんけん――」

「ぽん!」

一戦目。

ブリッツは、パーを出した。

ウルティアは、グー。

「……あら」

軽い声が漏れた。

「ブリッツ、勝利!」

後ろで見ていた誰かが、思わず叫ぶ。

店内の空気が、微かにざわめいた。

「へえ」

ウルティアが、少し目を細める。

「いい勘してるね」

「運がよかっただけですよ」

ブリッツは、肩の力を抜くように笑った。

(本当は、相手の癖を読もうと思っていたけど)

(最初から“王道のグー”を出してくるとは限らない)

(ここは、素直に出た手に賭けた)

「二戦目いくわよ」

ウルティアが、今度は少しだけ身構える。

「最初はグー」

「じゃんけん――」

「ぽん!」

二戦目。

ブリッツは、グーを出した。

ウルティアは、チョキ。

「……!」

ウルティアの眉が、ほんの少しだけ跳ね上がる。

「二戦目も、ブリッツ、勝利!」

店内のあちこちから、「おおっ」とどよめきが起こった。

「二連勝……!」

「ウルティアさんが、二連敗……!」

「初めてだぞ……!」

店の外にまで、そのざわめきが広がる。

「お兄さん。強いねぇ」

ウルティアが、口元だけ笑った。

「二連敗は、初めてよ」

ブリッツは、息を整えながら答える。

「僕も負けられない、特別な理由があるんだ」

「ふうん?」

ウルティアは、興味深そうに首を傾げる。

「誰かのため?」

「……はい」

(ずっと気になっていた、幾度もすれ違って)

(やっとの思いで会うことができる)

(結構気になる女性と、一緒に食べる)

声に出すと、確実に顔が真っ赤になるので、そこまでは口にしない。

けれど、その感情は、十分伝わっていた。

「……そう」

ウルティアは、ほんの少しだけ目を伏せた。

(誰かのために頑張る人間、嫌いじゃない)

「じゃあ――三戦目」

空気が、一段と重くなる。

店内の客も、外で待っている人も、みな、固唾を呑んで見守っている。

ここまで二連勝した者は、誰もいない。

ウルティアの背後、棚の上のポスターには、誰の名前も書かれていない。

(ここで勝てば)

(初代“スペシャルマカロンの男”か)

妙な肩書が頭をよぎるが、今は忘れる。

「最初はグー」

ウルティアの声が、少しだけ低くなる。

「じゃんけん――」

「ぽん!」

三戦目。

ブリッツは、チョキを出した。

ウルティアも、チョキ。

「あいこ」

短い沈黙。

「……ふぅ」

店内の空気が、少しだけ緩む。

「もう一回」

ウルティアが、小さく笑って構え直す。

ブリッツは、自分の手を見つめた。

(グー、チョキ、グー、チョキ)

(さっきの二回、立て続けに勝っている)

ウルティアの癖。視線。指先の僅かな動き。

彼女は、これまで「勝つ側」として戦ってきた。負けることに慣れていない。

(今、彼女が一番怖いのは、“同じ手を続けて読まれること”だ)

(だから――)

「じゃんけ〜〜〜〜〜ん」

ウルティアが、いつもより少し長く声を伸ばす。

(ここで、変えるか)

(それとも、変えないか)

ブリッツは、ほんの一瞬だけ迷って――

(――変えない)

チョキを握った。

「ぽ〜〜〜〜ん!」

三戦目(再)。

ウルティアの手が、一瞬遅れて動く。

いつもなら、「相手が出しそうな手」の上を行く。

だが――

(……あ)

彼女の指先が、わずかに震えた。

今まで二十九連勝。「負ける」という未来を想像してこなかった女の、ほんの小さな動揺。

その瞬間。

ウルティアの手は、パーを形作っていた。

「……あ」

自分でも驚いたように、彼女は目を見開く。

「やっ」

「――やっちゃったぁぁぁぁぁぁ!」

その叫びと同時に、店内が爆発したような歓声に包まれた。

「勝ったぁぁぁぁ!」

「ついに三連勝!」

「ウルティアさんが負けた!」

「スペシャルマカロンだ!」

店の中も外も、大盛り上がりだ。

「三戦目、ブリッツ勝利!」

誰かが叫ぶ。

「三連勝達成!」

「じゃんけん大帝、誕生!」

後に、その日のことは、店の人間たちの間でそう呼ばれるようになる。

ポスターの横には後日、小さなプレートが取り付けられる。

――「第一回スペシャルマカロン勝者 じゃんけん大帝ブリッツ」

「お兄さん……」

ウルティアが、肩を落としながら顔を上げる。

「強いねぇ」

「……ありがとうございます」

ブリッツは、安堵と興奮とで、少し足が震えているのを自覚した。

(勝った……)

(これで、スペシャルマカロンが手に入る)

そのとき。

「おめでとう!」

店の奥から、弾むような声が響いた。

白いコック服にエプロン姿の女性が、小躍りしながら出てくる。

くるんと巻いた髪。表情豊かで、目の奥にいたずらっぽい光が宿っている。

有名パティシエ、ショコラ。

彼女は、両手を広げるようにしてブリッツの方へ歩み寄った。

「三年ぶりだよ。三連勝が出たのは」

「うちのウルティア、じゃんけんだけは異様に強いのにねぇ」

「……負けました」

ウルティアは、少し悔しそうに唇を尖らせる。

「でも、負けた相手が“誰かのために本気で頑張る人”なら、悪くないわ。ショコラさん」

「さて」

ショコラは、ぱん、と手を叩いた。

「どんなマカロンがいい?」

ストレートな問い。

ブリッツは、一瞬言葉に詰まり――それでも、誤魔化さないことにした。

「……ずっと気になっていた人がいます」

声のボリュームを少し落とし、小さく続ける。

「幾度もすれ違って、やっとの思いで会うことができる、結構気になる女性で」

耳まで熱くなっていくのが分かる。

「その人と、一緒に食べるマカロンがほしいんです」

少しの沈黙。

店の空気が、すっと変わった。

ショコラの目が、いたずらっぽく細められる。

「なるほどね」

彼女は、にやりと笑った。

「任せなさい」

「あなたも――」

ショコラは、ブリッツの顔をじっと見つめる。

「おいしく食べたいんでしょ?」

「もちろんです」

即答だった。が、少しひっかっかった。

(あ。そんなこと考えてなかったのに~~~深読み過ぎか~)

ブリッツは真っ赤な顔しながら、

「飛び切りおいしいやつを、お願いします」

ショコラは、大笑いしながら、奥の厨房へと引っ込んでいく。

「じゃ、ウルティア」

「はいはい」

ウルティアは、カウンター越しにブリッツに手を差し出した。

「勝者の握手」

「……ありがとう」

ブリッツは、その手をしっかりと握り返す。

「じゃんけん大帝さん」

「やめてください、その二つ名」

照れ隠しに苦笑する。

(さて)

店内の熱気は、まだ冷めない。

外で待っていた客たちは、「次こそは自分も」と息巻いているが、スペシャルマカロンは「本日限定・最初の一人分」だけだ。

その「たった一人」に自分がなったという実感が、じわじわと湧いてくる。

(あとは――)

(ショコラさんのマカロンを受け取って)

(約束の時間までに、中央広場に行く)

ブリッツは、胸の中の鼓動を落ち着かせようと、ゆっくりと息を吐いた。

(愛の告白の次に緊張する時、ってやつだな)

ショコラが用意する「神をもひれ伏せさせる自信作」。

それがどんな姿をしているのか。

それを、一緒に食べる相手が、どんな顔をするのか。

(全部、ちゃんと目に焼き付けたい)

黒い仮面の影も、じゃんけんの熱気も、ショコラの不敵な笑みも。

すべてひっくるめて、「今日という一日」の前座でしかない。

(本番は、これからだ)

市場の中央広場。

淡いラベンダーのワンピースを着た、ひまわりのような少女が、そこに立つ。

その隣に、「とっておきのマカロン」を携えた、少しこぎれいな青年が並ぶ。

その瞬間を想像しながら、ブリッツは、そっと拳を握った。


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