マカロン、最高の美少女になる
翌日の早朝。
まだ太陽が城壁の端から顔を出すか出さないかという時間。マカロンは自分の部屋の真ん中に立ち、床一面に広げた服の山を前に腕を組んでいた。
「…………どれもしっくりこない……」
見渡す限り、地味で実用的なものばかり。
襟のほつれたワンピースが一枚。洗いざらしのブラウスとスカートが一組。ひまわりの家時代からのお下がりで、裾が少し短くなった古い服が二、三着。
(こうやって並べると、いっそう貧相に見える……)
自分で思ってしまって、余計に胸が痛くなった。
王宮で働いていると言っても、基本は制服と仕事着で事足りる。外出用の私服なんて、ほとんど必要ないし、そもそも買う余裕もなかった。
マルセ商会に行くときだって、「一番ましな服」を選ぶくらいで、特別なことを考えたことはない。
けれど、今日は――
(仕事の打ち合わせです。打ち合わせ。大事なことなので二回言いました)
自分で自分に言い聞かせる。
(でも、マリア様の顔、どう見ても「デート」って書いてたんですよね……)
昨日のイルマの様子もおかしかった。「ご報告せねば!」とか言って超高速スキップで去っていった。今ごろ何か、とんでもないことが進行している予感しかしない。
「服が無い……。どうしようぉ~~……」
ベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めてじたばたと足を動かす。
そのとき。
「マカローン?」
軽いノックとほぼ同時に、扉がガチャリと開いた。
「ひゃっ!?」
飛び起きるマカロン。ベッドの上の服がばさっと床に落ちる。
扉の向こうには、案の定、ニヤニヤ顔のイルマが立っていた。
「……見たわよ」
「な、何をですか」
「“乙女の戦場”」
イルマの視線が、床一面に散らばった服たちをなぞる。
「マカロンが気合い入れておしゃれしている! これはただ事ではない。ご報告せねば!」
「その報告をしたの、イルマさんですよね!?」
「まあまあ」
イルマはニヤニヤしながら部屋にずかずか入ってきた。
「で。なるほど。服が無い、と」
「……はい」
素直に認めるしかない。
イルマは肩をすくめる。
「そりゃそうだよ。うちの使用人服、実用と機能性に全振りしてるし。“恋の戦場仕様”なんて、もともと用意されてないしね」
「そんな仕様書、どこにあるんですか……」
「ところがどっこい」
イルマが指をぱちんと鳴らす。
「上には“なんでもこなすスーパーウーマン”がいるのだよ」
その言葉とほぼ同時に、廊下から落ち着いた靴音が近づいてきた。
「失礼いたします」
静かな声と共に、黒のメイド服姿の女性が姿を見せる。
宮廷魔導士兼メイド序列一位総長、リーゼロッテ。
すれ違うメイドたちが自然と道をあける存在感の持ち主が、今日は珍しく「お仕事モード」というより「獲物を前にした狩人」の目をしていた。
「マカロン嬢。少々お時間をいただきます」
「え、あ、え?」
状況を理解する前に、マカロンは椅子に座らされていた。
イルマが耳元で囁く。
「逃げても無駄だよ。マリア様から“全力でドレスアップせよ”って命令が出てる」
「全力……?」
リーゼロッテが、すっと一礼する。
「陛下より、“マカロンに似合う服とアクセサリーと靴、あとかわいくしてやってくれ。宝物庫でもいい、私の服を仕立て直してもいい、とにかく我が国の威信をかけて最高の美少女にするのだ”とのご下命を賜りました」
「その命令文、だいぶ問題あると思うんですけど!?」
抗議する間もなく、リーゼロッテの手が動き始めた。
まずは採寸。
首の周り。肩幅。腕の長さ。胸囲、ウエスト、ヒップ。足のサイズ。
布メジャーが迷いなく、テキパキと体のあちこちを回っていく。
「細い……。けれど、骨格はしっかりしていますね」
メモを取りながら、リーゼロッテが淡々と言葉を重ねる。
「むやみに飾るより、“線のきれいさ”を生かした方がよさそうです」
「せ、線……」
そんなふうに自分の体を分析されたのは初めてで、マカロンは耳まで赤くなった。
「採寸、完了」
リーゼロッテはぱん、と手を叩く。
「では、物資を呼びます。イルマ、搬入の手配を」
「了解〜!」
イルマが超高速スキップで部屋を飛び出していく。すれ違う皆が振り向き、「またイルマが駆けてる」とひそひそ話を始める。
「そんなに嬉しいことでもあったんか?」
「さあねぇ、“恋バナ案件”らしいよ」
数分後。
マカロンの部屋の前の廊下が、「臨時搬入口」と化していた。
衣装部屋から運ばれるドレスラック。宝物庫から慎重に抱えてこられる箱。数人がかりで持ち上げる大きなトランク。
「こ、これ全部……?」
目を丸くするマカロンに、イルマが得意げに胸を張る。
「宝物庫でもいい、私の服を仕立て直してもいい、と陛下が言ってたからねぇ」
「マリア様の服を仕立て直し……!?」
気絶しかけるマカロンの肩を、リーゼロッテがそっと押さえた。
「ご安心を。陛下はそうおっしゃいましたが、実際に王家の礼装に手を付けることは致しません。今回は、宮廷用に仕立てたものの、まだ誰の体にも合わせていない“予備”と、既製服の中から選びます」
ラックから次々と、ドレスやワンピースが引き出されていく。
鮮やかな紅。深い紺。淡いピンク。生成りのレース。
「派手すぎるもの、肌の露出が多すぎるもの、動きづらいものは除外」
リーゼロッテは、迷いなく半分以上をぱたぱたとどかしていく。
「今日は“初デート候補”と伺っていますので」
「誰がそんなことを」
「陛下です」
「陛下ぁぁぁぁ!!」
王宮のどこかでマリアが不敵な笑みを浮かべている姿が、ありありと想像できてしまう。
「……よし」
選別を終え、残ったのは柔らかな色合いのワンピースや、落ち着いたドレスが数着。
「あなたの瞳と肌の色なら、クリームベージュか淡いラベンダーがよく映えるでしょう」
リーゼロッテは布を数枚取り、マカロンの顔の周りに当てて、光の反射を確かめる。
「今日は昼間の外出。夕方までに戻る予定ですね?」
「はい、多分……」
「なら、陽の下で浮かない色を」
彼女の指先が、布の海の中から一枚を抜き出した。
「これです」
淡いラベンダーグレーの膝丈ワンピース。
鎖骨がきれいに見えるボートネック。ウエストには細いリボン。裾はふわりと揺れるが、過剰なフリルはなく、生地の分量とカットだけで形を出している。
「……かわいい」
思わず本音が零れた。
自分が着ていいのだろうかという不安と、着てみたいという気持ちが、胸の中でぐるぐると混ざり合う。
「試着、いきます」
リーゼロッテの号令で、イルマが器用にマカロンの服を脱がせ始めた。
「きゃ、ちょ、イルマさん手が速いですっ!」
「乙女の時間は有限だからね〜」
あっという間に、ひまわりの家時代からのお下がり服は床にまとめられ、代わりに肌触りのいい新しい肌着が着せられていく。
薄くて柔らかい生地の下着。肌の色を均一に見せる薄手のストッキング。フィオレアの空き地で寝ていたころには、想像もできなかったものばかりだ。
「靴も」
リーゼロッテが床に箱を置いた。
「今日は歩き回るでしょうから、あまりヒールの高くないものを」
箱から現れたのは、淡いグレーのシンプルなパンプスだった。つま先は丸すぎず尖りすぎず、ほどよい形。ヒールは低めで、歩きやすそうだ。
「走れますか?」
「え、走る予定はないですけど……」
「男は遅れてくるものです」
「偏見がすごいです!」
恐る恐る足を入れてみると、意外なほどしっくり来た。かかとをトン、と床に打ちつける。いつものすり減った靴とは全然違う音が鳴る。
「アクセサリーは――さすがに宝物庫から、とはいきませんが」
リーゼロッテは、別の小箱を開いた。
「王宮で働く者のために作られた品が、いくつかあります」
出てきたのは、控えめな銀のネックレス。小さな紫色の石がひとつだけ、さりげなく光っている。
「淡い紫水晶。あなたが最近よく手に取っている布の色です」
「え、そんなところ見てたんですか」
「数字を見るのが得意な子は、色にも一定の傾向が出るものです」
横からイルマが口を挟む。
「最近、帳簿の合間に紫のリボン触ってたでしょ?」
「……見られてましたか」
「紫水晶には、“心を落ち着かせる”意味があります」
リーゼロッテが、淡々と続ける。
「きっと、今日はかなり緊張するでしょうから」
喉元に、ひんやりとした感触が添えられた。
鏡を見ると、淡い紫の石が、鎖骨のあたりできらりと揺れている。
そして――髪。
「これが本番です」
リーゼロッテが、椅子の後ろに回る。
マカロンの髪は、少し赤みのある黒。普段は無造作にまとめているだけだが、ほどくと背中の中ほどまで柔らかく波打つ。
「……きれいな髪ですね」
ぽつりと漏れた言葉に、マカロンは耳の先まで赤くなった。
「ひまわりの家の子たちに、よく引っ張られてました」
「よくぞここまで」
リーゼロッテの指先は驚くほど丁寧だった。
全体をブラシで梳かし、絡まりを取って、ふわりと空気を含ませる。
「今日は“頑張りすぎていないけど、ちゃんと”にしましょう」
トップに少しだけボリュームを出し、横の髪を後ろに流して、ハーフアップにまとめる。残した髪は、ゆるく巻いて肩口でふんわりと揺れるように。
「おお……」
横から覗き込んでいたイルマが、感嘆の声を漏らす。
「“仕事もできそうな、可愛い子”って感じ」
「それは褒め言葉として受け取っておきます」
最後に、小さな髪飾りをひとつ。
銀で繊細に作られた、ひまわりの花を象ったピンだった。
「これ……」
マカロンの指先が、そっとそれに触れる。
ひまわりの家の庭。痩せた土でも毎年どこかに咲いた、あの力強い花。
「マルセ商会から、ひまわりの家に寄付されていた品の“同型”です」
リーゼロッテが、簡潔に説明する。
「陛下が、“あの子のルーツを忘れさせないで”とおっしゃいました」
胸の奥が、熱くなった。
「……本当に、そんなことまで」
「あの方は、こういうところだけは抜け目がありませんから」
“だけは”のあたりで、イルマがふっと笑う。
「メイクは薄く」
リーゼロッテは、手際よく作業を続けた。
目の周りのくすみをほんの少し隠し、睫毛を整え、頬に淡い血色を足す。唇には、ほとんど色のない透明な艶だけ。
「これなら、汗をかいても崩れにくいです」
鏡の中の自分が、少しずつ「見慣れない誰か」に変わっていく。
けれど、その誰かは、ひまわりの家で笑っていた自分とも、港町フィオレアでパンを分け合った自分とも、どこかでちゃんと繋がっている気がした。
「……どう、ですか」
恐る恐る尋ねると、イルマが先に口を開いた。
「うん。“誰が見ても二度見するレベル”」
「分かるようで分からない表現ですね」
リーゼロッテは腕を組み、鏡越しにマカロンを見つめる。
「これなら」
静かに言葉を続けた。
「王宮の門を出たとき、十人中九人は振り返り」
「残りの一人は、夜になってから『あ、あの子綺麗だったな』と思い出して後悔するでしょう」
「残りの一人が一番かわいそうな目に遭ってますよね!?」
そんなやり取りをしていると――
「ちょっと待ったぁぁぁ!」
廊下の向こうから、朗らかな声が響いた。
扉が勢いよく開く。
「たのもー!」
金の髪を揺らしながら、マリアがずかずかと部屋に入ってくる。
「随分楽しそうな声が――」
そこで、マリアはぴたりと足を止めた。
鏡の前に座るマカロン。
淡いラベンダーのワンピース。柔らかく揺れるハーフアップの髪。小さなひまわりの髪飾り。喉元でひっそりと輝く紫水晶。
その周りで、リーゼロッテとイルマが控えている。
「……ふふ」
マリアの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「やるじゃない、リーゼロッテ」
「仰せのままに」
リーゼロッテが静かに一礼する。
マリアは、マカロンの前まで歩み寄り、真正面から覗き込んだ。
「どう? マカロン、自分で見て」
「……あの」
マカロンは、自分の姿を鏡越しに見て、言葉を失った。
そこにいるのは、確かに自分だ。
見慣れた目の色。頬の形。髪の色。
でも――
(“路地裏で倒れていた女の子”じゃない)
王城の使用人服でもなく、ひまわりの家のお下がりでもない。
一人の少女として、誰かの隣に並んでもいいと思える姿の自分。
「これ……本当に、私ですか」
「ええ。どこからどう見ても、マカロンよ」
マリアの声は、不思議なほど柔らかかった。
「“ひまわりの家の子”で、“路地裏で倒れてた子”で、“今ここで働いてる子”」
「その全部をひっくるめて、“今のマカロン”」
胸がじんと熱くなる。
「……ありがとうございます」
マカロンは、ぎゅっとスカートの裾を握って頭を下げた。
「こんなふうにしていただいて」
「礼は、帰ってきてからでいいわ」
マリアは、くるりと踵を返す。
「今はただ――」
肩越しに振り返り、片目をつむってみせた。
「存分に楽しんできなさい。“一人の少女”として」
その言葉が、やけに胸に響いた。
マカロンは、大きく息を吸い込む。
「……はい!」
王宮の廊下に出る。
すれ違う騎士やメイドたちが、一瞬歩を緩め、マカロンを振り返った。
「今の子……誰?」
「マリア様のところのメイドさんじゃないか?」
「え、見たことない顔……いや、あるような……」
ひそひそ声が背中の方から追いかけてくる。
マカロンは、少しだけ背筋を伸ばした。
(大丈夫)
(ひまわりの家で、みんなと笑った私も)
(路地裏で「一人はいやだ」と泣いた私も)
(今ここで、マリア様のもとで働いている私も)
(全部まとめて連れて、この服を着て歩いていく)
王宮の門が、目の前に見えてくる。
門番が一瞬目を丸くしてから、慌てて姿勢を正した。
「い、行ってらっしゃいませ!」
「……行ってきます」
マカロンは、小さく頭を下げた。
淡いラベンダーの裾が、朝の風を受けて揺れる。
誰もが振り向く美少女へと変貌したマカロンが、約束の場所へ向かって歩き出した。




