商会主と、閉ざされた情報
マルセ商会当主、ガルヴァン・マルセ。
丸太のような腕に、年輪を感じさせる笑み。一見豪放磊落な商人だが、その目は鋭く、数字と人の匂いを嗅ぎ分ける。
「よく来た、ブリッツ殿」
「遠路はるばる、南からご苦労だったな」
「こちらこそ、お時間をいただき感謝いたします」
一通りの挨拶と用件の説明。マルス地方とマルセ商会の契約内容の見直し。新しい物流ルートの提案。
大枠の話は、想定していた通りに進んだ。
話が一段落したところで、ガルヴァンがふと笑う。
「ルビリアの坊っちゃんが、自分の足でここまで来るとはね」
「昔は、“誰かにやらせればいい”って顔してたもんだが」
「……色々と、見てきましたので」
ブリッツは苦笑する。
「現地の人間の顔を見ているうちに、“誰かに任せればいい”って言えなくなりました」
「それは結構」
ガルヴァンは満足げに頷いた。
「で――」
ブリッツは、少しだけ息を吸った。
(今だ)
「ひとつ、個人的な質問をしてもよろしいでしょうか」
「個人的?」
ガルヴァンが片眉を上げる。
「構わんよ。 答えられる範囲ならな」
「王宮で働く少女についての噂を、先ほど耳にしました」
「時々、このマルセ商会にもお使いで来るとか」
ガルヴァンの目が、すっと細くなる。
「名前は……マカロン、と」
空気が、わずかに変わった。
「――なるほど」
ガルヴァンは、少し椅子にもたれかかった。
「ルビリアの坊っちゃんが、その名を口にするとはね」
「ご存じなんですね」
「知らない商人がいたら、その方が驚きだ」
ガルヴァンは苦笑する。
「王宮で働いている子だ」
「真面目で、よく働く。少なくとも、うちの店に来るときは、そういう子だ」
ブリッツの喉が鳴る。
「彼女は……」
「彼女について、詳しく聞かせてもらうことはできますか」
「例えば、出身はどこかとか、家族はいるのかとか」
ガルヴァンは、静かに首を振った。
「それは――できん」
「……なぜでしょう」
「ひとつは、王宮の規則だ」
ガルヴァンは、指を一本立てる。
「王宮で働く使用人たちの個人情報は、勝手に外へ漏らしていいものじゃない」
「もうひとつは、俺の“勘”だ」
「勘?」
「あの子の周りには、どうにも“変な風”が吹いている」
ガルヴァンは、窓の外を見た。
「商人を長くやっているとね」
「儲かる話の匂いと、危ない話の匂いと、人の人生に勝手に手を突っ込む話の匂いくらいは、嗅ぎ分けられるようになる」
「その点で言えば、あの子は――」
「“触っちゃいけない風”に、片足突っ込んでいる」
ブリッツは、唇を噛んだ。
「俺が、彼女の名前を勝手に誰かに売るのは、したくない」
ガルヴァンは、はっきりと言う。
「たとえそれが、ルビリアの坊っちゃんでも」
「……そんなに、危ないんですか」
「身の上や事情までは深くは知らん」
ガルヴァンは肩をすくめる。
「ただ、あの子の背中には、“誰かが守ろうとしている影”が見える」
「なら、その“誰か”と正面から話せる男にだけ、俺は口を開く」
「貴族の坊っちゃんに“ちょっと気になったから教えて”と言われて、はいそうですかとペラペラしゃべるほど、俺は安くない」
ブリッツは、椅子の上で背筋を伸ばした。
(そうか)
(マカロンは、守られている)
(誰かが、その名前を、情報を、適当に扱わせないように、盾になっている)
それは、救いでもあり、壁でもあった。
「……わかりました」
ブリッツは、深く頭を下げた。
「無理を言いました」
ガルヴァンは、少しだけ微笑む。
「ただ、一つだけ言っておこう」
「彼女は、“働き者”だ」
「半年に一度、ここに来るときも、自分の仕事をきちんと果たして帰っていく」
「その姿は、ひまわりみたいだ」
「――ひまわり?」
「痩せた土でも、背筋伸ばして咲く花だよ」
ガルヴァンは、懐かしむように目を細めた。
「少なくとも、俺はあの子を“そういう子”だと見ている」
ブリッツの胸に、懐かしい丘の風景が蘇る。
丘の上から港を見下ろす、あの日のマカロン。確かにあの笑顔はひまわりなのかもしれない。
(ひまわり、か)
(似合うな)
マルセ商会を出たあと。ブリッツは、王宮の周囲を、意味もなく歩き回った。
高い城壁。衛兵の姿。門を出入りする人々。
(このどこかに――)
(マカロンがいる)
そう思うだけで、世界が少し違って見えた。
しかし、現実は冷たい。
王宮は、そう簡単に一般人が入れる場所ではない。ましてや、出入りする使用人一人ひとりの名前など、表に出るはずもない。
「……はぁ」
宿に戻った夜。ベッドの上に仰向けになり、天井を見つめる。
「会いたいなぁ」
ぽつりと、誰にも聞こえない声で呟く。
フィオレアの港町で、一緒にパンを食べた日々。荷物の紐の結び方を教えたこと。「夜は扉の下に小枝を挟んどけ」と、得意げに実演して見せたこと。
思い出すたびに、胸の奥がくすぐったく、そして少しだけ痛い。
(どうして、あのとき)
(もっとちゃんと、名前を呼んでおかなかったんだろう)
(もっと、ちゃんと――)
悔やんでも、過去は変わらない。
ただ、変えられるかもしれないものが、ひとつだけある。
「……今度は」
ブリッツは、拳を握った。
「今度は、“あのとき言えなかったこと”を、ちゃんと言えるところまで行く」
落ち込むことはあっても、諦める気はなかった。
それからの二年間。彼は、帝都への出張のたびに、マルセ商会を訪ねた。
年に三度。商談のついでに、と見せかけて。本心では、「もしかしたら今日こそ」という期待を胸に。
しかし、マルセ商会で見かけるのは、いつも別の使用人たちだった。
「今日は来ていませんね」
「最近は、王宮での用事が多いらしくて」
店員たちが言う。
ガルヴァンも、何も言わない。ただ、「坊っちゃん」と親しみを込めた目でブリッツを見送るだけだ。
それでも。
「今回も駄目でしたね、ブリッツ様」
付き従う護衛が苦笑交じりに言う。
「まぁな」
ブリッツは肩をすくめる。
「でも、年に三回会いに来る客なんて、そうそういないんだ。店の方は、顔を覚えてくれる」
「覚えてもらってどうするんです」
「“いつも来る変な客”って印象でもいい」
ブリッツは笑う。
「“変なやつが、あの子を探してる”って噂が、どこかで繋がるかもしれない」
諦めない。それが、彼の取り柄のひとつだった。




