宰相ブランディアの報告
マリアの執務室には、夕刻の光が斜めに差し込んでいた。机の上には、まだ片付けきれていない書類の山。各地からの報告書、嘆願書、判の押された命令書。
そのどれもが、この国のどこかの誰かの「明日」を繋ぐための紙だ。
(……なのに、その明日から、理不尽に“引きはがされた”子たちがいる)
胸の奥で、言葉にならないざらついた感情が渦を巻いていた。
ノックの音がした。
「入りなさい」
扉が静かに開く。マリアも薄々気付いてはいた。耐えがたい報告になるかもしれない。そんな事が頭をよぎり、ぐっと覚悟をきめる。
月星《蟹》:ブランディア・テスタロッソ。
いつも通り整った姿で、宰相は一礼した。だが、その立ち姿の周囲に漂う気配は、普段よりも重く冷たい。
「遅くなりました、陛下」
「ビッケたちからの聴取が終わったのね」
マリアは、背もたれから身を起こした。
「……聞かせて」
「ありのままを、ひとつも漏らさずに」
ブランディアは、わずかに目を伏せてから頷いた。少し目元が赤かった。
「了解しました」
彼女は、机から少し距離を取って立つ。感情があまりにも強すぎて、机上の書類にまで染み込ませてしまいそうだったからだ。
「ひまわりの家を追い出された後――」
ブランディアは、淡々と話し始めた。
「ビッケたちは、南端の港町フィオレアから、北西へ延びる街道を辿りました」
「目指した先は、西方ヴィルナース連合の一角、ミントテレンの町です」
帝国地図の上で測れば、およそ800km。子どもの足で、途中の村や町に立ち寄り、日雇いをしながら進めば――三ヶ月ほどかかる道のりだ。
「フィオレアを出てから、およそ三ヶ月」
「子どもたちは、途中の村で牛の世話や荷物運びを手伝い、パン一切れと引き換えに、少しずつ北西へ進んでいったそうです」
「ようやく辿り着いたのが、ミントテレンでした」
「途中、シルフィアという名の女性に出会っています。三姉妹の長女で、十二星の“海王星星権能《幻海》:夢幻浸蝕”の担い手です」
マリアの眉がわずかに動く。
「シルフィアが?あの子の趣味かしら?でもおかしいわね。」
「はい。危険な地域を避けるようルートを調整し、二ヶ月ほどかけてミントテレンまで導いたとのこと」
「そこまでは、まだ“救い”があったと言えます」
ブランディアは、ゆっくりと息を吸った。
「問題は、その後です」
「ミントテレン到着後、シルフィアたちとは別れ、子どもたちは町で仕事を探しました」
「パン屋の手伝い。牛の世話。畑仕事。雑用。少しの肉体労働など。」
「わずかな報酬を、少しずつ“ひまわりの家の再建資金”として貯めていた」
そこまでの話には、かすかな光があった。子どもたちなりに、未来を描いていた軌跡。マリアは、拳を握りしめたまま黙って聞いている。
「ある日、冒険者ギルドの前を通りかかったとき」
ブランディアの声が、一段低くなる。
「“元孤児院の院長”を名乗る人物が、『行方の分からなくなった孤児たちを探している』という噂を耳にしました」
「その言葉に、子どもたちは当然、心を動かされる」
「“アンナ院長かもしれない”と」
マリアの胸に、ズキリと痛みが走る。
(アンナ)
(あの人の名を、こんな風に利用したのね)
「当然のように子どもたちは、その人物を追いかけました」
「しかし、路地を曲がった先には、もう誰もいなかった」
「そこから、状況が急激に変質します」
ブランディアは、指先に力が入るのを自覚しながらも、言葉を続けた。
「それまで普通にあった日雇いの仕事が、ある日を境に一斉に“なくなった”」
「仕事を断る口実はバラバラです」
『もう人手は足りている』
『お前たちにはきつい仕事だ』
『最近、子どもを働かせると役人に睨まれるからな』
「しかし、“結果として仕事が全て消えた”という一点で、奇妙な一致を見せています」
「その後、子どもたちは、貯めていたわずかな貯金を切り崩して生活を繋ぎました」
「……そこまでは、まだ“世界の不景気”や“町の事情”という言い訳もできるでしょう」
「ですが――」
ブランディアは、一度目を閉じた。
「ある夜、“黒い仮面”の盗賊たちが、宿代わりにしていた小屋を襲撃しました」
「睡眠中の子どもたちを叩き起こし、所持していた金を奪い、抵抗した者を殴打」
「ここまでも、まだ“単なる盗賊の犯行”と言えるでしょう」
「問題は、その後です」
薄く開いた唇から、わずかに息が漏れる。
「女の子たちだけが、別室へ連れ出されました」
部屋の空気が、はっきりと変わった。マリアの指先が、机の縁を白く握りしめる。
「しばらくして、女の子たちは戻ってきます」
「服は乱れ、あちこちに“説明のつかない”痣と傷」
「問いただされても、何も語らなかった」
「ただ、エレンは――」
ブランディアは、かすかに喉を鳴らした。
「足を少し引きずっていたと」
「太ももの内側に、“乾ききっていない”赤い痕が見えたと」
言葉のひとつひとつが、刃のように重く落ちる。マリアは、唇を噛んだ。机の下で、爪が掌に食い込む。
「翌日から、子どもたちは“赤と黒の壁”の部屋に閉じ込められました」
「窓は小さく、高い位置にひとつだけ」
「扉は外から鍵が掛けられ、開く音がするのは、食事のときだけです」
「食事と言っても、二日に一度。水と、乾いたパンの欠片程度」
「満腹感とは程遠い量です」
「飢えに耐えながら、子どもたちは日数の感覚を失いかけていました」
「その間も、女の子たちはときどき外へ連れ出されました」
「戻ってくるたびに、少しずつ、目の奥の光が削れていった」
ブランディアの声は、淡々としていた。
だが、その淡々さは、「冷たさ」ではない。あまりにも怒りと悲しみが強すぎて、感情として外に出すことができないとき、人は逆に静かになる。
「ある晩」
「見張り役の一人が、酒に酔って寝込んだ隙がありました」
「子どもたちは、鍵束を奪い、部屋の外に出ることに成功する」
「外へ出ると、しばらく行った先に大きな街道がありました」
「そこには、こう書かれた標識が立っていたと」
“スエンジール西街道〜終点の地”
「それを見て、子どもたちは“王都まで行けば助かる”と思った」
「そして、“歩き始めた”」
「草むらで身を隠しながら眠り」
「橋の下で体を寄せ合って寒さをしのぎ」
「空き家の片隅に潜り込んで、物音に怯えながら夜を越え」
「……それでも、腹が減りすぎて、足が動かなくなる」
「“もう歩けない”と誰かが言ったとき」
ブランディアの声が、かすかに震えた。
「エレンが、立ち上がりました」
『私が何とかする。 みんなはここで待ってて』
「そう言って、一人で町に向かった」
「数時間後、彼女は戻ってきました」
「手には、パンと少しの干し肉、水、そして僅かな銀貨」
「顔は、火傷のように赤く」
「目の縁は、泣き腫らしたように腫れていた」
「そして、足には――」
ブランディアの指が、無意識にスカートの裾を握る。
「前夜と同じような、“赤い痕”がついていた」
室内に、重い沈黙が落ちた。マリアは、息をするのも忘れていた。
(“何をしたか”、なんて、子どもでも分かる)
(分かっていて、誰も口にしない)
(それを、“選んだ”と呼ばざるを得ない状況に追い込まれたのだ)
ブランディアは、無理やり呼吸を整えた。
「彼女は、“何があったか”を一言も説明しませんでした」
「ただ、“ほら、これでまた少し歩けるよ”と笑った、と」
「……笑えていなかっただろうと、ビッケは言っていましたが」
「それでも、その場の皆は、“笑ってくれた”ことにした」
「そうしないと、自分たちが壊れてしまうから」
マリアの視界がにじんだ。机の上に、ぽたり、と滴が落ちる。
(やめて・・これ以上聞きたくない・・おかしくなりそう・・・・)
(泣いてる場合じゃない)
(でも――)
ブランディアは、なおも続ける。
「黒い仮面の追手が、近くまで来ている気配を、子どもたちは感じ取っていました」
「だからこそ、最後の五日間ほとんど眠らずに歩き続けた」
「最後の一日は、もはや“足を動かす”というより、“倒れながら前に出る”に近かったと」
「王城の外壁が見えたとき――」
「全員、ほぼ同時に限界を超えた」
「その場で崩れ落ち、……どうにか門番の目に留まり、“ここ”までたどり着いた」
ブランディアは、そこで言葉を切った。
室内に、また水音が落ちる。今度は、二滴、三滴。ブランディアは、指先で素早く目元を拭ったが、追いつかなかった。
「申し訳ありません、陛下」
声が、かすかに掠れる。
「宰相として、“事実だけ”をお伝えするつもりでしたが」
「“女性”として、エレンの選択と、その重さを想像すると」
「どうしても、感情を切り離せません」
マリアは、深く、ゆっくりと息を吸った。胸の奥には、煮え立つような怒りと、底なしの悔恨が渦巻いている。
(こんな世界にしたつもりはない)
(それでも、いまの“世界の表面”は、確かにこうなっている)
(あれ?の都合のために)
「ブランディア」
ようやく、声が出た。
「全部、聞かせてくれてありがとう」
マリアは、拳を握ったまま、机の上の涙の輪を見つめる。
「私は、この国を“何より幸せな国にする”と約束した」
「“仮初”でもいいから、本当の王が戻るまで、全力で守ると」
机の下で、爪が掌を切りそうなほど食い込んでいた。
「身寄りのない子どもたちを餌にし、監禁し、搾取し」
「生きるために、自分の体を削らせるような真似をする連中を――」
「“誰かの都合”だから、で見逃すつもりはない」
目を上げる。その瞳には、太陽星権能《獅子》の光が、静かに灯っていた。
「黒幕がどれだけ高みにあろうと」
「ひまわりの家の子どもたちを弄ぶ“都合”は、この世界から叩き出す」
ブランディアは、涙の跡の残る顔で、静かに頭を垂れた。
「宰相として、封神十二星(十二星)の一柱──月星《蟹》として」
「その戦いに、全てを捧げる覚悟はできています」
ブランディア(月)とマリア(太陽)が、静かに視線を交わした。その交わりの先に――
路地裏で拾い上げられたひとりの少女と、王城のベッドで目を覚ました仲間たちの未来が、確かに繋がっている。




