「マカロン」の味と西門で倒れていた、ひまわり
数日後の午後。
「マカロン!」
イルマが、半分顔を出して手を振る。
「西棟の小会議室、今日のティータイムの担当、あなたに回ってきたよ」
「えっ、私が?」
「女王陛下と“白虎の元帥様”が、お茶会なんだって。お菓子とお茶の運搬、一式」
「……き、緊張します」
「落とさなきゃ大丈夫。たぶん」
たぶん、のところで笑うイルマの目は、半分本気だった。
西棟の小会議室。窓から見えるのは、丁寧に手入れされたバラ園。午後の光が白いテーブルクロスの上にやわらかい影を落としている。
「失礼します……」
マカロンは、きちんと整えたワゴンを押して部屋に入った。
そこにはすでに、二人が座っていた。
金の髪を緩くまとめた女王――マリア・サン・クオンドール。
その向かいに、先日廊下で会った青年。今は、きちんとした軍服姿で座っている。
「お待たせしました」
マカロンは、一礼してから、ワゴンの皿を一つずつテーブルに並べていく。淡いピンク、薄いピスタチオ色、クリーム色。小さな丸い菓子が、クリームを挟んで整然と並んでいた。
「来たわね」
マリアが穏やかに微笑む。
「今日のお菓子は、白虎軍元帥の“強いご希望”で用意した特別メニューよ」
「言い方というものがあるでしょう、マリア陛下」
青年――ケイン・タタン・ヴィルナースが、苦いような、しかしどこか楽しげな笑みを浮かべる。
「ただの甘党に聞こえるではありませんか」
「違うの?」
「……否定はしませんが」
マカロンは、お茶のカップを並べながら、そのやり取りに少し心がほどけていくのを感じていた。
「さあ、座って」
マリアがすすめる。
「いえ、私はここで控え――」
「いいから。“味見係”も、立派な仕事よ」
マリアの視線が、わざとらしくケインに向いた。
「ねえ、白虎の元帥?」
「……そういうことにしておきましょう」
ケインは、苦笑しながらも頷く。
「今日のお菓子は、“マカロン”といいます」
マカロンの指先が、ぴくりと震えた。
「砂糖と卵白を泡立て、小さな丸い生地として焼き上げ」
ケインは、一つを指先でつまみ上げる。
「その間に、果実やナッツ、香草の風味を閉じ込めたクリームを挟んだものです」
「最近、帝都の菓子職人たちの間で工夫が続いていてね。今日はその中でも評判の店に注文しました」
「説明が丁寧すぎるわよ」
マリアが呆れたように笑う。
「でも、あなたらしいわね」
マカロンの前に、小さな皿がそっと置かれる。淡いピスタチオ色のマカロンが一つ。
「どうぞ」
ケインが促す。
マカロンは、両手で皿を持ち上げた。
(マカロン……)
自分の胸の奥にある紋章。ひまわりの家で呼ばれた名前。今目の前にある、小さな丸い菓子の名前。
「……いただきます」
そっとひとかじりする。
さく、と小さな音がした。
外側の生地は薄く、驚くほど繊細に砕ける。中は、少しだけ粘るようにしっとりしていて、甘さがゆっくりと舌の上に広がった。
ナッツの香ばしさ。砂糖のまるい甘さ。間に挟まれたクリームの、ひんやりとした感触。
(……)
路地裏で食べた固い黒パン。ひまわりの家で、特別な日に出された甘いスープ。どこかの店の裏でもらった、欠けた焼き菓子。
それらとはまるで違う。
ただ空腹を満たすためではなく、「おいしくあってほしい」と願われて作られた甘さ。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「どう?」
マリアが、興味深そうに身を乗り出す。
「……こんな味、初めてです」
マカロンは、少し考えてから言った。
「今まで食べた中で、一番――」
言葉が見つからない。
「一番、幸せな味、でした」
ケインは、ほっとしたように笑みを浮かべる。
「作った菓子職人に、伝えましょう」
「“女王の身近に仕えるメイドが、そう言った”と」
「だいぶ脚色してない?」
マリアが突っ込む。
「少しくらい誇張した方が、腕も上がるものです」
「あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」
マリアは、カップを持ち上げた。
「じゃあ、“マカロンが初めて食べたマカロン”に乾杯しましょうか」
「……それ、ずっと言いたかっただけでしょう」
「ええ」
マリアは、満足そうに紅茶を口に運ぶ。
マカロンは、残り半分のマカロンを、小さく区切りながら大切に口へ運んだ。
(これが、“マカロン”)
自分と同じ音を持つ、小さな甘い菓子。
それは、彼女の中で「この世界にいていい」という実感と、静かに結びついていった。
ティータイムから、いくつかの日常が過ぎた。
マカロンは、相変わらず名もなき使用人として、城内を走り回っている。帳簿のチェック。食器倉庫の在庫確認。厨房の手伝い。洗濯場の補助。
忙しいけれど、ひとつひとつの仕事に「ここにいていい理由」がある。
(あの路地裏からしたら、夢みたいだな)
そんなことを思いながら、厨房から文書棟へ戻る途中だった。
「宮廷西門で子どもが行き倒れている!」
石廊下に、門番の叫びが響いた。
「担架と治癒士を至急! 兵士隊長、最優先で呼べ!」
空気が一瞬で張りつめる。
(子ども……?)
マカロンの胸に、嫌な寒気が走る。
「マカロン!」
別の兵士が、彼女を見つけて手を振る。
「悪い、通路の確保を手伝ってくれ! 医務室までの道を塞がれたくない!」
「わかりました!」
マカロンは返事をして、西門へ走り出した。
王城西門の内側。石畳の上に簡易担架が並べられ、子どもたちが次々と横たえられている。
泥だらけの服。ひび割れた唇。腕や脚には、新しい傷と、古い痣が幾重にも重なっていた。
「この子は出血が多い!」
「こっちは意識が浅い、急げ!」
治癒士たちが、手際よく応急処置を進める。
マカロンは通路に人垣ができないように、人を誘導しながら、その光景から目が離せなかった。
担架の上で、ひとりの少年が、かすかに顔を動かす。
茶色い髪。痩せた頬。ひまわりの家で、皿洗いをしながらよく笑っていた顔。
「……ビッケ?」
名前が零れた。
少年の瞼が、重く持ち上がる。
「……マカ……ロン……?」
焦点の定まらない目が、こちらを探す。
「ビッケ!」
マカロンは、担架の傍に膝をついた。
「何があったの? みんなは……!」
ビッケは、かすれた声で、なんとか言葉を搾り出した。
「……ひまわりの家の……孤児たちだけが……」
「“謎の盗賊”に……追われてる……」
「死んだ子も……いる……」
「僕たちは……なんとかここまで逃げてきたけど……」
「もう……限界……」
その言葉を最後に、ビッケの頭が力なく傾き、意識が途切れた。
「ビッケ!」
マカロンの悲鳴に、すぐ隣の兵士が手を当てる。
「生きている! 脈はある!」
近衛軍宮廷西門管理隊長、ブルートが短く命じた。
「担架を運べ! 医務室まで最短ルートだ!」
彼は、マカロンを一瞥する。
「済まないが、詳しい話は後だ」「“ひまわりの家”については、落ち着いてから、聞かせてもらう」
そう言って、足早に担架の列を率いていった。マカロンは、その背中を見送ることしかできない。
(私だけじゃ、なかった)
(私だけが、ひどい目にあっていたわけじゃない)
(あの子たちも……)
「どうして……」
頬を伝う涙を、止めることができなかった。
「どうして、こんなことに……」
自分が王城の中で“守られて”暮らしている間も、外のどこかで、同じひまわりの家の子どもたちが、地獄のような道を歩いてきた。
(私、何もできていない)
(守られているだけで、なにも返せていない)
小さな拳が震えた。




