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マカロン~世界の筋書きを殴り返せる少女~  作者: S@top


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17/45

路地裏の少女と、仮初の太陽

即位の日から、いくつもの季節が過ぎた。

帝都スエンジール。

王城の最奥、小さな執務室。

仮初の玉座の間から続くその部屋で、マリアは机一面に広げられた魔導地図を見下ろしていた。

アル・スエンジール帝国全土と、その向こうの地域まで描かれた地図の上で、無数の淡い光が瞬く。

祈り。願い。嘆き。諦め。

人々の心の揺らぎが、封神十二星の権能――通称「十二星の力」と、帝国の情報網によって束ねられ、「世界の心の脈動図」として可視化されている。

マリア・サン・クオンドール。白い席に座る「仮の女王」。太陽星《獅子》の担い手。

あの日誓った通り、自分を「仮」であることを忘れないまま、太陽として灯り続けている。

その視線が、魔導地図の一点で止まった。

帝国南端、南方マルス地方の配下、フィオレア領。その端にある港町。

「……また、揺れた」

マリアは、低く呟く。

そこに灯るひとつの光が、ふっと揺れ、今にも消え入りそうに細くなっている。

絶・深淵忘却アビス・オブリヴィオンが発動した夜。世界の果ての村ストロベルンで、一人の幼子の記憶と存在が深淵に封じられた。

その儀式の詳細も、場所も、マリアには分からない。分かるのはただ、「そこに本来あるはずだった人生の線」がごっそりと抜け落ちた“穴”だけだ。

前皇帝の黄龍ガルド王は、その穴に向かって、「いつか必ず戻るべき王と、その子がいる」と宣言した。その言葉の残滓だけが、太陽星の記録の片隅で微かに光っている。

マリアは、そのかすかな光と、世界の「空白」を何年も追い続け――ようやく、「マカロン」という一つの名前を掴んだのだった。

名前を、マリアがはっきり掴めるようになったのは、仮の女王として政務をこなしながら、世界の「穴」を探し続けてきた年月の果てだった。

何度も見失いかけ、何度も霧に遮られ、何度も「間に合わなかったかもしれない」と胸を冷やしながら――ようやく、これまでの苦労・・いや試練といっても良い。

今、フィオレアの端の路地裏で。ひとつの光が、はっきりと形を持ち、そして今にも消えようとしている。

「ここね……」

マリアは、地図の一点に指を置いた。

「ブランディア」

部屋の隅から、銀髪の女性が静かに進み出る。

ブランディア・テスタロッソ。月星《蟹》:月影抱擁の担い手にして、宰相。

「はい、陛下」

「フィオレア領。港町の外れの路地裏」

マリアは、その一点を指差す。

「“沈みかけている”」

ブランディアは、静かに目を閉じる。月影の権能が、世界へと糸を伸ばす。

冷たい雨。濡れた石畳。痩せた体。弱々しい鼓動。

そして、その奥でかすかに灯り続けている、「もう一度、誰かと笑いたい」という小さな願い。

「……感じました」

ブランディアは、目を開けて頷く。

「飢えと寒さと孤独。でも、完全な諦めではありません」

「まだ、誰かを探している心です」

マリアは、別の魔導石に手を伸ばす。

「アレキサンドル」

火の気配が走る。南方マルス地方を預かる朱雀軍元帥、アレキサンドル・ルビリア・マルスの声が返ってきた。

『こちらマルス領。お呼びでしょうか、陛下』

「フィオレア領は、そちらの管轄よね」

『ええ。南方沿岸領の一つです』

「そのフィオレアで、ひとりの子どもが路地裏で“消えかけている”」

マリアは、地図を睨みつけるように見つめた。

「港の治安隊と、信頼できる医師。毛布と湯を用意できる者を数人。今から送る座標に、すぐ向かわせて」

『座標、受領』

一瞬の静寂。続いて、アレキサンドルの低い声が響く。

『……了解しました。フィオレア領主には、後ほど私からも問い質しましょう』

「孤児院が潰れて、子どもが路上に捨てられているようなら――」

マリアの声が、冷たく鋭くなる。

「朱雀の炎で、頭を冷やしてあげて」

『喜んで』

通信が切れた。

マリアは、続けて土星の石に触れる。

「シン」

『聞いている』

土星星《山羊・水瓶》:輪環封鎖の担い手、シン・ジャクスの声は、いつも通り淡々としている。

「フィオレア。この路地裏一帯を、一時的に“輪環封鎖”して」

『“書き換え”の痕跡が強いか?』

「そう言っていいと思う」

マリアは、少し考えてから言った。

「“本来なら違う人生になっていたはずの線”が、何度も上書きされている気配は、ずっとここから出ていた」

『了解』

シンの声が、わずかに低くなる。

『今だけ、その路地裏周辺に“外からの手”が入りにくくなるよう、因果の輪を締めよう』

「お願い」

最後に、運命を読む双子へ。

「アストロン、メテオス」

『聞こえてる』

『聞いている』

「その子の運命の波を、今だけ少し押し上げて」

『昇りを』

『落下保留』

「助かるわ」

マリアは、息を深く吸い込んだ。

どれだけ準備を尽くしても。どれだけ権能を重ねても。

最後の一歩は、結局、目の前で手を伸ばすしかない。

(即位の日に誓ったでしょう)

(“太陽として灯り続ける”って)

「行きましょう」

マリアの声に、ブランディアが頷く。

「太陽と月で」

「ええ」

マリアの身体から、柔らかいが眩しい光が立ち上る。太陽星《獅子》の光。それに、ブランディアの月影が寄り添うように重なった瞬間――

世界が、少しだけ色を変えた。

次の瞬間。二人の姿は、帝都から掻き消えた。


冷たい雨が、マカロンの頬を打ち続けていた。

どれくらい、こうしていたのか分からない。時間の感覚も、体の輪郭も、もう曖昧だ。

『大丈夫。あなたの人生はこのままじゃない』

『きっと楽しいこともあるから』

何度も、どこからともなく聞こえていた声。

最初は、その言葉を信じようとした。次は、「信じたい」と思った。やがて、「信じないと立っていられない」ものになっていった。

でも今は。

(もう、いいよ……)

心のどこかで、そう呟いていた。

飢え。寒さ。ひどい目にあう日々。

食べ物を得ようとしては追い払われ、わずかなお金を盗られ、寝ているところを襲われかけ、そのたびに、「次こそは大丈夫」と自分に言い聞かせてきた。

(疲れた)

瞼が重い。世界が、ぐにゃりと歪んでいる。

「わたし、なんで一人なの……」

路地裏の石畳に背中を預けたまま、マカロンはかすれた声で呟いた。

「パパも、ママも……どこにいるの……?」

返事はない。雨音だけが、規則的に耳を叩く。

「この世界には……いないの?」

「なんで……思い出せないの……?」

胸の奥が、きしむように痛い。記憶のどこかに、「誰か」の温度がある気がするのに。掴もうとすると、指の間からこぼれていく。

「もう、一人はいやだよ……」

「耐えられないよ……」

声は、雨に溶けて消えていく。

『大丈夫』

胸の奥で、かすかな声がまだ言う。

『あなたの人生は、このままじゃない』

(ほんとに……?)

『きっと楽しいこともあるから』

(ほんとに? どこに?)

瞳が、完全に閉じかけた、そのとき――

世界が、少しだけ暖かくなった。

「……やっと――見つけた」

頭上から、震えを帯びた声が降ってきた。

強いのに、かすかに掠れている。張り詰めてきた何かが、そこでようやくほどけたような声音。

体が、ふわりと浮く。冷たい石畳の感触が遠ざかり、代わりに、人の腕の温もりが全身を包む。

「こんなになるまで……ごめんね」

その声には、驚きと悔しさと安堵が、一度に混ざっていた。長い時間をかけて探し続けた「誰か」を、あまりにもひどい有様で見つけてしまった者だけが出せる声。

重い瞼を、ほんの少しだけこじ開ける。

雨の中に、金色が揺れていた。

濃い金色の髪。雨粒を弾きながら、周囲の薄暗い路地を明るく照らすような微笑――だが、その目の奥には、深く沈んだ怒りと痛みが宿っている。

その隣には、銀色の髪を静かに束ねた女性。柔らかな月光のような眼差しでこちらを見つめているが、その表情もまた、静かな憂いを含んでいた。

「街の真ん中で、こんな顔で倒れられると、女王として縁起が悪いんだけどね」

金髪の女――マリアが、わざと軽く言う。しかし、その腕に込める力は、決して手放すまいとするように強い。

背後には、息を切らせた兵士たち。町の治安隊。毛布と荷袋を抱えた医師。

フィオレア駐屯の部隊が、慌ただしく周囲の路地を警戒している。

マカロンは、そのやりとりの意味をほとんど理解できない。ただ、腕の中の温かさと、胸元に響く鼓動だけが、はっきりと分かった。

「……あったかい」

かすれた声で、言葉が漏れる。

マリアは、短く息を呑み、そして口元を少し緩めた。

「そうでしょう」

「やっと届いた“太陽”だから」

「たいよう……?」

マカロンは、ぼんやりと繰り返した。

「詳しい話は、あとで」

マリアは、マカロンの額に手をあてる。冷たい。体温が落ちきる一歩手前。

「熱もあるし、体も冷えすぎてる。ブランディア」

「はい」

銀髪の女――ブランディアが、一歩進み出る。彼女の周囲に、柔らかな月影が満ちた。

「冷えすぎた部分だけ、少し均しました。あとは医師の仕事です」

「医師」

呼ばれて、息を切らせた男が、慌てて前に出る。

「こ、ここで診立てを?」

「駐屯所の救護室に運ぶわ」

マリアは、マカロンを抱いたまま、周囲を見渡す。

「ここで立ち話している場合じゃない」


フィオレア領駐屯所・救護室。

粗末だが、清潔な部屋。簡素なベッドが並び、その一つに、マカロンがそっと横たえられた。

薄いが新品の毛布がかけられ、暖炉には火がくべられ、隅では、薬草の鍋が静かに煮えている。

「ひどい栄養失調です」

医師が、額の汗をぬぐいながら言った。

「今すぐ命がどうこう、という段階は脱しましたが……あと少し遅れていたら危なかった」

マリアは、ベッド脇の椅子に腰を下ろし、眠るマカロンを見つめていた。

頬はこけ、腕は折れそうなほど細い。それでも、その胸は確かに上下している。

(即位の日に誓ったわよね)

(“太陽として灯り続ける”って)

(ここで倒れている子を、見過ごすわけにはいかない)

「間に合った」

マリアは、小さく呟いた。

隣で控えるブランディアが、そっと問いかける。

「これから、どうなさいますか、陛下」

「決まってるわ」

マリアは、眠るマカロンから目を離さずに言った。

「生かす」

「それから――働かせる」

「働かせる?」

ブランディアが、少しだけ目を丸くする。

「帝都には、仕事が山ほどあるもの」

マリアは、肩をすくめた。

「“可哀想だから”で抱えているだけじゃ、この子の人生はどこにも行かない」

「自分の足で立てるところまで、連れていく」

ブランディアは、静かに頷いた。

「では、それを前提に――」

そう言いかけたところで、マカロンの指先が、毛布の上でわずかに動いた。

「……ここ」

かすかな声が漏れる。

マリアとブランディアは、同時に視線を向けた。


「目、覚めた?」

柔らかな声が、すぐ近くから聞こえた。

マカロンが瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。

白い布を張り巡らせた天井。木の梁。どこかから、薪がはぜる音が聞こえる。

「……ここ」

もう一度、同じ言葉を呟く。

顔を横に向けると、椅子に腰掛けたマリアが、肘を膝に乗せてこちらを覗き込んでいた。金色の髪が、暖炉の火を受けて柔らかく光っている。

「……夢じゃ、なかったんだ」

マカロンは、ぼそりと呟いた。

「路地で、誰かが抱き上げてくれて……」

「夢でもいいけど、現実よ」

マリアは、口元を緩める。

「改めて」

彼女は軽く胸に手を当てた。

「アル・スエンジール帝国女王。仮初の太陽、マリア・サン・クオンドール」

「でも、今は“マリア”って呼んでいいわ」

「マリア……様」

マカロンは、慌てて体を起こそうとする。

「いいから横になってなさい」

マリアが、すばやく肩を押さえる。

「礼なら、元気になってから何回でも言えるでしょう?」

マカロンは、少し恥ずかしそうに俯いた。

「……助けてくださって、ありがとうございます」

「遅くなって、ごめんね」

マリアは、さらりと言う。

「本当は、もっと早く見つけたかった」

マカロンは、目を瞬かせた。

「どうして、わたしを……?」

「“あなたを”じゃないの」

マリアは、マカロンの胸のあたりを指さす。

「ずっと探してたのは、“マカロン”っていう名前の女の子」

マカロンは、息を呑む。

「……知ってたんですか」

「十年以上かけて、やっとね」

マリアは、苦笑いを浮かべる。

「最初は、名前も分からなかった」

「ただ、世界のあちこちに、変な“空白”ができてたのよ」

そこに本来書かれているはずの何かが、誰かが、ごっそり抜け落ちているような違和感。

「それを、少しずつ辿っていったら」

マリアは、そっとマカロンを見つめる。

「最後に残った“穴”が、あなたの形をしていた」

マカロンは、自分の胸元をぎゅっと握った。そこには、万年筆のような紋章がある。物心ついたときには、すでにそこにあった印。

「世界はね、時々“書き換えられる”」

マリアは、静かに言う。

「物語の都合とか、誰かの都合とか。そういうもので、本来あったはずの人生が削られそうになる」

「そのとき、ちゃんと耳を澄ませてる人には、たまに聞こえるのよ」

「“まだ終わりじゃないよ”っていう声が」

マカロンは、路地裏で聞こえた声を思い出していた。

『大丈夫』

『あなたの人生は、このままじゃない』

「あの声……」

マリアが、少し首を傾げる。

「声?」

「ひどい目にあうたびに、聞こえてました」

マカロンは、ゆっくりと話し始める。

「ご飯がなくて、お金を盗られて、寒くて、眠れなくて……」

「そのたびに、『大丈夫』って」

「それが、誰の声か分からなくて」

マリアとブランディアは、一瞬だけ視線を交わした。

「世界の“書き換え”の近くにいる人ほど」

ブランディアが、補足するように言う。

「そういう声を拾いやすくなります」

マリアは、マカロンに視線を戻した。

「あなたの胸の、その印」

布越しに、マリアの視線が一点を貫く。

「それは、“物語を書き換えるためのペン”の痕跡だと、私は見てる」

「だから、あなたはその声を、他の誰よりも強く聞いたんだと思う」

マカロンは、息を詰めた。まだ、すべてを理解できているわけではない。ただ、自分が何か「おかしな流れ」の中にいたことだけは、体が覚えている。

マリアは、そこで一旦話を切った。

「でも、その話を今ここで全部理解しなくていい」

「世界の裏側で何が起きているかなんて、今のあなたには重すぎる」

「今、あなたにしてほしいのは、もっと単純なこと」

マリアは、椅子に深く腰を掛け直す。

「生きること」

マカロンは、小さく頷く。

「……生きてます」

「そうね」

マリアは、少し笑う。

「じゃあ、もうひとつ」

「働くこと」

「働く……?」

マカロンは、思わず繰り返した。

「ええ」

マリアは、真剣な目でマカロンを見る。

「私は、あなたの親にはなれない」

はっきりと告げる。

「“娘”として抱きしめたい気持ちが全くないとは言わないけど」

少しだけ肩をすくめる。

「私は女王。あなたの本当の家族は、私じゃない」

マカロンの胸が、少し締め付けられる。けれど同時に、「そうだ」と思う自分もいる。

誰かを、誰かの代わりにしてはいけない。

「だけど」

マリアは続けた。

「“私のもとで働く人”には、なれる」

「それは……」

「使用人として」

マリアは、迷いなく言う。

「帝都には、私の城がある。そこには、掃除人、洗濯係、書類運び、台所、庭師、書庫の整理……」

指折り数える。

「たくさんの仕事がある」

「その一員として、あなたを雇いたい」

マカロンは、目を丸くした。

「……わたしを?」

「ひまわりの家で、よく働いてたでしょう」

マリアの言葉に、マカロンは驚く。

「どうして……」

「見てた人がいるのよ」

ブランディアが、穏やかに言う。

「孤児院の帳簿。あなたが書いたであろう数字の癖が残っていました」

「日雇い先での噂。“細くて真面目な子が、よく手伝いに来ていた”という話も」

マカロンは、布団の上で指先を握りしめた。

「でも、わたし……ただの孤児だし……」

「それがどうかしたの?」

マリアは首を傾げる。

「帝都の城で働いている人の大半は、“どこかから来た人”よ」

「農村から来た人。戦争で家を失った人。誰かに預けられて育って、そのまま残った人」

「出自なんて、仕事に必要なのはごく一部」

「“ここで働きたいかどうか”の方がずっと大事」

マカロンは、胸の奥を探るように目を閉じた。

路地裏で、死にかけていたとき。「もう一人はいやだ」と思った。「もう終わってもいい」とも思った。

でも今は。

(まだ、選べる)

(ここから先を、ちゃんと生きるかどうか)

「……働きたいです」

マカロンは、目を開けた。

「マリア様のところで」

「使用人として、ちゃんと」

マリアの表情が、ぱっと明るくなる。

「いい返事」

「じゃあ決まりね」

そう言ってから、マリアは少し真面目な顔に戻る。

「ただし」

「“ひまわりの家のマカロン”の名前は、帝都に着いたら一旦“伏せる”」

マカロンは、息を呑んだ。

「伏せる……?」

「帝都では、しばらく“名前を持たない使用人”として扱うわ」

マリアは、はっきりと言う。

「あなたの名前も、出自も、どこにも記録しない」

「どうして……」

「あなたの存在を“書き換えようとしている何か”に、余計な情報を渡さないため」

マリアの声には、怒りが滲んでいた。

「勝手に人の人生を書き換える“手”がある」

「その手に、あなたの本当の名前を握らせたくない」

マカロンは、自分の胸元をぎゅっと掴んだ。何度も、何度も、何かに「上書き」されそうになってきた感覚。それでも消えずにここまで来た、自分の輪郭。

「今は、全部を理解しなくていい」

マリアは、少し声を和らげる。

「絶・深淵忘却アビス・オブリヴィオンの夜のことも。世界のどこで、誰が、何をしようとしているのかも」

「それをちゃんと見ている人が、この世界には、ちゃんといる」

即位の日に、自分は言った。

――誰かが守ってくれた「明日の一部」を、預かるのだと。

今、目の前にいるこの少女は、その「明日」の中に、確かに含まれている。

「あなたに今、してほしいのは――」

「生きると決めること」

「そして、働くと決めること」

マカロンは、静かに頷いた。

「生きます」

「最後まで、ちゃんと」

窓の外を見ると、雨はもう止んでいた。灰色の雲の隙間から、薄い陽光が差し込んでくる。

路傍に倒れていたひとりの少女。

世界の果ての村ストロベルンで絶・深淵忘却アビス・オブリヴィオンに巻き込まれ、黄龍の最期の宣言と、即位の日の誓いと、仮初の太陽の執念と、十二星たちの綱渡りのような支えによって、かろうじて繋ぎとめられてきた命が――今ここで、「次の一歩」を踏み出す準備を整えた。

名前は、一旦伏せられる。ひまわりの家の記憶も、しばらくは「ただの夢」として扱われる。

けれど、それは「消す」ためではなく、「守る」ための一時避難だ。

マリアは、静かに立ち上がる。即位の日に交わした約束が、胸の内で確かに続いている。

(あなたが守った明日の続き)

(ここから先は、私たちが――)

マリアとマカロン、それぞれの内側で、まだ言葉にならない物語の歯車が、静かに噛み合い始めていた。


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