仮初の太陽が昇る日
即位の日。
帝都スエンジールの空は、不自然なほど澄み渡っていた。
深淵の黒が走ったあの夜から、まだ傷跡は完全には癒えていない。
しかし、人々は今日だけは、空を見上げていた。
太陽が昇るのを、確かめるように。
謁見の間は人で埋め尽くされていた。
貴族、軍の将、司祭、地方代表、市民たち。
全員が、一人の女の言葉を待っている。
「……マリア様」
控えの間で、ケインが声をかけた。
「準備は」
「とっくにできているわ」
マリア・サン・クオンドールは、白いマントの裾を整えた。
彼女はこれまで幾多の問題を解決し、ただ帝国の安寧の為に働き行動してきた。
畑の作物が育たないと聞けば、土の状態、作物の状態、天候、周りのエリアの状況を見渡し、原因を見つける。
「連作障害だ。土地が瘦せているから、今の作物は一旦収穫し新たに畑を耕し、肥料をまき、別の作物を植えなさい。ここに「ジャガイモ」という煮てよし、焼いてよし、揚げてよしの3拍子が揃った作物があるわ。これを植えればこの畑でも十分に育つはず。種芋は明日、大量に届くでしょう。」
「なぜそこまでしてくれるんじゃ?」
「困っている人を助ける。普通の事じゃない。」
ある時は、帳簿のお金が合わないと嘆いている貴族の屋敷に赴き、
「領主殿!このマリアにお任せください!領民の為に尽くしておられる方がお困りとあらば、お手伝いしますわ。」
そういうと、屋敷の帳簿や役所の帳簿、関係各所への聞き込みや領収書などの書類を隅々まで調べ上げた。その結果は
「計算ミス223か所、予算申請時に水増し33件、内悪質な水増しでの横領が2件。一部の商家に対する過少な徴収税が1件。これを埋めるための過大な徴収税を領民から搾取していたのが合計で500件超。以上が主な原因です。一部の官僚は明確な違法行為。領民からの過大な税金はここにリストしてありますので、滞りなくご返金ください。領主殿の信頼があがります。」
などなどその活躍は凄まじいものであった。そんな日々を送っていた日に絶・深淵忘却は起きたのだ。その日を境に彼女の中に太陽星権能《獅子》:日輪覇耀の意思が宿った。
それ以降も数々問題を解決してきたが、世の中の異変、人々の不安、そして太陽星権能の中枢が誰かを探せと言っている気がしていた。
すでに前ガルド王はこの世にいない、その息子も行方知れず、そして知らない誰かを探す困難な問題。人々の不安を払しょくするには、自分がこの国を正統後継者が来るその日まで守るしかないと決意したからだ。そして今日がある。
胸の前には、プラチナ十字架に4方向に聖四神軍、中央に太陽の紋章。肩にかけられたマントは、まだ何の色にも染まっていない純白。
それは彼女が望んだ色だった。王ではなく、「仮の女王」である証として。
扉が開き、謁見の間へ続く赤い絨毯が延びる。
「マリア・サン・クオンドール様、ご入場!」
近衛の声と共に、マリアは一歩を踏み出した。
ざわめきが、静まり返る。無数の視線が、刺さるように集中する。
不安。期待。疑念。願い。
それらが入り混じった熱が、一斉に彼女へと向けられる。
マリアは、そのすべてを飲み込むように、ゆっくりと歩いた。
玉座の前まで来て、立ち止まる。本来の王が座るはずの玉座は、空席のまま。その手前に、一段低い白い席が設けられている。それが、今日から彼女が座る場所だ。
司祭が前へ出て、巻物を広げる。
「帝王陛下ならびに第一皇太子殿下ご不在の折、帝国の安寧と民の安心を守るため――」
定型の文言が読み上げられていく。
やがて、決定的な一節が続いた。
「ここに、マリア・サン・クオンドールを“仮の女王”として帝位の代理とすることを、星々と民の前に宣言する」
ざわ、と空気が揺れる。
マリアは一歩前に出た。司祭からマントが差し出される。太陽の紋章を象った留め具が、胸の前で小さく鳴った。白い布の重みが、肩にのしかかる。
ただの布ではない。帝国の歴史。希望。不安。矛盾。そのすべての重さが、象徴としてそこに宿っている。
マリアは、わずかに目を閉じた。
(重い)
正直な感想だった。それでも、逃げずに目を開ける。
司祭が問う。
「マリア・サン・クオンドール殿」
謁見の間の空気が、張り詰める。
「あなたは、この座に就き、帝国と民を守る“仮の女王”となることを誓いますか」
マリアは、一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「誓います」
その声は、静かだった。だが、よく通った。謁見の間の隅々まで、確かに届いた。
「ただし――」
ざわめきが、小さく立ち上る。
「私は、ここにいる誰よりも、自分が“仮”であることを忘れないことを誓います」
人々が、息を飲んだ。
マリアは、視線を巡らせながら続けた。
「この座は、本来、帝王陛下と、その血を引く方のものです」
玉座を振り返る。そこには、誰もいない。
「私は、その方々が戻られるまでのあいだ、椅子の温もりを絶やさないように座っているだけの者です」
それは謙遜ではない。事実であり、自分自身に向けた戒めでもあった。
「だから、私はこの席を“奪う”つもりはありません」
マリアの目が、貴族たちを捉える。
「そして、この席を“空席のまま争いの種にする”つもりもありません」
今度は、市民たちの方へ視線を向ける。
「あなたたちの不安を、権力争いの燃料にはさせません」
その言葉に、騎士たちの背筋が、わずかに伸びた。
マリアは一度息を吸い、少しだけ声を柔らかくする。
「深淵の夜のことは、もう“記録”には残っていないのかもしれません」
場の空気が、わずかにざわつく。マリア自身、その夜の詳細を語れるわけではない。ただ、「空が破れた」「誰かがそれを塗りつぶしてくれた」という感覚だけが、身体のどこかに残っている。
「でも、皆さんも覚えているはずです」
彼女は、胸に手を当てた。
「真っ黒な空を見上げて、膝が震えたことを」
「このまま全部終わってしまうかもしれないと、心のどこかで思ったことを」
「それでも、朝になったら、また太陽が昇っていたことを」
人々の表情が、少しずつ変わっていく。恐怖の記憶と、それを押し流すようにやってきた朝日の光。
「私たちは、理由も、誰の働きかも知らないまま、もう一度、朝を迎えることができました」
マリアは、天井の向こうの空を指さす。そこには、今日も太陽が昇っている。
「誰かが、どこかで、自分の大事なものを差し出してまで、この明日を守ってくれたのだと、私は信じています」
胸の奥に、白いインクの感触がよみがえる。名前も、顔も、声も分からない。ただ、「ありがとう」だけが残っている。
「だから私は、この席から宣言します」
マリアは、一歩前に出た。白いマントが、僅かに揺れる。
「私は、この帝位を“自分のもの”だとは決して思いません」
重々しい言葉。
「これは、誰かが命をかけて守ってくれた『明日の一部』を、しばらくの間、預かっているにすぎないと考えます」
彼女の視線が、ひとりひとりの顔をなぞる。
恐怖に震えた老人。子を抱いた母親。傷だらけの兵士。口を固く結んだ貴族。
「だからどうか、皆さんも覚えていてください」
マリアは、静かに続けた。
「“王がいないから終わりなのだ”と思わないでください」
「“誰かがいないから、もう立ち上がれない”と思わないでください」
その声には、戦場で何度も仲間を奮い立たせてきた力が宿っていた。
「私が“仮の女王”であるということは、この国が“仮のままでは終わらない”という約束でもあります」
言葉が、胸に染み込んでいく。
「いつか本来の持ち主が戻るその日まで」
「あるいは、新しい持ち主が現れるその日まで」
マリアは拳を握った。
「私はここで、太陽として灯り続けます」
彼女の背後で、玉座の上方のステンドグラスから光が差し込み、白いマントの裾を縁取った。
「あなたたちが空を見上げたとき、空が真っ黒な穴ではなく、『太陽がある空』であり続けるように」
マリアは、最後に一つだけ微笑んだ。
「それが、私、マリア・サン・クオンドールが、この帝位を『仮に預かる者』として皆さんに立てる誓いです」
沈黙が、落ちた。重たく、深い沈黙。
やがて――
ひとりの兵士が、手袋をした手で胸を叩いた。
「太陽に栄光を!」
それが合図となった。
騎士たちが拳を胸に当てる。神職たちが頭を垂れ、祈りの言葉を口にする。市民たちが、涙を拭いながら拍手を始める。貴族たちは、その場で立ち上がり、深々と頭を下げた。
音が、渦になって広がっていく。
マリア・サン・クオンドールは、白い席に静かに腰を下ろした。胸の中で、小さな震えが収まっていく。
(さあ)
(あなたが守った明日の続き)
彼女は、心の中で、名前も知らない誰かに語りかけた。
(ここから先は、私たちが書いていきます)
太陽の光が、謁見の間に満ちた。その日、帝都スエンジールは、確かに「新しい朝」を迎えたのだった。




