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マカロン~世界の筋書きを殴り返せる少女~  作者: S@top


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路地裏生活と、ひどすぎる日常

空き地のそばの廃屋。割れた窓。片側の蝶番だけで辛うじてぶら下がる扉。

そこが、マカロンの「家」になった。

最初は、他にも数人の子どもがいた。だが、時間が経つにつれ、それぞれが消えていった。

誰かに拾われた者。仕事を見つけた者。どこかへ連れて行かれた者。ある日突然、姿が見えなくなった者。

気づけば、廃屋に残っているのはマカロンだけになっていた。

朝。

体の芯まで冷え切った感覚で目を覚ます。床板は冷たく、薄い布切れではどうにもならない。

「……生きてる」

確認するように呟いてから、ゆっくりと起き上がる。

お腹はとっくに空腹の痛みを通り越し、重く鈍く、空っぽだと訴えている。

港へ向かう。

「何か、お手伝いできることありませんか」

船から降ろされる荷物。樽、木箱、麻袋。

「悪いな、今日は足りてる」

「昨日の分の……」

「明日来い、明日な」

「明日」は、だいたい来ない。

別の日。荷物の紐を結ぶ仕事をもらえた。

指先を使う細かい作業は得意だ。教わった通りに、ひとつひとつ結び目を作る。

だが、遅い。

「おい、遅ぇぞ」

「すみません……」

焦れば焦るほど、手がもつれる。隣では、別の子が器用に紐を操っている。

終わった頃には、手のひらに赤く食い込んだ跡がいくつも残っていた。

報酬は、硬いパンの切れ端一つと、薄いスープ少し。

それでも、ないよりはましだった。

市場の裏では、野菜くずを漁る。

「それ、まだ売り物だ!」

怒鳴り声が飛ぶ。

「すみません!」

咄嗟に手を引っ込めるが、足が飛んでくる方が早い。

「邪魔なんだよ、乞食が」

脇腹に鈍い痛み。地面に倒れ込み、息が詰まる。

通りがかった大人たちは、ちらりと見るだけで通り過ぎていく。

夜。

廃屋に戻ると、石の隙間に隠しておいたパンが消えていた。

「……あ」

泥だらけの足跡が、床にいくつもついている。

(盗まれた)

悔しさよりも、虚しさの方が先に来る。自分だって、同じ立場ならそうしたかもしれない――そう思ってしまうから。

別の夜。

扉が、きしりと音を立てた。

「……だれ」

返事はない。代わりに、酒と汗の混じった臭いだけが近づいてくる。

マカロンは、咄嗟に折れた椅子の脚を掴んだ。

「入ってきたら、殴る……から……」

声は震えている。

「へえ」

低い笑い声が返ってくる。

一歩、二歩。床板が軋む。

(イヤだ)

心臓の鼓動がうるさいほど早くなる。

数秒の沈黙。

やがて、足音は乱暴に向きを変え、外へ遠ざかっていった。扉が閉まる音。しばらくしても、誰も戻ってこない。

マカロンは、その場にへたり込んだ。

翌朝、扉の隙間には、空の酒瓶が転がっていた。

そんな日々の合間に、ほんの少しだけ、救いがあった。

雨上がりの昼。港の近くを歩いていたとき。

「……あ」

前を歩く少年の腰から、小さな革袋が落ちた。ころころと転がる。マカロンは反射的に拾い上げた。

「落としましたよ」

少年が振り向く。

年はマカロンより少し上。ぼさぼさの薄茶の髪。安っぽいシャツとズボン。だが、その立ち居振る舞いには、どこか「育ちの良さ」が滲んでいる。

「おっと」

少年は、軽く目を見開いたあと、笑って革袋を受け取った。

「ありがとう」

「……いえ」

「拾ったまま持って逃げようと思えば、できただろうに」

冗談めかして言う。

「盗みたかったわけじゃないです」

「知ってる」

少年は、あっさりと答えた。

「名前は?」

「マカロン」

答えると、少年は少しだけ目を丸くする。

「変わった名前だね」

「そうですか?」

「うん。でも、いい名前だ」

少年は、自分の胸を軽く叩いた。

「俺はブリッツ。一応、南の偉い人の遠い甥みたいな立場」

「遠い……甥?」

「つまり、“一応”貴族ってこと」

本当は、彼は南方マルス地方の大領主、アレキサンドル・ルビリア・マルスの遠縁の甥だ。だが今は、家の方針で身分を隠し、帝国各地を「現地視察」して回っている最中だった。

「視察って、なにするんですか」

「こうやって、フィオレアで暮らしてる人たちの顔を見たり、話を聞いたり」

ブリッツは、革袋の中から銅貨を数枚取り出すと、マカロンの手に乗せた。

「お礼」

「こんなにもらえません」

「いいんだ。俺、このあとしばらくこっちにいるから」

それからの二週間。ブリッツは、港や市場の隅で、ふとした拍子にマカロンの前に現れるようになった。

「今日、食べた?」

「パンを、ちょっと」

「ちょっとってどのくらい」

「……ひと口」

「それは食べたって言わない」

ブリッツは、ため息をつきながら、自分のパンを半分に割って渡す。

「いいんですか」

「俺、見た目ほどは食べない方だから」

「嘘」

「嘘。 本当は今夜お腹鳴る」

二人で笑う。ブリッツは、荷物の紐の結び方や、危ない路地の見分け方、怪しい大人の目つきを教えた。

「夜、扉の下にこうやって小枝を挟んどけ」

廃屋の前で、ブリッツが実演する。

「誰かが開けようとしたら、折れる。音で分かる」

「……そんなこと、どこで覚えたんですか」

「前に世話になった人にね。“お坊ちゃんは命知らずだ”って、色々教えられた」

夕暮れ。丘の上から港を見下ろす日もあった。

「ブリッツは、どこに帰るの?」

「南の方、かな」

「戻りたい?」

「どうだろうね」

ブリッツは、少し遠くを見る。

「戻らなきゃいけない場所ではある」

「でも、戻る前にちゃんと見ときたいんだ。ここで、人がどう生きてるか」

マカロンは、その横顔をじっと見た。

(変な人)

(偉い人の親戚なのに、わたしと一緒にパンを分けてくれる)

胸の奥が少しだけ、くすぐったくなる。

二週間なんて、あっという間だった。

ある日、いつもの場所に行っても、ブリッツは来なかった。

次の日も。その次の日も。

数日後、港で噂を耳にした。

「南の偉い家の坊ちゃんが、視察終えて帰ったらしいぞ」

「身分隠してふらふらしてたっていう、あの噂のやつだろ」

(……帰ったんだ)

胸に、ぽっかり穴が開いたような感覚が広がる。

「またね」とも、「ありがとう」とも、ちゃんと言えていないのに。

それでもマカロンはしばらくの間、港に行くたびに人混みの中にあの髪の色と笑い声を探してしまった。

日々の現実は、相変わらず冷酷だった。

働いて得たわずかな銅貨を、年上の浮浪者に奪われた日もある。

「返して」

「はぁ? ここで生きるのに“場所代”がいるんだよ」

逆らえば殴られる。地面に倒れて、頬に泥の冷たさが貼りつく。

幾度となく、不幸が重なった。

食べることもままならない。周りからはひどい仕打ちを受ける。働いて得たお金を盗まれる。寝ているところを襲われそうになる。

それでも――

そのたびに、どこからか声が聞こえた。

『大丈夫。あなたの人生はこのままじゃない』

『きっと楽しいこともあるから』

誰の声か分からない。アンナの声にも、どこか似ている。でも、それよりもっと深くて、遠くて、暖かい声。

マカロンは、その言葉を何度も信じた。

「まだ、終わりじゃない」

「ここから、きっと何か変わる」

夜空を見上げて、小さく呟く。

しかし、限界は確実に近づいていた。

十四歳になる少し前。冷たい雨の日。

朝から何も食べていなかった。

港に行っても仕事はなく、市場でも「今日は余りがない」と追い払われ、教会の施しも列が長すぎて順番が回ってこなかった。

服は薄く、靴には穴。雨水が染み込み、体を内側から冷やしていく。

路地裏を歩いているうちに、足元がふらついた。

「……」

視界がぐらりと揺れる。膝が笑うように震える。

(座っちゃ、だめ)

そう思っても、足が言うことを聞かない。壁にもたれかかり、そのままずるずると腰を落とす。

冷たい石畳が、背中から体温を奪っていく。

(あ……)

なんとなく、分かった。

(このままだと、たぶん死ぬ)

恐怖よりも先に、諦めにも似た感覚が来た。

「わたし、なんで一人なの……?」

ぽつりと呟く。

「パパ、ママはどこにいるの……?」

返事はない。雨の音だけが、一定のリズムで耳を打つ。

「この世界には……いないの?」

「なんで、思い出せないの……?」

胸の奥が、きしむように痛い。

「もう、一人はいやだよ……」

「耐えられないよ……」

声は雨に溶けて消えていく。

胸の奥の声が、かすかに響く。

『大丈夫。あなたの人生はこのままじゃない』

(ほんとに?)

『きっと楽しいこともあるから』

(ほんとに……?)

十四年。人生としては決して長いとは言えない。

(ごめんね、アンナ)

(ごめんね、みんな)

(ごめんね、ブリッツ。もう一度会いたい。)

瞼が重くなる。世界が、暗く滲んでいく。

――ちょうど十四年。

その短い人生が、今まさに途切れようとする、その瞬間。

世界の別の場所で、誰かが鋭く息を呑んだ。


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