行き当たりばったりな領主と、取り潰しの日
フィオレア領の領主は、若くして家を継いだ男だった。度胸だけはある。だが、考えは浅く、見栄っ張りで、計画性に欠ける。なぜか身に覚えのある気がするが、ここでは触れないでおこう。
「この港を、帝国一の玄関口にする!」
そう息巻いて、大規模な造船所建設や、遠海航路への投資を次々と打ち出した。
最初のうちは、周囲も期待していた。しかし、準備不足と無謀な賭けが重なり、事業はことごとく失敗した。
新造船は試験航行中に嵐で沈み、遠海航路は採算が全く取れず、借金だけが積み上がっていく。
プライベートの事業でできた穴を埋めるため、領内のあちこちから金が引きはがされた。
「領民の税は、これ以上上げられん……」
「では、どこを削りましょう?」
家臣の問いに、領主は机上の書類を眺める。
「孤児院、教会、公共施設……。“人情”で続けていた支出が多すぎる」
その中のひとつが、ひまわりの家への補助金だった。
「ここは、削っても表立って反発は少ないでしょう」
「孤児が腹を空かせて騒ぐくらいなら、まだマシだ」
そうして、本来ひまわりの家に支払われるはずの補助金は、領主の個人的な借金の穴埋めに流れていった。
書類上は「段階的減額」。現実には、「ほとんど打ち切り」に近かった。
「……来ないね」
アンナは、そろばんを弾きながらぽつりと呟く。
帳簿には、「孤児院補助金」の欄。過去数年分は、少なくともこれだけの額が入っていた。
そこに、今月分の数字がない。
「アンナ、お顔こわい」
ローラが不安そうに見上げる。
「そう? いつもどおりだよ」
アンナは、わざと大袈裟に眉を吊り上げて見せた。
「むしろ今日は美人に見える日だね」
「え……そ、そうかな」
「ちょろいなぁ」
子どもたちの笑い声で、暗さを打ち消す。
それからの一年は、綱渡りだった。
アンナは、自分の食事を限界まで削り、夜は内職を増やし、畑の畝を増やし、ときには自分の持ち物を売って金を作った。
マカロンは、帳簿の端の数字を眺めて、状況をなんとなく察していた。
(ギリギリ……)
(このままだと、いつか崩れる)
それでもアンナは、子どもたちの前ではいつも笑いを絶やさない。
「大丈夫、大丈夫。ひまわりはね、痩せた土地でも咲くんだよ」
庭のひまわりの茎をぽんぽん叩きながら言う。
限界は、ある日あっけなく訪れた。
ある朝、役人がひまわりの家を訪ねてきた。古びた制服。疲れた目。彼もまた、板挟みの一人だった。
「アンナ院長。フィオレア領からの孤児院補助は、本年度をもって――」
「打ち切り、だね」
アンナは、先に言葉を切った。
役人は、気まずそうに目を伏せる。
「申し訳ありません」
「謝るのは、あんたの仕事じゃないよ」
アンナは、肩をすくめる。
「理由、聞いてもいいかい」
「領の財政難です。 造船事業の失敗が重なり……」
「領主さまも大変だね」
乾いた冗談を挟む。
「で、代わりは?」
「代わり、とは?」
「この子たちの行き先」
アンナの声が、少しだけ低くなる。
役人は、用意してきた言葉を読み上げるように答えた。
「帝都や他領の孤児院への転送、信心深い商家や農家への預け入れなど、順次調整中です」
「“順次”ね」
アンナは、短く息を吐いた。
「分かった。あたしも動くよ」
その日から、アンナの走り回る範囲はさらに広がった。
フィオレアの街中、周辺の村々、教会、商家、農家、工房、船主。ときには、街道を遠くまで歩いて、噂を頼りに門を叩いた。
「この子は、よく働きます」
「字も読めます」
「あまり丈夫ではありませんが、手先が器用です」
一人ひとりの長所を伝えて回る。
ビッケは、港の魚屋に住み込みで働くことになった。マックスは郊外の牧場。エレンは商家の店先。ローラは教会。バッジは工房の雑用。
「また会える?」
ビッケが、不安そうに聞いた。
「さあね」
アンナは、苦笑する。
「人生、どこでどう繋がるか分からないからさ」
マカロンの行き先だけが、なかなか決まらなかった。
字も計算もできて、真面目で、手先も器用。だが、まだ幼い。
アンナは、どうしても手放しづらかった。
「マカロン、おいで」
最後の日の夕方。アンナは、マカロンを庭に呼び出した。
人のいなくなった庭で、ひまわりだけが、風に揺れている。
「マカロンはね、どこに行っても大丈夫な子だよ」
「行きたくない」
マカロンは、アンナの服の裾を掴む。
「ここにいる。一緒にいる」
アンナは、小さく笑った。
「あんたは優しすぎるんだよ」
「ここに残ったら、きっと全部自分のせいにする」
「“あのとき、もっと頑張れたはずだった”って」
マカロンは、息を呑んだ。図星だった。
「だからね」
アンナは、マカロンの肩に両手を置いた。
「あんたには、あんたの世界があるんだから」
「アンナは、わたしを……忘れる?」
絞り出すような声。
「忘れるわけないでしょ」
アンナは、額と額をこつんと合わせた。
「ひまわりみたいに、力強く」
「ひまわりみたいに、明るく」
「それが、マカロン」
「……うん」
「ごめんね」
「謝っちゃダメって、アンナが言った」
マカロンが、涙をこらえて言い返す。
「そうだったね」
アンナは微笑む。
「ありがとね、マカロン。生まれてきてくれて。ここに来てくれて」
翌朝。ひまわりの家は静かに扉を閉じた。
行き先の決まった子たちは、それぞれの新しい場所へ。行き先の決まらなかった数人――マカロンを含む――は、
「すぐ迎えが来るから」と言われて、港の外れの空き地近くに、簡易の寝床だけを与えられた。
だが、その迎えは最後まで来なかった。
領主の帳簿には、もう彼らの名前は存在していなかった。




