1日目 5
「それでね、そのおなかがすっごく柔らかいんだよ」
「……へ~」
源一は悠樹に気のない返事を返し、暑い日差しを振り払うように周りを見渡した。片側は上に伸びた崖。もう片側は下に伸びた崖。下を見るとずいぶん高いところまで上ったのがわかる。海を見れば水平線が遠くまで見渡せた。
アスレチックコースは壁越えを最後に終わっていた。再び緩やかな上り坂になった山道を源一と悠樹は登っていく。
「ちょっと! ボクがひとりで喋ってばっかで馬鹿みたいじゃないか。ちゃんと聞いてるの?」
「ああ。おまえが前にいた寮で飼ってたデブ猫ミー太の話だろ」
「そうだけど……。もう! こっちが気を使って必死に話題作ってるんだから少しは乗ってよ!」
「別に俺たちは仲良しグループってわけじゃないだろ? わざわざ無駄話する必要もない」
「そうだけどお……。っヒ!」
悠樹は息を呑んだ。急に源一が冬服の学生服を脱いだのだ。ボタンを外し、ワイシャツの袖をまくる。太い腕、太い胸、太い首。露わになった見慣れない男の肌に、悠樹は思わず見入ってしまった。
「? どうかしたか?」
我に帰った悠樹は、源一に見入った事実を否定するようにまくし立てた。
「いきなり脱がないでよ! ロシュツキョーか、君は!」
「暑いんだから仕方ないだろ。おまえも脱げば?」
「そんな行儀悪いことできるはずないだろ! ジョーシキで考えろよ!」
「常識って。つまらないことにこだわるね、おまえ。こんなところで律儀に常識守ってどうするんだよ。そもそも、俺が上着脱いで誰に迷惑かけるんだ?」
悠樹は大きな瞳をさらに大きく見開くと、怒鳴った。
「う~、うっさい、ボクが迷惑してるんだよ! そんなブッソウなもの見せ付けてェ!」
「……物騒?」
悠樹は小走りに走り出した。
悠樹の常識、世間の常識。男子として振舞うことが普通だった悠樹。女子は女子らしくという世間。
源一はそれを「つまらないこと」と言い捨てる。それに悠樹はカルチャーショックを受けた。源一自身は悠樹を女だということは知らず、悠樹がなにに悩んでいるかも知らないだろう。
だが、だからこそ悠樹は自分自身が行儀にこだわっていることに気付かされた。
悠樹は後ろを振り返る。源一は、少し距離を置いて付いてきていた。
悠樹は、少しだけ目を閉じて気合を入れると、源一に言った。
「ほら、早く! 置いてっちゃうぞ!」
「はいはい」
源一は、仕方ないといった感じで悠樹に近づいてきた。悠樹は横目で源一の胸元を見ると、目を背けて自分の上着のボタンをひとつだけ外した。
源一と悠樹は林道を歩いていた。崖道を反れ、森の中に入る。その歩みは、水の流れる音と共に止まった。
「あ、川だ!」
源一と悠樹の前には、幅10メートルほどの川が広がっていた。道は、川に架っている丸太橋を経由して向こう岸に続いている。
「ふう。ボク、ノドがカラカラだよ」
悠樹は川面にペットボトルを近づけ、水を汲んだ。水の冷たさを指に感じながら悠樹は川を見た。
陽光を反射して輝く川面。そこに『奴』がいた。
それを見た源一と悠樹の反応は、絶句だった。
大きい。垂れ下がった目も、横に広がった鼻も、そして、たるんだ顎も。
その異形なる顔が、丸太橋にへばりつくように川面に浮かんでいたのだ。
我に帰ると悠樹はペットボトルを放り出し、逃げるように源一の側に駆け寄った。ペットボトルはあっという間に川下へ流されていく。
「ゲン、あれ、見えるよね」
「……ああ。顔、だな」
『顔』はじっと源一たちを見ていた。源一と悠樹はその異様さに飲まれてしまっている。
『顔』は口を開けた。
「おい、チビども」
悠樹は最初、『顔』が喋っていることが理解できなかった。それほど、『顔』は作り物めいていたのだ。
「ねえゲン。ひょっとして、あの『顔』、喋った?」
「……気のせいだろう」
「こらこら、現実逃避するなっちゃ」
再び『顔』が口を開く。
「ねえゲン~、あれ、やっぱりなんか喋ってるよ~」
「……名前を呼ばれても返事するなよ。ひょうたんに吸い込まれるぞ」
「……西遊記?」
「おい、無視するなっちゃ!」
源一は、軽く髪を撫でると丸太橋の上を跳ね、『顔』の側に寄った。ヨタヨタと、悠樹も源一の後に続く。
それは、人だった。人が川面から顔だけを出し、丸太橋にしがみついているのだ。
「とりあえず聞いておくが、なにやっているんだ?」
「見てわからないっちゃか?」
「ああ、悪いがさっぱりわからん」
『顔』は顎を上げ、源一を見上げると、大声で叫んだ。
「流されないように必死で丸太橋にしがみついているっちゅわ~!」
その大声に驚いた悠樹は、口をへの字に曲げると、小さい足で『顔』を踏みつけた。
「な、なにするっちゃ!」
「あっははは! 見て、ゲン。こいつの顔、ぐにょぐにょって歪むよ♪」
「いや、歪んでいるのはおまえの性格だろ」
「だってこいつ、ボクたちのこと、チビって言ったんだよ……、うわああ!」
丸太橋の上で両腕をぶん回して仰け反る悠樹。源一は片手で悠樹を支えた。
「なにやってるんだ、おまえは?」
「か、カカカ、噛んだあ! こいつ、ボクの靴噛んだ!」
「へ、ちっこい足っちゃ!」
息荒く『顔』を睨みつける悠樹に、してやったりの『顔』。悠樹は頬をおもいきり膨らませて源一に言った。
「もういいよ、ゲン。こんなヤツのことなんて放っておいて先に行こ」
「待て! おまえら本気で迷える子猫ちゃんを見捨てる気だっちゃか?」
「どこに迷える子ネコちゃんがいるんだよ」
「ここにいるっちゃ~! いいから早く助けるっちゃ!」
悠樹は源一に振り返り、再び『顔』を見下ろすと、源一とほぼ同時に呟いた。
「「……なんで?」」
「あ、今ハモったっちゃね」
「いやいや、悪いけど、俺たちがおまえを助ける義理はないし、それ以上になにを助けるんだよ。丸太橋にへばりついてないでさっさと自力で這い上がってくればいいだろ?」
「それができたらさっさとやってるっちゅわ~! 少しでも気を抜いたら流されるっちゃ!」
源一は困ったように悠樹を見た。悠樹はサディスティックな笑みを浮かべると、ほぼ垂直に『顔』を見下ろした。
「ふふ~ん♪ 人にモノを頼むには言うことがあるよね~。お願いしますは?」
「っく! 足元を見てええ!」
「イヤならいいんだよ。ねえ、ゲン~♪」
『顔』は、しばらく考えこんでから、いやいやといった感じで、口を開いた。
「……お願いしますっちゃ」
悠樹は、満足そうに頷くと、宣告した。
「ん~、ヤダ。ゲン、早く行こ。そろそろ時間がヤバイよ」
「いやあ、さすがにそれはかわいそうだろう」
源一は腰を屈めると川面に手をつけた。ひやりとする冷水、その中に沈んでいる『顔』の制服を掴んだ。
「っふ!」
軽く息を吐き出すと、源一は『顔』を持ち上げた。ゆっくりと水面から『顔』の体が姿を現す。
源一は丸太橋の上に『顔』の身体を投げ出した。
それは、巨漢だった。180を超える長身にたるんだ腹。体積でいうなら悠樹の3倍近くはあるだろう。
『顔』が丸太橋の上に立ちあがると、丸太橋は盛大に軋んだ音を立てた。
荒い息を吐き出し、源一は『顔』を見上げる。
「てめえ、何キロあるんだ?」
「んー、今は150キロちょっとぐらいだっちゃね」
「痩せろデブ! そんなだから自分の身体を橋の上まで持ち上げられないんだよ!」
「ふん! 今の暴言は俺を助けたことで見逃してやるっちゃよ」
『顔』は源一を残して丸太橋を渡っていく。源一と悠樹もその後に続いて橋を渡った。源一と悠樹が橋を渡り終えたのを確認すると、『顔』は名乗った。
「俺は篠岡賢治。おまえら名前は?」
「俺は高坂源一郎。こいつは、朝比奈悠樹」
「そうか、こいつは悠樹っていうのか」
『顔』こと篠岡賢治は、悠樹の前に立った。
「? なんだよ?」
「そいやああ!」
「ぎにゃあああ!」
賢治は、いきなり悠樹に抱きついた。川の水を吸いぐっしょりと湿った制服は、悠樹の制服を濡らす。
「むははは、さっきはよくもやってくれたっちゃね!」
「くさい! なんかすっぱい臭いがする! くさいくさいいい!」
悠樹は比喩ではなく賢治の肉に埋もれていった。ウミウシの捕食ってこんな感じかなあ、と、源一は他人事にそれを眺めていた。
しばらく暴れていた悠樹は、次第に大人しくなり、やがてぐったりと動かなくなる。賢治は、そうなってやっと悠樹を解放した。悠樹は立っていられずに、コテンと地面に寝転んだ。
「おい、朝比奈。大丈夫か?」
「ううう。きもちわるいようう」
衰弱した悠樹を見下ろす源一。賢治は雫を垂らしながらさっさと先に歩いていく。そして、振り返って源一と悠樹に言った。
「どうしたん? 早く行くっちゃよ」
「……あいつ、いつか手足縛って焚き火の上でグルグル回してやる!」
「……止めておけ。丸焼きにしても脂身ばっかりできっとおいしくないぞ」
悠樹は源一の手を借りて立ち上がった。
源一と悠樹、2人の思いは一緒だった。
「助けなければよかった」
お楽しみいただけているでしょうか、どぶねずみです。
ここから先はちびちびと掲載していこうと思います。一応4月は完結しているので、どこかの週刊誌よろしく途中で打ち切りということはないのでご安心ください。
今まで「小説家になろう」は携帯で見ていたので、ページを換えるのが面倒だという経験から1話の分量を少なくしているのですがどうでしょうか?読みやすい、読みにくい、おもしろかったつまらなかった、くたばれどぶねずみ等なにかしら感想を頂けたら幸いでございます。




