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とりあえず走れ  作者: どぶねずみ
4月~競歩大会~
26/49

2日目夜

 暗い室内、朝比奈悠樹はベッドの上でうつ伏せに倒れていた。8畳の部屋にはロッカーとシングルベッドが4つ形ばかりにあるだけだ。それでも昨日のテントよりははるかにマシだな、と、悠樹は薄い枕に顔を押し付けながら思った。

 源一たちが風呂に向かった後、悠樹は外に止っている貨物列車(運転席では猿がバナナを食べていた)から、朝の休息所から運ばれてきた荷物を回収して、ハンモックナンバーで割り当てられたこの部屋に直行して今に至る。

 疲労と睡魔に耐えながら、悠樹は源一たちが風呂から出てくるのを待った。このまま寝てしまいたいが、汚れた身体のままではそうもいかない。

悠樹はなかなか戻ってこない源一になんだか腹が立ってきた。眠気覚ましに頭の下に敷いた枕を源一に見立ててスパンキングをしていると、外から笑い声が聞こえてきた。

「ま、俺は高志が高校デビューってのは知ってたっちゃけどな」

「俺、そんなに変な態度とってたか?」

「わかりやすく言うと、鬼の使い方が変なんだよ。『鬼』って言葉が流行ってるのかどうかは知らねえが、それでもそういう使い方はしないと思うぞ」

「なんか、覚えたてのファッションみたいでどこかチグハグなんだっちゃ」

「そうか。鬼難しいなあ」

 3人は同時に笑った。悠樹は、その笑い声が扉を開いて部屋に入ってくると同時に枕を投げつけた。罪のない枕は、緩い弧を描きながら3人の足元に落ちた。

「なんだ、ユウ。こんなところにいたのか」

 源一は枕を拾い上げて悠樹に言った。濡れた髪に火照った肌。風呂上りの源一を見た悠樹は、一瞬言葉を詰まらせた後、怒鳴った。

「おっそ~い! いつまでお風呂に入っているんだ君たちは」

「そうか?」

「別に俺たちを待ってることないっちゃよ。チビすけも一緒にくればよかったっちゃよ」

 悠樹はおもいきり口角を下げた。昨日のシャワールームと違い、今日のような大浴場では女の子である悠樹は一緒に入ることはできないのだ。

 3人はそれぞれベッドの上に荷物を投げ出して寝転んだ。

「ったく、おまえら風呂で騒ぎすぎ」

「ああ、少しはしゃぎすぎたな。鬼疲れた」

「腹を打ちすぎたっちゃ。着替える時に見たら真っ赤になってたっちゃよ」

「え、なになに? お風呂でなにかあったの?」

 悠樹は、親亀の甲羅に乗る小亀のようにうつ伏せに寝る源一の背中に乗った。

「……重い」

「な! 失礼なヤツだな君は。ボクはケンジじゃないんだから重いわけないだろ」

「まあ、賢治と比べれば誰だって鬼軽いよな」

「ほめてもなにもでないっちゃよ」

「何で今のがほめ言葉に聞こえるんだよ」

 そう言った後、源一は急に押し黙り、なにか深刻な表情で考え出した。悠樹は横から源一の顔を覗き込んだ。

「ゲン、どうしたの?」

「昨日って何曜日だ?」

「昨日? 今日が火曜日だから昨日は月曜だっちゃよ」

 それを聞いた途端源一は愕然とした面持ちで身体を起こした。その勢いで悠樹は源一の上から転げ落ちる。

「な、なんだよう急に」

「しまった。深夜ラジオを聞き逃した!」

「はあ? 深夜ラジオぉ?」

 ひとり呆然と立ち尽くす源一。目を細めて呆れ顔の悠樹。

「ゲン~。ゲンはラジオなんか聞くんだ」

「ラジオを馬鹿にするなっちゃ!」

「ど、怒鳴らなくてもいいだろ! ていうかなんでケンジが怒るんだよ!」

「ゲン。ひょっとして深夜の秘密基地か?」

 源一は再びうつ伏せに寝転がると高志に拳を突き出した。高志もそれに合わせるように拳を突き出す。そして、賢治も拳を突き出した。ひとり取り残される悠樹。

「? 君たち、なにやってるの?」

「まさかおまえらもDJ・Tのリスナーだったとはな」

「俺もこの学校で、しかも2人も同士を発見できるとは思わなかったっちゃ」

「ああ。俺、1回目から録音してるぜ。もちろん昨日の放送もちゃんと実家で録音してるよ」

「そのわけわかんない会話はヤメロ」

 悠樹はそこが定位置だとでもいうように再び源一の上に乗る。

「だいたいその、えっと、でぃーじぇーてぃー? なにそれ?」

「おまえは本当になにも知らないチビすけっちゃねえ。DJ・Tは、俺たち真夜中のサンダーロードを爆走するボーイズあんどガールズの味方っちゃよ」

「もうなに言っているのかさっぱりわかんない」

「だからDJ・Tの深夜の秘密基地ってのはな……」

 源一は色々と深夜ラジオの説明をするが、悠樹はまるっきりその話についていけない。賢治や高志が話に乗り、悠樹を取り残して盛り上がり始めた頃、悠樹は後ろから源一の首筋に顔を近づけた。

「……まんない」

 源一の耳元でそっと呟く悠樹。柔らかい悠樹の髪が源一の頬と首筋を撫でる。くすぐったいと思ったのは一瞬、源一の首筋に激痛が走った。

「痛ええ! ユウ、なにしやがる!」

 源一は身体を揺さぶり悠樹を振り落とそうとするが、悠樹はがっしりと源一の背中にしがみついて離れない。

「つまんない! つまんないつまんないつまんない! 内輪ネタで盛り上がるのはやめろお!」

 源一は悠樹に抱きつかれたまま身体を起こすと首筋を撫でた。源一の首筋には、くっきりと悠樹の歯形が残っていた。

「痛えなあ。ったく、おもいきり噛みやがって」

「キスマークっちゃね。うらやましい」

「男が男にキスマーク付けられるのがうらやましいのか?」

「まあ、ユウ。今度俺が録音したの貸してやるから」

「それじゃあその話はボクが聞いてからにしてよ」

 そう言って悠樹は源一の背中に両手両足を絡ませたまま頬を膨らませた。

「ええい、いい加減降りろ! それよりいい加減風呂行って来い! おまえ、なんか甘酸っぱい臭いがするんだよ」

 悠樹はそれを聞くと慌てて源一の背中から離れた。しばらく鼻の穴を広げて自分の袖の臭いなどを嗅いだ後、ちらと高志を見た。高志は苦笑して悠樹に行った。

「俺たちが最後だったから今は風呂に誰もいないよ」

「温泉でけっこういい湯だったっちゃよ」

 悠樹は口元をタコのようにすぼめてきっかり3秒ほど考え、ロッカーから荷物を取り出した。

「お風呂行ってくる」

 それだけ言うと悠樹は部屋から出て行った。室内は、悠樹が出て行っただけで温度が下がったように静まり返った。

「ったく、やかましいうーちゃかだな」

「しかし、ゲンはユウによく(なつ)かれてるっちゃねえ」

「そうかあ?」

 源一などに言わせれば、悠樹とどつき漫才をしている賢治も十分に懐かれているように思えるのだが。

「朝比奈の人間と懇意になるってのは鬼凄いことだぞ」

「ああ、なんかすげえ金持ちらしいなあ」

 源一は寝返りを打ち、仰向けになって天井を見上げた。

「ゲンはお金は嫌いっちゃか?」

「ん? 別に嫌いじゃねえよ。人並みに好きだぞ」

「それにしてはユウのことをあまり金持ちと見てないみたいだけど」

「いちいちそんなこと考えながら人付き合いができるかよ。それに、俺は剣道をやってたからな」

「まさか剣道をやってれば悟りを開いてお金がいらなくなるなんて言うんじゃないっちゃろうね?」

「違うよ。ただ、いくら金を持っていても剣道日本一にはなれないってこと」

 源一は昔を思い出した。剣道に、剣道のみに精進してきた日々。小学生で全国優勝したときは、勉強も交友も、その他の全てを犠牲にして果たせたのだ。その延長としての中学の3年間。

源一は表情を隠すように枕に顔を埋めた。

「それより俺、あることに気付いたっちゃ」

 急に話を変える賢治に、源一と高志は視線を向けた。

「今からすごいこと言うっちゃよ」

「もったいぶらずにさっさと言え」

「……ユウって、実は女なんじゃないっちゃか?」

 したり顔の賢治、高志は目を見開き、源一は大きなため息を吐いた。

「なんで男子校に女がいるんだよ。まあ、あいつは女顔だけどな。気にしてるみたいだから言うなよ」

「俺もデブを気にしてるっちゃよ」

「痩せろクソ豚」

「ゲンって言うことが直接的すぎて鬼きついよな。でもうちの学校は一応共学だぞ」

「そうなのか? それにしては女がいないけど」

「確か一昨年くらいから共学になったっちゃよ。ただ単純に女が入学してこないだけだっちゃ。この学校の入学案内で制服の女の子が表紙なのを覚えてないっちゃか?」

「そういえばそうだったな。でもそれって詐欺じゃねえのか?」

 源一は、身体を起こし、頭を掻いた。賢治と高志もそれに合わせるように身を起こす。

「それで、ユウが女かもしれないって?」

「あいつ、なんかいい匂いがするっちゃよ」

「金持ちって話だから高級な石鹸でも使ってるんだろ」

「ま、まあまあ。あいつは男だから。あんまり気にするなよ」

 悠樹が女だと知っている高志は、この不穏な空気を慌てて払拭しようとした。

「高志はユウが男だって知っているっちゃか?」

「ああ。俺が引きこもっているときの趣味はインターネットでさ。俺と同年代にどんなやつがいるか調べるのが好きだったんだ。三崎省吾もユウも、そのときに知ったんだけど、あいつは昔から男だったよ」

 高志の言ったことに嘘はなかった。悠樹は、昔から男として振舞ってきたのだ。

 源一は興味が削がれたように仰向けにベッドに寝転び、わずかに顔をしかめた。右腕に痛みが走ったのだ。

「とにかく、ゲン。おまえが今から風呂に行ってユウが男かどうか確認してくるっちゃ」

「なんで俺なんだよ。自分で行け」

「俺が行って、もし本当に女だったらシャレにならんっちゃ」

「その自覚はあるんだな」

 源一は痛めた右腕を押さえた。心なしか、熱を帯びているようだった。

「まあ、行くか。さっきはおまえらのせいで馬鹿騒ぎしてゆっくり温泉に浸かれなかったからな」

 源一は、勢いよくベッドから立ち上がった。高志は慌てた。

「お、おい。やめておけよ。あいつは男だって」

「だから確かめてくるっちゃよ。このままじゃ気になって眠れないっちゃ」

「さっさと寝ろ。明日もう1日あるんだぞ」

 源一は、それだけ言うと制止する高志を無視して部屋から出て行った。


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