2日目朝 1
胸元のひんやりした感触で高坂源一郎は目を覚ました。見慣れない天井、固い床。ここがテント内であり、地獄極楽島だと思い出すのにきっかり3秒を要した。
左を見る。
「こわいよ~、トムヤンクンこわいよ~」
しくしくと涙を流すデブ。
右を見る。
「ロールケーキはケーキじゃないし稲荷寿司は寿司じゃないんだよ」
鼻の穴を広げて怒る痩せ。
胸元を見る。
そこには美少女がいた。
源一の身体を抱き枕のようにして安らかな寝息を立てる美少女。いや、美少女というには語弊がある。よしんばこれが女の子だったとしても、美少女は源一の胸元を冷やす原因を作ったりはしないだろう。源一の胸が濡れている理由は、この美少女(?)の口元にあった。よだれが、源一の胸に垂れ流されていたのだ。
美少女(仮)は、ゆっくりと長いまつ毛を揺らし、大きな瞳を開けた。美少女(偽)、朝比奈悠樹は目の焦点を合わせると、抱きついたまま源一を見上げ、笑顔を作った。
「あ、ゲン。おはよ~」
源一は挨拶を返す代わりに、人差し指を曲げ、悠樹の額を弾いた。
「ぎゃん!」
悠樹は1回転半ほど転がると、デブにぶつかりとまった。
「朝からなんてことするんだよう!」
「うるさい! おまえこそ人のシャツをよだれまみれにしやがって!」
テント内でぎゃんぎゃん言い合いをするチビ2人。その声でデブと痩せが目を覚ました。
「ん~、朝っちゃか?」
「あ~、寝た気がしないな」
外から陽光が差し込み、薄暗いテント内を照らす。夜霧は完全に払拭され、熱気が漂いだしていた。昨日に引き続き、常夏を予感させる陽気だった。
風見鶏学園強歩大会の2日目が始まった。
「おい、朝比奈! 早くしろよ」
「ちょっと待ってよ! それとボクのことはユウでいいって言ってるだろ!」
「置いてくっちゃよ~」
「うっさいデブリンマン! 君は一人で先に行け!」
朝比奈悠樹は手鏡で色素の薄い髪を整えた。制服の襟元を正し、ポケットにハンカチとティッシュが入っているのを確認して、テントを出ようとした。そのとき、あることに気付いた。
制服の袖口の臭いを嗅いでみる。
「……大丈夫、だよね」
制服は、昨日一日中動き回って大量の汗を吸っているはずだった。悠樹が気になったのは、その臭いだった。何箇所かを嗅いでみる。……自分ではわからなかった。
「おい、まだかよ!」
「待ってってば! 今行くから!」
源一からの催促に、悠樹はテントから出た。
目が眩む強烈な陽光が悠樹を襲った。今が4月であることを忘れさせる常夏の空気が、そこには広がっていた。
テントの外には、昨日から行動を共にしている仲間が立っていた。大柄タルミの篠岡賢治。鶏がら細身の木下高志。そして、小柄小結の高坂源一郎だ。
悠樹は、小走りに源一の前まで進んだ。
「お待たせ~」
「遅いって。他の連中はもうとっくに出発してるぞ」
「もう、ゲンはせっかちだなあ。先は長いんだからそんなにあわてなくったってダイジョーブだよ」
「ふん。チビは行動も遅いっちゃね。たるんでるんじゃないっちゃか?」
「ユウもおまえの腹には言われたくないだろ。……ていうか賢治、おまえ鬼臭いぞ」
「? そういえば昨日風呂に入った覚えがないっちゃね。いや、俺、いつ寝たんだっちゃか?」
「俺たちがコインシャワーから戻ったときにはもう寝てたぞ。テント入ってすぐに寝たんじゃないか?」
「昨日のことを思い出すとな~んか鼻の下が痛むっちゃよ。な~んか大切なことを忘れているような……。水色の、スポーツブラ?」
「! ほ、ほら、もう行くよ。大分遅れてるんだからね……、あた」
「おまえが言うな」
悠樹の頭を叩いて先に行く源一。頭の上に「?」を乱造して源一の後に続く賢治。悠樹は高志を見た。高志は意味深な笑み浮かべて悠樹を見ていた。




