第3章3話 どんなに凶悪なオークも「足元のシール」には逆らえない
「おい人間! この『しまくら』のストレッチジーンズは俺のものだ! 力ずくで奪ってやる!」
「何を言うか! このユニクオのウルトラライトダウンは私が先にカゴに入れた! 死にたい奴から前に出ろ!」
魔王城の前庭に設置された「しまくら&ユニクオ」の特設コンテナ前は、完全に修羅場と化していた。
武器を抜いて睨み合う、獰猛なオーク族の突撃隊長と、プライドの高いエルフの聖弓騎士。後ろに続く他サーバーのモンスターや冒険者たちも、日本のあまりにも上質なカジュアルウェアを前に理性を失い、いつ大暴動が起きてもおかしくない一触即発の空気だ。
「主よ、大変だ! このままでは我が我が家の前庭が血の海に……せっかくの新品の服が汚れてしまう恐怖ーっ!」
黒カーゴパンツ姿の元魔王が頭を抱える。
「ちょっと蓮、なんとかしなさいよ! ショップのレビューに『客層の治安が最悪。二度と買いません。星1です』なんて書かれたら、筆頭株主のプライドがズタズタよ!」
ピンクドレスのリリスもスマホの画面を見ながら叫ぶ。
(チッ、野蛮な異世界の連中め。天下のしまくらとユニクオの売り場で、割り込みや刃物の持ち込みは一発出禁だ。どれだけ戦闘力が高かろうが、現代日本の『精神誘導兵器』で、幼稚園児のように大人しく1列に並ばせてやるよ!)
俺――織田蓮は、現在のショップ売上金【18,000ポイント】の莫大な資産から、事業者専用モールの検索窓に指を叩きつけた。
『業務用 床面誘導ステッカー 足跡マーク 高耐久』
それは、日本のあらゆるスーパーのレジ前、コンビニ、そして大人気テーマパークの待機列に必ず貼られている、日本人の秩序ある行動を無意識レベルで支配している「あのシール」だ。
『【店舗用】床面誘導シール「こちらでお待ちください」足跡マーク入り。耐摩耗・滑り止め加工。30枚セット。送料込み2,500ポイント。即購入OK!』
「日本人の『なんとなく枠線の中に収まりたくなる本能』を具現化した、絶対規律の床面結界……! 2,500P、ショップ決済ォォォ!!」
ピコン♪
【購入が完了しました! 発送ポケットShopsモードより排出します】
コンテナの前でオークとエルフが今まさに互いの首を跳ね飛ばそうと、大斧と弓矢を構えた、その刹那。
俺は発送ポケットから、鮮やかな黄色と青色で印刷されたビニール製の四角いステッカーの束を引き抜き、コンテナのレジカウンター(※臨時の机)から後方に向けて、等間隔で地面にペタペタペタペタペタッ!!!と凄まじい速度で貼り付けた。
「ふん、そんな安っぽい紙切れを地面に貼って何になる……ぬおっ!?」
大斧を振り上げようとしたオークの隊長が、突如として激しく硬直した。
彼の視線は、自分のちょうど一歩手前の地面に貼られた、黄色い四角の中に黒い二つの足跡が描かれたステッカー――【こちらでお待ちください(PLEASE WAIT HERE)】に完全にロックされていた。
「な、なんだこれは……。我が強靭なオークの肉体が……この、地面に描かれた『足のマーク』の上に、自分の足をぴったりと重ね合わせずにはいられない……ッ!」
ガシャン!!!
オークの隊長は自ら大斧を地面に落とし、まるで何かの神聖な儀式を行うかのように、神妙な面持ちで黒い足跡マークの上に「ピタッ」と自分の巨大な足を揃えて直立不動になった。
「ば、馬鹿な!? 獰猛なオークが急に大人しく……ハッ!? わ、私の中のエルフの誇りが……あの青いシールの枠線の中に、美しく収まらなければならないと叫んでいる……!」
エルフの聖弓騎士もまた、弓を背中に戻し、オークの2マス後ろにあるシールの枠線の中に、狂いなく綺麗につま先を揃えて「ピシッ」と整列した。
それだけではない。
後ろにいた数百人の別サーバーのモンスターや冒険者たちも、地面に等間隔で並ぶ足跡シールを見た瞬間、「あ、ここに並べばいいのね」と全自動で理解。誰一人として文句を言うことなく、完璧なディスタンス(等間隔)を保ちながら、蛇のようにくねくねと美しい1列の待機列(蛇の列)を形成し始めたのだ。
異世界の住人から見れば、それは【どんなに凶悪な魔獣や自尊心の高い英雄であっても、見た瞬間に逆らう気力を失い、神の定めた順路に従って大人しく直立不動になる、因果律支配の絶対命令刻印『整列の聖痕』】。
日本の商業施設が長年の心理学と経験から生み出した床面誘導の前に、異世界の住人の野蛮な闘争本能など、ただの「前へ倣え」に過ぎなかった。
「ふっ、見たか。これが日本の『行列文化』の力だ。並ばない奴はしまくら安心価格での購入を認めんぞ」
俺が腕を組んで告げると、オークもエルフも「は、はい! 大人しく待ちます!」と、まるで小学校の全校集会のように行儀よく返事をした。
こうして、売り場の治安は完璧にコントロールされ、全自動の発送システムが再び超高速で駆動し始めた。
ピコン♪ ピコン♪ ピコン♪
【売上金:20,000P】
【売上金:30,000P】
【現在のショップ所持ポイント:45,500P(大富豪モード)】
「よーし、このまま在庫の100着ずつを全部売り切るぞ!」
俺がホクホク顔でスマホの残高を見ていた、まさにその時。
ドゴォォォォォォォォン!!!!
魔王城の前庭の遥か上空から、空間を、いや「サーバーの壁」そのものを物理的に叩き割るような、凄まじい衝撃波が吹き荒れた。
あまりの風圧に、コンテナがガタガタと揺れ、足元シールの上に整列していたオークたちが「うわあああ!?」と吹き飛ばされる。
漆黒の空を割って現れたのは、これまでの「フリマの購入者」とは次元が違う、全身に禍々しい『神殺しの魔装備』を身に纏い、他サーバーの数々の戦場を一人で滅ぼしてきたという、別サーバーの伝説の【重課金廃プレイヤー・魔剣士カイザー】だった。
カイザーは空中に浮遊したまま、俺の「しまくら&ユニクオ」のコンテナを見下ろし、邪悪な笑みを浮かべた。
「ククク……『しまくら』に『ユニクオ』か。ただの安物カジュアルと侮っていたが、その衣服に付与されている『驚異的な軽さと防寒性能』……。我が廃課金の装備に組み込めば、さらにステータスを極限まで引き上げられる。――そのコンテナの中身、店の在庫ごと、この俺が『全額リアルマネー(裏取引)』で買い占めてやろう!!」
(ゲッ……! フリマアプリの規約で最も重罪とされる禁忌、運営を通さない直接の金銭授受――『直取引』の持ちかけだと……!?)
ショップの在庫すべてを裏金で買い叩き、こちらのシステムを根本から崩壊させようとする最強の重課金プレイヤー。
だが、ヘルカリShopsの筆頭株主である俺の辞書に、「規約違反」の二文字は存在しない。
「裏取引だと? ふざけるな。お前がどれだけ金を積もうが、我がショップの決済システム(メルカリのルール)は絶対に曲げられねえんだよ……!」
【現在のショップ売上金:45,500P】
アカウントの健全性を守り、ショップの信頼を維持するため、蓮の前に立ちはだかる「最強の重課金プレイヤー」との、3章最初の大型ボス戦が幕を開ける――!




