カラチ
「ヒハハハッ! ガキが社会見学に来る場所じゃねえんだよッ!」
突如として大地を揺らす足音が響く。ランの前に立ちふさがったのは、全身を厚み数センチの黒鋼の重装甲鎧で固め、巨大な両刃斧を担いだ巨漢——カラチだった。踏み出す一歩ごとに砂地が沈み、観客席からは「あれと当たったら終わりだ」とざわめきが漏れる。カラチの全身から、どす黒い朱色のアニマが吹き出す。
「見やがれ! これが俺の『肉体増強アニマ』だ! 鋼の鎧に筋肉の爆発力を上乗せすれば、俺は歩く城塞だぜぇッ! てめえみたいな丸腰のガキなんぞ、鎧の重みだけで踏み潰してやるよ!」
カラチは斧を横一文字に薙ぎ払い、ランの首を刈り取らんと迫る。
「なんだそのデカい斧、薪割りでもすんのか?」
ランは呑気にそう返しながらも、両足の重心をわずかに落とした。無意識のうちに、獲物を前にした獣の構えになっている。
「ラン、避けてッ!」
マリアが悲鳴を上げる。
「……なるほど。カラチはアニマを骨格と外筋の膨張に全て振っているね。だが、重心が高すぎる。そして鎧の質量に頼るあまり、予備動作が大きすぎる。力任せの構えは、どうにも美しくない」
だが、リョクシは眉一つ動かさず見つめていた。
「打つ前に、次の動きを教えてくれているということだよ。あれだけ大振りに構えれば、斧がどちらへ来るか、獣でも読める」
リョクシは独り言のように続けた。
観客席のどよめきの中に、不安げな声がいくつも混じっていた。あんな子供で、本当に大丈夫なのか、と。
「見ていればわかる」リョクシは短く呟いた。
「ぬおおおッ!」
迫る大斧。しかし、ランは野生の直感でひらりと身をかわした。斧が砂を豪快に巻き上げる。
「うわっ、危ねえな! 木を倒す木こりみたいな振り方だ! そんなに力いっぱい振ったら、次にどっちへ動くか丸わかりだぞ!」
「チョコマカと動き回りやがって! 装甲の上から叩き潰してやる!」
カラチが胸を張り、隙を晒したランへ向けて太い拳を突き出してきた。鋼の鎧に覆われた拳は、それだけで人ひとりの頭蓋を容易く割れるだろう質量を持っている。
「今度は拳……! ラン、鎧の上から殴られたら——」
マリアが両手で口元を覆う。
「大丈夫。あの拳もさっきの斧と同じ軌道の癖がある」
リョクシが静かに言葉を継いだ。
「力を溜めてから放つ型の使い手は、溜めの分だけ相手に時間を与えてしまうものだ」
「へへっ、パンチなら俺もできるぞ!」
ランは無邪気に笑うと、足をドタドタと踏み鳴らし、まるで子どもが砂遊びで泥水を跳ね飛ばすような大振りのモーションで、右拳を振り抜いた。
技術も、重心の伝導も、体の連動すら存在しない。ただの腕力に任せた大振りパンチ。
しかし——。
**ガアアアアンッ!!!!**
闘技場全体に、鉄の塊が破砕したような金属爆裂音が響き渡った。
「が、はっ……!?」
ランの拳が、カラチの分厚い胸甲に触れた瞬間に大きく落ちくぼみ、一瞬でクモの巣状の亀裂が走った。カラチの巨大な巨躯が浮き上がり、数十メートル後方へ吹き飛んで魔導障壁へと激突。そのまま白目を剥いて崩れ落ちた。
会場が一瞬、静まり返る。実況の声すら、次の言葉を探して詰まっていた。
砂煙の向こうで、ランは吹き飛ばした拳をまじまじと見つめ、不思議そうに指を開いたり閉じたりしている。まるで、自分の手から何が飛び出したのか分かっていないかのようだった。
観客席のあちこちから、悲鳴にも似た絶叫が上がった。
「えええっ!? あの重装甲を、ただのパンチで叩き折ったのか!?」
リョクシは顎に手を当て、冷静に分析を口にする。
「ふむ……実に凄まじい生体アニマの密度だ。ランの肉体そのものが、精巧な魔導兵器を上回る『硬度』と『質量』を持っている。しかし……」
リョクシの目は厳しかった。
「今のパンチは、せっかくの破壊力を半分以上散らしているね。インパクトの瞬間に足が浮き、エネルギーが上空へと逃げていた。子どもが腕を振り回しているのと変わらない」
観客席のどこかから、素朴な声が上がった。
「けど、勝ったんだから良いじゃないか」
「勝てているうちは、まだいい。だが、相手の質量が今日のカラチより一回り大きければ、あるいは急所を外していれば——今の拳では押し切れなかったかもしれない」
リョクシは静かに息をつくと、フィールドの中央でまだ拳を握りしめているランを見つめた。
「彼が真の力の伝え方を知れば、あのような無駄な衝撃波すら出ずに、相手の内臓だけを打ち抜けるようになるはずだ。今日という日は、そのための最初の一歩に過ぎないよ」
「最初の一歩、か……」
マリアは倒れ伏したカラチと、けろりとした顔で自分の拳を眺めているランを交互に見比べた。
「なんだか、遠い一歩ね」
「遠いさ。だが、方角は間違っていない」




