予選第一ブロック
雲ひとつない蒼天の下、巨大な古代石造りの闘技場は、数万人を超える観衆の怒号と歓声で揺れていた。
すり鉢状のスタンドの中央に広がるのは、直径百メートルを超える広大な円形砂地。その全周を囲むように、青白い透過光を放つ高さ数メートルの「防護障壁」が展開されている。砂地に落ちる無数の足跡は、これから始まる殺し合いすれすれの祭典を待ちわびるように、風もないのに絶えず舞い上がっていた。スタンドの最上段まで埋め尽くした観衆は、屋台の匂いや酒の匂いを漂わせながら、開幕の瞬間をいまかいまかと待ち構えている。
「さあさあ、お集まりいただいた熱狂の観衆諸君! いよいよ待ちに待った『異世界異種格闘技大会』予選第一ブロックの幕開けだぁッ!」
拡声魔導具を通した実況アナウンスが響き渡ると、スタンド全体が地鳴りのような歓声で応えた。足を踏み鳴らす音、指笛、割れんばかりの拍手が幾重にも折り重なり、砂地の上にまでびりびりと伝わってくる。
「予選のルールは過酷を極める生存競争! 同一ブロックの全参加者が同時にこのフィールドへ立ち、最後の数名に絞られるか、あるいは全敵を倒すまで繰り広げられる大混戦だ! 武器の使用、アニマ(生命魔力)の行使、すべて制限なし! リングアウト、失神、あるいは降伏のみが勝敗を分かつ!」
実況の声が高らかに締めくくると、観客席のあちこちで賭け金を巡るざわめきが広がった。
観客席の最前列、手すりに身を乗り出すようにしてフィールドを見下ろしていたのは、マリアだった。栗色の髪が興奮でふわりと揺れる。
「すごい熱気……! ねえ、リョクシ。本当にランをこんな大会に出しちゃって良かったの? あの子、街の常識どころか、人間の格闘技のルールだってろくに知らないのよ? リングアウトの意味も、たぶん分かってないわ」
マリアの隣で、くすんだ緑色の外套を静かに揺らしている男——リョクシが、深みのある穏やかな声で応えた。その双眸は神秘的な光を宿し、フィールドの中央を静かに見据えている。
「心配いらないよ、マリア。ランは文明を知らないが、命のやり取りにおける『理』を誰よりも肌で知っている」
「理、って言われても……」マリアは納得しきれない顔で腕を組んだ。
「ルールを知らない子が、ルールのある戦いに放り込まれるのよ? 反則負けとか、そういうのだって——」
「大丈夫。この競技に反則は存在しないよ、マリア。あるのは『効いたか、効かなかったか』それだけだ」リョクシは軽くいなすように答えた。
「着飾った理屈より、剥き出しの結果のほうが、時にずっと美しい。だからこそ意味があるんだ。彼が自分のうちに眠る真の力に気づき、この世界で己の立ち位置を知るためには、言葉の説明ではなく、拳を交える武を体験するのが一番の近道なんだよ。マリア、君はランが今日、何にいちばん驚くと思う?」
「え……相手の強さ、とか?」
「いいや。おそらく——自分自身にだ」
マリアはその言葉の意味を測りかねて、リョクシの横顔をちらりと見上げた。だが、彼はそれ以上語らず、ただ薄く笑んでフィールドを見つめ続けていた。
フィールドの中央。無数の厳つい猛者たちが殺気を放ちあう中で、一人だけ場違いな表情を浮かべる青年がいた。
「ラン」
しなやかに引き締まった全身の筋肉と、野性に満ちた鋭い眼光は、まるで獲物を狙う若い肉食獣そのものだった。裸足の足の裏で砂の熱と粒立ちを確かめるように、時折つま先を丸めている。
「うわあ……人がいっぱいだぞ! みんな大声出してて、森の嵐の夜みたいだ!」
ランは常識のなさから無邪気に目を輝かせていた。頭上の防護障壁を見上げては
「あれは何だ、光る檻か?」
と首を傾げ、隣に立つ屈強な参加者の刺青を興味深そうに覗き込んでは睨まれる始末だ。かと思えば、足元の砂を軽く蹴って感触を確かめ、風の匂いを鼻先で探るように何度も嗅いでいる。
それでも物怖じする様子はまるでない。ランにとってこの空間は、見知らぬ縄張りに足を踏み入れた獣の緊張と好奇心、そのふたつがない交ぜになった場所でしかなかった。周囲の参加者たちが放つ殺気すら、彼にとっては嵐の前の風の匂いと変わらないもののようだった。
「ラン、聞こえる?」観客席から、マリアが両手を口に添えて叫んだ。
ランが振り向き、白い歯を見せて笑う。
「マリア! リョクシ! 見ててくれよ、俺、絶対に負けないからな!」
「無理はしないでよね!」
「無理なんかしねえよ、これは喧嘩じゃなくて……なんつったっけ、リョクシが言ってた」
「格闘技、だよ」
「そう、それ! 格闘技ってやつ! みんなで殴り合うんだろ、面白そうだ!」
場違いなほど朗らかなその声に、周囲の猛者たちが訝しげな視線を向ける。だが、ランは気にする様子もなく、両の拳をぐっと握りしめて楽しげに笑っていた。
和やかなやり取りも束の間、ランの背後で、大気そのものが軋むような気配が膨れ上がった。
無邪気だった双眸が、一瞬にして猟犬のそれへと切り替わる。
振り返るより先に、ランの耳が捉えていたのは、大地を踏みしめる異様に重い足音だった。




