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深山幽谷  作者: 真亭甘
44/54

前庭 3

この庭では、門を通りたい者は、まず殴られる。

庭の左手では、門下生たちが組み合っていた。


ランたちは、その反対側、右手へ下がった。


リョクシが手で促し、マリアが小さく舌打ちをして従う。最後にランが、一度だけ振り返った。太郎は、背中でそれを聞いていた。振り向かなかった。


門下生たちは、手を止めない。輪を作ることもない。組み合ったまま、砂を踏み、押し、引き続けている。見物ではなかった。止めるな、と言われているからだ。


本堂の上がり口の前には、向き合う二人だけが残った。


ラカの胸の下に、太郎の頭があった。



背丈の差は、頭ふたつ分に近い。見上げる者と、見下ろす者。それだけで、勝負の結末を知っているような色が、組み合う門下生たちの横目にいくつもあった。

ラカは、両腕をだらりと広げた。腕は膝まで垂れ、広げれば、庭の幅の半分を持っていくように見えた。



「ほらこいよ! 現実ってのを突きつけてやるからよ!」



太郎は、動かない。



「こねーなら、こっちから行くぞ?」



言い終わるより先に、腕が出た。

長い腕が、真っすぐに太郎の顔へ伸びる。突き出すというより、置きにいく動きだった。置かれた場所が、そのまま、太郎のいる場所になる。


砂が鳴った。


太郎が、突っ込んだ。

低い。腰から下が地面に貼りつくような低さで、迫る腕の下を潜る。


潜られた。

が。ラカは、慌てなかった。

腕をくぐられた瞬間、足を引いた。引いた足が、太郎の足首を内側から払う。けたぐり。


ガッ


太郎の体が、斜めに引かれた。

が。倒れない。


足の指が、砂に食い込んでいた。踏ん張った両の足が、引かれる力を、地面の中へ逃がしている。



「ほう」



ラカの眉が、わずかに上がった。



「ならこっちだ」



腕が、横から薙いだ。



ばしん



張り手が、太郎の左頬を真横から捉えた。音が、遅れて庭に響く。

視界が白く弾けた。耳の奥で、羽虫が飛ぶような音がする。足の指が、砂を掴み直そうとして、一寸、ずれた。ほんの一寸。その一寸で、重心が体の外へ流れていく。


その上に、二発目が来た。三発目。四発目。

長い腕は、振るというより、置くだけで届く。太郎の顔、肩、胸、脇腹。引かれては、別の角度から降ってくる。太郎は肘を胸に寄せ、顎を引いて、耐えた。耐えるうちは、倒れない。が。最初の一発が、足に残っていた。



膝が、笑った。



「・・・太郎」


マリアの声が、漏れた。

組み合ったままの門下生たちからも、どよめきとも悲鳴ともつかない、細い息が、あちこちで洩れる。


リョクシが、静かに言った。


「あの腕は、間合いの差じゃない。逃げ場の数の差だよ。どちらへ避けても、そこがもう射程の中なんだ」


ラカは、その声を、拾っていた。

たとえ微かでも、悲鳴の音は聞き分けられる。何十回、何百回と、こういう場を見てきたからだ。




(小さいってのは、いいよな)

胸の中で、ラカは吐き捨てた。

(ヤンキー更生物語みたいにな。何事も、正しくやった分だけ、でっかく評価される。こんな大きい俺を倒したなら、大番狂せだ、ジャイアントキリングだ、ってな。大会でやりゃ、勝っても負けても絵になるんだから)

飽き飽きしていた。

その飽きた顔のまま、ラカは、太郎の拳を見ていた。



太郎の右が、伸びた。

拳が、ラカの鳩尾に入った。

入ったが、ラカは、笑った。


「いいぞ。もっと来い」


打つ。打ち返される。太郎の拳が胸を叩き、ラカの拳が肩を叩く。互いの腕が、互いの体のあちこちに音を立てて叩きつけられ、どちらの息なのか、庭の誰にも分からなくなる。


ただ。


ラカのほうが、上手だった。



太郎の拳が、わずかに大きく振られた。


ラカは、その腕を、掴んだ。引いた。


太郎の体が、前へ、倒れる。


膝をついた太郎が、起き上がろうと手を地面に着いたとき、その首根っこを、巨きな手が、掴んだ。


持ち上げられた。足が、宙に浮いた。



放られた。



太郎の体が、ラカの頭の高さまで、軽々と舞った。

宙に浮いた体の、その顔の真ん中へ。

ラカの掌が、平手で、突き込まれた。



ごっ


そのまま、押された。

背中から、地面に、押し倒される。後頭部が砂を打ち、ラカの掌は、顔を押さえたまま、離れなかった。


どさっ


組み合ったままの門下生たちから、声にならない音が、いくつも漏れた。誰かの口の端が、激痛を知っている者のように歪んだ。誰もが、自分の背中に、その痛みを思い出していた。


太郎は、仰向けのまま、動かなかった。



「わかったか。これが現実だ」



ラカは、見下ろしたまま言った。



「ズブズブと半端にしたいなら、とっとと失せな」



「・・・」



返事は、なかった。



「ちっ。こんなんで折れる、甘ちゃんが」



ラカは、顎で、近くの門下生をしゃくった。



「おいこら。さっさと、こいつを階段へ投げ込んでやれ」



睨まれた門下生が、組んでいた相手の手を外した。すぐさま、走り出す。

慣れた動きだった。

言われてからではなく、言われる前から、体が向かっていた。何度も繰り返された、慣例の流れなのだろう。門下生の顔が、そう物語っていた。


「くっ」


ランが、前に出ようとした。睨む目が、庭の砂を貫いている。

その服の裾を、リョクシの手が、掴んだ。

ランは、振り払わなかった。が。足は、止まらない。



「・・・」



「まだじゃ」



声が、したのは、地面からだった。

太郎が、体を回した。仰向けから、うつ伏せへ。膝を折り、両手を着き、四つん這いになる。

鼻から落ちた血が、砂に黒い点を作った。

駆け寄っていた門下生の足が、止まった。

ラカの片眉が、動いた。



「ふん」



蹴りが来た。

四つん這いの太郎の顔を狙う、下から掬い上げるような足だった。

その蹴りの動作に合わせて、太郎が、飛び込んだ。



蹴りが空を切る。足を振り上げたラカの懐に、太郎の顔があった。

掌の側面を、ラカの顔面に、落とす。手刀。



ラカは、左腕を上げた。ガードする。手刀を弾き、流す。

流れた勢いのまま、太郎の体は、ラカの胴へぶつかった。


ごっ


太郎の右腕が、ラカの懐に、入っていた。

ラカの上半身が、わずかに反った。が。ダメージは、ない。

太郎は、追撃の構えを取った。

が。ラカの乱打のほうが、速い。


ばん、ばん、ばん、ばしん


体幹も、足腰も、これまでの研鑽と、日々の稽古の積み重ねが、そのまま出る。連打が、少しも揺れない。ラカの足元の砂は、一粒も、動いていなかった。


太郎は、構えを低く、強く取った。


腕を畳み、頭を腕の内側へ入れ、肘を胸に寄せる。降ってくる打撃のすべてを、腕と背中に預けて、受ける。


腕が、しびれてくる。


その、ひたすらの耐えのなかで、太郎は、ひとつの部分だけを、見ていた。


ラカの腰だった。


連打の最中、ほんの少しだけ、太郎のガードの腕が、下がった。


しびれた腕が、受けた衝撃の重さに、一寸、負けた。


ラカは、その隙を、見逃さなかった。


来た。


下から、拳が、顎を目掛けて、突き上がる。アッパーカット。

太郎の顔が、大きく、上を向いた。

仰け反った顔のまま、庭の誰もが、決着を見たと思った。



だが。



その、仰け反る動きのなかで。

太郎の両腕は、ラカの腰に、絡みついていた。



「・・・っ」



ラカの目が、見開かれた。

太郎が、体を回した。腰を落とし、地面を掴むように足を踏み替え、自分の体全部を、ラカの腰の下に潜らせる。


ラカの体が、前へ、のめった。


巨体が、前のめりに、傾いていく。

その傾きに乗せて。

ラカは、とっさに、右の拳を振りかぶった。倒れる勢いのすべてを、乗せて。

太郎の顔面へ。



ごっ



鮮血が、飛び散った。

庭の、誰かが、息を呑んだ。

太郎の鼻から、頬から、赤い飛沫が、白い砂へ、ばらばらと落ちる。


それでも。

太郎は、手を、離さなかった。

歯を食いしばった口の端から、血の混じった息が、漏れる。



「・・・ぅ、おおおっ!」



腰が、跳ね上がった。

ラカの巨体が、宙に、浮いた。

そのまま、投げ飛ばした。





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