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深山幽谷  作者: 真亭甘
42/55

前庭


今度は、一段飛ばしで登った。



上の端が見えたのは、それからずいぶん登ってからだった。

マリアの息が上がっていた。吸うたびに、喉の奥が痛む。太郎の額が、門の男を受けたところが、汗で赤く光っていた。


リョクシは、段の数を口にしなかった。

ランは、上の端で待っていた。息は乱れていない。こちらを見てはいなかった。段を登りきった先の、平らなところを見ていた。

マリアが最後の段に足をかけ、顔を上げた。

空の下半分が、屋根だった。





屋根の手前に、庭があった。

山の肩を切り崩して均した、広い前庭だった。地面は踏み固められた土で、ところどころに砂が撒いてある。石段は、その庭の左の手前の端に上がりついていた。

屋根は、庭を挟んだ真向かいの、奥の建物のものだった。


横に長い。端から端まで歩けば、百歩ではきかないだろう。庭に面した板戸は、すべて外されていた。中は、板の間が奥まで続いている。人が、並んで膝を立てていた。

庭では、人が組み合っていた。


十組では足りなかった。二人ずつ組になって、庭の端から端まで散らばっている。肩で当たる者。腰を落として押し合う者。一方が倒れると、倒した者が手を差し出し、起き上がった者がそのまま、また肩から当たっていく。


段の途中で聞いた重い音は、ここではもう、膝には来なかった。腹に来た。

庭の端近くで、あの乾いた音がした。投げられた者が、背中から地面に落ちていた。落ちたのは、石段の上の端から十歩と離れていないところだった。

そのどれとも違う音が、一度だけ鳴った。


庭の隅で、組んでいた二人のうち一人が、真後ろへ飛んでいた。落ちたところで、撒かれた砂が浅く跳ね上がった。飛ばしたほうは、拳を突き出した形のまま動かなかった。


近くで組んでいた何組かが、手を止めて振り返った。それから、何ごともなかったように、また組み直した。





「……これが、稽古か」



マリアが言った。声が、息に混じってかすれていた。



「稽古だよ。まだ、朝の」



リョクシが、マリアの横に並んだ。



組み合っていたひとりが、押し込まれて下がってきた。マリアのつま先の半歩先で踏みとどまる。マリアのほうは見なかった。そのまま、相手へ当たり返していった。


さっき落ちてきたエルフが、庭の真ん中へ駆け戻っていくのが見えた。額に砂をつけたまま、自分を投げた相手の前に立ち、頭を下げる。相手が、構えた。

太郎は、そちらではない方を見ていた。



「……組んじょらんのが、三人おる」



庭の左の奥。建物の前に、三人が固まっていた。


ひとりは、建物の軒下の段に腰を下ろし、膝に肘を乗せていた。遠目にも、腕の太さが分かる。


ひとりは、その前に、庭へ向いて立っていた。そのそばを通る者の頭は、どれも男の胸までしか届いていなかった。


ひとりは、建物の端の岩に、ひどく細い体を斜めにもたせかけていた。組み合っている者のほうを、見ているのかいないのか分からない。


三人とも、稽古には加わっていなかった。ときどき誰かに短く声をかける。声をかけられた者は、組み方を変えた。



「……あれか」



ランが言った。

太郎は、答えなかった。

マリアはリョクシを見た。

リョクシは、三人のうちの誰も見ていなかった。

建物の右の端を見ていた。

何も言わなかった。





坂は、最後まで緩やかだった。

山の肩を二度巻いたところで、道は石を積んだ台に行き当たって終わっていた。台は、前庭の右の端の上に張り出していた。縁から先は庭へ向かって切り落としになっていて、柵はない。縁の端から、急な石段が一本、庭の奥の建物のほうへ降りていた。

台の下に、庭が見えた。

庭より、わずかに高い。屋根にさえぎられずに、庭の全部が見下ろせた。



「あら」



アミが、台の縁まで歩いていった。



「こっちのほうが、よっぽど見晴らし台ねぇ」


「ここ、柵がありません」



ユキは、縁から三歩離れたところで足を止めた。



「だから、誰もいないのねぇ」



アミは縁に腰を下ろし、足を縁の外へ垂らした。

マリが、アミの後ろの岩に荷を下ろした。日傘を、ユキの頭の上から少しずらす。ユキの肩とアミの背中の、両方にかかる角度だった。

庭の音は、台の下から上がってきた。組み合う二人がぶつかるたびに、腰を下ろした縁の石が、かすかに響いた。



「ほら、着いてる」



アミが指を差した。

石段の上の端に、四人が立っていた。ここからでは、顔までは見えない。ただ、いちばん背の高いのが一歩前にいて、いちばん低いのが、その横で額に手を当てていた。



「指を差さないでください」


「見えやしないわよぉ、あんな遠くから」



アミは指を下ろさなかった。そのまま、指の先を庭の左の奥へ移していく。

ここからだと、三人の置き方がよく分かった。三人は固まっていたが、顔の向いている先が、それぞれ違った。三つの向きを合わせると、庭のどこで誰が倒れても、三人のうちの誰かの目の中にあった。



「……いい腰ねぇ。あの細いの」


「アミ」


「見てるだけよ」



細い男が、首をこちらへ回した。

庭を挟んで、顔が向き合った。遠すぎて、目は見えなかった。見えなかったが、顔は、たしかにこちらを向いて止まっていた。

アミは、差していた指を開いて、手を振った。


ユキが、その手首を掴んで下ろさせた。

細い男は、岩にもたれたまま、片手を顔の横まで上げた。手のひらを見せるだけの、力の入っていない上げ方だった。



「……見られましたね」


「見せたのよ」



細い男は手を下ろし、首を戻した。

戻した顔は、庭の中では止まらなかった。前庭の端を越えて、石段の上の端のところで止まった。



「……あら。本命は、あっちなのねぇ」



アミは、垂らした足を揺らした。

マリが、黙って日傘の角度を直した。台の下から上がってくる音が、また一度、重く鳴った。




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