石段
真ん中の口の暗がりに、背中が四つ入っていった。
いちばん後ろの背中が見えなくなると、門の前の広場には、柱の根元に座った男だけが残った。
「行っちゃったわねぇ」
アミは柵に肘を置いたまま言った。
ユキが、口に当てていた手ぬぐいを外し、畳んで懐へしまった。それから、見晴らし台の奥へ目をやった。
客の列は、ここで終わってはいなかった。柵の切れ目から先へ、岩肌に沿って細い坂が延びている。ここまでの坂よりさらに緩く、山の肩を巻きながら、奥へ奥へと登っていく道だった。
「わたしたちは、ゆっくりこちらの坂から参りましょう」
「あの子たちと同じ道じゃないの?」
「同じ道を行ったら、同じ目に遭います」
「それが見たいのに」
「見るのと遭うのは、違います」
マリが、冷めかけた香炉を布でくるんで荷に戻した。荷を背負い直し、畳んであった日傘を開いて、ユキの頭の上へ差しかける。
アミは柵から肘を離した。すれ違いざま、見張り番が取り落とした棒を、つま先で持ち主のほうへ転がしてやる。
見張り番は、棒を拾わなかった。三人の背中が坂の奥へ入っていくのを、座ったまま見送っていた。
暗がりの床は、数歩で段になった。
一段の高さが、膝の半分ほどある。奥行きは、足を横に向けてやっと載るくらいしかない。
マリアが壁に手をついた。石は、朝の外気より冷たく、薄く濡れていた。離した指先が、黒ずんでいた。
四角い明るさは、登るにつれて大きくなった。最後の段の上で、それは空になった。
外は、山の腹を削って通した細い道だった。
右手は岩壁。左手には柵も縄もなく、そのまま谷へ落ちている。見下ろした谷の底は、まだ日陰のままだった。
道は岩壁に沿って一度だけ大きく曲がった。
曲がった先に、石段があった。
下から見上げると、段は登るにつれて細く見え、細くなった先で空に消えていた。上の端は見えない。段の両脇にも、手をかける縄や杭はなかった。
この石段には、手すりをつけないことになっている。
つけたことは、一度だけあった。つけた翌年、外してほしいと願い出たのは門下生のほうだった。三日座り、半月水を担ぎ終えてなお、この段の途中で膝を折る者がいる。そういう者が縄にすがって登りきっても、上で立っていられない、というのがその理由だった。
手すりを外した年、段の途中で座り込んだまま日が暮れた者が三人いた。三人とも、翌朝には山を下りていた。
ランが、段に足をかけた。
誰にも何も言わなかった。
太郎は、ランを追わなかった。一段ずつ、膝に手を当てずに登っていく。
マリアがそのあとに続き、リョクシがいちばん後ろについた。
「……手すりも、ないのか」
十段ほど登ったところで、マリアが言った。
「つかまる物があると、つかまってしまうからね」
リョクシが、後ろから答えた。
上から、音が降りてきた。
谷から吹き上げる朝の風が、段を這い上がっていく。その風に逆らって、上のほうから届いていた。
重い音だった。耳より先に、段を踏む膝へ来る。間を置いて、もう一度。
その合間に、別の音が混じった。重い音よりずっと短く、乾いていた。
「重いほうは、肩で当たっちょる」
太郎が、登る足を止めずに言った。息が、ひとことごとに切れていた。
「当たったまま、どっちも退いちょらん。……乾いたほうは、わからん」
「乾いたほうが、さっきから少しずつ近くなっている」
リョクシが言った。
「近くなると、どうなる」
マリアが訊いた。リョクシは答えなかった。上を見ていた。
叫び声がした。
上から、近づいてくる。言葉にはなっていなかった。
段が細くなって空に消えるあたりから、人がひとり飛び出してきた。足からではない。背中を丸め、頭を両腕で抱え込んだ形のまま、宙を来る。十段ぶんほど段を飛び越えて落ち、落ちたところで跳ねて、また転がった。
ランは、先頭にいた。
転がってくるものを見たまま、段の端へ半身をずらした。それだけだった。人の体が、ランの膝の横をかすめて過ぎていった。
「おい!」
マリアが声を上げたときには、太郎が段の真ん中に立っていた。
膝を落とした。右の肩を、わずかに前へ出す。
転がってきた体が、その肩に入った。
太郎の足は止まらなかった。受け止めた体を胸と両腕で抱え込んだまま、一段、上へ足を運んだ。
抱えられたまま、落ちてきた者が顔を上げた。
エルフだった。痩せた若い男で、耳の先が、髪から長く突き出している。額と頬骨のあたりが擦り剥け、そこだけ砂が貼りついていた。
「……何段、落ちた」
男は、礼より先にそれを訊いた。
「わしのとこまでで、三十と少しじゃ」
「……前より、少ない」
男は太郎の腕をほどき、段に手をついて立ち上がった。膝が一度だけ折れかけ、折れなかった。
それから、段の上のランを見上げ、下のマリアとリョクシを見下ろし、最後に、すぐ横の太郎を見た。
何か言いかけて、やめた。上を向く。
男は、来た段を駆け上がっていった。一段飛ばしで、段の細くなるあたりまで、一度も手をつかなかった。
「投げられ慣れちょる」
太郎が、男の背中を見上げたまま言った。
「落ちる前から、首を抱えちょった。自分がどこへ放られるか、放られる前にわかっちょる」
「投げられて、また戻るのか」
ランが言った。
「お前なら、戻らないのか」
マリアが訊いた。
「投げられねぇ」
ランは、それだけ言って段に向き直った。




