三門-2
ユキが、門の前から一歩下がった。
「わたしたちは、見学ですから」
アミは香木の包みを掌の上で弾ませ、坂の上を見上げた。
「そうねぇ。見学なら、見える席でなくちゃ」
三人は客の列の脇を抜けて、坂を登りはじめた。
坂は山の斜面を二度折り返した。三度目の折り返しの先で、道が平らになった。
岩を削って谷側へ突き出させた平らな場所が、谷の奥へ向かって細長く延びている。崖の縁には丸太の柵が一本渡してあり、その柵の真下が、三門の屋根だった。
柵に張りついた者だけが、屋根の先まで見下ろせる。門の前の広場も、そこに立つ者の顔も見える。一歩下がれば、見えるのは屋根だけになる。
その柵に、人が三列に重なって張りついていた。背の低い者は、前の者の肩越しに首を伸ばしている。後ろの者は、岩の出っ張りに乗っていた。
人垣の端には、棒を持った見張り番が一人。横から割り込もうとする客の胸を、棒を横にして押し返していた。
「……いっぱいですね」
「そうねぇ」
アミは柵に近づかなかった。坂の出口に転がっていた石に腰を下ろし、人差し指を口に含んで濡らしてから、顔の前に立てた。
「そこ、いちばん見えない場所ですよ」
「いまはね」
谷の底には、まだ陽が届いていない。陽を浴びているのは、見晴らし台のある斜面の上のほうだけだ。
濡れた指の、谷の奥を向いた側だけが冷たかった。そちらから、風が当たっている。夜のあいだ、山から谷へ吹き下りていた風だ。それが、まだ残っている。
いま香を焚けば、煙はこの風に押されて、斜面を伝って下へ流れ落ちる。落ちた先が、門の前だ。ランと太郎が立っている。
アミは指を立てたまま、動かなかった。ユキも、それ以上は訊かなかった。
マリが荷を下ろした。蓋のついた小さな香炉を取り出し、アミの脇の石に置く。灰の中の炭には、宿を出る前から火が入れてあった。
坂の下から、枯れ草の切れ端がひとつ、転がって上がってきた。
アミの指の、冷たい側が入れ替わった。風の向きが、逆になっていた。
「上がってきた」
日の当たりはじめた斜面は、谷の底より先に温まる。温まった空気は、斜面を這って登っていく。朝のうちに一度だけ、風はそうして、下りから登りへ向きを変える。
アミが腰を下ろしていたのは、その登り風がいちばん先に通る場所だった。
柵に並んだ背中は、ひとつ残らず、煙の流れていく先にある。門は、煙の来ない側になった。
アミは包みを開き、香木を指で折った。乾いた枝のようには折れない。脂を含んだ木の筋が、ねじ切れるように裂けた。
香炉の蓋を外し、ひと欠けを灰の上に置く。もうひと欠け。三つ目を置こうとしたところで、ユキが言った。
「それ、焦げます」
「焦がすのよ」
「お高かったんですよ」
「高いのは、焦がしても高い匂いがするの」
「……軽くにしてください。目が覚めたときに、騒がれない程度で」
「日向でうたた寝したくらいにしてあげる」
ユキは畳んだ手ぬぐいを出し、鼻と口に当てた。マリも、黙って同じようにした。
香木の端から、細い煙が立った。煙は、真っ直ぐには昇らない。斜面に寝そべるように這い、柵に沿って谷の奥へ流れていく。並んだ背中を、後ろから順に包んでいく。
下の門へは、ひと筋も落ちなかった。
アミは香炉の上に掌をかざした。何も言わなかった。煙の色がわずかに薄くなり、薄くなったぶん、匂いが重くなった。
煙の通った順に、人が落ちていった。
最初は、香炉にいちばん近い男だった。柵の端で、岩の出っ張りに乗っていた男だ。
膝から先に力が抜けた。こぶから滑り降り、そのまま尻をつく。柵の丸太に、頭をもたせかけた。
目は開いている。下の門を見ている顔のまま、口だけが半分開いていた。
次が、その隣の女だった。男を見下ろしたまま、手にしていた干し果物の袋を落とす。拾おうとして屈み、かがんだところで止まって、膝を折った。
その次で、見張り番が振り返った。
「おい、そこ――」
見張り番は、誰も張りついていない柵の端へ棒を向けた。そこにいない客の胸を、棒を横にして押し返す。もう一度、押し返した。
それから、棒の先がゆっくり下がった。先が岩につく。見張り番は棒を杖にしたまま柵にもたれ、腰を落とした。
三列の人垣は、端から順にほどけていった。倒れる者はいなかった。長く歩いたあとで休むときのように、誰もがその場へ腰を下ろしていく。
騒ぐ者もいなかった。騒ぐための息を、誰も吸い込まなかった。
柵の前が、端から空いていく。それでもアミは立たなかった。
門を真下に見下ろせるのは、柵のちょうど真ん中の、三人ぶんだけだ。そこにはまだ、年寄りと、若い男と、干し果物の女が座っている。
ユキが、手ぬぐいを当てたまま歩いていった。
「失礼します」
年寄りの脇に腕を差し入れ、引きずらずに岩壁の日陰まで運ぶ。杖を握らせ直し、裾を膝の下へ入れてやった。
戻って、若い男。もう一度戻って、女。三人とも日の当たらないところへ、柵から同じだけ離して並べた。
マリは、三人が落とした荷と袋を拾い、それぞれの膝の上に載せた。それから香炉を提げて、あとに続く。座り込んだ客の足をまたがずに回り込み、空いた柵の足元に置いた。
「……三人ぶん、空きました」
「ちょうどよ」
アミは石から立ち上がり、真ん中の空いたところに肘を置いた。
真下に、三門の屋根の端がある。その先に、門の前の石の広場が見えた。
腰を沈めた大男と、その前で、さらに低く沈んだ小さな男と。少し離れて、背の高い男が立っていた。
「特等席ねぇ」
坂の途中で足を止めていた客が何人か、見晴らし台を見上げた。さっきまで三列に重なっていた人垣が、いつのまにか低くなっている。
首を傾げる者はいたが、登ってくる者はいなかった。坂の途中からでも、門はよく見えた。
三人の背中が坂の最初の折り返しに消えたころ、太郎が、ランの腰に掌を当てた。
軽く押しただけだった。ランの体が、半歩ずれた。空いたところへ、太郎が入った。
「……おい」
「小兵と言われたんは、わしじゃ」




