門前町
段は、町の中でもまだ続いていた。
「登るほど、売り物が減るね」
リョクシが言った。下の段には草鞋も鍋もあった。上に残るのは、傷に使うものと打たれるためのものだけだ。
薬種の店は、戸口に草を吊るしていた。店主は客の顔を見ず、差し出された手の甲だけを見て包みを選ぶ。土間には膏薬の樽が並び、晒しが束のまま積んである。
その隣が武具の工房だった。奥で火を使っている。表に出ているのは刃物ではなく、当て革と帯と、握りの太い棒ばかりだ。
「刃は」
マリアが訊いた。
「置いてない。上で要らんからな」
通りの真ん中で、人が輪を作っていた。
輪の中で、獣人とエルフが組んでいた。獣人のほうが頭ひとつ大きい。エルフは足を踏み替えず、腰から下だけを落として耐えている。輪の外から、銭と食い物が飛んだ。
ランが足を止めた。
止めただけで、すぐに歩き出した。
「見ねぇのか」
ハヤトが訊いた。
「あれは食い物がかかってる。俺のじゃねぇ」
ハヤトは一軒の宿の前で、名も言わずに手を上げた。出てきた女将が、その顔を見た。
「戻ったのかい」
「戻った」
「部屋は空いてる。湯も出てる」
ハヤトは振り返った。
「今夜はここだ。明日の朝、三門へ行く」
アミたちは町を端から潰していった。ユキが払い、マリが荷を提げ、アミが選ぶ。香木の店では長かった。店主の出したものを三度突き返し、四つ目を鼻先で止めた。
「これ」
「お高いですよ」
「知ってる」
ユキが黙って銭を出した。
飯屋は、段の踊り場をそのまま店にした造りだった。卓が三つ。屋根は隣の家の床だ。
ランは麺と肉と、名の分からない煮物を順に空にして立ち上がり、そのまま出ていこうとした。
「ラン」
ランが戸口で止まった。
「座れ。まだ終わってない」
「食ったぞ」
「食ったら金を置く」
「なんで、食った後に物を渡すんだ」
店の親父が手を止めていた。怒ってはいない。
マリアは卓に銭を並べ、指で数えて、ひとつ足した。
ランは、置かれた銭より、隣の卓の椀を見ていた。
リョクシは椀を持ったまま、湯気の向こうの通りを見ていた。
「妙な町だね」
「どこがだ」
「畑がない。水も、下の谷から引くしかない。それでも人が減らない。この町は、山に登る人間に食わせてもらっているんだ」
リョクシは椀を置いた。
「悪趣味な話だな」
「そうだね。でも、隠していないのが良い。下の家の屋根が、上の家の庭になっている。踏まれる側が、踏む側の足場を葺いているんだ」
マリアが、登ってきた段のほうへ顎をしゃくった。
「あの薬屋、膏薬を樽で置いてた。晒しも束で積んである」
「町ひとつぶんの怪我人が、毎日出てるってことだ」
太郎は、まだ食っていた。小さな椀を三度替え、そのたびに同じ速さで箸を動かす。
「あんた、よく入るな」
「入るんじゃない」
太郎は箸を置かずに答えた。
「入れちょくんじゃ。明日食えるとは限らんき」
ランは太郎の手元を見ていた。それから、親父に空の椀を差し出した。
宿の二階は、板の間に寝床を並べただけの部屋だった。ハヤトは壁に背をつけて動かない。ナトは向かいで膝を抱えていた。
「明日から、何をやるんだ」
「待つ」
「待つ?」
「三門の前で三日座る。飯は出る。誰に何を言われても答えるな」
「三日目に、まだ座ってた奴だけが水を担ぐ」
「水」
「下から担ぐ。上まで運んで、また下りる。半月はそれだけだ」
「稽古は、担がなくなってからだ。順に教わって、順に打たれる。飛ばせねぇ」
「太郎さんやランは」
「あいつらは挑戦者だ」
ハヤトは天井を見たまま言った。
「道場は通らねぇ。真っ直ぐ登って、上にいる奴に挑む。……別の道だ」
「どっちが早い」
「挑戦者だ。だが、途中で止まったら終いだ。俺たちは止まっても、明くる日また担げる」
「……ランも、挑戦者なのか」
「知らねぇ。門番があの板に何を刻んだか、俺にも見えてねぇ」
それきり、ハヤトは喋らなかった。
「ナト」
ナトが顔を上げた。
「上の四人のうち、ひとりだけ名を教えとく」
「……なんで、ひとりだけなんだ」
ハヤトは寝床へ横になり、腕を目の上に乗せた。
「オリアス」
答えになっていなかった。ナトは、その名を繰り返さなかった。繰り返してはいけない気がした。
湯は、宿の裏の岩の割れ目から出ていた。流れてくるまでに冷めるので熱くない。長く浸かるためのものだ。
アミは真っ先に肩まで沈み、真っ先に浮き上がった。
「……落ちちゃった」
「何がです」
「薫り。三日かけたのに」
アミは濡れた腕の匂いを嗅ぎ、隣のユキの首筋に鼻を寄せた。
「離れてください」
「あなた、湯に入ると甘くなるのねぇ」
「湯に入れば誰でもそうです」
アミの指がユキの鎖骨をなぞり、肩まで行って止まった。ユキが動かなかったからだ。
代わりに、湯の向こうへ目を移した。
マリは岩にもたれて目を閉じていた。湯気で髪が顔に貼りついている。首から下は、湯の中でほとんど形が見えない。
「マリちゃんは、ずるいわねぇ」
マリは目を開けなかった。
アミはしばらく待って、それから岩の縁に頬を乗せた。
「ねえ、ユキちゃん」
「なんです」
「優勝したあの子、あたしの匂いで一度も目つきが変わらなかったのよ」
ユキは答えなかった。
「十年で、ふたり目」
アミは湯を掬って、顔にかけた。
「だから来たの。上に何がいるか、見たいじゃない」
朝の町は静かだった。店はどこも戸を開けていたが、誰も呼び込みをしない。
坂を登りきると、正面が開けた。
門があった。
下の総門より、はるかに大きい。屋根が谷の上へせり出し、見上げると空を半分塞いでいる。
柱の間は三つに区切られ、どれも開いていた。三つとも同じ暗さで、奥が見えない。
「……三つ」
ナトが呟いた。
ハヤトは何も言わなかった。ただ、いちばん右の暗がりを見ていた。




