総門
道が二つに分かれてから、四日が過ぎていた。
谷は日ごとに狭くなっていった。空は両側の岩壁に削られて、細い帯になっている。川の音は上から降ってくるのに、水そのものはずっと下だった。
町を出て九日目の昼、その帯の先が塞がっていた。
「着いたぞ」
ハヤトが言った。
谷の突き当たりに、門があった。
岩と岩の隙間を、そのまま木で埋めたような門だった。屋根は瓦ではなく、厚い板を何枚も重ねて石で押さえてある。柱は、大人が三人がかりでようやく腕が回る太さだった。雨と煙に晒され続けた木の色は、もう黒に近い。扉は開いていた。閉じた跡だけが、敷居の石に残っている。
その左右に、男が一人ずつ立っていた。
どちらも背は高くない。太郎より半分くらい高い程度だった。ただ、腕が違った。袖のない上衣から出た二の腕は、荷を担ぐ者の腕ではなく、荷を止める者の腕をしている。二人とも、武器を持っていなかった。
ハヤトが荷を下ろした。
「覚悟は良いか」
誰にともなく、そう訊いた。
「なんの覚悟だ」
「特にないが、確認だ」
「それだけか」
「それだけだ」
ランは門を見上げた。見上げてから、一度だけ足の裏を地面に押しつけた。
「言い直す気はねぇ」
「そうだろうな」
ハヤトは門番の前に立ち、首の木札を外して差し出した。ナトは紐を解くのに少し手間取った。札を渡してから、何もなくなった胸元に一度だけ手をやった。
左の門番が二枚を受け取り、裏を返して、指の腹で表を撫でる。目では見ていなかった。
「戻り一名。新入り一名」
「連れは」
「七名」
ハヤトは振り返らずに答えた。
「大会の関係者だ。……名乗りは、本人にさせる」
右の門番が、板を膝に乗せた。
ユキが前に出た。横でマリが日傘を畳んだ。
「わたしたち三人は、道場の見学と、山の見物です。修行には加わりません」
「そっちの四人は」
太郎が一歩出た。
「挑む」
「一名」
「見に来た」
リョクシが言った。
「登れるところまでで構わない」
「客が二名か」
「一名だ」
マリアが遮った。
「あたしはこいつの連れだ」
「連れは名乗りではない」
マリアが黙った。喉のところで、襟の引き手が止まっていた。
「……なら、客だ」
板を刻む音が、そこで止まった。最後の一人が、まだ何も言っていなかった。
「お前は」
ランは門を見上げたままだった。
「ラン」
「それは名前だ。何をしに来た」
「飯を食いに来た」
門番はしばらくランを見ていた。それから板に何かを刻んだ。何と刻んだのかは、誰にも見えなかった。歓迎の言葉も、断りの言葉もなかった。
リョクシが柱に手を触れた。
「入口だと聞いたよ」
「そう聞いたなら、そうだ」
「では、この山の名は」
答えたのは、ハヤトではなかった。
「エストレスは山脈の名だ。外から、遠くの山並みをまとめて呼んでいる」
門番は、門の内側の斜面を顎で示した。
「門の内では、この一峰だけを霊峰山と呼ぶ。ここから上は、そっちの名の場所だ」
「名を、内と外で分けているのか」
「分けてはいない。外の者が知らんだけだ」
くぐった先は、すぐ登りだった。
石を割って敷いた段が、谷の奥へ折れながら続いている。段の高さが揃っていない。低いのと高いのが不揃いに混じり、五段ごとに踏み替えの拍子が崩れるようにできていた。
「これで足を痛める奴が、毎年出る」
「ええ段じゃ」
太郎が見上げた。
「これを毎日上り下りするだけで、腰ができるき。……こしらえた奴は、相当いやらしいのう」
ランは崩れなかった。段を見もせずに、二段ずつ抜いていく。誰より先に。
登りきると、町があった。
谷の腹を削って無理に平らにした土地に、屋根が段違いに重なっている。下の家の屋根が、そのまま上の家の庭になっていた。
売っているものは、どこも似ていた。晒し、膏薬、木刀、草鞋、そして飯。
「もう歩けない」
アミが言った。言い終わる前に、マリアの背中に体重を預けていた。
「離せ」
「無理よ。あたし、坂に弱いの。……ねえ、あなた温かいわねぇ。その軍服、下はどうなってるの」
「離せと言った」
アミの指が、マリアの襟の引き手にかかった。かかっただけで、畳んだ日傘の先が、その甲を下から弾いた。マリだった。
「マリちゃん、痛い」
マリは何も言わない。傘を杖のように突き直しただけだった。
「アミさん」
ユキの声は大きくなかった。が、段の上で荷を積んでいた男が二人、手を止めてこちらを見た。面白がる目ではなかった。
「門で、見学だと申し上げました」
「……言ったわねぇ」
「見学の客が、門の内側で騒ぐんですか」
アミはマリアから離れ、髪を直した。それから、見ていた男たちに向かって片手を振ってみせた。男たちは慌てて荷に向き直った。
「……怖い子」
マリアが言った。誰のことなのかは、言わなかった。襟の引き手を、いちばん上まで戻した。
ランは、その騒ぎを見ていなかった。
飯の匂いのする方へ、もう三軒ぶん先へ進んでいた。
「おい。勝手に行くな」
マリアが呼んだ。
ランは振り返らずに、足の裏を石段へ押しつけた。二度、三度。
まだ、鳴らなかった。石は、土とは返し方が違った。
リョクシは、いちばん高い段から谷を振り返っていた。
くぐってきた門が、下に小さく見えた。
「……なるほどね」
羽衣の裾を直しながら、誰にともなく呟いた。
「出口というものは、いつもこちら側にしかない」




