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深山幽谷  作者: 真亭甘
34/54

総門

道が二つに分かれてから、四日が過ぎていた。

谷は日ごとに狭くなっていった。空は両側の岩壁に削られて、細い帯になっている。川の音は上から降ってくるのに、水そのものはずっと下だった。

町を出て九日目の昼、その帯の先が塞がっていた。



「着いたぞ」



ハヤトが言った。

谷の突き当たりに、門があった。

岩と岩の隙間を、そのまま木で埋めたような門だった。屋根は瓦ではなく、厚い板を何枚も重ねて石で押さえてある。柱は、大人が三人がかりでようやく腕が回る太さだった。雨と煙に晒され続けた木の色は、もう黒に近い。扉は開いていた。閉じた跡だけが、敷居の石に残っている。


その左右に、男が一人ずつ立っていた。

どちらも背は高くない。太郎より半分くらい高い程度だった。ただ、腕が違った。袖のない上衣から出た二の腕は、荷を担ぐ者の腕ではなく、荷を止める者の腕をしている。二人とも、武器を持っていなかった。



ハヤトが荷を下ろした。



「覚悟は良いか」



誰にともなく、そう訊いた。



「なんの覚悟だ」


「特にないが、確認だ」


「それだけか」


「それだけだ」



ランは門を見上げた。見上げてから、一度だけ足の裏を地面に押しつけた。



「言い直す気はねぇ」



「そうだろうな」



ハヤトは門番の前に立ち、首の木札を外して差し出した。ナトは紐を解くのに少し手間取った。札を渡してから、何もなくなった胸元に一度だけ手をやった。



左の門番が二枚を受け取り、裏を返して、指の腹で表を撫でる。目では見ていなかった。



「戻り一名。新入り一名」



「連れは」



「七名」



ハヤトは振り返らずに答えた。



「大会の関係者だ。……名乗りは、本人にさせる」



右の門番が、板を膝に乗せた。



ユキが前に出た。横でマリが日傘を畳んだ。



「わたしたち三人は、道場の見学と、山の見物です。修行には加わりません」






「そっちの四人は」



太郎が一歩出た。



「挑む」



「一名」



「見に来た」



リョクシが言った。



「登れるところまでで構わない」



「客が二名か」



「一名だ」



マリアが遮った。



「あたしはこいつの連れだ」



「連れは名乗りではない」



マリアが黙った。喉のところで、襟の引き手が止まっていた。



「……なら、客だ」



板を刻む音が、そこで止まった。最後の一人が、まだ何も言っていなかった。



「お前は」



ランは門を見上げたままだった。



「ラン」



「それは名前だ。何をしに来た」



「飯を食いに来た」



門番はしばらくランを見ていた。それから板に何かを刻んだ。何と刻んだのかは、誰にも見えなかった。歓迎の言葉も、断りの言葉もなかった。



リョクシが柱に手を触れた。



「入口だと聞いたよ」



「そう聞いたなら、そうだ」



「では、この山の名は」



答えたのは、ハヤトではなかった。



「エストレスは山脈の名だ。外から、遠くの山並みをまとめて呼んでいる」



門番は、門の内側の斜面を顎で示した。



「門の内では、この一峰だけを霊峰山と呼ぶ。ここから上は、そっちの名の場所だ」



「名を、内と外で分けているのか」



「分けてはいない。外の者が知らんだけだ」





くぐった先は、すぐ登りだった。

石を割って敷いた段が、谷の奥へ折れながら続いている。段の高さが揃っていない。低いのと高いのが不揃いに混じり、五段ごとに踏み替えの拍子が崩れるようにできていた。




「これで足を痛める奴が、毎年出る」



「ええ段じゃ」



太郎が見上げた。



「これを毎日上り下りするだけで、腰ができるき。……こしらえた奴は、相当いやらしいのう」



ランは崩れなかった。段を見もせずに、二段ずつ抜いていく。誰より先に。



登りきると、町があった。



谷の腹を削って無理に平らにした土地に、屋根が段違いに重なっている。下の家の屋根が、そのまま上の家の庭になっていた。



売っているものは、どこも似ていた。晒し、膏薬、木刀、草鞋、そして飯。



「もう歩けない」



アミが言った。言い終わる前に、マリアの背中に体重を預けていた。



「離せ」


「無理よ。あたし、坂に弱いの。……ねえ、あなた温かいわねぇ。その軍服、下はどうなってるの」


「離せと言った」



アミの指が、マリアの襟の引き手にかかった。かかっただけで、畳んだ日傘の先が、その甲を下から弾いた。マリだった。



「マリちゃん、痛い」



マリは何も言わない。傘を杖のように突き直しただけだった。



「アミさん」



ユキの声は大きくなかった。が、段の上で荷を積んでいた男が二人、手を止めてこちらを見た。面白がる目ではなかった。



「門で、見学だと申し上げました」



「……言ったわねぇ」



「見学の客が、門の内側で騒ぐんですか」



アミはマリアから離れ、髪を直した。それから、見ていた男たちに向かって片手を振ってみせた。男たちは慌てて荷に向き直った。



「……怖い子」



マリアが言った。誰のことなのかは、言わなかった。襟の引き手を、いちばん上まで戻した。



ランは、その騒ぎを見ていなかった。



飯の匂いのする方へ、もう三軒ぶん先へ進んでいた。



「おい。勝手に行くな」



マリアが呼んだ。



ランは振り返らずに、足の裏を石段へ押しつけた。二度、三度。



まだ、鳴らなかった。石は、土とは返し方が違った。



リョクシは、いちばん高い段から谷を振り返っていた。

くぐってきた門が、下に小さく見えた。



「……なるほどね」



羽衣の裾を直しながら、誰にともなく呟いた。



「出口というものは、いつもこちら側にしかない」



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