グク
第二ブロックの開始の合図が鳴ると同時に、不穏な空気が広がった。他の参加者たちが太郎から距離を取る中、むしろその小柄さに侮りを覚えた者たちだけが、じりじりと間合いを詰めていく。
「ヒヒヒ……おい野郎ども! まずはあのチビから血祭りにあげてやるぞ!」
下品な笑い声をあげて太郎を取り囲んだのは、十数人のならず者集団。その中心に立つのは、毒塗りの短剣と暗器を隠し持つチンピラのボス——
「グク」だった。
場末の裏路地で幅を利かせてきたのだろう、ニヤついた顔には歴戦の傷跡と、それに見合わない小狡さが同居している。肩に羽織った派手な赤いマントには、まだ受付会場の埃が薄く残っていた。
「あっ」
ランが手すりを掴んだ。
「あいつ、受付で割り込んだやつだぞ!」
「……ああいうのは、忘れないものよ」
マリアが低く言った。
「一度恥をかかされた相手は、必ず取り返しに来る。しかも、必ず数を連れてくる」
グクは舐め回すような視線を太郎に向け、配下たちに顎をしゃくった。
「よう、チビ。覚えてるか? 受付じゃ世話になったなァ」
太郎は答えなかった。ただ、静かにグクの顔を見ている。
その無反応が、グクの顔から笑みを剥がした。
「……見ろよ、あの図体。相撲だか何だか知らねえが、所詮は素っ裸で突っ立ってるだけの間抜けだ。ここじゃ受付係は止めに来ねえぜ。今日はこいつで景気づけといくぜ」
「おいおい、こんなチビが武闘大会に出ようなんて百年早えんだよ! おい、全員で叩き潰せ!」
グクの合図で、十数人の徒党が一斉に太郎へ飛びかかる。長槍、鉄パイプ、毒針、投げナイフ——あらゆる卑劣な武器が集団で襲いかかる。正面から堂々と挑む者は一人もおらず、誰もが背後や死角を狙って距離を詰めていく。
「あいつら、大勢で一人を囲んでるぞ! ズルいぞ!」
ランが身を乗り出して叫ぶ。拳を握る手に、自然と力がこもっていた。
マリアもまた眉をひそめた。
「予選のルールに反則はないって言ったけど……見ていて気持ちのいいものじゃないわね」
「同感だ」
リョクシが珍しく苦い声で答えた。
「だが、それがどれほど無意味な数であるかは、すぐに分かるはずだよ」
「無意味って……十何人もいるんだぞ?」
ランはまだ納得がいかない様子で身を乗り出したままだった。
「数がものを言うのは、力の総量に大きな差がないときだけだ」
リョクシは静かに、しかし確信を込めて言った。
「今のグクたちと太郎の差は、蟻の群れと象ほども開いている」
しかし、渦中の太郎は、一切の動揺を見せなかった。
「……群れんと戦えん雑魚どもが」
太郎は重厚な声で呟くと、太い両足を大きく開き、腰を深く落とした。その瞬間、彼を中心として同心円状の衝撃波が走り、足元の砂がぶわりと跳ね上がった。
【金剛盤石】
「死ねぇっ!」
グクの配下が放った長槍が、太郎の無防備な胸元に突き刺さる。
……はずだった。
ガキィィィンッ!!!!
金属音が響き渡り、長槍の鉄の穂先が、まるで岩盤にぶつかったかのように木っ端微塵に砕け散った。
「な、なにぃっ!? 槍が折れた!?」
周囲の徒党が怯んだ隙をつき、鉄パイプを構えた男が横合いから太郎の側頭部を狙う。だが振り下ろされたパイプは、太郎の分厚い肩に触れた瞬間、ぐにゃりと曲がって弾き返された。
「ば、化け物か……!」
さらに二人が左右から投げナイフを放つ。だが太郎はわずかに肩をひねっただけで、両方とも空を切って地面に突き刺さった。攻撃らしい攻撃は、ことごとく彼の巨体に届く前に弾かれ、あるいは逸れていく。
続いて、グクが背後から密かに放った「麻痺毒の針」が太郎の首筋に命中する。
「ヒハハッ! もらった! 俺の麻痺毒は龍すら動けなくするぜ!」
グクが歓喜する。
しかし、太郎は首筋の針をむんずと指で引き抜くと、フッと吐息を漏らした。太郎のアニマが体内で猛烈に循環し、瞬時に毒素を体外へ排出して蒸発させたのだ。
「毒は、腹の据わった相手には効かんき」
「な……嘘だろ、あんな……」
マリアが言葉を失う。
「見たかい、ラン」
リョクシが静かに問う。
「槍も毒も、彼にとっては児戯に等しい。そして、まだ本気にすらなっていない」
グクの顔から、余裕の笑みが消えていた。震える手で残りの暗器を握りしめ、それでもまだ数の利にすがるように喚く。
「く、くそがっ……! ひるむんじゃねえ、まだこっちは十人以上いるんだぞ! 囲んで、囲んで嬲り殺しにしてやれ!」
太郎は一歩、足を踏み出した。
ズドォォォンッ!!
ただの一歩を踏み出しただけで、闘技場の石畳が地鳴りを立てて激しく揺れた。グクの配下たちは足元をすくわれ、次々と転倒する。
その光景に、観客席のあちこちから怯えたようなどよめきが広がっていった。




