忘れ去られた邂逅
「……お客様?」
知ってた。受付の後輩に“お客様対応”される、この現実。
問い合わせた先に残っていたのは、結婚相談所の社員票だけ。
――“新人”と書かれていた。
二回目だ。分岐が変わっても、何も変わってない。
こんなタチの悪い夢、聞いたこともない。
夕陽を背に、アリエルはタバコをふかしながら帰路につく。
サングラスにタバコのパイプ。
側から見ればただの不良か、あるいは疲れた男にしか見えない。
(……苦さにも、少しは慣れてきたな)
病気の父のために必死に買ったこのパイプ。
夢を見なくなったせいだろうか、初めて吸ったときほど苦くはない。
(……夢を見るのは、やめたはずだったんだけどな)
道中、少年は考える。
もし今までの出来事が、すべて夢だったとしたら、どれだけ楽だったか。
……いや、きっと夢なのだろう。ただ、疲れているだけだ。
パイプを外し、ふっと空に向かって煙を吐く。
もくもくと昇る白煙が、ゆっくりと空へ消えていく。
そのときだった。
風恋広場一帯に、ぼんやりと白いモヤがかかる。
すれ違う人々の中で、アリエルの側を一つの影が通り抜けた。
行商人と、屈強な男たちに囲まれた──真紅の、少女。
(……別人、だよな?)
少女は、薄暗い路地裏へと向かう。
霞のように薄らと吸い込まれーー消える。
(そうさ、夢。これは夢......。ええい、むしゃくしゃする)
パイプを握りつぶさんばかりに力を込めて、少年は駆け出した。
来た道を、怒りと混乱のまま引き返し、白いモヤへと飛び込んでいく。
『別人?夢? 関係あるかよ!!!』
『腐りきった世界ごと、アイツらまとめて!!!──ぶっ飛ばす!!!!』
*
はぁ、はぁ……。
息が続かない。胸が焼けるように痛い。
視界がチカチカして、地面が波打つ。
こんな裏路地、あっただろうか。
空き家、古井戸、四辻……延々と同じ風景が繰り返されている。
逃げるように、霧が覆い隠していく。
道を一本抜けるたびに、少女の姿は遠ざかって、輪郭すら曖昧になっていった。
それでも、音を頼りに、少年は走る。
足元に踏みならされたようなけもの道が続いていた。
見たところ抜け穴も罠もない。……運が良いのか、ただ鈍くなってるだけなのか。
ふいに、辺りを見回す。黒い煙が空を裂いていた。
ーー雑居ビルだ。低く傾き、煙突がついている。
遠くから見ても、明らかにおかしい。
油とカビが混ざったような臭気が鼻を突き、どこかで焦げた何かが喉をひりつかせる。
(深く考えるな……確かに.....怖い。でもあれが夢じゃなかったら一生後悔する事になる)
喉の奥で何かを押し殺して、深呼吸。
一拍置く間もなく一気に走り出した。
……そして。
錆びた鉄の扉の前。
そこに立っていたのは、どこかで見覚えのある、黒スーツの少女。
背を向けたまま、道を塞ぐように佇んでいた。
*
『な、何故……ここに、貴方が!!?』
気づけば、地面に背を打ちつけていた。
いつの間にか、転がされていたらしい。
視界の端は黒く染まり、何かが上からのしかかっている。
(お、おい……この柔らかさ……)
思わず声が漏れかけたその瞬間、少女の手が少年の口を塞いだ。
冷たい手だった。どこか懐かしい匂いがした。
(!? な、なんだ……何が起こってるんだ!?)
突然すぎる状況に、少年の思考が白く飛ぶ。
チラッと、小さな谷間越しに少女の顔が垣間見える。
どこかで見たことのある顔。聞き覚えのある声。
必死に脳の奥を手繰っているとーー
『静かにして下さい、これは命令です』
無機質で、でも独特な言い回し。忘れるはずもない。
かつてホテル警備を共にしていた、姿を消したあの後輩。
少女、ーーサスティア。
*
『すみませんが、事が事なので――貴方には最速で眠ってもらいます』
何が起きているのか、まるで分からなかった。
――なぜ、サスティアがここに?
――眠らせるって、どういうことだ!?
次の瞬間、首筋に鋭く冷たい衝撃が走る。反射的に地面を転がると、少女の手が空を裂いて地面へと叩きつけられていた。
『待ってくれ!サスティア!!!僕は敵じゃない!アリエルだよ、ほらホテルの先輩の――』
『……貴方のことは知っています。ですが、なぜ私の名前を? “先輩”とは何の話でしょう』
言葉がまるで噛み合わない。何かが決定的にズレている。
――これが“分岐”なのか?
思考する間もなく、少女の追撃が流れるように頬をかすめた。肌に残る風圧が現実を引き裂く。
(速い……ッ! でも、でも今は戦ってる場合じゃない!!)
少年は叫んだ。必死で、泣き出しそうな声で。
『お願いだ……っ、道を開けてくれ……! あそこには、もしかしたら……ミルナが……っ!!』
その名が、空気を震わせた。
引き摺られるように少女の動きが風に揺られ少年を目前にして
ーー止まった。




