アールス・ブランブルーム⑤
ブランブルーム侯爵の名は、国中の殆どの貴族が知っている。
貴族のみならず、平民でもその名を知っている者は多い。
アールス・ブランブルーム。二十二歳。
早逝した父に代わり、十八歳のときに侯爵となった。
だが、僅か二年で父と同じ病に侵され、床に就くこととなる。
家族は理由ありの姉と甥のみ。
嫁ぎ先から出戻った姉の献身的な看病で、日に日に死の足音が近付く中でも侯爵は穏やかに暮らしていた。
若くして悲劇に見舞われた薄幸の侯爵。
それがブランブルーム侯爵の評判である。
明らかにブランブルーム家をモチーフとしたであろう大衆演劇が大当たりしたことも、拍車をかけていた。
今や、書籍にオペラ、吟遊詩人までが薄幸の侯爵と家族愛の物語を国中に届けている。
感動の物語だからこそ、ブランブルーム家としても不敬だと罰することもできない。
あくまで架空の侯爵家の物語が、たまたまブランブルーム家の状況と似ていたのだと主張されれば、それ以上の追及はできなかった。
だがこれは表向きの評判だ。
実際には、裏で囁かれる噂の方がブランブルームの名を広く知らしめている。
呪われた侯爵家。
醜聞の産地。
死の令嬢。
安らかなお家騒動。
これを聞けば、大概の人間はブランブルーム家のことを思い出す。
この国の人間はブランブルーム侯爵家の噂に耳をそばだて、新たな噂があればさざ波のように広げていく。
これらの噂に、侯爵自身は殆ど関わっていない。
全ては侯爵の姉の齎した醜聞から始まったものだ。
高位貴族の令嬢としては有り得ない軽率な行動と、嫁ぎ先での有り得ない処遇の数々。
更には、彼女に纏わりつく死の気配。
それらが噂好きの貴族だけでは飽き足らず、市井の民にまで広く知られてしまった。
だからこそ余計に、人々は巻き込まれただけのブランブルーム侯爵に同情し、悲劇の侯爵として有名になったのだろう。
口さがない者の中には、一度逃した爵位を今度こそと狙った姉が、侯爵に何かしたのでは、と言う噂まで吹聴する始末だ。
そんなブランブルーム侯爵が、ある日突然人が変わったようになったという噂は、瞬く間に広がった。
理由はわからないが、献身的に看病していた姉も、我が子のように可愛がっていた甥も、一切近付けなくなったというのだ。
そうしてすぐ、彼の自室からは苦痛に苛まれた苦悶の声が怨嗟のように聞こえてくるようになる。
自室にこもりきりの彼の世話をするのは、最低限の使用人のみ。
それも、奇妙な注文をつけるという。
カーテンもシーツもカーペットも壁紙さえも変えろ。
寒風吹き荒ぶ日でも窓を開けておけ。
部屋に湿気を入れるな。
凍えるような寒さの室温を保て。
高価な魔法石を二束三文でもいいから直ぐに売り払え。
そんなわけのわからないことを言い出した侯爵に、とうとう死期が近付いて錯乱したのだろうと大方の人間は口にした。
侯爵の姉はすっかり顔を青褪めさせ、部屋を暖め床に着くよう使用人を通して何度も言ったが、侯爵は頑として聞き入れない。
それでも彼女は説得を諦めず、見舞いの花を毎日欠かさず差し入れる。
侯爵もその花だけは素直に受け取っているようだ。
使用人たちもすっかり困り果ててしまったが、雇い主である侯爵の意向に逆らうことはできない。
とうとう侯爵が生まれる前からブランブルーム家に仕えている家令に泣きついたが、家令は目を伏せて「旦那様の仰るとおりに」とだけしか言わなかった。
これはもう、本当に侯爵は長くない。
だというのに、未だ甥は正式に侯爵家の跡取りに決まっていない。
侯爵が存命中に甥を養子にとらなければ、前侯爵の兄弟やその息子たちが口を出してくることは確実である。
なにせ侯爵存命の今でさえ、あちこちからちくちくと侯爵家に口出しをしているのだ。
今度こそ、あの甥っ子はお家騒動の渦中に巻き込まれるだろう。
不穏で劇的なこの物語の結末に、誰もが好奇の目を向け、注視していた。




