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アールス・ブランブルーム④



「ああ、なんだか姉のことばかりだな。だが、俺にはこれといって語れるような人生がない。父が亡くなって跡を継いだが、領主教育も十三歳まで。六年は騎士学校で遊んでいたも同然だ。やっと侯爵として慣れてきた頃には、俺も父と同じ病で寝付いてしまった。当然、領主としての義務も果たせない。俺はどこかで、冷淡で厳格だった父を、本当は心の弱い人間だと侮っていたのかもしれないが……俺はその父よりも弱く、何の役にも立たない男だ」


『なるほどぉー。貴族というのは、なかなか厄介なものなんですねぇ。ところで、お話に出てきたお姉さんなんですが――』


 コンコン。

 控えめに扉をノックする音が、精霊の言葉を遮った。

 随分と下の方から聞こえるノック音に続き、柔らかく高い声音が扉越しに聞こえる。


「アールスおじさま、お加減はいかがですか」


 セシルの息子、ディアスの声だ。

 なんだかんだと侯爵家に来てから六年、現在は九歳になる。


「ディアスか。今日は少し調子がいいから起きていたよ」


『おっと。申し訳ありませんが、僕のことは秘密にしてください。規定サンプル以外との接触は、事前申請してないとものすごく怒られちゃうんですよー』


 精霊は小声でそう言うと霊力の光を消してしまった。

 ただの箱に戻った精霊を、アールスは枕の下に隠す。

 直後、遠慮がちに扉が開き、ディアスがちょこんと顔を出した。


「母さまのお花がキレイに咲いていたので持ってきました。今日はとってもいいお天気なんですよ」


「そうか、ありがとうディアス。そんなにいい天気なら、少し窓を開けてくれないか」


「はいっ」


 嬉しそうに微笑むと、ディアスはサイドテーブルに置かれていた花瓶に、持ち込んだ一輪の花を挿した。

 小さな青みがかった紫の花弁が幾重にも重なる愛らしい花は、ブランブルーム家の庭に咲くものだ。

 セシルが男爵領で領地視察の際に見つけて大層気に入り、男爵家の庭に植えたものを出戻りの際に持ち帰ってきた。

 花自体はありふれたものなのだが、紫というのは滅多にない色なのだそうだ。

 この花はセシル自らが世話をしており、使用人にすら絶対に触らせない。

 侯爵家に戻ってからは専用の温室を作り、雪深いブランブルーム領の冬でも花が咲くようにしたほどの熱心さ。

 ゆえに、ディアスは『母さまの花』と呼んでいる。


 床から離れられないアールスのために、セシルが毎日この花を持ってくることを知っているのだろう。

 ディアスはそれを真似たようだ。


 開けられた窓からは、新鮮な空気と共に冷気が入ってきた。

 日付の感覚などとうに失せていたが、どうやらもうすぐ冬が訪れるらしい。


「あの、おじさま。もしお加減よろしいのであれば、少しだけお勉強を教えてくださいませんか?」


 もじもじと恥ずかしそうにそう言ったディアスに、アールスは目を細める。

 自身はもう結婚も子を成すことも出来ないだろうが、ディアスのような利発で愛らしい子どもならこの腕に抱いてみたかった、と思う。

 震える手を伸ばし手招きすると、ディアスはちょこんと床に膝をつき、目線を合わせてきた。

 本物の我が子のように思いながら、アールスはディアスの頭をそっと撫でる。

 ディアスは、真夏の空のような晴れ渡った笑顔を浮かべた。

 子供の頃にセシルがよく見せていた笑顔とそっくりだ。


「そんなに勉強ばかりしなくてもいいんだぞ。子供のうちは、遊ぶことも大事な仕事だ」


「母さまもそう言います。けど、ぼくは次期侯爵候補として、たくさん学ばなければいけないことがあります。おじさまは、ぼくよりずっと小さい頃から厳しい教育をされていたと世話係から聞きました」


「そうだな。確かに、領主教育も重要だ。だがな、俺も姉上も、父の厳しい教育で息すらまともに出来ぬ子供時代を送っていた。だから、ディアスにはもっと伸び伸びと好きなことをしてほしいと思っているのだ」


「ぼくの好きなことは、立派な侯爵になるためにお勉強することです。できれば、その……おじさまからお勉強を教われると……ぼくはおじさまのお話が好きなので……」


 実のところ、アールスはディアスが嫌がるようなら跡継ぎにしなくてもいいと考えていた。

 どこか適当な親戚の子を養子にして爵位を継がせ、ディアスには本当に好きなことをしてもらいたい。

 だが、ディアスが跡継ぎとして学びたいと本気で考えているならば、これほど嬉しいことはなかった。


 アールスは可愛い甥の頭を撫で、自身の身を呪う。

 せめて自分がもう少し侯爵としての立場を盤石にしていたら。

 領地経営は、信頼できる家令に任せており今のところ大きな問題はない。

 だが、一歩邸の外に出ればブランブルームの家は好奇と悪意の目に晒される。

 まるで呪われているようだ、と世間では噂されているらしい。

 アールス自身、何度も呪いを疑って調査をさせたくらいだ。


 これから先、ディアスにこの呪われた家を渡すことは心苦しい。

 とはいえ、こんな家でもいいと言ってくれるなら、是非ともディアスに遺してやりたい。


「俺も領地経営は素人同然だが、領主教育と騎士学校で蓄えた知識ならいくらでもある。ディアスがやる気なら、教えることはうんざりするほどあるぞ」


 少し意地悪くにやりと笑って言うと、ディアスは快晴の笑顔をアールスに向けた。

 キラキラとした瞳が、偽りなく期待に輝いている。

 アールスも、柔らかい笑顔をディアスに向けた。


 だが。


「ディアスッ!!」


 開かれたままだった扉から、青い顔をしたセシルが息子を呼んだ。


「母さま。今日は、ぼくが母さまのお花をおじさまにお持ちしました。お勉強を教わる約束もしたのですよ」


 無邪気に笑うディアスに駆け寄ると、セシルはさっと我が子を抱き上げた。


「母さま、ぼくはもう九歳です。子どものように抱かれるような歳では――」


「許可なくあの花に触れたのですか? それに無断でここへ来るなんて……!」


 ディアスの可愛らしい抗議は、セシルの剣幕に流された。

 セシルの常にはない取り乱した様子に、アールスもディアスも怪訝な顔をする。

 淑女の鑑のような振る舞いを決して崩さないセシルにしては珍しい。


「……母さま? 具合でも悪いのですか?」


「いいえ。具合が悪いのはアールスです。勝手に出入りして、あなたはおじさまの病気を悪化させたいのですか?」


 いつも微笑んでいるだけの母に強めに言われ、ディアスは俯いてしまった。

 先程までの快晴の笑顔は、既に曇って雨模様になっている。

 ディアスの目からぽろぽろと涙が溢れ、掠れるような声で「ごめんなさい」と呟くのが聞こえた。


「ディアス、俺は大丈夫だ。けど、セシルの大切な花を勝手に手折ったことは良くなかったな。それに、こんな病人の辛気臭い部屋に籠もることはない。勉強なら、俺よりも専門の家庭教師に教わる方がいい。ここにはもう来てはいけないよ」


「……はい…………」


 しょんぼりと俯くディアスが、セシルに抱かれて部屋を出る。

 これでもう、アールスがディアスの顔を見る機会はなくなるだろう。

 少しばかりの寂しさを感じるが、仕方のないことだ。

 ディアスの可愛らしい我儘すら叶えられなかった自身の身を、アールスは今一度呪う。


 ややあって、再び扉がノックされ、セシルが一人で部屋にやってきた。


「ごめんなさいアールス。急に取り乱してしまって……」


「いや、俺の配慮が足りなかった。医者からは心の病だと言われているが、万一ということもある。大事な次期侯爵まで同じ病に罹らせるわけにはいかないからな」


 セシルは、淑女の微笑みというには少しばかり安堵の感情を乗せすぎた笑みを見せた。

 決して弟を蔑ろにしているわけではないだろうが、息子のことが第一になってしまうのは当然だ。

 それはアールスもわかっている。

 ただただ、思い通りに動かない己の身が忌々しいだけだ。


「まあ、窓を開けたりなんかしたら、冷たい風が部屋に入ってくるじゃないの。ダメよアールス、この部屋はきちんと温度と空気を管理しているのだから、窓も扉もぴっちりと閉めておかなくちゃ」


 セシルは窓を閉め、サイドボードの上に置かれた二つの魔法石に視線を落とす。

 この火と風の魔法石は、アールスの部屋の温度と空気が最適になるようにとセシルが準備したものだ。


 魔法石は、精霊に借りた力を閉じ込めて結晶にした、魔法の代用品だ。

 石一つにつき魔法一つだが、これがあれば誰でも精霊の力を借りた魔法を再現できる。

 それ故に、非常に高価な物でもある。

 平民なら一家が一年贅沢をして暮らせる程度。

 とはいえ、侯爵家であるブランブルームならば、魔法石の一つ二つは余裕で買える。


 セシルに悪意はない。

 そんなことはわかっている。

 アールスを閉じ込めるために、こんなことをしているわけではない。


 姉の好意を、勝手に裏返して悪意に変換してしまう己が忌々しい。

 アールスは心内に溜め息を隠し、そっと身を起こした。

 なんとかベッドから足を出すところまでは動かせたが、そこから先がどうやっても動けない。

 見かねたセシルが手を貸してくれてベッドサイドに腰掛けることはできたが、それだけでアールスは息が上がってしまっていた。


「あまり無理をしないで、アールス。もう横になって」


「すまない。折角セシルが脚の低いベッドを用意してくれたというのに、これでは宝の持ち腐れだ。俺にとっては、どんな宝石よりも貴重なベッドなのにな」


 すこし微笑ってそう言うと、セシルも微笑い返す。


「まあ。不恰好な低いベッドを宝だなんて、そんなことを言う侯爵はアールスくらいよ」


 確かに、床からいくらも離れていないベッドなど、普通の貴族家では歓迎されないだろう。眉を顰められ、歯牙にもかけられないに違いない。

 だが、長く床に着いて足腰の弱った病人が危なくないようにと、セシルが考え家具屋に作らせたベッドは、アールスにとって姉の愛情を感じることのできる宝以外のなにものでもなかった。

 セシルは、同じものを父にも贈っていた。

 本当は男爵にも贈りたかったようなのだが、さすがにそれは第一夫人が許さなかったらしい。

 世間では色々言われてはいるが、セシルは愛情深い家族思いの淑女なのだ。


 セシルに再び手を貸してもらい、ベッドに横たわる。

 少し疲れた。深く呼吸を繰り返すうちに、なんとなく体がだるくなってきたような気がしてきた。


 そっと、セシルの視線がサイドテーブルに飾られた紫の花に移った。

 いつもはセシルによってキレイに盛られている花瓶が、今日はひっそりと一輪だけ挿されている。

 ただ挿しただけで、水は入れられていない。

 その中途半端な見舞いの花に、セシルは思わず微笑んでいた。


「男の子なんだ。花の活け方など知らなくても問題ない。俺はたった一輪でもディアスが持ってきてくれて嬉しかったんだ。セシルが大切にしている花だということはわかっているが、あまり叱ってやってくれるな」


「勿論よ。花は、わたくしがいつものように活けておくわ。一輪じゃ寂しいから、もう少し摘んでくるわね」


「ありがとう」


 ふわりと微笑んだセシルは、静かに扉を閉めて部屋を出て行った。






 誰もいなくなった部屋に、ぼそぼそと喋る声がする。

 アールスが、枕元に隠していた箱の精霊を出したのだ。

 薄暗い部屋に、精霊の霊力の輝きが溢れ出す。


「俺の姉と、甥だ。どちらも自慢の家族なんだ」


『なるほどなるほど。とても面白いお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。やや想定外ではありましたが、AIの予測を裏切るようなサンプルがとれて大満足です。是非ともアールスさんにはお礼をさせていただきたいですねぇ』


 何が精霊の琴線に触れたのかはわからないが、どうやら満足してもらえたらしい。

 精霊は、好奇心を満たされると人間にお礼をして精霊界に帰るという。

 アールスは密かに心躍らせていた。

 どんなお礼であれ、精霊のお礼を受け取った人間は必ず幸せになれと言われているのだ。

 もう先が長くない身だが、最後に精霊のお礼が貰えるなら最上の人生だったといえるのではないだろうか。


 一体、自分はどんなお礼をされるのだろうか。

 期待に胸を膨らませていたアールスに、精霊はある意味衝撃的なお礼を贈ってくれた。


『伺ったお話と観察した状況からAIが推測したので何ともいえませんが、もしかしたらアールスさんの病気は治るかもしれません』



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