プライマン・クインフォルス (ロジェ・シルドガード)⑮
『もー! しょうがないなぁ。いいですか、プリマさん。処刑はまだ始まりませんから、ゆっくり行きましょう。それに今のあなたの姿は、スクリーンに中継されてます。この箱の向こうにはプリマさんの伴侶さんもいるんですから、あんまり非道なことはしないでくださいよ!』
ぱちりと瑠璃色の瞳が瞬く。
思わず笑みを浮かべたプリマは、箱にある小窓を覗き込んだ。
「見ているかな僕の愛しい人。もう少しだけ泣かずに待っていてくれ。すぐに僕が助けに行くからね。君の罪は僕を虜にしたことだけだって、ちゃんと伯父上にも伝えてあげるから」
『ちょっと、ちゃんとわかってます? 片目でカメラ覗き込んだって何も見えませんよ! こんな小さなスマホの中に人が入ってるわけないでしょ! もしかしてプリマさん、実はまだ酔っ払ってますね? ――って、ちょっとぉ!? 大丈夫ですかー!?』
走り出そうとしたプリマが、突然べちゃっと倒れた。
ぴくぴくと痙攣しながら、低い声で何かを呟いている。
「ううううう……ぎ も゛ぢ わ゛る゛い゛…………」
『うわぁ。なんかもう、悲しくなってきました。はぁー、あのですね、今のプリマさんの姿も伴侶さんは見ています。しっかりしてくださいよ、もー』
なんということだ。
こんな無様な姿をヒロインに見せていたなんて。
誤魔化すように笑いながら立ち上がるが、膝は震えるし目は回る。
地下にいたから泥だらけだし、聖水盤に頭を突っ込んだからびしょ濡れだし、髪はあちこちに張り付いているし、千鳥足で転んだとき顔に怪我もした。
吐き気は最高潮で、一歩でも動いたらもどしそうだ。小刻みに呼吸することで、今はなんとか凌いでいるといった状態。
こんな最低な状態のときに、長年待ち望んだ相手が現れるなんてひどすぎる。
それでも、プリマは足を止めない。
本当はプリマにもわかっていたのだ。
恋愛小説のような、優しくて強くて可憐で健気な乙女なんて現実には存在しない。
都合よく彼女が危機に陥って、それを都合よく自分が助けてあげて、一瞬で恋に落ちることもない。
そもそも、次期公爵の自分が勝手な結婚をできるなんて、これっぽっちも思ってない。
だけど夢だけは見ていたかった。
現実がクソだから、全力で夢を見たかった。
ヒロインを追い求めることがただの現実逃避だなんて、プリマはちゃんとわかっていた。
第二成人を迎えてそろそろ潮時だということも、きちんとわかっていたのだ。
長年付き合わせてしまったロジェには申し訳ないけれど、思い返せばとても楽しかった。
吐き気と鳥肌を堪えながらでも、ロジェをヒロインに見立てて恋愛小説ごっこをするのが楽しくて楽しくて仕方なかった。
現実にいないなら、身代わりのヒロインで妄想に浸ることだけが、プリマにできる精一杯だった。
だからプリマにとって、これは最後のチャンスなのだ。
話にしか聞いたことがなかった“幸せの使者”が現れて、よりにもよってプリマの欲しくて仕方ないものを“お礼”にくれるという。
ならばここで、足を止めて楽をすることなんてできっこない。
二日酔いがなんだというのか。
頭痛も吐き気も知ったことではない。
邪魔をするなら、王宮警備隊だろうが国王だろうがなぎ倒す。
歯を食いしばり、涙を堪え、泥に塗れ、痛みに耐えて進んできた。
だけど絶対に笑顔だけは崩さない。
あの、腹の底が真っ黒で澱んで腐っている従兄弟の微笑みを思いだす。
詐欺師もかくや、彼は春の若芽のような笑顔一つで人から警戒を取り除き、人望を集めている本物の王子様なのだ。
どれだけ辛くても、ボロボロでも、ヒロインの前では絶対に笑顔を絶やさない。
そのために、ずっとずっとヒロインに見立てたロジェで練習してきたのだ。
『さあプリマさん、広場に着きましたよ。もうプリマさんを邪魔する人は誰もいません。伴侶さんも待ってますよ。僕はここで失礼しますが、あと少しですから。頑張ってくださいね!』
去って行く精霊に、最後に礼を言おうとしたところで体勢が崩れた。
支えにしていた剣が折れたらしい。
地面についた膝に力を込めて、立ち上がる。
気力も体力も限界だった。
目が回る。
頭が割れる。
胃がひっくり返る。
足が縺れる。
一歩一歩、よろめきながらも前に進む。
処刑台の段差も、一段一段を慎重に昇る。
気分は最悪だ。
もうしばらく深酒はしないと誓おう。
だけど、機嫌は最高だ!
世界が回ってよく見えないけれど、いま目の前には運命のヒロインがプリマに助け出されるのを待っているのだから。
「待たせてごめんね、愛しい人。こんなに遅くなったら、泣かせてしまったかな。花束も指輪も何もない甲斐性なしの男だけど、僕と一緒になってくれるかい?」
我ながら最低なプロポーズだと思う。
酒焼けで掠れた声だし、二日酔いで酷い顔だし、三日も着替えてない。
だけどきっと彼女はイエスと言ってくれるだろう。
「……はい」
思っていた素晴らしい返事だった。
だが、思っていた可憐な声ではなかった。
ぼんやりしていた瑠璃色を、ぱちりと瞬く。
視界が次第とはっきりしてきて、瑠璃色が愛しい人の姿に焦点を結んだ。
プリマの目が、これでもかと大きく見開かれる。
「ははは……」
――お前かよっっっっっっ!!!!!
声にならないプリマの悲鳴は、誰の耳にも届かなかった。




