プライマン・クインフォルス (ロジェ・シルドガード)⑨
七歳になったばかりのプライマン・クインフォルスは、自室で本を読んでいた。
数日前から家族と共に邸に滞在している、遠縁の令嬢から勧められた本だ。
普段は冒険活劇や英雄譚しか読まないが、女性の好む恋愛小説も読んでみればそれなりに面白い。
いや、それなりどころではなく、かなり面白かった。
プライマンは、初めて読んだ恋愛小説の世界に完全にのめり込んでしまっていた。
この小説は、いわゆる王道のサクセスストーリーだった。
何の後ろ盾もない平凡な主人公が、王子に見初められて幸せになるというものである。
前半は、主人公の少女が悪役の令嬢に虐めて虐めて虐め抜かれるが、それでも前向きに生きる主人公の健気さに心を打たれた。
物語の終盤、主人公が颯爽と現れた王子に華麗に助け出されるシーンのカタルシスは堪らない。
最後は、二人で永遠の愛を誓って結ばれる、最高の幕引き。
完全に感化されてしまったプライマンは、自分もいつか物語の王子のように自分だけのヒロインを苦境から助け出し、永遠の愛で結ばれてみたい、と考えていた。
そのために、もっと他の恋愛小説も読んでみなければ。
様々なパターンを研究し、来たるべきときに備えておくために。
プライマンは、恋愛小説についてもっと詳しく知りたくなった。
そう言えば、本を贈ってくれた令嬢は恋愛小説を読むのが趣味だと言っていた。
令嬢から詳しい話を聞くため、プライマンは彼女を自室へと呼び寄せた。
三つ年上の令嬢は勝ち気な吊り目の少女で、小説の悪役令嬢のイメージぴったりだった。
妙に白く塗りたくられた肌と、子供にしては赤すぎる口紅、口呼吸すらしたくなくなるような香水の匂い。
そんなところもイメージぴったりだ。
プライマンの失礼な想像など知りもしない令嬢は、熱心に恋愛小説について語ってくれた。
自分が好きな本はこれだとか、自分が好きなシーンはここだとか、自分がときめくセリフはこうだとか。
いつ息をしているのかわからないくらい、矢継ぎ早に。
自分は。自分が。自分なら。
自分、自分、自分……。
圧倒されたプライマンはどこで口を挟めばいいかわからず、ただただ令嬢の話を聞くことしかできなかった。
気付けば、だいぶ長い間令嬢は一人で喋り続けていた。
さすがに疲れたのか、一息つくと喉を潤すために用意されていたカップに口を付ける。
が、すぐに令嬢は顔を顰めてカップを置いた。
「このお茶、あまり美味しくないわ。ねえ、そこの貴女、新しいお茶を淹れ直してくださらない?」
この日、プライマンの部屋付きメイドは、ベテランと新人のペアだった。
生憎、教育係のベテランメイドは別件で少し外している間のこと。
新人メイドは、部屋に子供二人だけを残すわけにいかないと主張するが、令嬢は聞き入れなかった。
「わたくしは今すぐお茶が飲みたいの。早く用意してちょうだい。心配しなくても、わたくしたちはここでお話の続きをしているから。ほら、早くして」
新人メイドは迷ったが、子供とはいえ貴族のご令嬢の要望だ。
結局逆らうわけにいかず、新しいお茶の準備をするために下がるしかなかった。
そして事件は起こる。
十歳の少女とはいえ、女を侮ってはいけない。
「プライマン様、実はあの小説には書かれていない続きがあるのです。最後に結ばれた男女が、本当に結ばれるために必要なことが書かれていません。もしよろしければ、少しだけわたくしと体験してみませんか?」
何も知らない少年は瑠璃色の瞳を輝かせ、令嬢の提案を歓迎した。
赤すぎる口紅が、にいっといやらしく弧を描く意味を、幼すぎる少年はまだ知らなかった。
新しいお茶を用意したメイドは、部屋に戻るなり悲鳴を上げた。
プライマンが、ベッドの中で下穿き一枚になり、青褪めて泣いていたからだ。
令嬢は、プライマンの上に馬乗りになっている。
彼女の方は、何も身に着けていなかった。
メイドの悲鳴に続いて、たくさんの足音と怒声がプライマンの頭を締め付けた。
そこから先のことは何も覚えていない。
熱を出して数日寝込んでしまい、起きたときには何もなかったかのように全て終わっていた。
いつの間にか邸からいなくなった令嬢と、その家族がどうなったかもわからない。
父からはもう二度と彼らに関わることはないと言われ、母親には全て忘れなさいと言われただけだ。
だからプライマンも、もう考えないことにした。
しかしこの一件は、プライマンに一つの認識をもたらした。
女とは、腐って鬱陶しく、恐ろしいほど狡猾な毒虫である、と。
だが、恋愛小説の主人公のような、庇護するべき可憐な花が存在するという希望も捨てきれない。
結局プライマンは、この世には花と毒虫の二種類の女がいると結論付けた。
それからは、いつか現れる自分だけのヒロインのために行動することを決めた。
この世に蔓延る汚らわしい女共を追い払い、可憐なヒロインを手に入れるために。
自分の身を守るためだけではなく、いざというとき自分の手でヒロインを助けられるように、剣や騎馬術を研鑽した。
敵となる悪役令嬢たちに恥をかかせるため、美貌を磨き完璧な所作を身に着けた。
もしもヒロインが他国の出身だった場合も考えて、外国語も習得した。
あらゆる可能性を考慮して、自国や周辺国の歴史も法も経済も頭に入れた。
敵を知るため、場合によっては自ら手を汚すことも覚悟して、陰謀学や犯罪学の本や論文も読み漁った。
ヒロインを退屈させない話題作りのために文学も嗜み、苦手な音楽もダンスも必死に練習した。
全てはヒロインのために。
歯を食いしばり、涙を堪え、泥に塗れ、痛みに耐える日々。
それもいつかヒロインに会えば報われる。
いつしか、想像の中の可憐な乙女は、プライマンの生きる目的になっていた。




