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(プライマン・クインフォルス) ロジェ・シルドガード⑦


 頭上には、空の一部を切り取ったように、考えられないほど大きな板が浮かんでいる。

 板の中には、よく見慣れた美貌の青年がいた。


 この広場からと、空の板からと、正午の鐘の音が二重に聞こえてくる。

 それは、空の板がここではない場所の、今の光景を映しだしたものだと告げていた。


 物語から飛び出してきたような美しい青年は、いつもよりもだいぶ草臥れていた。

 絹糸のようなシルバーピンクの髪は乱れ、額や頬に張り付いている。

 透き通った白い肌は熟れた桃のように上気し、ところどころ泥で汚れていた。

 艶やかな唇から洩れる息は荒く、見ているこちらの焦燥を掻き立てる。

 ただ、聖石を思わせる瑠璃色の瞳だけは、いつもと同じように輝いて真っ直ぐ前だけを向いていた。


 王宮警備隊の制服を着た男たちが、颯爽と走るプリマの行く手をざざっと阻んだ。

 白銀の肩章の彼らは、西宮に配属されている隊だ。

 美しい白亜の壁や、豪華絢爛な装飾品からも、プリマがいるのは王宮の西にある王の礼拝堂(インヴェルノ)の回廊に違いない。


 何か会話をしているようだが、残念ながらその声までは聞き取れなかった。

 殺気立つ二十人以上の警備隊を前に、プリマは優雅に佇んでいる。


 なぜプリマは西宮にいるのだろうか。

 一体なにがあってこんな姿になっているのだろうか。

 それはわからないが、剣呑な雰囲気の警備隊を見る限り、あまり良い状況とは言えなそうだ。


 ふ、とプリマの手が動いた。

 手に持った短杖から、荊のようにうねる青白い輝きが飛ぶ。

 瞬間、警備隊の数人がその場に倒れ、びくびくと小さく痙攣した。


 ロジェは目を瞠った。

 あれは空の精霊の、雷の魔法に違いない。

 かつてプリマが偶然発現させた、雨の魔法よりも強力なものだ。

 それを、今は自在に何度も操っている。


「なんだよ。いつの間にそんなすごい魔法使えるようになっちゃったんだよ……」


 ロジェの呟きは、熱狂の歓声の中に溶けて消えた。

 こんなところで捕まっている足手纏いで役立たずの自分など、もう必要ないではないか。

 諦めにも似た自嘲気味の笑いが喉から洩れる。


 一人、また一人と倒れて行く警備隊が、とうとう痺れを切らして剣を抜いた。

 ぎらぎらと鈍く光る輝きは、これから起こる恐ろしい光景を予感させる。

 広場のあちこちで、悲鳴が上がった。


 しかしプリマは、ひらりと優雅に警備隊の剣を避けると、回り込んだ背後から杖を振って雷の魔法を出した。

 杖を左手に持ち替えたプリマは、警備隊の取り落とした剣をさっと拾い上げる。


 それはまるで洒落た舞台の一場面のような光景だった。

 恐ろしい凶器のはずの剣が、美しく洗練された軌跡を描いてぶつかり合う。

 硬質な金属音は、極上の音楽にしか聞こえない。

 ひらひらと軽やかなステップで警備隊の剣を躱し、ときに剣で、ときに魔法で、プリマは空の上を縦横無尽に華麗に踊る。


「ああ……なんだよ。いつもの蛸ダンスはどうしたんだよ。そんな軽快なステップ、いつ練習したんだ?」


 感嘆とも悲嘆ともつかぬロジェの呟きなど、誰の耳にも入らない。

 誰も彼も、天空の美しき貴公子の活躍を見守っている。


 歓声の合間から「早くプライマンを止めろ!」「プライマンに剣を向けた奴を捕まえろ!」「全員まとめてクビだ!!」といった怒声が聞こてくる。

 ただ、ロジェを含めてその場の誰も、この国で一番やんごとない身分の男の言葉に耳を貸す者はいなかった。


 空の上では、遂にプリマの邪魔をする者がいなくなる。

 耳を劈く人々の歓声を割いて、プリマの穏やかで静かな声が降ってきた。


『ん? えっ、この向こうにいるのかい? ぅんんっ、えー、見ているかな僕の愛しい人』


 こちらを覗き込むように視線を寄越しながら、空いっぱいに麗しい顔が広がった。

 板の中のプリマが、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。

 春の陽だまりのような、ふんわりとやわらかく温かい、春の妖精(プリマ)の微笑みを湛えて。


『もう少しだけ泣かずに待っていてくれ。すぐに僕が助けに行くからね。君の罪は僕を虜にしたことだけだって、ちゃんと伯父上にも伝えてあげるから』


 そう告げて、また颯爽と走り出したプリマが、突然べちゃっと倒れた。


『あはは……カッコ悪いところ見られちゃったかな……』


 苦笑いしながら立ち上がるが、膝は小刻みに震えて今にも折れてしまいそうだった。

 青白くなった顔には、小さな擦り傷がいくつもできている。

 掠れた笑い声をかき消すのは、荒い呼吸音だ。

 見るからに高価そうなベルベットの外套も、砂埃で白く汚れてしまっている。


「ばかプリマ……」


 泣かずに待ってろなんて、そんなの無理に決まってるじゃないか。

 とっくにロジェの視界は滲んで零れ落ちているのに。


 ロジェは知っていた。

 あの優雅で麗しい青年を形作るものが、全く美しくない努力を礎にしていることを。


 魔法だけではない。

 剣も、馬術も、礼儀作法も、外国語も、歴史も、文学も、経済も、あれほど苦手な音楽ですら、日々努力して身に着けていったのだ。

 歯を食いしばり、涙を堪え、泥に塗れ、痛みに耐えていたことも知っている。

 その上でプリマは、いつでも春の陽だまりのように笑っていた。

 子供の頃から一緒にいたロジェだけが、知っていたのだ。


 プリマには、努力の痕跡を表に出すことを良しとしない、高い矜持と高潔な精神があった。

 だからこそプライマン・クインフォルスは、あんなにも美しく輝き、人々を魅了してやまない。


 ロジェがプリマに勝てることなど、最初から魔法しかなかった。

 それすらも、今や圧倒的に負けている。


 なのに。


 美しくない姿を他人に見せることを良しとしなかったプライドの塊が、こんなに泥臭い姿を見せながらも立ち止まることをせずに走り続けている。

 それは、多分、ロジェのために。


 ――愛しい人。


 不意に、いつもの声に耳元で囁かれた気がした。


 どうして今まで平気でいられたのだろう。

 思い出しただけで、こんなにも全身が熱く震えて目眩がしそうなのに。


 彼だけがロジェを呼ぶ、あの愛称が。

 初めて嬉しく思えた。


 秒で失恋した初恋の相手に、もう一度恋をしてしまった瞬間だった。






 プリマが広場に着くと同時に、空の板は暗く沈黙した。

 先程まで上を見上げていた広場の誰もが、今は息を詰めて近付いてくるプリマを見守っている。

 あんなに熱狂的だった民衆も、怒声を散らしまくっていた国王も、力なく無力を嘆いていたロジェも。


 ふらつく脚を叱咤しながら、一歩一歩とプリマは前に進む。

 支えにして歩いていた警備隊の剣が、ぱきりと折れた。

 どしゃっと不様な音を立て、プリマが地面に膝をつく。


 大勢の息を呑む音が聞こえるが、声を出す不調法者は誰もいない。

 ゆっくりと、プリマが立ち上がった。

 声なき安堵の吐息が、大合唱となって広場を埋め尽くす。


 自然と人垣が割れ、道ができていた。

 この処刑台まで、真っ直ぐに。

 ぼろぼろになりながら、それでも春の陽だまりの微笑みを崩さないプリマが、ロジェはもう愛しくて堪らない。


 ――市井で流行っている恋愛小説の主人公みたいな体験ができて良かったな。


 プリマの言葉が耳に甦る。

 あのとき憤った言葉も、今なら「良かった」と素直に思えた。


 彼がいたから、ロジェは物語の主人公(ヒロイン)になれた。

 いつでも真っ直ぐ、あの瑠璃色の瞳がロジェだけを見つめて颯爽と助けてくれたから。


 ああ、こんな幸せなことがあっていいのだろうか。

 あの自信がなさそうにしていた精霊は、嘘をつかなかった。

 この後処刑されてしまうのだとしても、もう一片たりとも悔いはない。


 最後の力を振り絞って、プリマが処刑台の段を上がる。

 一段、二段、三段……。

 最上段まで上がると、首から下を拘束されて磔にされているロジェの前にやってきた。


 とうとう、ここまで。

 プリマは辿り着いた。


 その場で跪いたプリマは、胸に片手を当ててふんわりと笑う。

 ひどく掠れてはいるが、穏やかで優しく熱のこもった声が彼の口から紡がれた。


「待たせてごめんね、愛しい人。こんなに遅くなったら、泣かせてしまったかな。花束も指輪も何もない甲斐性なしの男だけど、僕と一緒になってくれるかい?」


 体は筋張って固いし、喉仏はあるし、髭も脛毛も生えるし、お菓子作りも刺繍も何ひとつできないけれど。


「……はい」


 ――この心と命だけは、どこのご令嬢にも負けないくらい、ぴかぴかに磨いて君に捧げたい。


 ロジェの返事を聞いたプリマは一瞬大きく目を見開いて。

 小さく「ははは……」と笑うと、そのままそこで意識を失った。



次回よりプリマ視点のお話となります。

ハピエンBLをご所望の方は、第4話⑧以降をお読みにならないことをお勧めします。

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