クラーラ・レインティア⑦
クラーラは、苦い思い出を振り返りつつ十五人の名前も思い出したくない男たちの話をした。
十五番目の男の話まで律儀に聞いていたマリアヘラは、なんとなく白目を剥いているような気がする。
石像なので気のせいだろうが。
石像なので、ある意味最初から白目を剥きっぱなしともいえるかもしれないが。
「私はとことん男運がないのです。私を本当に愛してくれているのなら、間違っても婚約もしていない状態で唇にキスしようなんて思わないでしょうから」
『ああ、うん、まあ、それはなんというか、不幸だの……相手の男が。……ああ、いやいや、相手の男たちも悪気あってしたわけではあるまい。そなたへの愛があるからこそ、だったのではないかの』
「いいえ。愛を司るマリアヘラ様にこんなことを申し上げるのは大変に恐れ多いとわかっているのですが……やはり、未婚のまま妊娠してしまうのは良くないと思うのです」
『うん? まあ、それはそうだな』
「軽率に唇にキスなどして妊娠してしまったら、世間から何と言われることか」
『うん??』
「それに万が一、妊娠がわかった後に振られたら、私はどうしたらいいのでしょう。男性にとっては唇へのキス一つかもしれませんが、傷付くのはいつだって女なのですから」
『うん???』
「ただ、そうしているうちに私も第二成人を迎え親元を出ましたし、出産適齢期真っ只中でもあります。今更、唇へのキスくらいでガタガタ言うつもりはないのですが、できれば結婚前……いえ、婚約前に唇にキスしようとしてくる男は避けたいのです。なのに、今までの男たちの腹いせか、私は“微笑みながら誘惑してくるくせにキス一つ許さない小悪魔”と噂されて、もう出会いどころではありません!」
『うん……それは、まあ、そうだろうな……』
祭壇に伏し、力強く嘆くクラーラを女神像が見下ろしていた。
何とも言い難い、奇妙な視線と共に。
いや、石像だからその視線は完全に気のせいだろう。
『一つ聞くが。そなた、子を成す方法は、知っておるのか?』
おずおずと、マリアヘラが聞いた。
「何を仰いますか! 当然です!」
輝く瞳でクラーラはマリアヘラ像を見上げた。
「マリアヘラ様がニルカヴァラ様とキスしてオリフィルヴァ様を生んだではないですか! そんなこと、子供でも知っていることです!」
『……それは、もしや、十五人の男たちにも言ったのか?』
「勿論です! 不勉強な愚か者ばかりでだったので、誰一人知らなかったんですよ。だから私は、マリアヘラ様とニルカヴァラ様の愛の神話を、きっちりと教えてやったのです! なのにあの男どもときたら、唇へのキスで妊娠するとわかったら怖気づいて交際を断った上に、まるで私が悪いかのような噂をばら撒いたのですよ!」
今度こそ、マリアヘラ像が白目を剥いた。
石像だから(略)
*****
いずれの世界、どのような宗教であれ、神は信仰の対象である。
神は人の手の届かない存在であり、人にとっては有り得ないことも神話として当然のように語り継がれる。
人からすれば荒唐無稽ともとれる神々の世界の話を、史実だと捉えている者はいないだろう。
そこはそれ、なのである。
だが。
「はぁー、女神崇拝の末の無知ですか。いやはや、確かに貴重なサンプルでしたねー」
灰色の箱のような小さな部屋で、黒髪に中肉中背の男が笑っていた。
隣の白金の髪の女は、とても不機嫌な顔でちらりと男を見る。
「脳内お花畑を信仰してると更にお花畑になっちゃうのね。あたし、七人目くらいから意識飛んで碌に話聞いてなかったわよ。ほんと、貴重な経験をさせてもらったわ」
「で、お礼はどうしたんです? AIは何と?」
「それが、あいつまた演算失敗したのよ。ま、あのお花畑娘のイカレ具合まではAIでも計算できなかったってことかしらね」
黒髪の男が、面白そうに目を細めて視線を動かした。
目の前にある、小さな二つの黒い箱へ。
そこに映った光る画面は、ひどく乱れている。
「AIの選んだお礼は“正しい性教育”よ。ま、ある意味あたしたちの得意分野だからね。みっちりしごいてやったわ。行き遅れの年増でもしっかり若い男を捕まえられるように、いろんな手練手管を、それこそ実技演習まで含めて教えてやったのよ」
「それはそれは。貞淑な乙女が、さぞや立派な娼婦になったんでしょうねー」
白金の髪の女が、苦虫を口いっぱいに頬張ったような顔になった。
黒髪の男の前にある箱は、更に乱れて金切り声をあげている。
「娼婦の方がまだマシだったかもしれないわね。『マリアヘラ様に頂いた聖具で幸せになります!』って、そりゃただの性具だっての。本物の男を咥え込まないでどうするんだって話よ。それで結婚できなきゃ、本末転倒じゃない」
「でも、結果的に彼女は幸せなんじゃないですか? えーっと、どれどれ……ほら、追加調査の結果出てますよ。彼女が気にしていた妊娠の心配なく女の幸せを知ったんですから、結果オーライじゃないですかぁ!」
暢気な男の声に、苛立たしげに女が声をあげる。
「バカなこと言ってんじゃないわよイプス。実りのない行為に、何も意味はないわ」
「そうですね。僕たちにとっては、ですよ。ザイナ」
睨み合う両者の間の沈黙が、灰色の部屋を満たしていた。
先に目を逸らしたのは白金の髪の女の方だ。
「ま、そんなワケでAIがヘソ曲げてるのよ。失敗したのはあたしのせいじゃないってのに。それで、八つ当たりみたいな次の調査対象がこれね」
女が白金の小さな箱を指先ですっと撫でれば、男は黒い小さな箱を眺めて目を細めた。
「これはまた、面白そうなサンプルですねぇ。実りはなさそうですけど」
「別にいらないでしょ。それこそあたしたちにとっては、ね」
男が面白そうに笑い、女が口を尖らせる。
それから、二人はそれぞれの前にある小さな箱に触れた。
「被験者番号P05、転送開始します」
「被験者番号R06、転送開始するわ」
彼らが触れた小さな箱は、それぞれ一つを手元に残して一つが消えた。
双子のように全く同じ二つの箱。
その残った片割れを耳に当て、彼らはいつもと同じ文句を言うのだ。
『あ、無事に転送できたみたいですね。もしもーし、聞こえますかぁー? あ、聞こえてますね、良かったぁ。早速ですが、あなたのお名前とお話を聞かせてくださーい』
『あら、転送完了ね。もしもし、聞こえる? ふふふっ、そんなに驚かないで。あたしはあなたの名前と話を聞きたいだけだから』
そして彼らは名乗るのだ。
自分は“箱の精霊”なのだと。




