フィナ・エバーリア⑩ ~グラン・ホロウフッド~
イルブランド・エバーリアが、一人娘を溺愛しているというのは誰もが知っている。
その愛情が行き過ぎていて、フィナが厳重な箱入り娘だということも誰もが知っている。
年頃になり、美しく成長したフィナに悪い虫がつかないよう、イルブランドが何らかの手段を講じているだろうことも想像に難くない。
実際、イルブランドはフィナを嫁にやる気も婿をとる気もなかった。
そしてその準備は、フィナが生まれたときから進められていた。
イルブランドは、フィナに結婚や恋に関する知識の一切を与えないことにしたのだ。
知らなければ、恋も結婚もすることがないのだから、と。
憐れ、フィナは恋の一つも知らず、エバーリアに囚われたまま生涯を終える運命だった。
ある使用人が、とんでもない爆弾を落とさなければ。
その使用人は、結婚が決まりエバーリア家から退職する直前の娘だった。
日々緊張を強いられる仕事から解放される喜びと、目前に迫った結婚に浮かれて完全に油断したのだろう。
使用人の娘は、フィナに「恋人と結婚する」と話してしまったのだ。
当然、初めて聞く「恋人」や「結婚」という言葉にフィナが興味を持たないわけがない。
使用人は、自分が話したことは内緒にしてほしいと泣いて懇願し、フィナに『貴族と平民』の物語を話して聞かせたのだった。
そして、フィナにせがまれるままに何度も物語を聞かせた。
フィナがすっかり恋物語に夢中になった頃、使用人の娘はエバーリア家からいなくなった。
娘の家族も。婚約者も。婚約者の家族も、街からいなくなった。
暫くすると、身元不明の遺体がいくつも郊外で見つかるのかもしれないが、それがフィナの耳に入ることはない。
そんなことがあってから、間違ってもフィナに恋物語について話すような人間はいなくなった。
どれだけ聞かれても、知らぬ存ぜぬを貫き通す使用人たち。
しかし既にフィナは恋物語を知ってしまっている。
イルブランドは、大いに荒れた。
荒れたイルブランドの八つ当たりで、消えた使用人や商会の人間の数が三十を超えたときのことだ。
勇気ある一人の男が、イルブランドに注進した。
「恐れながら申し上げます。フィナ様が恋物語を知ってしまったことを逆手に取って、物語の通りにしてみるのは如何でしょうか」
「どういうことだ」
視線だけで射殺しそうなイルブランドに震え上がりながらも、勇気ある男は話を続けた。
「あの物語では、二人が結ばれることはありません。女は失意のうちに家にこもり、そのまま二度と結婚も恋もすることなく静かに暮らします。恋物語の通りにすれば、フィナ様も二度と恋などと言い出すこともなく、ずっと屋敷におられるのではないでしょうか」
イルブランドは、男の案を聞いて歓喜に震え上がった。
思わず「採用!」の言葉と共に、手にしていた大剣を振り上げて勇気ある男を二分割にしてしまったほどだ。
早速、イルブランドは愛娘の“恋のお相手”を手配した。
エバーリアに勤める者で、それほど重要ではなく、いなくなっても構わない男が選ばれた。
そして運命のあの日――フィナが家出をした日、男はフィナとの恋物語を紡ぎ始める予定だったのだ。
そこに、イレギュラーが入り込むことさえなければ。
「えっ、待って。ちょい待って。てことは、なに、恋人役の男は他にいたってこと? え、しかもその話だと、えっ? 本当に物語の通りに、最後まで……えっ???」
「計画を邪魔されて、そりゃあもうイルブランドは直ぐにでもあんたを八つ裂きにするつもりだったけどね。あたしが止めたんだよ。予定してた男より、あんたの方が適任だったからさ」
衝撃的な内容にパニックになりつつあったグランだが、ウサギの言葉で我に返る。
どうやら、知らないうちにウサギに命を助けられていたらしい。
「なんてったって、あんたは本物の貴族だ。それになにより……あの男よりツラがまし」
苦虫を噛み潰したように、ウサギが嫌な顔をした。
イルブランドの選んだ男は、どう見ても恋物語に出演するタイプではない、厳つく粗野なむくつけき大男だった。
もしもフィナが良いといったとしても、あれと恋に落ちるのはウサギの美意識が許さない。
「あたしはあの子の夢を叶えてやりたかった。例え悲恋でも、あの子に恋を体験させてやりたかった。だから、あんたを代役に立てることにしたんだ。それで円満にあの子の恋を終わらせるつもりだったんだけどね、ちょっとした誤算があったのさ」
ウサギとしては、フィナの恋は物語を投影した錯覚に過ぎないと思っていた。
だから、フィナが本当にグランに恋するようになったことは、完全な誤算だった。
「最近のフィナは、物語の終わりが近付いてくることに怯えてるんだ。あんたと別れる未来に怯えてる。だからさ、ここから台本を変えるよ。あんたはフィナが飽きるまで、恋人役のままだ。その方がお互いに都合がいいだろう?」
「それは……確かに……」
「ほら、だったらあんたには名優になってもらわないと。よろしく頼むよ、ホロウフッド卿。あんたがちゃんとやってる限り、しっかり守ってやるからね」
差し出されたウサギの手を握り、グランは乾いた笑いを口の端から漏らしていた。
ウサギの厳しい演技指導の成果により、グランが名優になるまで、あともう少し。




