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フィナ・エバーリア⑨ ~グラン・ホロウフッド~



 グランは、来たばかりの広場から既に帰りたい気持ちでいっぱいだった。

 いつもなら多くの人で賑わう広場に、今はグランとフィナの二人きり。


 いや、二人きりという表現は間違っているかもしれない。

 一見すると二人きりに見えるだけであって、全く二人きりではない。

 広場の植え込みに隠れて――あまり隠れる気のなさそうな殺気をビシビシと放ちながらグランを睨んでいるのは、イルブランド・エバーリアだ。

 少し離れたところには、グランの私室に忍び込んだ女――皿の底のメッセージから、グランが『ウサギ』と呼んでいる女が木の陰から覗いているのが見える。


 何か一つでも選択を間違ったら、殺される。

 どうすれば生き残るための正解を導き出せるのか、グランの頭にはその一つしかなかった。


 あの夜にウサギが置いていった手紙には、今日のこの場所でフィナとデートをするようにと指定されていた。

 更に、ここでフィナと見つめ合い、寄り添うことまで指定されている。


 実行したら、イルブランドに殺される。

 実行しなければ、ウサギに殺される。

 どちらにしてもグランに助かる道はない。

 正解など、最初から用意されていなかった。始まる前からジ・エンドだ。


「グラン様……」


 名を呼ばれ、思わず見ると黄金色のトパーズの瞳と目が合った。

 吸い込まれそうに美しい。

 彼女の瞳は雄弁にグランへの想いを語っていた。


 はっきり言って、フィナは美少女だ。

 こんな美少女に想われているなんて、男として嬉しくないわけがない。

 見つめ合って寄り添うどころか、それよりもっと親密になるのも吝かではない。

 吝かではないのだが。

 彼女の背景が恐ろしすぎて、吝かではないということもなくなっている。


 ふわりと、甘い香りがした。

 いつまでも無言で動かないグランに焦れたフィナが、自らグランの胸に飛び込んだのだ。

 脳が痺れるような甘い感触と、背筋が凍るような恐ろしい殺気が同時に襲ってくる。

 吝かではないこともないというわけでもないがそうでもないかもしれない。


 グランは、完全に硬直してしまっていた。

 視界の片隅では二つの影が蠢いている。

 グランを亡き者にしようとするイルブランドと、それを阻止するウサギだ。


 じたばたじたばた。どたばたどたばた。


 そんな音が聞こえてきそうな激しい攻防が繰り広げられているが、恐ろしいことに物音一つ聞こえてこない。

 彼らは、フィナに気付かれないようにこのデートを壊そうと、或いは成功させようとしているのだ。


 言葉通り、ウサギはイルブランドから守ってくれるらしいと、グランは僅かながらも安堵することができた。




*****




『それでは、初デートは大成功だったんですねー!』


「いや、まあ、ぼくの命が消えなかったって意味では大成功だったけどさ。その後だって、ウサギに言われるままに何度も命の危機を感じるデートをさせられたんだよ」


『へえ! 今もグランさんの命があるってことは、デートは成功し続けてるってことですねー! すごいなぁ! それで、その後はどうなったんです?』


「命があって成功のデートって何なんだろう……。その後は、うーん、どうなったっていうか……」


 二人が会うのは、いつも人目を忍んだ場所だった。

 郊外の森だったり、夜の住宅街だったり、礼拝のない時間の教会だったり。

 ウサギが何を企んでいるのかはわからないが、ここまでくれば流石にグランも気付くことがある。

 グランとフィナは、とある物語をなぞらされているのだ、と。


「よくわからないけど、どうせロクな話じゃない」


「あ? 何がロクな話じゃないんだって?」


 背後から、この場にいないと思っていた人物の声が聞こえ、グランは口から臓腑が飛び出すかと思うほどに驚いた。

 一瞬で霊力の光を消して沈黙した精霊を「裏切り者」と心内で罵りながら、引き攣った笑みを浮かべて振り返る。


「お、お疲れ様。いつも助けてくれて、あ、ありがとう。さっきの追手は……」


「大したことじゃないさ。あんたを助けるのはこっちの都合だからね。安心しな、あいつらはもう来ない。二度とね」


 意味ありげにニヤリと笑ったウサギに、グランの頬がぴくぴくと動いた。


 ウサギはフィナの護衛であるが、今はフィナの恋人としてグランのことも守ってくれている。

 にこやかに道を尋ねてきた街の人の持つナイフから。

 にこやかに荷物を配達にきた少年の持つ爆発物から。

 にこやかに新商品の味見を頼んできた商人の毒から。

 えとせとら。えとせとら。

 全てイルブランドの送り込んできた刺客たちだ。

 ウサギがいなければ、今頃グランは百回ほど死んでいるだろう。


 だがそれも、ウサギの“都合”で助けられた命でしかない。

 今のウサギはグランにとって護衛だが、都合が変われば一秒後には刺客になっていてもおかしくないのだ。

 依然、グランの命は薄氷での綱渡りのようなものだった。


「で? 何がロクな話じゃないって?」


 グランは、必死で言い訳を考えた。

 正直に精霊のことを話せば、エバーリア家から逃げられる唯一のチャンスを潰されるかもしれない。

 そもそも精霊が沈黙している今、正直に話したところで信じてはもらえないだろう。


「いや、あの、それは、えっと……ほら、あるじゃないか。『貴族と平民(ラガッツァソーニョ)』で、男が呟く場面。それを真似ていた、というか……」


 しどろもどろで酷い言い訳だったが、『貴族と平民(ラガッツァソーニョ)』の名前を出した途端、ウサギの目がギラリと輝いた。


「ふうん、流石に莫迦じゃないか。貴族の男が急に親に呼び出される場面だね。婚約者との顔合わせのために」


「そ、そうだ。ぼくとしても、物語に近付けるために少しくらい演技の練習をしておいたほうがいいんじゃないかと思ったんだよ」


「なるほど……」


 そう言ったきり、ウサギは黙り込んでしまった。

 じっとグランを見つめ……いや、睨んで。

 品定めをするように、見極めるように。

 そして長い沈黙の後に、ウサギはにいっと笑った。


「ここからは、少し台本を変えよう。あんたには、厳しい演技指導をするからね」


 ウサギがそう言うからには、本当に厳しいことになるのだろう。

 グランの頬が、びきびきと引き攣った。


「言う必要もないと思ってたけど、あんたの勇気に敬意を払って伝えておこう。フィナとあたしと、ついでにイルブランドが何をしようとしてるのかをね」


 自分が何に巻き込まれたのか興味はあったが、グランが気になったのはそこではない。

 ウサギの演技指導は、勇気を出さねばならないほどの厳しさだったとは思いもしていなかったのだ。

 グランの頬は、びくびくびくびくと引き攣っていた。



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