フィナ・エバーリア⑧ ~グラン・ホロウフッド~
絶望の底にいても、腹は減る。
人生について考えながら、二日に分けて食べる予定だったウサギを全て平らげて、グランは帰宅した。
明日にはもう、食事など出来ない体になっているかもしれない――その可能性が高いことを悟っていたから。
家では、グランを待ち構えていた両親にすぐさま捕まった。
「どういうことなんだグラン! わかるように説明してくれ!」
「そうよグラン。一体なにがどうなってこんなことになったの?」
どうやら、自分が帰宅するよりも前に、エバーリアの手は実家に届いていたらしい。
いよいよ死刑宣告を受けたような気分になりつつ、グランは吐き気を堪えた。
絶望と引き換えに手に入れたごちそうが、勿体ないことにならないように。
しかしなにやら、どうにも様子がおかしい。
懸命に吐き気と闘っているグランとは裏腹に、両親は目を輝かせて興奮しているように見える。
どういうことか聞きたいのはこっちの方だ。
そう言いかけたグランだったが、やはり聞きたくなかったと後悔することになる。
「いやー、あっちこっちから借りていた金をな、親切にもエバーリアさんが一本化してくれたんだ。おかげで、利子もだいぶ減ったんだ。何があったか知らんが、お前のおかげだからと頻りに言っていたぞ」
「そうなの。とても親切な方だったわ。今までエバーリアの悪評ばかり聞いて、あの方のことを誤解していたわね。ああ、これ新しい借用書よ。当分は利子の返済だけでいいとまで仰ってくださったわ」
両親から手渡された書類を見て、グランは鳩尾に見えない拳を叩き込まれたような衝撃を受けた。
喉の際までせり上がってきたウサギを必死に胃に戻す。
そこには、グランの自署がされていたのだ。
目を擦って何度見ても、自分のサインがされている。
よりにもよって借用者の欄に。
潰れそうな目を懸命に開いてよく読めば、両親の言う“だいぶ減った”利子は、前よりも増えていた。
表記されている数字こそ小さいが、記載されている巧妙で複雑な計算をすれば実際の利子の十倍近い金額になる。
それも、経時的に増えて行く計算だ。
いわゆる雪だるま式というやつである。
利子の返済だけでいいのではなく、利子の返済だけで元金の返済には百年経っても辿り着かない。
無邪気に喜ぶ両親にそんなことは言えず、疲れているからと断ってグランは下がった。
回らない首は、気を抜いた瞬間にぽろりともげ落ちそうだ。
死刑執行をされる気分で重い足を引き摺りながら階段を昇り、自室へ向かう。
ようやっと自室に辿り着くと、扉の下に白いものが挟まっていた。
何だろうと拾い上げたものは封書だった。
そこに書かれていた署名を見て、グランは今度こそウサギを口からも鼻からも解放してしまった。
ベッドの中で、これ以上小さくなれないくらいに丸まって、グランは震えていた。
テーブルに置いた手紙に向き合うことができず背を向けているが、あの小さな紙切れから何故かとんでもない圧を感じて震えが止まらない。
手紙の宛名はフィナ・エバーリア。死神の名だ。
あれがここにあったということは、配達人は家の者に気付かれることなくここまで侵入したということだ。
もしくは、既に家の中の誰かにエバーリアの息がかかっているのか。
どっちにしろ恐怖でしかない。
見なかったことにして読まずに処分したい気持ちと、早く読まないと大変なことになるという気持ちに苛まれ、今は亡きウサギの存在を焼け付く喉の奥に感じてしまう。
窓から差し込む光が顔に当たり、そこで初めてグランはもうかなり日が高くなっていることに気が付いた。
葛藤している間に随分と時間が経っていたらしい。
緊張と寝不足で、冷静な判断などできるわけがない。
グランは突如起き上がると、高らかに笑い出した。
「あはははは! もうどうにでもなーれ!」
両親に見つからないよう懐にしまっていた指輪を取り出すと、素早く指に嵌める。
このまま魔法石に触れれば、風の魔法が死神からの手紙をずたずたに引き裂いて、全てなかったことになるはずだ。
乾いた笑いを漏らしながら、グランは輝く魔法石に手を伸ばした――のだが。
伸ばしたはずの手は、ぴくりとも動かなかった。
背後から指先を誰かに掴まれていると気付くまで、暫しあった。
気付いてから悲鳴をあげようとするも、口を塞がれてしまう。
どうにか逃れようとしたが、いつの間にかがっちり全身を拘束され、グランは身動き一つ取れなくなっていた。
「しっ、静かに。ここはもうイルブランドに監視されてる。じわじわと嬲り殺しにされたくなきゃ、大人しくしてな」
グランは目を見開いた。
少なくとも、この侵入者はエバーリアの者ではないようだ。
それに、今はまだグランに危害を加えるつもりもないらしい。
「フィナの手紙を破ろうとしたことは許せないけどね。あんたの返答次第じゃ、見なかったことにしてやるよ」
耳元で聞こえる含み笑いを乗せた囁き声に、グランは自分の思い違いを知る。
魔王の手の者ではなかったが、死神の手の者だったらしい。
どちらにしろ終わった。
「いいかい、あたしが期待する返事はハイかイエスのみだ。わかったら頷きな」
是非もなし。
グランは一つしかない選択肢を選んで首を縦に振った。
「よしよし。それじゃあんた、フィナの恋人になりな」
咄嗟に思い切り横に振りそうになった首を、寸前で止める。
そこに一瞬の間ができた。
「死にたくないだろう?」
ぶんぶんと音がして零れ落ちそうなくらいに、グランの首が激しく上下に揺れた。
「そうだろうそうだろう。あんたがそう言うと思って、既に返事はこっちで出しておいたからね。初デートの日時はそこの手紙に書いてあるから、破いたり食べたりしないでちゃんと読むんだよ」
それきり、いくら待っても次の言葉はなかった。
既に侵入者が部屋からいなくなったことを知り、グランの腰は盛大に抜けた。
その日、色々と諦めたグランは久々に子爵邸で夕食を摂った。
あまり食欲がなかったのでスープだけ貰ったのだが、飲み終わった皿の底を見て、再びグランの腰は盛大に抜け落ちた。
“こちらの言うことを聞く限り、イルブランドからは絶対に守ってやる ―ウサギの恩返し―”
そんな美しい筆跡のメッセージが、皿に沈んでいたから。




