フィナ・エバーリア⑦ ~グラン・ホロウフッド~
「まさか、こんな場所でウサギに出逢えるなんて!」
グランは自然な動作で指に嵌めた指輪に触れた。
指輪には、風属性の魔法石が輝いている。
これは古くからホロウフッド子爵家に伝わる家宝で、ちょうど十五年前の飢饉の頃に無くなった祖父からグランが譲り受けたものだ。
一般的な風属性の魔法石が風を吹かせる程度であるのに対して、グランの指輪は風の矢を打ち出すことのできる強力な魔法石だった。
家宝になるだけあって、売れば相当な金額になるだろう。
かといって、簡単に代々受け継がれてきた家宝を売り飛ばすわけにはいかない。
もっともグランの両親ならば、その簡単なことをやってのけるのだろうが。
もしかしたら、祖父はグランの両親が財産を食い潰す未来を予想していたのかもしれない。
だから実子で現当主である父ではなく、まだ幼かったグランへと遺したのではないだろうか。
両親は、魔法石のことは知らない。
家宝の魔法石は祖父の遺言と共に、当時子爵家に仕えていた元家令が、グランの第一成人の折に届けてくれたものだからだ。
グランは、手に入れた家宝を売り払うことはしなかった。
両親にも見つからないように、大事に保管した。
何故なら、魔法も使えず剣技も貴族としての嗜み程度にしかできないグランが、野鳥や小動物を仕留めるために必要なアイテムだったから。
グランが触れると、魔法石は輝きを増す。
獲物の姿しか見えていなかったグランは、逃がしてなるものかとウサギに向かって風の矢の魔法を撃ち込んだ。
何かに追いたてられるように猛スピードで駆けていたウサギは、命中した風の矢の衝撃で弾き飛ばされた。
ウサギは肉も食べられるし皮は売ることもできる。
思わずにやりとしたグランだったが、そこに一人の少女がいることに初めて気が付いた。
気付いてから、しまったと思う。
もしや彼女もこのウサギを狙っていたのだろうか。
だとしても、仕留めたのは自分だ。断固として獲物の権利を主張する。
そこまで考えて、グランは少女に声をかけた。
「あの……大丈夫?」
――そのウサギ、ぼくが貰っても。
言いかけた言葉は、グランの喉の奥で泡沫のように消えた。
腐っても子爵家。
グランも今まで、美しく着飾った令嬢たちとの交流はそれなりにある。
だが目の前の少女は、そんな令嬢たちが霞んで見えなくなるほどに美しかった。
艶やかで深い水底のような髪。
伝統ある宝石のような瞳。
異国の食器のような滑らかな白い肌。
丁寧に磨いた珊瑚のような唇。
全てが芸術品のようで、グランは息を呑んだ。
ほんの数秒、二人はお互いに見つめ合った。
少女がふるりと肩を震わせたのを見て、グランもはっと我に返る。
驚くほど美しい少女だが、美しさで腹は膨れない。
現実に戻ったグランは、再度獲物の所有権を主張しようとした。
「ごめんね、咄嗟に風の魔法で仕留めてしまった。君のウサギだったかい?」
軽く問い掛ければ、少女はふるふると首を振る。
安心した。今夜の食事は豪華になりそうだ。
もうグランの頭の中は、美しい少女から美味しいウサギに切り替わっていた。
が、立ち去ろうとしたグランの腕を、突然少女が掴んだ。
可憐な少女にしてはあまりに強い力で、まさか今更ウサギが惜しくなったのではと一瞬警戒する。
グランはわざと優しい声音で「どうかした?」と惚けてみた。
すると予想に反し、耳まで赤くした少女はお礼をしたいから名を教えろと言う。
何に対するお礼かはわからないが、タダでくれるというものならどんなものでも有り難く頂戴しよう。
そうしてお互いに名乗り合ったわけなのだが……。
グランは、激しく後悔した。
どうして自分は広場に来てしまったのだろうか。
どうしてウサギを仕留めてしまったのだろうか。
どうして少女に声をかけてしまったのだろうか。
どうして気軽に名前を教えてしまったのだろうか。
彼女の名を聞いた瞬間、栄養の足りていないグランの白い顔が更に蒼白になった。
この国で、エバーリアの名を知らぬ者はない。
食品、生活雑貨、衣類、薬品、家畜、貴金属から魔道具まで、凡そ商売と名のつくものは手広く扱っている有名な商家の名だ。
ただし、この街では少しばかり意味合いが違う。
毒、武器、呪い、情報、人間、殺しの請け負いまで、凡そ売れるものは手広く扱っている有名な暴力団一家の名だ。
この地の領主であるホロウフッド家よりも、“暗黒街の領主”の異名を持つエバーリア家の名の方がずっと知られている。
街中でホロウフッドを名乗っても「え、誰それ? 領主? エバーリアなら知ってるけど?」と言われる始末である。
おかげでグランも街中を好き勝手に出歩けてはいる。いるけれど。
ホロウフッド家は、今まで領主として慎重にエバーリア家との接触を避けてきた。
エバーリア家も、表の領主であるホロウフッド家に干渉をしてくることはない。
お互いに存在を視界の隅にいれつつも、直視しないようにしている関係。
そうして長年この街は均衡を取ってきたのだ。
なのに、あまりにもくだらない理由でグランはエバーリア家と接触してしまった。
しかもあのフィナ・エバーリアである。
イルブランド・エバーリアが掌中の珠として可愛がり、不可侵の要塞嬢とまで言われるあのフィナ・エバーリアである。
「ははは……ぼくの最後の晩餐、かもしれないな」
グランが手元のウサギを見つめながら虚ろに呟いた言葉は、街中の誰もが聞かなかったことにした。
*****
『なんですかそれ、暗黒街の領主って。ギャングみたいなものですかねー?』
「とにかくヤバイ奴らだよ。殺すと決めたら殺すと口にする前に殺すような意味の分からない奴らだよ! あの一家と関わって生きていられたら、五体満足じゃなくても神に感謝しなきゃいけないぐらいヤバイ奴らだよ!」
『えー、でもグランさんは生きてるじゃないですかぁー』
「そりゃね。ぼくには利用価値があるからさ。ああもう、いくらでもどんなことでも話すからさ、ぼくをエバーリアから絶対に逃がしてよ精霊さん!」
『それはお約束できませんってばー。あくまでも、AIがあなたの幸せのために役に立ちそうなものを予測して贈るだけなんですから。もしかしたら、逃げない方が幸せになれるのかもしれないですし』
「いーやーだー!! あれからも大変だったんだよ! 家に帰ったら、実家の借金が――ってヤバイ! もう見つかった! ぎゃああああ!!!」
『あららららー。お忙しそうなんで、また後ほど続きは聞かせてくださいねー!』




