海の龍が眠る島①
「まぁまっ!」
「はーい?」
程良い日光に照らされた窓際のソファの上で、アオイとナナが笑っている。
時刻はお昼。
昼飯後の気だるい時間を、俺達は部屋で過ごしている。
ナナの放電騒ぎから一夜明け、未だ予定の経っていない旅の日程を話し合おうと思っていたんだが、いつのまにか双子達との触れ合いタイムと化していた。
しょうがないね。
「まーあーまっ!」
「なーんですかー?」
アオイの膝の上に座っているナナが、昨日覚えたての言葉でアオイを呼び、アオイがそれに嬉しそうに応える。
さっきからずっと、もう十分ぐらい続けている。
何度も何度も繰り返しているけれど、よく飽きないもんだ。
ふん。別に悔しくも羨ましくもないんだからね!?
「だぁう!」
「とってもお上手! ナナちゃん可愛い!」
「きゃぁい!」
うさぎさんプリントのピンク色のTシャツに、オムツ姿のナナ。
そのお腹をムニムニと触りながら、アオイはだらしなく顔を弛緩させている。
「いいなぁ……」
悔しいし、羨ましいのである。
俺もアレしたい!
パパって呼んでもらいたい!
ナナの一番最初の言葉はアオイに譲ってしまったけれど、まだだ。まだ慌てる時じゃない。
俺にはジャジャが居る!
ママっ子なナナはしょうがないとして、どっちかっていうとパパっ子のジャジャなら!
ジャジャなら!
アオイとナナの座るソファの、テーブルを挟んだ対面に位置する窓際のソファ。
そこに座る俺の膝の上には、文字通り親指を咥えてママと妹を見つめ続けているジャジャがいる。
少しだけ体を前のめりに倒し、ジャジャの顔を覗き込んで見た。
「う?」
キョトンとしている。『ママとナナがたのしそうだなー。なんでだろう?』って顔をしている。
よし、チャンスだ。
「ほーらジャジャー? ぱーぱ」
「まぅ?」
頭上から顔を伺う俺を見上げて、ジャジャが首をコトンと傾げた。
ほら、リッスン。
「ぱーぱ」
リピートアフタミー?
「まうま!」
いや違う!
これニュアンス的にはママだ!
お前もかジャジャ! お前も一番最初はママが良いのか!?
パパって言って! プリーズ!
「ん。ナナ、ねーね」
「にーにって言ってみて?」
ナナとアオイの周りをいつの間にかルージュと翔平が囲んでいた。
ナナの気をどうにか惹こうと、猫さんのぬいぐるみまで持ち出して来るとは姑息なり。
ははっ、だが無駄無駄。
俺ですらまだ言って貰えないのに、お前らなんかーーーーーー。
「いーい?」
おっと?
「惜しい! にーにだよナナ?」
翔平がナナのまんまるほっぺをプニプニと触る。
「翔平ずるい。ナナ、ねーねって言ってみて。お願い」
「えーえ!」
「違うけど可愛いからなんの問題も無い」
ふんすふんすと鼻息荒く、ルージュはナナの頭を撫でた。
お前らなんか、お前らなんか!
「だぁう?」
そんな俺の気持ちに慮ってくれたのか、ジャジャがポスンと背中を俺の腹に預けた。
「あぅ」
慰めてくれるのかい? ジャジャは優しいなぁ。
パパは今、嫉妬でどうにかなっちゃいそうだよ。
「だぁ!」
「えいえい、こいつめこいつめ」
「きゃっきゃっ!」
ナナと色違いの黄色いTシャツの裾をめくり、ジャジャのお腹を優しく揉む。
あー、このやわっこさ。
これこそが極上の癒し。
ストレスフルな現代社会を生き抜くための必須アイテム。
赤ん坊のお腹さえ触り続けていれば、この世から争いなんて消えるのに。
「風待様、よろしいでしょうか」
数回の軽いノックの後、部屋の扉の向こうからカヨーネの声がした。
「おう。大丈夫だぞ」
返事をしながらジャジャの両脇に手を差し入れ、ソファから立ち上がる。
いやいやアオイ、良いから座ってろ。
ナナがせっかく楽しそうに遊んでんだから、一緒に遊んでやれって。
「だ、だう。だ」
俺が扉へと向かう足のリズムと振動でジャジャが遊び始める。
尻尾を左右にブンブンと、一定のリズムで振っては同じように腕をブンブンと。
なにこの子。どんな物でもどんな音でも、なんでも楽しめるのな。
さては天才だな?
「悪い待たせた」
ジャジャを片腕に抱き直して扉を開けると、メイド服姿のカヨーネが立っていた。
黒を基調にしたその装い。
白いエプロンドレスとホワイトプリムが、その褐色の肌に良く映えている。
「お休みのところ申し訳ございません。お電話が入っておりましたので、お取次させていただきました」
「電話?」
俺宛に?
「はい」
ここに俺が居る事を知ってて連絡してくる奴は少ない。というか親父ぐらいしか居ない。
ガサラや牧雄には海外に行くとは伝えているが、はアトルの屋敷に泊まっていることは言ってないし、電話番号知らないだろうし、なによりこれは魔法回線を使用した高額な国際電話だ。日本側から電話なんかした日には、後日とんでもない金額が請求されたりする。
だからガサラ達では無い。
ん? じゃあ誰だ?
「三隈様です」
カヨーネがあっさり答えあわせをしてくれた。
「あ、三隈ね」
んだよ考える必要なかったじゃん。
そうだよそうだよ。
アトル達と面識のある人間で、ここに泊まってる事を知ってるのアイツしかいないじゃん。
「お電話は廊下の端、階段の前です」
カヨーネはにこやかに笑うと、手のひらを上に向け、廊下の端っこを示す。
「ああ、ありがとな。ルージュ、ジャジャ頼んでいいか?」
「ん。ジャジャおいで。ねーねと遊ぼう」
呼ばれてすぐにこっちに向かって歩き出したルージュが、両手を広げてジャジャを招く。
「んー! んやぁ!」
おいおい、相変わらず嬉しいリアクションしてくれるじゃないか。
俺の服をぎゅっと掴んで、ジャジャはイヤイヤと首を振る。
「ジャジャ、りんごジュース飲む?」
「んぁー!」
早っ!
超反応でルージュに向き直りやがった!
くそう、りんごジュースに負けたのか俺は……。
「いらっしゃい」
「だぅあ! あぅだ!」
パタパタと背中の小さな翼を羽ばたかせて、ジャジャが俺の胸から飛び立って行く。
そのままふわふわとゆっくりと進み、ルージュの胸元にポスリと着地した。
「はい、お上手」
「にへぇ」
褒められたジャジャが双子お得意のふんにゃりスマイルを浮かべた。
炎を操る龍であるルージュは体温が高めらしい。だからなのか、ジャジャとナナはルージュに抱かれるのが好きみたいだ。
「ジャジャのりんごジュースはどこかなー?」
「あぅあー!」
ユリーさんを真似た口調で冷蔵庫に向かうルージュと、大はしゃぎなジャジャを横目に部屋を出る。
機嫌が良い時じゃなきゃ泣かれちゃうからな。
虫の居所が悪い時や眠たい時なんかは、俺が居ないだけで大泣きするんだ。
「ルージュ様、お手伝いしますわ」
「ん、お願い」
俺と入れ替わりで部屋の中に入ったカヨーネが小走りで冷蔵庫へと向かった。
カヨーネの体を死角にして、ゆっくりと扉を閉める。
そのまま急ぎ足で廊下を歩き、突き当りの大階段の前に置いてある電話へと辿り着いた。
タッチパネル式のディスプレイには見慣れない文字で何かが書かれているが、俺に魔族の文字なんか読めるわけがない。
電話の横に置いてある受話器を取って耳に当てると、クラシック音楽が流れていた。
保留機能か。
「えっと、確かこのボタンかな?」
緑色に発光していた大きめのボタンを押すと、音楽が止んだ。
「もしもし? 三隈?」
繋がってるよな?
『あ、もしもし? 薫平くん?』
聞き慣れた声が受話器のスピーカーを通して俺の耳に響く。
ん? なんか後ろが騒がしいな。
「おう、待たせたな」
『ううん。大丈夫だよ? 突然ごめんね?』
アオイといいコイツといい、なんでこんなに人に気を遣うんだろうか。
「いや、俺は大丈夫だけど。どうした?」
『あ、あのね。お父さんの仕事で、ダイランにも行ける事になったの。王都で五泊する予定だから、合流できたら嬉しいなって思って』
あれ?
三隈の親父さんは、フランシオンで開催する魔法具博覧会の為に球大陸に来たんだよな?
球大陸のほぼ中央にある、魔族の国家でも一番有名で一番大きい大国。
言語翻訳の魔法具である、言球のシェアを独占している、まさに魔法具のメッカ。
それがフランシオンだ。
なんでダイランに?
ここは球大陸でも端っこの海に面した国だ。
結構距離あるぞ?
『ダイランは水属性の魔法具に関してはフランシオンより有名だからね。海外出張のスケジュールにしっかりと入ってたみたい』
ああ、確かガサラが前にそんな事言ってたな。
「なるほどな。わかった。アトルに言ってスケジュール合わせてみるよ。いつ頃来るんだ?」
「えっと、明日の夜には王都に着く予定だね。高速魔導鉄道で、だいたい5時間ぐらいでダイランに行けるの。明後日からはいつでも会えるよ』
高速魔導鉄道!
マナレールか!
「うわぁ、凄いなぁ。俺も乗ってみたい」
『薫平くん、ああいうの好きそうだもんね』
好きも嫌いも、大好きだって。
男の子としてああいうのには憧れてしまう。
俺も機会さえあれば一度は乗ってみたいと前から思ってたんだ。
空気中の魔力が濃い地域でないと運転できない、魔法で走るモノレール。
それが高速魔導鉄道だ。
この町に走っている路面電車は、魔力と電気の両方の力で走っていて、少ない人員で動かす事ができる。
その分あんまりスピードが出せず、しかも運搬できる重量にも制限がついてしまう。
その点、高速魔導鉄道はその名の通りかなりの速度を出す事ができ、しかも重量制限も段違いだ。
前に本で読んだケースだと、分解した超大型旅客船を一回の走行で運んだとかなんとか。
パワーで言えば蟻と象ぐらい違う。
もちろん、その分機体の制御やメンテナンスの手間もかかるし、しかも操作する人員が百人じゃ効かない。
機体に施された魔法、学術魔法名で言うところの『高速移動術式』。
周りから大量にかき集めた魔力を架線と線路に流し、これまた魔法で軽量化された車体を任意の方向に向かって『流す』術式だ。
車内には『衝撃緩和』と『抵抗緩和』、『簡易式空間固定』と魔力抵抗のある防御壁の魔法構築までされている。
それを車内の乗務員で全て制御してるのだから、必然的に多くの人数を必要としているのだ。
高速魔導鉄道の乗車料金がお高い理由はそこある。
高度の技術と知識を必要とする乗務員を揃え、観光客や各国の要人も運ぶ為の高度なサービス。
国と国を跨ぐ性質上、安全面にも充分すぎるほど警戒しなければならない。
一部の乗り物マニアには、『世界最速の三つ星ホテル』と呼ばれているその乗り物のチケットは、一般人がおいそれと手の出せる代物ではないのだ。
『す、すごい知識だね薫平くん。私知らなかったよ』
ってな事を電話口でつらつらと三隈に説明していたのが、俺です。
実は結構な乗り物好きなんだよね!
専門的じゃなくて広く浅いマニアなんだよ俺。
車やバイク、船や飛行機なんかの、かっこいいとこだけ摘んでるだけだ。
『と、とにかく。明日の夜にはダイランに着いてるから、どこかで会えるなら会いたいな私!』
「ちょっと待て三隈。まだ説明がだな」
『その話は直接会って聞きたいなぁ!』
「そうか? 分かった。じゃあまた明後日な」
『うん! ありがとう!』
なんだなんだ?
なんでそんな話を巻こうとしてるんだ?
三隈らしくないなぁ。
お互いに軽く別れの挨拶をして、受話器を置いた。
アトルには夕飯の時にでも相談してみるか。
王都までは車でも数時間で着くとか言ってたし、大丈夫だろきっと。
そっか、高速魔導列車かぁ。
……写真撮る時間ぐらい、あるよな?





