幕間 桃色の海の乙女
透き通る水晶に乱反射した光が、ボクの瞼に直撃する。
「……んー」
眩しいんですけど。
やめてほしいんですけど。
「もうすこしねむらせてぇ」
その輝きに眠気が撤退を始めて、ボクがゆっくりと覚醒していく。
えぇ……もう朝なのぉ?
だってさっき眠ったばかりなのに。
太陽さん、もう少しゆっくり昇って来ても良いんだよ?
どうして世界はこんなにも忙しないのだろうか。のんびり行こうよのんびりさ。
「アリス様、起きてらっしゃいますか?」
「寝てるぅ」
寝床の外からボクのお付きの水龍、テセアラの声がした。
あの娘も働き者だねぇ。
海龍族はどいつもこいつもクソ真面目すぎるんだよ。
たまにはサボる事も大事だとボクは思うな。
働きすぎも良くないよ。
「起きてるじゃないですか。龍王様がお呼びですよ」
ボインボインのバインバインなそのお胸を揺らしながら、金色の長い髪を揺らしてテセアラが僕の部屋に入ってくる。
この間二人で編んで作ったシルクのロングドレスがよく似合ってて、とっても羨ましい。
見る度に悔しくなってくるなぁそれ。
こんな大人っぽいテセアラをボクのお付きにするなんて、ママは本当に意地悪だ。
「ほらほら、他のみんなはもう起きてお仕事をされてますよ」
ボクを包む薄手のシーツが、テセアラの手によって剥ぎ取られた。
やーめーてーよー。
寒いよう。眠いよう。眩しいよう。めんどくさいよう。
「んー……ママがなんの用なの?」
ボサボサの髪を掻きながら上体起こす。
なんだろう。
ボクがまだ療養中だって知ってるはずなのに、わざわざ呼び出すだなんて。
「お客様がお見えになられてるんです。挨拶されないと」
「客? 珍しいねぇ」
こんな辺鄙な場所に、一体なんの用事だろう。
「ほら、いつまでもそんなはしたない姿で居ないで、お洋服を着てくださいまし」
楽なんだよねぇ。
自分の寝床なんだから、裸でいてもなんの問題もないじゃんか。
「来客の対応なんて、ママでいいじゃん。ボクが出て行っても粗相しちゃうからなぁ」
テセアラだって分かってるだろう?
ボクは筋金入りの面倒臭がりだぞ?
どうせ失礼な事してお客さんくぉ怒らせる結果にしかならないぞ?
「アリス様。わがままをおっしゃられるのも大概にしてくださいまし。いつまでもそんなではテセアラも困ってしまいます。貴女は誇り高き次期龍王なのですから」
「海龍王はまだ現役なんだからさぁ。ボクが龍王になるのなんか数千年も後の話だろう?」
それまで、ボクが生きていればの話だけどさ。
優しいなぁテセアラは。気を遣ってくれるんだ?
「聞いた話だと、地龍族や空龍族の王女様方はもう独り立ちされたとの事ですよ? アリス様は彼女らよりも年上なのですから、もっとしっかりなさってください」
マジか。
早いなぁ。
名前しか聞いた事ないけれど、地龍族の……えっと、ルゥちゃんだったかな?
たしかボクより二百歳は若かったと思うんだけど、もう巣立ったのかぁ。
地龍は強いからねぇ。一人でもしっかりやってけるんだろうなぁ。
空龍の娘は確か、一番若い龍種じゃなかったっけ。
いやぁ、立派だなぁ。
その点ボクはダメダメですし?
いつまでもダラダラグダグダやっていたいお年頃ですし?
日がな一日中本だけ読んで過ごしていたいですし?
面倒臭いよぉ。
「ほらほら、いつまで裸でいるつもりですか! さっさとお顔を洗って目を覚ましてくださいまし! お客様がお待ちですよ!」
「えぇえええ……」
いままで来客は全部ママやテセアラがやってたじゃんかぁ。
なんだって今回に限ってボクを引っ張りだすんだよぅ。
まだ読んでない本がいっぱいあるのにぃ。
「ほら! しゃっきりする!」
「わかったよぅ。そっちの服取ってぇ」
うるさいなぁ。お小言ばっかり言ってると老けちゃうよ?
そうでなくてもボクと四百しか違わないのに、かなり年上だと他の種族から思われてるのにキミは。
テセアラの足元にある、真っ白なワンピースを指差す。
少し丈が短いけれど、楽なんだよねぇこれ。
「これで宜しいですか? ちょ、アリス様! 下着は身につけてくださいまし! はしたないですよ!」
誰に見られたって別に構わないって。
女しか居ないのに何を恥ずかしがるってんだ?
それともアレですか?
テセアラはボクの身体を見て欲情しちゃう変態さんなの?
こんなちんちくりんな幼女体型のボクに?
「いやん。テセアラのえっちぃ」
「どこで覚えたんですかそんな言葉! 身嗜みの問題です!」
どこでって言われても、人間や魔族の本からの知識なんだけどね。
前に街に行った娘達がどっさり買って来てくれたじゃん?
えっちぃのから電話帳、小説から辞典まで。
助かってるんだぁアレ。ボク、島から出られないから。
大体さぁ。
オスの存在しないボクら龍に、貞操観念なんかあるのが不思議なんだよね。
究極的に言えば、服をつけるって思想から疑問を覚えるんだボクは。
身を守る必要すら無いほどに強靭なボクら龍が、なんで服を着るなんて事になったんだろうか。
異性の目を気にする必要もないし、マナーだなんだって獣人や人間達の定義でしょう?
不思議だなぁ。
「のんびりせずに! ささっと着替える!」
「りょーかーい」
口煩いなぁ。テセアラは。
どうせ客って言ったって他の種族の龍でしょう?
イルカや水棲モンスターですら溺れる激流と、清めの水に守られたこの島に訪れる事ができるのなんて、同族かママが招き入れた魔族ぐらいしか居ないじゃん。
ボクらには時間がたっぷりあるんだから、そんな生き急がなくてもさぁ。
もぞもぞとワンピースに頭を通す。
手入れも何も全然してない、ボクの桃色の髪の毛がもっさりと膨らんで、どうにも上手くいかない。
「あぁ、もう! アリスレイア様ったら! せっかくのお綺麗な髪が台無しです! 普段からしっかりと梳いておけば、こんなにぼさぼさにならないのに!」
「やってるもん」
「やってないからこうなってるんでしょうに!」
水晶に反射した日光に照りつけられて、テセアラの尻尾の鱗が虹色に輝く。
水蛇龍の娘達が憧れだって言ってた、綺麗な鱗だ。
「ほら、ここに座って! まったくもう!」
「やってくれるの? わーい」
数代前のダイラン国王から貰った、鏡台付きのドレッシングテーブルに勢い良く座る。
鏡に映るのは、ずっと前から成長の止まった幼い姿のボク。
「ほら、こうやってちゃんとしっかりしていれば、貴女だって可愛らしいんですから」
ボクの髪をブラシでときながらも、テセアラのお小言はなおも止まらない。
「普段が可愛くないみたいな言い方」
「文句や言い訳ばっかりおっしゃられる時の貴女は可愛くないですわ」
むぅ。
なにも言い返せなくなっちゃったじゃないか。
「……お身体の具合はどうですか?」
テセアラは声のトーンを落として、鏡越しにボクに問いかけた。
心配してくれるんだ。
嬉しいなぁ。
「大丈夫だよ。ネズミの賢者だって言ってたじゃない? これでしばらくは安心だってさ」
「しばらく、ですか」
そう。
しばらく、だ。
それが十年なのか百年なのかは分からない。
分かるのは、完全には治らないって事。
賢者の言うその期間がいつまでかは知らないけれど、いずれまたボクは倒れるだろう。
身を引き裂かれるような痛みと、燃えるような熱。
あの地獄の日々が、また訪れる。
「ありがとね」
鏡の向こうのテセアラは、その綺麗な瞳に影を落としてボクを見ている。
あんな姿のボクを見続けるのが、辛かったんだと思う。
それでもボクから離れずに、ずっと看病してくれた。
だからボクは、テセアラが大好きだ。
「……いえ、私は何もできませんから。あんなに苦しんでいるアリス様に、何も」
それでも、心配してくれるのは素直に感謝だ。
他の海龍族の娘達も、そしてママも。
ボクは恵まれている。
こんなに愛してくれる人たちに囲まれて、毎日を穏やかに暮らせている。
だからボクは、ボクにできる範囲のことを一生懸命がんばろう。
海龍王であるママの仕事は、この星を覆う海を清め守ること。
世界衝突のせいで汚れ、濁り、そして荒れ狂う海を鎮めること。
未熟な上に病弱で、そしてこの島から出ることすらできないボクでは手伝うことは無理な話だ。
だから、ボクは学び続ける。
魔族の知識、獣人の知識、人間の知識。
魔法や科学といった、いままでに無かった観点から何かママの役に立つことが見つかるかも知れないと、寝る暇を惜しんで文献を読み漁っている。
まぁ半分以上、趣味なんだけどね?
一番なのは、この厄介な身体を治すことなんだけれど、難しい。
ネズミの賢者ですら症状を緩和させることしかできない、ボクの病気。
賢者はこの病を『精霊欠乏』と呼んでいるみたい。
彼曰く。
『キミは龍姫であるヒルダと似て、龍種の中でも特に精霊達と密接な関係を持っているからね。世界衝突のせいで正常に循環しなくなったこの異常な精霊の流れに、直に影響を受けてるんだ』
とかなんとか。
まぁ、アレが方便ってのももうとっくにわかってるんだけどね。
嘘を吐いていないってのが、あの賢者様の小狡いところだ。
風の龍とボクじゃ、過程と結果が全く違うもの。
龍姫、風龍のヒルデガルダ様は他の龍種とその身体のメカニズムが全然違う。
精霊達と同化しすぎているが故に、『成長』という概念が丸々抜け落ちているのだ。
成長しないと言っても、死なないわけじゃない。
その証拠に龍姫は始祖の代から数えて五代目。歴代の姫様達はみな幼い姿のまま亡くなっている。
彼女達風龍は、『老いない』んだ。
ボクら龍種はただでさえ生物として不自然だ。
風龍はそれをもっとも濃く体現している。
強大な力と、老いを失った命。
それは、果たして、生命と呼べるのだろうか。
そしてボクだ。
海龍史上、もっとも精霊達と強く共鳴できる力の持ち主。
共鳴しすぎて、同化さえしかけたこの身体。
成長という概念を奪われた、呪われた身体。
そして四十二年前に突如発症した、この病。
これは世界衝突の際に、ごっそりもっていかれたせいだ。
未熟で元々不足していたボクの力は、壊れた世界を補うために、無理やり奪われた。
だから、たぶんボクはもう……。
ああ、やめやめ!
ネガティブなのはボクらしくないよね!
のんびりのんびり! 前向きにダラけるのがボクさ!
「はい、できましたよ」
「おお、なんか頭が軽い」
風通しが良いっていうか、ひっかかりが無いっていうか。
「髪の毛が絡まり過ぎてたんです! ほら参りましょう! 龍王様方がお待ちですよ?」
「龍王様、方?」
なんで複数形?
「ああ、伝え忘れておりましたね。本日お見えになられているお客様は、空龍王。ユーリエル様です」
……暴れん坊空龍王が、一体なんの用だっていうのさ。
なんか、嫌な予感がするなぁ。
「ボク、読まなきゃいけない本が」
「はい、行きますよー」
身体を持ち上げられて運ばれてしまった。
ジタバタもがいても、この小さな身体じゃ全然テセアラを止められない。
「い、いやだぁ! 空龍王ってすごい怖いっていうじゃんか!」
「噂ですよ噂。実際に会ってみたらそうでもないですって」
「テセアラだって会ったことないじゃん!」
「だからこそアリス様と一緒なんです! 私一人で空龍王様の相手させるつもりですか!?」
「あぁ! ボクを生贄にするつもりだなぁ! ママだっているじゃんか!」
「龍王様にそんなこと言えるわけないでしょう!?」
「ボクなら良いのか!」
「もちろんです!」
ぎゃあぎゃあうるさく喚きながら、ボクは自室からひっぱり出されていく。





