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旅行初日②

 


「んだぁあああっ! ふにゃああああっ!」


「どうしたのナナちゃん。気持ち悪いの? ほーらよしよし」


 ソファの上で授乳をしていたアオイがナナを持ち上げてあやす。

 いつもより顔を真っ赤に染めたナナが心なしか元気の無い声で泣いていて、見ていてとっても可哀想だ。


「う?」


「ん? ああ、ナナ辛そうだよな。ジャジャも心配か?」


「だぁ」


 ベッドの上で俺と遊んでいたジャジャがさっきからナナをずっと気にしている。

 辛そうな声を聞くたびにチラチラとナナを見て、俺へと訴えかけていた。

 優しいお姉ちゃんだよお前は。

 大丈夫。すぐにナナも良くなるから。だから今はおとなしくこの部屋で遊ぼうな?


「だぃ」


 お?

 分かってくれたか。

 さすがお姉ちゃん。


 魔族国家ダイランへとやってきて一日が経った。

 あっというまだ。


 なにせ俺は一日中眠りこけていたらしく、昨日の記憶が全く無い。


 覚えているのはアトル王子の家に辿り着いて、親父やユリーさん、ウエラやアズイに見送られた所までだ。


 昨日の夜に一度起きて翔平に一通り事情を説明して貰ったんだが、何一つ思い出せなかった。


 転移魔方陣の事故で俺だけ別の場所に飛ばされ、五時間あまり行方不明だった……なんて、結構大事じゃないか?


 なんで俺は何も覚えてないんだろうか。


 この全身を覆う倦怠感や、手足の筋肉の痛みとか謎すぎる。


 アルバの野郎が俺を見つけて、アオイがこのアトル王子の本宅まで運んだらしいんだけど、俺はいったい5時間も何をしていたんだろう。


 んー。

 わからん。


 さっぱりだ。


 なので考えることは早々に放棄している。


 わからんことを何時までも悩んでいてもしょうがない。

 悩むぐらいなら双子達を構ってやった方が精神衛生面でも有意義だ。

 そうに違いない。


 あの糞鼠、俺と顔を合わせる前にどこかに消えやがった。

 今度会ったら根掘り葉掘りと色々説明して貰おう。


「よいしょっと」


「だぁい!」


 両脇に手を差し込んでジャジャを持ち上げ、ベッドに背中から倒れこむ。

 嬉しそうに手足をジタバタさせて、ジャジャは屈託の無い笑顔を見せる。

 たまんねぇなぁ。


 天蓋付きの大きなベッドの上で、ジャジャと二人でごろごろしているこの時間、プライスレス。

 ナナも一緒に遊べたらもっと良かったんだけど、今は体調を崩しているから絶対安静だ。


 どうやら妹さん、俺達が思っていたよりもかなりデリケートな子だったらしく、慣れない土地の空気に熱を出しちゃったみたいだ。


 さっき額を触ったら、とんでもない高熱でびっくりして慌ててしまったんだが、アオイが言うにはあのぐらい龍にとってはなんでも無いらしい。


 そんな馬鹿なとちょっと疑ったけど、アオイが言うならそうなんだろう。

 アルバの野郎の診察も終わってるらしいし、薬も出してくれたらしいから、とりあえず今は様子見だ。


 心配なのは心配なんだよ。

 龍だろうがなんだろうが赤ん坊は赤ん坊だ。


 ちょっとした風邪や病気でもその体にかかる負担は大人とは比べようもないほど大きい。

 特にナナは結構大げさに泣くから、見ていて気が気じゃなくなってしまう。


 さっきもナナが心配で、ジャジャを抱いてアオイの周りをうろうろしていたら、『薫平さんも病人みたいなもんですから、寝ていてください!』と怒られてしまった。


 まぁ、俺が心配したところでナナの体調が良くなる訳じゃないし、何もしてやれないしな。


 良くて昨日できなかった共同授乳作業をするぐらいだ。


 それもさっき終わったし、いよいよもってナナにしてやれる事が無くなってしまった。


「パパは無力だよ……」


「んぅ?」


 俺のみっともない愚痴を聞いたジャジャがコテン、と首を傾げる。


 可愛いなぁもう。


「おっぱい、離してくれないんですよね」



 ぐずるナナを抱えながら服を肌蹴てソファに座るアオイが苦笑した。


「甘えたいんだろ。弱ってるからな」


 誰だって病気の時は人に甘えたくなるもんさ。


 あの翔平だって、熱を出したら涙声で俺に甘えてくるんだぜ?

 信じられないかもしれないけれど本当の話だ。


 最近は体調が良くて元気そうに見えるが、一昨年ぐらいまでは季節の変わり目は必ずと言っていいほど寝込んでたんだ。我が弟は。


「ナナー? もうお腹いっぱいなんでしょ? ママちょっとおトイレ行きたいなーって」


「ふぇ」


「あはは、わかりました」


 ただ口に含んでいるだけのアオイの胸を離そうとすると、ナナはすぐにぐずり始める。

 ジャジャと一緒に授乳を始めて、もうすぐ一時間ぐらい経つんだけど、ナナは一向におっぱいから口を離そうとしなかった。


「おしゃぶりじゃやっぱり駄目なのかな。似たようなもんだろうに」


 ナナもジャジャもおしゃぶりはあんまり使ってくれないんだよな。


「体温と音じゃないですか? お義父(とう)様が前にそんなこと言ってたじゃないですか」


 ああ、母親の心臓の鼓動がどうたらって奴な。

 よく覚えてたなお前。


「形も違いますしね。おしゃぶりと私のでは」


「そうなの?」


「確かめてみます?」


「うっ」


 なんだか勝ち誇ったような顔でアオイは体を俺とジャジャに向けた。

 とっさに寝返りを打って目を逸らす。


 あぶねー。見えるとこだった。


 やめろよそういうの。

 ドキッとしただろうが。


「触ってくれても良いんですよ? むしろ大歓迎です」


「な、なにがだよ」


「薫平さんが求めてくれるなら、私は絶対に拒まないって話です」


「お、おまえさぁ」


 ジャジャとナナが起きてる時にそんな話すんのやめようぜ?

 なんか死ぬほど恥ずかしいんだけど。


 いや、寝てる時は寝てる時でなんか嫌だけどさ。


 なんだろう。


 なんかアオイが変だ。

 うまく説明できないけれど、いつもよりも積極的っていうか、やけに挑戦的っていうか、興奮してるっていうか。


 普段のアオイもそれはそれでかなりベタベタとくっついてくる奴ではあるんだけれど、今日はそこより一歩分近い感じがする。


 昨日の夜に一回、目を覚ました時。

 あの時アオイは何をしようとしてた?


 ……キス、しようとしてたよな?


 今までは俺の体に触れて来るけれど、俺のアクションを待っているっていうか、そこからは受身って姿勢だったのに、今日に限っては躊躇せずにヤケに攻めてくる。


 朝は顔を合わせたら力いっぱいハグされたし、飯を食ってるときはずっと俺の顔をマジマジと見てニヤニヤしていた。


 風呂に行こうとしたら着いて来ようとするし、俺が脱いだ服に顔を埋めてた時はちょっと怖かったりもした。


 本当になんなんだ?


 なんか焦ってる?

 イメージ的にはまるで目の前のエサをお預けされている大型犬みたいだ。


 ……やっぱり昨日何かあったのか?


 俺、何かしたか?


「翔平さんとルゥ姉様、ご飯食べてくるんでしたっけ」


「あ、ああ。アトル王子が街を案内するって言ってたしな。昼は外で食うんだろ?」


 ようやくナナがウトウトし始めて、アオイが小声で話しかけて来た。


 翔平とルージュは俺達の授乳に気を遣って、外出中だ。


 カヨーネとウタイの案内で街に観光に出ている。

 この街の名前はインテイラ。


 カヨーネとウタイの家が治める、ダイランの田舎街なんだそうな。


 せっかく外国に来たんだ。

 色々見ないと損だしな。


 二人とも俺達を置いて行くのを渋っていたが、全員で部屋に篭る理由も無いし俺が無理やり追い出した。


 暇してんのは見ただけで分かったから、今頃は楽しんでいると思う。


 小遣いもアトル王子から貰っていたから飯も外で食えるだろうし、言葉に関しては日本語が話せる人がいっぱい居ると聞いてるから特に心配はしていない。


 なにせガイドが地元民だ。


 穴場のレストランとか教えて貰えるだろう。


 転移魔方陣の事故に責任を感じているのか、アトル王子は球大陸滞在中の俺達の世話をすべて引き受けると言ってくれた。


 全て、とはつまり旅費と食費である。


 何泊滞在するのかも分からないこの旅行。

 正直風待家のお財布をかなり薄くする覚悟だったから、その申しつけは喜んで受けた。


 翔平とアオイは遠慮ガチだったんだが、背に腹は変えられん。


 くれるっていうなら遠慮なく貰おう。


 なーに、所詮俺達は一般家庭の小市民だ。


 一回の飯だってそこまで金を使うつもりは無いし、宿泊費だってこの豪邸を二部屋ぐらい貸してくれればそれで良い。


 さすがに土産物なんかは自腹で買うし、王子に甘える部分は最小限で済む。


 ルージュが腹いっぱい食べたらどうなるかは分からんが、腐っても奴は王子だ。

 その程度で破産するほどじゃないだろう。

 知らないけれど。


 あとなんか、メイドさんを24時間体制でつけてくれるって言ってたけど、それは俺が断った。


 だって別にお願いすること無いし。


 たまに買出しを頼んだりすることはあるだろうけど、大抵の事は自分達でなんとかするのが風待家家訓。

 親父の言うところの『人様に甘えんな』だ。

 頼るのと甘えるのじゃ全然違うからな。


 メイドさんたちの詰め所みたいな部屋の場所さえ知ってたら、お願いしに行くだけで済む。


 なにもこの部屋の前でずっと立ってなくても良いじゃん。

 立ちっぱなしなんて疲れちゃうだけだ。


「ふぁああ」


 いつのまにか俺の胸の上に頬を乗せていたジャジャが大きくあくびをした。

 ナナの泣き声で寝付けなくて俺と遊んでいたけれど、ずっと眠たかったんだろう。


 ポンポンと背中を叩き、そのまま撫でる。


「うゆぅうう」


 出た。

 たまに発する赤ちゃんの謎ボイス。


 寝ぼけてる時とか、気持ち良い時とかに良く聞く超可愛い奴。


「ジャジャ寝ちゃいます?」


「ん、たぶんもう半分寝てる」


 ナナを抱えたアオイがベッドに上がってくる。


 お嬢さん?


 あなたの今のお胸、どうなってるか自覚してます?


 まぁ、ナナがまだ吸ってるから仕方ないんだけどさ。


 できれば隠そうとするフリぐらいはして欲しいんだわぁ。


「よいしょっと」


 横抱きのナナの角度を調節しながら、アオイは俺の隣で寝る。


 何その複雑な動き。


 ほんとママってスキル高いな。


 おっぱい吸わせながらどうやったら体勢変えれんのよ。


「ジャジャとナナが眠ったら、私達のお昼貰ってきましょうか」


「あ、じゃあ俺行ってくるわ」


「いえいえ、私が行きますよぅ。薫平さんは今日は休む日です。そして私が頑張る日なんです」


「ちょっと体ダルイぐらいで、病人ってわけじゃないぞ俺」


 こちとら花の若人ですたい。


 有り余る元気が余らなくなっただけで、体力的にも気力的にも充分だ。


 それに一階の厨房でご飯を貰ってくるっていう低難易度クエストですよ?


 初めてのおつかいレベルにもならない簡単なお仕事だ。


「いいんです。今日は私が全部やるって決めてるんです」


「そういうなら、まぁ、任せるけどさ」


 俺の横にアオイが寝て、その隙間を埋めるように体を丸めたナナが居る。

 胸の上には小さな手で俺のシャツを握るナナ。


 こんな広くて豪華なベッドなのに、俺達4人が使っているスペースはとても小さい。


 アオイが手を伸ばして、ジャジャの背中を撫でた。


 やがて置きっ放しだった俺の手にその手を重ね、薄く微笑む。


 遮光カーテンを透過してきた淡い日光が、アオイの綺麗な髪をきらきらと輝かせた。


「……なぁ」


「はい?」


 優しい笑みを浮かべながら、アオイが俺を見る。


「なんか、嬉しい事でもあったのか?」


「私は毎日嬉しいことでいっぱいですよ」


「そうか」


「そうです」


「んじゃあ……まぁ、いいや」


「はい」


 スゥスゥと、ジャジャの小さな寝息が聞こえ始めた。


 まだ深くは熟睡してないから、俺達はどっちも動けない。


 ジャジャはとっても敏感な子だから、人が居なくなる気配を感じただけで起きてしまう。


 その点ナナは相変わらずマイペースで、眠たい時はとことん眠る。

 唯一起こせるのはアオイと、ジャジャの泣き声ぐらいだろう。

 図太いのかデリケートなのか判断に困るが、赤ん坊ってのはそういうもんだ。


 そんなナナも今は弱っているから、ママのその小さな胸に添えた手がしっかりと肌を掴んでいる。


 俺は空いた手でナナの背中に触れる。


 暖かいな。


 良い気持ちだ。ほんと、眠くなる。


「すこし寝ますか?」


「わりぃ、たぶん落ちる」


「良いですよ。疲れてるんです。ゆっくりしてください。起きたころにはご飯も準備しておきますから」


「ほんと……たすかる」


「いえいえ、奥さんですから」


「……できた嫁ですこと」


 軽く茶化しながらも、俺は半分夢の世界だ。


「旦那様が、素敵な人ですから」


 なにそれ。


 褒めてもなんもでないぞ?


 あー、せっかくの初海外だってのに、寝てばっかりなのは勿体無いよなぁ。


 でもなんだか、とっても贅沢な時間を過ごしている気がする。


 ふかふかなベッドの上で、ジャジャとナナの体温を感じる。


 鼻の奥に届くのは、アオイのやわらかくてとても良い匂い。


 今日目覚めてからずっと感じている、胸の中のモヤモヤ。


 とっても大事な事を、忘れている気がするのは気のせいだろうか。


 忘れちゃいけないこと。


 零しちゃいけないことを、零し続けている。


 でも今は、少し眠ろう。




 それにしても、ねむてぇなぁ。


新作、『天騎士カイリと無敵に可愛い天魔パレード!』も、よろしければ読んで見てください!

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