旅行初日①
魔族国家ダイラン。
海に面した小規模国家の南東の端に、アトル・ケツァ・コアトー・ダイラン王子の邸宅がある。
風待のお家の何倍もの大きさを持つその邸宅は豪邸って言葉がチープに感じる程の規模で、慣れない私たちはみんなソワソワしている。
「……兄ちゃん。起きないね」
翔平さんが窓際のソファからベッドを見てポツリと溢した。
天蓋付きのベッドに眠る、薫平さんが心配なんだろう。
「アルバのおじさまはもう大丈夫だって言ってました。身体の怪我も全部消えてますし、あとは目を覚ましてくれるだけなんですけど」
カヨーネさんが運んでくださったティーポットでカップに紅茶を注ぎ、ソファの横のローテーブルに置く。
「もう遅いですから、翔平さんは休んでください。日本だともう夜ですよ」
「うん……。これ飲んだら寝るね。ありがとうアオイ姉ちゃん」
生まれて初めての時差ボケで辛そうな翔平さんはカップを両手で持って口をつけた。
「鼠さん、ナナの診察したらどっか行っちゃったけど。本当何があったんだろう……」
あの小さな小さな鼠の賢者はもう姿を隠してしまった。
転移魔法陣の事故の後から五時間。
その間に薫平さんの身に何が起きたかを説明して貰いたかったのに、おじさまは何も答えてくれたなかった。
『いいかいアオイ。不器用くんはこの数時間の間の記憶を失っているはずだ。龍化したことや精霊に呑み込まれそうになったことはあの子には伏せといておくれ。これは君や双子たち、そして不器用くんにとってとてもデリケートな問題なんだ。いつか必ず話すから、それまでは今まで通りの君たちで過ごしてほしい』
そう言い残し、少し体調を崩しているナナの容体を確認したらすぐにどこかに行ってしまった。
いつも人を茶化したような話し方をするおじさまらしくない、重くて真剣な声だった。
文句はいっぱいあったし、疑問はそれ以上にあったけれど。
おじさまの声とあの時の薫平さんの姿が事態の大きさを物語っているような気がして、深く踏み込む事を躊躇ってしまった。
「アオイ。ジャジャとナナ眠ったよ」
「ルゥ姉様。ありがとうございます」
隣の寝室に繋がっている扉から、ルゥ姉様が姿を現した。
今日は薫平さんが倒れてしまっているから、授乳は私一人で行った。
その所為か分からないけれど双子たちの寝つきが悪い。
いつもなら後ろから薫平さんが私を抱きしめて、家族四人でまったりとする大切な時間だ。
パパが大好きなジャジャや、熱を出してより甘えん坊になったナナはパパがいないと不安を感じてしまうみたいだ。
だからなのか寝たと思ってもすぐに起きて泣いてしまう。
さっきは私が薫平さんの身体を拭いていたから、ルゥ姉様にあやしに行ってもらった。
「やっぱりナナの熱上がってる。あの鼠は大丈夫って言ってたけど、心配」
ルゥ姉様が隣の部屋を気にしながらソファに座る。
「おじさまの話だと転移魔法陣の魔力に酔ったのと、この土地の空気に慣れてない所為だそうです。時間と共に快復するから、あんまり心配するなって」
色々と怪しい事ばかりだけれど、龍の身体や病についてはおじさましか頼れる人は居ない。
世界広しと言えども龍のお医者様はアルバ・ジェルマンのおじさましか存在しないから。
「ん。一応熱冷ましのシートをおでこに貼ってきたけど、魔族や人間用だからかあんまり効果ないみたい」
「凄い熱だったもんねナナ。あれで微熱だなんて信じられないよ」
ルゥ姉様の言葉に翔平さんが頷いた。
私たち龍の体温は人間や魔族の人に比べたら遥かに高い。
ていうか、体温の振れ幅がかなり広い。
人間にとっては三十八度を超えれば立派な高熱だけど、私たちにとっては平熱だ。
昔私が風邪をひいた時は、確かかなりの温度まで上がった記憶がある。
まあ風邪なんて滅多に罹らないし、罹ってもすぐに治ってしまうのが龍なんだけど。
さっきのナナの体温は四十二度。
人間の赤ん坊なら緊急入院レベルらしい。
体温計を見た翔平さんが顔を真っ青にして慌ていたから私も少し取り乱したけれど、よくよく考えたらそこまで慌てる温度じゃなかった。
「おじさまが熱冷ましの薬を調合して置いていってくれたんです。五十度を超えるようなら使いなさいって」
「この座薬の事?」
「はい」
翔平さんがローテーブルの上に置きっぱなしだった袋を持ち上げた。
お尻に入れるタイプの薬を初めて見たんだけれど、座薬って言うんだアレ……。
ナナ、嫌がりそうだなぁ。
「ん。私、病気に罹った事が無いから分からないんだけど、辛い?」
「私も過去に一度ぐらいしか……」
龍が病に罹るなんて、本当に珍しい事だ。
ちょっと体調を崩しても、大抵は数十分でケロリと元に戻ってる事がほとんどで、苦しいとか感じる暇も無い。
ジャジャとナナは純粋な龍ではなく、薫平さんの血で人間が混ざっているから、人の病に罹りやすい可能性があると前におじさまから聞いた事がある。
日々の授乳で薫平さんから人間の……免疫とかって言うのを貰ってるから、一度罹れば次からは罹り辛くなるそうだ。
あの双子はやっぱり特別な存在なんだと、今更ながらに強く実感してしまった。
「翔平さんは薫平さんと一緒にこちらで眠ってください。多分夜泣きがいつもより多くなりそうなんで私たちは隣の部屋を使いますね」
ジャジャやナナには悪いけど、今日はパパとは一緒に眠れない。
お疲れだろうし、ゆっくり眠らせてあげたいから。
「大丈夫? アオイ姉ちゃんも疲れてるんじゃない?」
「ん。アオイもゆっくりして。今日は私が寝ずの番をしてあげるから」
「大丈夫ですよ。私体力には自信があるんです!」
腕を上げて元気をアピールする。
私ママですから!
こんぐらい大した事じゃないですよ!
「……まあ、アオイ姉ちゃんがそう言うなら。じゃあ兄ちゃんの事は僕に任せて。ちゃんと見とくから」
「そうですね。申し訳ないですけど、お願いします」
空になったカップをローテーブルに置いて、翔平さんはソファから立ち上がった。
「お風呂、行ってくるね。早く上がるから」
「ん。気にしない翔平。ゆっくり入る」
「そうですよぅ。翔平さんまで倒れたら大変ですから。旅の疲れはゆっくり落としてください」
とは言っても実際は転移魔法陣で一瞬のうちに移動したのだけれど、それでも知らない土地で色々あったから、自覚は無いだろうけど疲れてるはずだ。
「分かったけど……僕に出来ることならなんでも言ってね? あ、お風呂どこだっけ」
「外のメイドさんが教えてくれるって、王子言ってた」
ルゥ姉様が扉を指差す。
その向こうには二人のメイドさんが二十四時間交代制で控えてくれている手筈になっていた。
アトル王子の邸宅には沢山のメイドさんが居て、その内の数名とカヨーネさんとウタイさんが私たちの為に待機してくれているそうだ。
王子は転移魔法陣の事故を気にしているみたいで、ダイラン滞在中の全てを面倒見ると言ってくれた。
その言葉はとても有難いけれど、私たちも変な気を遣ってしまって少し居心地が悪かったりするのは内緒だ。
「メイドさんになんて言えばいいのかなぁ……」
風待家は普通より少しだけランクの下がる中流家庭だ。
お義父様も翔平さんも薫平さんも、自分の事や家の事はなんでも出来る人達だから、あんまり他人に頼るって事に慣れていない。
だからなのかメイドさんの姿を見て一番困っているのは、
実は翔平さんだったりする。
何を指示したらいいのか、どんな風にお願いしたらいいのかがわからなくて戸惑っているんだろう。
私やルゥ姉様なんてもっと酷い。
久しぶりに私の人見知りとルゥ姉様の対人慣れ不足が発動してしまい、まともにメイドさんと会話すらできなかった。
「テレビで良く聞く、『我が家が一番』ってこういう事だったんですねぇ」
「ん。なんか落ち着かない」
「兄ちゃんだったら、多分あっという間に慣れてくれそうなんだけどねぇ」
そうなのだ。
薫平さんは自分の事を良く『コミュ障』とか『ぼっち』とか言うけれど、全然そんな事無かったりするのを私たちは知っている。
ベッドで穏やかに寝息を立てている薫平さんを見る。
この人の適応力は本当に凄いと思う。
どんな場所、どんな環境、どんな空気だろうとほんの数分で馴染んでいき、いつもの様に振る舞う事が出来る人だ。
相手が誰であろうとすぐに打ち解けて、気さくに話しかけれてしまう。
見た目の怖さを乗り越えて話しかけて来た人は、多分ほとんどが面を食らうだろう。
薫平さんはかなり人懐っこくて明るい人なのだ。
ていうか、私は未だにこの人の見た目が怖いってことに納得していない。
目つきが鋭いのと、体格が大きい事は分かるんだけど、それほど怖がる必要がどこにあるんだろうか。
人前で怒ったりもするけれど、それ以上に良く笑う人だと思う。
それに面倒見が良く聞き上手で、人に気を遣い自分は一歩引いて、でもいざとなったら前に出てくれる。
こんな人、多分探しても中々居ないと思うんだけれど。
これは私がこの人に惚れているから感じられる事なのだろうか。
そうじゃないとは思うんだけれど、私の目に映る薫平さんはいつも穏やかで凛々しくてカッコいいから、好きな人フィルターの存在があってもおかしくない気がする……。
『お前を、愛してる』
そうだ。
あんまりにも心配事が多すぎて忘れてた。
愛してるって、言って貰えたんだ……私。
普段とは違う状態だったけれど、薫平さんのその口から、私の事好きだって。
……どうしよう。
嬉しすぎる。
「アオイ? どうしたの」
自然とニヤニヤしてしまう口元を押さえて、ベッドに頭から突っ込んだ私をルゥ姉様が心配している。
「な、なんでもないです。大丈夫……大丈夫ですから」
落ち着け私。
冷静だ私。
薫平さんはあの時意識が朦朧としてたし、普通じゃ無かった。
だからまだ確定ではない。
早とちりしちゃダメだ。ちゃんと何時もの薫平さんに言って貰わないと意味が無いんだ。
でも嬉しすぎる。
ここに翔平さんとルゥ姉様が居なかったら、多分みっともなく薫平さんに抱きついてとても人様に見せられない事をしてしまいそうなぐらいに嬉しすぎる。
どうしよう。
こんな時、普通の人間の女の子ならどうするんだろう。
勉強しなきゃ。しっかりと勉強して、いつ薫平さんが『私』を求めてきてもちゃんと応えられる様にしておかなきゃ。
薫平さんが目を覚まして、ナナの体調が元に戻ったら……そうだ。
カヨーネさんだったら教えてくれるかも。
前に薫平さんも言ってたしね。『アトル王子とカヨーネのバカップルぶりは凄いぞ』って。
ちゃんと男女のお付き合いをしているカヨーネさんなら、きっと知識も経験も豊富なはずだ。
前にいちかさんが見せてくれた、あの動画の続きを。
今こそちゃんと理解して実践できる様にするべきなんだ。きっと。
えっと、先ずは薫平さんに脱がされて……私も薫平さんを脱がして……色んなところにキスして……最後にお口にキスして貰って……それからそれから……。
「アオイ姉ちゃん?」
「アオイ。本当にどうしたの?」
「な、なんでもないです!」
薫平さんの眠るベッドの端でジタバタしていたら、二人から本気で心配されてしまった。
飛び起きて姿勢を正す。
そうだ。
今はそれどころじゃないんだ。
この国に来たのはジャジャとナナの為だし、今は私の旦那様も子供達も弱ってる。
私がしっかりしなきゃ!
「大丈夫なら良いんだけどさ。それじゃ行ってくるね」
扉の横に置いてあった荷物からお風呂セットを取り出し、翔平さんが扉なら部屋の外に出て行った。
「ん。私もお水貰ってくる」
空になったティーポットを持って、ルゥ姉様も部屋を出る。
あ、今私一人だ。
……チャンス?
眠っている薫平さんを見る。
生唾を飲んだ。
だ、ダメだ。
ちょっと自分を抑えきれない。
少しだけ。
少しだけなら。
今ならそのお口に、私の口を重ねるぐらいならしても良いんじゃ……。
ゆっくりと顔を近づける。
心臓がバクバクと音を立てて昂ぶる。
薫平さんの鼻の頭と、私の鼻の頭がコツンとぶつかり、そこからジワジワと体温が伝播していく。
「……んにぇ。んにゃああああああっ!」
「なっ、ナナっ!?」
また起きて来ちゃったのかな!?
そ、そうだよね!
ママ悪い子だったね!
パパの寝込みを襲うなんて、ママのする事じゃないもんね!
危なかった!
私の可愛い娘が私を悪の道から呼び戻してくれた!
本当良い子だ! 偉いぞナナちゃん!
「……んびぇええええ! ふぁあああああん!」
「今行くからー!」
ナナの泣き声に驚いたジャジャも起きてしまったみたいだ。
ドタドタと身なりを整えて隣の部屋に急ぐ。
慌てない慌てない!
初めてのキスは薫平さんがちゃんと起きてる時に、薫平さんからして貰うんだもん!
こんな卑怯な事しなくても、薫平さんなら絶対にしてくれる筈だもん!
扉を開けて寝室に入る。
大きなベッドの上で、ナナが両腕を振り回して私を探していた。
隣のジャジャはうつ伏せの状態から上半身を起こして泣いている。
はーい!
ママが来ましたよー!
『…………な、なんだったんだ今の』
ん?
隣の部屋から声が聞こえた様な。
気のせいか。
新作、『天騎士カイリと無敵に可愛い天魔パレード!』も、よろしければ読んで見てください!
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