狂気の親娘(幕間)
「おかえり、母様」
ねぐらである屋敷に辿り着くと、私を母と呼ぶ魔族の娘が出迎えてくれた。
広い玄関の正面にある大階段の一番下で膝を抱えて座り、眠そうな目で私を見ている。
「なんだい。まだ起きてたのかい? 夜更かしはお肌に悪いよ?」
「母様が帰ってくるまでは起きてるって決めたの。私がそう決めたの」
そうかい。
あいかわらず変なところにこだわる娘だ。
世界衝突の時に世界各地で発生した、汚れた魔力の吹き溜まり。
運悪く都心部に重なってしまった場合、そこは『穢れた都市』となる。
この娘はそこで拾ってきた子だ。
魔力中毒で死んだ親の死体の横で、泣きもせずにただ空虚に私を見つめていたもんだから、面白くなって連れてきてしまった。
汚れた魔力に汚染された生き物は、もう普通の場所では暮らせない。
魔力が無い場所では呼吸もできなくなり、魔力があっても汚れてなければ身体が拒否反応を起こすようになるからだ。
常に高濃度の魔力に浸り続ける事だけが汚染者の安寧をもたらし、やがて内臓から筋肉、何から何まで全てその機能を停止し、あっけなく死ぬ。
この娘には私の『泥』を飲ませてやったから、普通の奴よりは長生きするだろう。
体内で通常の魔力を汚染することができ、効率良く循環できるようになったからね。
適当に相手をしてやってたらいつの間にか私を『母』と呼ぶようになり、やけに懐くようになってしまった。
便利だから良いんだがね。なにせ私の命令にはとても従順に従ってくれる。
色々と制約の多いこの身体ではできない事も、この娘が居ればなんとかなる。
蛇であるこの身体の文字通り手足をなって動いてくれるのだ。
こんなに私にとって都合の良い存在は滅多にない。
「ダイランに行って来たんでしょう? なにか面白い事あった?」
「あったよ。懐かしい顔にも会えたしね」
「へぇ、母様がそんな顔するの珍しいね。お友達?」
その灰色の髪を掻き上げて、娘は眠そうに欠伸をした。
「いや、弟さ」
「母様、弟なんていたの? おじさま?」
後頭部から生える山羊族特有の二本の角を触りながら、娘は首を傾げた。
「ああ、居たんだよ。今はアルバ・ジェルマンって名乗る、実の姉より惚れた女を取った薄情な奴がね」
もう何万年、何億年も昔の話だが、今思い返しても腹が立つ。
あの始祖の龍。
アイツさえいなければ。
「なにそれ。母様裏切られたの?」
裏切られたとも。
この世界で唯一信じられると思っていた、同族にね。
なんて事を口に出すのも悔しいから、無視して屋敷の奥へと移動する。
「……へぇ、ねぇねぇ。その弟さん、殺す? 私が行ってキュッと殺す?」
「よしときなよ。アンタじゃ相手にもならない。なにせ私の同族だ。単純な力のみでは太刀打ちできないよ」
「でもほら、私強いじゃない? この館の人達だって私が殺したんだよ?」
本当に愚かな娘だね。
ちょっと力の使い方を教えたら、すぐに調子に乗りやがった。
私の『泥』を取り込んだんだ。それぐらいは出来て当然じゃないか。
でも私達に比べたらそんな力は意味が無い。
肉体ではなく精神を蝕む古代魔法なら少しは抵抗できるかも知れないが、この娘には教えてないしね。
「私の意見も聞かずに勝手に殺してこの館を奪ったんだろう? まぁ良いさね。球大陸での拠点を探していた所だ」
「そうでしょ? 母様はもっと私を褒めても良いと思うんだ?」
「調子に乗るんじゃないよ。さぁ、留守中の報告を寄越しな」
元々精神に根付いていた絶望と不安を面白可笑しく突いていたら、とんでもない性格破綻者に成長してしまった。
他の奴らみたいに自我を奪おうかとも考えたが、これはこれで面白いから捨てがたい。
「例のお馬鹿さん達に球大陸でのルートから武器を流しておいたよ。あと母様が言ってた薬も」
「へぇ。それはまた。随分と急な話じゃないかい」
向こうから渡りを付けて来たのが二年前だ。
あんまりピンと来ない組織の理念やら目的やらを嬉しそうに説明してくるから、物は試しと少しばかり援助してやっていたが、今に至るまで行動を起こそうとはして来なかった奴らだ。
なんでまた急に動く事にしたんだか。
「あの薬を欲しがったってことは、近い内に暴れるつもりなのかね」
「母様の言ってた説明は全部伝えてあるから、そうなんじゃない?」
ここ数千年ほど私が研究している件の副産物として出来上がったあの薬は、精製されてからの使用期限が余りにも短い失敗作だ。
コストも掛かるし、使用者は必ず死ぬし、なによりその効果が予定しているものの十分の一に達していない。
密封状態で2週間。
空気に触れたら二分で気体化するから使い所が無く、処分しようかどうか迷っていたんだがね。
だけど折角出来上がったんだし、どこかにデータを取らせてくれる使い捨ての実験動物でも居ないかと探していたら、例の馬鹿どもが大喜びで飛びついてきた。
本当に愚かな連中だ。
使えば必ず死ぬ事を知っていてなお、あの薬を欲するとは。
そんなに魔族と魔法が憎いのかね。
世界衝突によって突如身近な存在となった魔法という存在を疎ましく思っている奴らは、少なからず存在する。
人類が築き上げて来た科学技術を真っ向から否定し、過去の物とした分野が多いせいだ。
自らを霊長の頂点と信じてやまず、混迷する世界において常に優位をとってしかるべきだと本気で考えているのだろう。
笑わせる。
霊長の頂点は私だ。
百歩譲って、同族であるアルバもか?
人間共がどんなに賢くとも、獣人共がどんなに屈強でも、魔族共がどんなに魔法に長けていようとも。
全ての生命を超越し玉座に君臨できるのはこのクレイ・エンデしかいない。
今でこそこんな惨めな姿に甘んじているが、やがて私はあの姿を取り戻すだろう。
その時こそ、全ての愚かな生物共は私にひれ伏す。
私の望んだ通りに、その全てを私に差し出すだろう。
楽しみで仕方がないよ。
ああ、そうだ。忘れてた。
「そういえば、名前を作ったんだよ」
「名前? 母様の?」
蛇の体をくねらせて階段を登っていたら、娘が後ろから私の体を持ち上げた。
「ああ、クレイ。クレイ・エンデと名乗る事にした」
「どういうこと? いままで頑なに名前を作ろうとしなかったのに」
娘は私を胸に抱くと、しっかりとした足取りで階段を登る。
名前。
名前とは不便なものだ。
私という存在を特定するだけではなく、魔法的な意味での個体として確立されてしまうからね。
私がアルバに感づかれずに今まで生きて来れたのも、名前を持たずに一匹の蛇を装っていたからだ。
群れに混ざり、影に潜み、私を識別する物すべてを排除し、存在してるかどうかすらもあやふやにする。
そうする事で私は別の『私』を容易に創りだすことができた。
名前を持つメリットよりも、名前を持つデメリットの方がはるかに多い。
見た目と名前そして存在を確立されてしまえば、それから私と言う存在に辿り着ける可能性がグンと上がってしまう。
だが今夜、事情が変わった。
小僧。
あの小僧だ。
私にすら出来なかった、聖域への転移。
亜空間へと渡る術を見出せず、この四十年間ずっと歯痒い思いをしてきたが、ついに糸口を見つけた。
面白い。
本当に面白いぞ。アルバ・ジェルマンよ。
お前が頑なに隠そうとして居た存在。この世界のどこかに隠れ住む四匹の龍姫と、強大な力を持つ三匹の龍王たち。
その七匹の中で、唯一姿を確認できたのは風の龍姫ただ一匹だ。
私が一番弱体化し、眠りについた最初の三千年。
その短い期間に、龍種は不自然なほどに爆発的に増えていた。
そこからすでにこの世界は歪み始めている。
龍とは単体であり、絶対唯一の存在だったはずだ。
忌々しいあの始祖龍に子を産めるような機能は存在していない。
なぜならあの女は生物ではなく、概念だ。
この星の意思が生み出した、生命のサイクルと星の均衡を保つためだけに存在するシステムじみた概念。
それが元々の龍だ。
なのに現在、龍は弱い個体から強い個体まででおそらく数千匹はいる。
なぜだ?
どうやって増えている?
奴らは『泥』の恩恵を受けてない。
生命としての在り方を獲得していない。
生きているように見えた、人形でしか無かったはずだ。
ああ、分かっている。
十中八九、あのアルバが関与しているのだろう。
あの弟の本来の権能は、『育む』ことだったからね。
考察や思考実験を幾度も繰り返してその過程の大筋の道は掴んではいるが、あと一歩が足りない。
聖域に眠るであろう始祖龍セラフィの遺体。
それを調べる事が出来れば、おそらくその答えはすぐに見つかると踏んでいる。
そして、私の本来の体を取り戻す方法もそこにある。
始祖龍に食われた私の力と肉体が、今も聖域のどこかに残っているはずだ。
だから私は聖域に向かわねばならない。
どんな手段を用いても、必ず。
「ねぇ母様。教えてよ。なんで急に名前なんて作ったの?」
やがて階段を登りきり、娘は二階の一番奥の部屋の前で私を下ろす。
娘が扉を開けたタイミングで体を室内にねじ込み、そのまま部屋の中のベッドへと登った。
「うるさい子だねぇ。どうだっていいじゃないかそんなこと」
枕の上で体を巻いて一心地入れると、娘がベッドの端に腰を下ろした。
「良くないよ。母様がクレイ・エンデって名前になるってことは、私もエンデの名前を名乗っても良いってことでしょ?」
なにをつまらないことを。
「勝手に名乗ればいいじゃないか。母親なんてお前が勝手に呼んでいるだけなんだから」
「いいの!? やった!」
本当にどうでも良いことにこだわる娘だ。
時々無性にうっとおしく思える時もある。
だが良いさ。
精々私の為に、その残り少ない命を浪費してくれ。
最後の時まで甘い夢に浸って、幸せなままで死なせてやろう。
なんて優しいんだろうね。私は。
「そうかー。エンデかぁ」
娘はベッドから飛び起きると軽やかに着地し、屈託の無い笑顔で私へと振り返った。
あの薄汚れた街で拾い上げた時から変わらないその幼さの残る顔は、あの時と違い表情豊かに笑うようになった。
「じゃあ私は今日からエイレン・ハス・エンデ! うふふ!」
何が面白いのか、エイレンはくるくると回り出した。
「母様の娘だよ私は! だからエイレン・ハス・エンデでいいの!」
「わかったわかった。今日は疲れてるんだ。寝かせておくれ」
うるさいね本当に。
「うん、おやすみ母様」
にやにやしながらエイレンは部屋を出る。
扉を閉める前に一度部屋の中の顔を入れ、もう一度笑った。
「母様。なんでも言ってね? 私、母様の為ならなんだってするから」
そう言ってエイレンは扉を閉めた。
「ふん」
何を言ってるんだあの子は。
そんなの当たり前だろうに。
私が拾ったんだ。
お前はその体の流れる血の一滴まで私の所有物だよ。
私が死ねって言えば、笑って死ぬのがお前の役目だろうに。
さぁ、やる事が増えた。
明日からはまた聖域のある亜空間の座標を特定する作業を始めなきゃね。
鍵になるのは、あの坊やだ。
転移魔法陣の起点から遡れば、おそらく亜空間の壁を超えた時の残滓が見つかるはず。
ふふふ、楽しくなってきたよ。
そうさ。
何事も楽しまなきゃね。
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