秘密(エピソードEP)
場に留まった魔力を、ゆっくりと拡散させていく。
こんなに大きな力を使ったのは何万年ぶりだろうか。
この小さな体に長い間溜め込んでいた魔力が、もう殆ど残っていない。
一度ねぐらに戻り、魔石にストックしてある魔力を補充しに行かないとね。
時間だけは沢山あったから、補充魔石は充分すぎるほど用意してある、
……かつての体なら、そもそも魔力の量を気にする必要なんて無かったんだけどな。
いやいや、ダメだ。過去を振り返るのはよそう。
たら、ればを言えばそれこそキリが無い。
「……待てよ」
振り返らずに声だけで制する。
制されたほうは特に驚くこともせず、ただピタリと固まって動かなくなった。
「どこに行くんだい? クレイ」
「どこだって良いだろう? お前にとっては私は邪魔でしか無い筈だ」
「そりゃあ、僕の目の前から消えてくれるならありがたいけれど、話が終わっていないんだ」
「私は何も話す事なんてないよ。お前は何も与えないのに、私からは貰おうなんて虫の良い話だとは思わないのかい?」
僕が魔力を拡散している間に、蛇はこっそりと逃げようとしていた。
クレイ。
クレイ・エンデ。
出自を同じくする、僕の唯一の同族。
彼女は僕を弟と呼ぶけれど、御免被る。
コイツを姉だなんて思った事は一度も無い。
傲慢で、身勝手で、冷酷で。
そして恐ろしいまでに強欲な女だ。
方々で性格が悪いと言われている僕ですらこの蛇の性格には吐き気を催す。
彼女に比べたら僕なんて聖人みたいなもんだ。
いや、良い方を変えよう。
彼女は正真正銘の、悪そのものだ。
「私の知りたい事は、この騒ぎのおかげで大体察しがついたよ。あの小僧、なかなか面白いね」
「あの子に手を出してみろ。ありとあらゆる手を使ってでも君を滅してやる」
「おー、怖い怖い」
茶化す様に笑うクレイに、僕は苛立ちを隠せない。
知られたくなかった。
不器用くんの存在は、この蛇に知られて良い物じゃない。
盲点だった。
まさかこの女が生きているなんて思いもしなかった。
これだけの長い間、僕に存在を悟られずに居られるなんて想像すらしていなかった。
完全に僕の落ち度だ。
たとえかつての様な強大な力を失っていようが、この蛇はその存在だけで十分世界の脅威となり得る。
あの時。
もうどれだけの時が流れたかすら朧げなほど遠い昔。
この女はセラフィのブレスによって消滅したはずだ。
僕はそれをこの目でちゃんと見ていた。
断末魔の悲鳴をあげて滅されたはずだ。
いったいどんな手段を用いてあのブレスを耐えたのか、気にはなるが今はどうでも良い。
大事なのは、この蛇はなぜダイラン王墓の転移魔法陣を監視していたかだ。
僕と同じ小さき者の体を乗っ取ったと言うのであれば、この蛇もまたかつてに比べてかなり弱体化している筈。
昔の様に我が物顔で空を飛んだり、空間を歪めて移動したりはできないだろう。
この僕だって色んな力を犠牲にして、亜空間高速移動という能力を保持しているんだ。
クレイの性格じゃ、他の強大で攻撃的な能力を捨てきれないと予想しても、転移魔法陣はそれほど必要な物とは思えない。
なにせ一方通行の転移しかできないから。
あの転移魔法は確かに優れた魔法だし便利ではあるが、目的地がダイラン王墓に限られてしまう。
他の魔族国家の秘匿移動魔法も、到着地は違えどその制約から解放されていない。
なんでダイラン王墓なんだ?
魔族大国フランシオンの王城にある魔法陣でも良い筈だ。
球大陸のほぼ中央に位置するフランシオンなら他の魔族の国や、まだ稼働している古代遺跡に向かうのに適しているはずなのに。
「どうせお前は何も答えちゃくれないんだ。ここに長居する理由は無いよ。私ばっかりにかまけてて良いのかい? 期せずして私が解いてしまった封印をそのままにして置く訳にはいかないんじゃないかい?」
「くっ」
本当にこの性悪女は!
人の痛い所を目ざとく見つけるのは相変わらずだな!
「……良いよ。行きなよ。どうせ消耗した今の僕に君をどうこうする事は出来ないんだし、なにより君だって殆どの魔力を使い果たしてるんだろう?」
「そういうことさ。ここで睨み合っててもお互いに得は無いよ」
「だけど、次はそうはいかない」
そうだ。
この蛇を生かしておく事はできない。
そのドス黒い性根は、いつか必ずこの子達や龍達に牙を剥く。
いや、この女は全ての命ある者にとっての天敵だ。
早い内に手を打たないと、取り返しのつかない事になる。
「ああ、そうかいそうかい。嫌われ者は退散するさね。坊主によろしく言っといておくれよ。達者に暮らせよってな」
また心にも無い事を。
笑えない冗談に文句を言おうと振り返ると、もうその姿は消えていた。
……短距離転移の魔法具か。
あの、額のサークレットだな?
知覚を最大限に広げ、周囲に蛇の存在が無いかを確認する。
熱感知、振動感知、静音感知、魔力感知。
すべての索敵結果が、もう蛇がここに居ないことを告げた。
だけど油断はできない。
数億年も死を偽装してきた奴だ。
僕の目を欺くことなんて容易い事だろう。
これから先アオイや双子達、そして風待家の人間達から離れられなくなってしまったな。
この球大陸での用事、早めに済ませないと。
アリスの身体も気がかりだし、蛇への対策も練らないといけないし、双子達と精霊の経路や不器用くんの心臓の封印の強化も急がないといけない。
課題は山積みだ。
精霊と不器用くんを遠ざけるために僕とクレイが使用した魔法は古代魔法だ。
実態を持たない精霊達に対処するには、現代魔法ではどうにもならないから。
だから使用した魔力の残滓は細心の注意を払って取り除かないといけない。
古代の魔法は、精神を汚染するから。
數十分かけて魔力を拡散し終えた僕は、飛行魔法を用いて不器用くんの所へと飛ぶ。
荒れた荒野にそびえる大岩。
その頂上に不器用くんとアオイが居る。
精霊と精神を感応させた不器用くんは、かなり消耗しているのだろう。
アオイの膝の上に頭を置き、身体を丸めて眠っている。
まるで幼子のようなその姿に、少しだけ懐かしさが込み上げてきた。
永遠を生きる僕にとってはそう長い時間ではないのに、不思議なもんだ。
かつての彼。
まさにまだ幼い子供だった頃の不器用くんはああやってヒルダの、いや。
あの時は『風待薫』の膝枕で気持ち良さそうに眠っていたっけ。
舌ったらずで快活で、そしてとても甘えん坊だった子供が、今じゃ双子の龍の父親だなんて、今でも信じられない。
奇跡って本当にあるんだな。
その存在に疑問を抱いている神とやらに感謝したいぐらいの奇跡だ。
ヒルダがアオイを見つけた事も、アオイがジャジャやナナを産んだ事も、全部この子がこの世に生まれ落ちたからこそなのだから。
そう、すべてはこの子から始まってるんだ。
セラフィが遺した最後の願いが、この子の誕生によって現実味を帯びてきた。
奇跡以外のなんと言えばいんだろうか。
「アオイ、不器用くんの様子はどうだい?」
「……気持ち良さそうに眠っています」
アオイに睨まれた。
そりゃあそうだろう。
何も知らないアオイからしてみたら、僕のして来た事全てが怪しく見えるからね。
「教えてくださいおじさま。薫平さんに何があったんですか? あの蛇は何者ですか? さっきの薫平さんはどうしちゃったんですか? あの精霊、一体何なんですか?」
「少し落ち着くんだアオイ」
「落ち着けません! あんなに弱々しい薫平さん、初めて見ました! 説明次第では、たとえおじさまでも!」
うーん、困った。
説明できないし、説明する気も無い。
不器用くんに関するあれこれは、正直かなりデリケートだ。
僕があの子の心臓に施した多重封印。
頑丈さは折り紙つきなんだけど、それでも絶対では無い。
解除する方法自体は幾つか用意している。
成長に合わせて微調整が必要になるから、特定のワードや合言葉で封印が解けるようにしてるし、本来なら不器用くんが成人する頃合いを見計らって封印を新しくする予定だったんだ。
アオイに事情を理解させて、もし不意にそのワードを口に出したりなんかしたら。
解除された封印によっては、心臓の内側から溢れる力でこの子は即死してしまう。
ジャジャとナナとの接触によって開かれた精霊の経路も、牙岩でのユールとの一件で、卵の殻を経口摂取させて身体の内側から馴染ませる事でちゃんと手順を踏んでいたんだ。
ありとあらゆる不安要素を排し、日常生活の動作に徐々に補強術式を紛れ込ませる事でようやく今がある。
だから不用意にアオイに事情を説明する訳にはいかない。
アオイだけじゃなく、ヒルダや風待晃平にも全てを教えている訳じゃ無いんだ。
すべては不器用くんが人間として生き、人間として死ぬ為の措置だ。
それが僕とセラフィの希望だった。
だがクレイ。
アイツが余計な事をした。
ダイラン王墓の転移魔法陣を介して不器用くんの体内の小さな精霊経路を感知し、その違和感を魔法陣の術式を書き換える事で掴み取って、ここに呼び出したんだろう。
そのせいで経路に沿って空いていた封印の隙間がこじ開けられてしまった。
……聖域へ転移したのは、多分ヒルダの波長と同期してしまったからだと思う。
それに関しては予想外としか言いようが無い。
空間的に閉鎖されている聖域への侵入なんて、亜空間を行き来できる僕にしか不可能だと思っていた。
そうか、考えてみれば盲点だった。
龍姫であるヒルダの能力は、龍王達が修正した事で拡散された精霊達の正しい道を世界に広める事だ。
その身体が不可視のエネルギーの塊である精霊達なら、空間や距離は関係無い。たとえ閉ざされた聖域だろうと問題なく移動できてしまう。
不器用くんの精神の構造は精霊に近いし、クレイによって捻じ曲げられた転移魔法のルートが断続的に空間を短縮し、亜空間へと一時的に繋がっていたとしたら、聖域とこの世界を隔てる次元の壁を突破してしまう。
精霊と同期できるほどの感応性なんて始祖の龍であるセラフィしか持ち得てなかったし、それは生物として異常な存在だ。
だから可能性すら考えた事は無い。
これから先もどんな予想外な事態が起きるかわからない。
その時封印に不備が起きたら、幾ら僕でも対処できない。
だから念には念をいれて、アオイの質問は無視させてもらおう。
「話はアトル王子の邸宅に戻ってからにしよう。ゆっくり休ませてやりたいしね」
邸宅に着く前に封印の綻びを結び、ついでに補強しておこう。
ああそうだ。
不器用くんのここ数時間分の記憶もついでに封印しておかなきゃ。
ヒルダの存在を知った事が心臓の封印になんらかの影響を及ぼすかもしれないしね。
そうしたら、明後日の夕方ぐらいまでは海龍達のところにでも隠れておこうかな。
アリスの経過も見ないといけないし。
手術が成功したとは言え、まだ予断を許さない状況には変わらないから。
「……戻ったら、ちゃんと説明してください」
そう呟いて、アオイは不器用くんの身体をもぞもぞと抱え始めた。
説明ねぇ。
しないとも。
悪いけど煙に巻かせてもらうよ。
たとえ僕が君達から最高に嫌われたとしても、僕は決して口を割る事は無い。
全てはこの不器用くんの為だ。
「よいしょ、っと」
不器用くんを正面に抱いて、アオイは翼を出した。
「僕もご一緒させて貰うよ」
不器用くんの肩に飛び乗り、こっそりと杖を肌に突き立てた。
龍化した事で服が弾け飛んだのが功を奏したな。
自然を装って不器用くんの体内で術式を練る事ができる。
「行きます」
一言発して、アオイは夜の空へと飛び立つ。
龍気で身体を持ち上げたら、あとは風の精霊達の仕事だ。
惚れ惚れするほどスムーズな精霊の使役。
この子も随分と立派になったなぁ。
しみじみとそう思いながら、地面を見る。
「……やっぱり、まだ『泥』は残っているのか」
「はい? 何か言いました?」
「いや、なんでもないよ」
アオイの問いかけを適当にはぐらかす。
あそこはおそらく不器用くんが転移してきたであろう場所だ。
その証拠にクレイの魔法の使用形跡がある岩の前だけがぬかるんでいる。
命の素を生み出した太古の海。
生命のスープであり、僕らの故郷と同じモノ。
僕とクレイの『本来』の体を構成する全て。
「……転移しただけで、あれだけの泥を生み出せるのか」
もう一度呟いた。
本当に今日は忌々しい事ばっかり起きる。
まさか今になってあの泥をもう一度拝む事になるとは思いも寄らなかった。
あそこにあるあの泥こそが、すべての始まりであり、そして元凶なのだ。





