聖域と邪眼④
俺の目の前で、服を着た鼠と装飾品を身につけた蛇が睨み合っている。
まるで目を逸らした方が食われる。
そんな緊張感を醸し出しながら、アルバとクレイはお互いを睨み合いながら対峙していた。
鼠の賢者アルバ・ジェルマンは感情を一切見せない顔で、蛇のクレイは楽しそうにニヤニヤと笑いながら、しばらく無言でお互いを見ている。
最初に目を逸らしたのは、アルバだった。
「遅れてごめんよ。龍では無い君の存在を感知するのに手間取ってしまった」
そう言いながらアルバは軽やかに今まで立っていた岩から飛び降り、俺の足元までやって来た。
「アオイと弟君がとっても心配している。ああ心配しないで。あの子達はなんのトラブルも無くダイラン王墓に到着しているよ。今はアトル王子が安全な場所に案内している最中だろう。あとでアオイに迎えに来て貰おうね」
「……あ、ああ」
まるでクレイの存在なんか無い様に振る舞い、アルバは微笑みながら俺の膝の上に立った。
「さて、その為には僕がアオイの所に戻って居場所を知らせる必要があるんだけど、この蛇と一緒に君を置き去りにするのは危ないからね。追い払うとしよう」
振り返り、クレイを見るアルバ。
その声色に若干の苛立ちを感じた。
普段の飄々としたアルバじゃない。
いつも余裕ぶっていて、人を小馬鹿にする様なあの苛つく態度が見られない。
「ふーん」
クレイがその首を引いて俺とアルバを観察する。
全体をまとめて見る様なその仕草は、まるで獲物を捕らえようとする捕食者のソレだった。
「ずいぶんと可愛がっているじゃないか。珍しいね。龍以外に興味を持たないお前がたかだか人間なんて弱い物を守ろうとするなんて」
やっぱりクレイは笑っている。
相変わらず俺には何が面白いのかさっぱりわからない。
ただただ不快感と嫌悪感しか感じない。
「まるで僕のことを知っている様な言い方はやめてくれないかい? とても不愉快極まりない」
「知っているさ。知っているとも。むしろ私以外にお前の事を理解できる存在なんて居るはずがないだろう?」
クレイはそう言って俺達の周りを周り始めた。
クスクスと、いやシャーシャーと喉を鳴らしながら、真っ黒い蛇はウネウネと移動する。
「なぁ? 弟よ」
「へ?」
その言葉に反応したのは、俺だった。
弟? 誰が?
「……やめてくれないか。僕は君を姉と思った事なんて一度もない。僕達は『生まれた場所』が同じだけの間柄だろ?」
俺の膝から飛び降りて、クレイの動きに合わせて俺の周りを周り始めるアルバ。
やっぱり、普段のこいつの態度じゃない。
ずっと目の前の蛇、クレイを警戒している。
この二人、本当に姉弟なのか? こんなに険悪な姉と弟っているのか?
俺と翔平は仲がいい方だから、想像ができない。
っていうか、まず鼠と蛇の姉弟ってなんだ。
何がどうなったら蛇の弟が鼠になるんだ。
「そうかい? 私はお前を弟と思っているんだがね。出来の悪い素行の悪い弟さ。悪い女にたぶらかされて、実の姉を殺しかけたね?」
「やめろ」
アルバが杖を構えた。
その先をクレイの向けて、憎々しげに睨む。
発された声色は重く、普段のアルバの軽いノリが一切含まれていない。
「セラフィの事を君が語るな。もう一度、今度は完全に滅してやろうか?」
セラフィって、誰だよ。
ちょっと待ってくれ。
もう本当についていけない。
さっきから訳のわからない事だらけで、落ち着く暇が一切ない。
「まだあの根暗女に未練があるのかい? 一途な事さね。何がお前をそうさせたのか。ああ、私が痛めつけたといえ、トドメはお前が刺した様だね。まぁ私を憎むのは御門違いってもんだよ。元はといえばあの女が私に喧嘩を売って来たのが悪いんだから」
「良く言うよ。どの口がそんな事を言えるんだい?。セラフィがその身を賭して君を止めなければ、今この世界に生命は存在しなかっただろう。まさかこんな長い時を経てまで君の姿を見るなんて思いも寄らなかったよ。まさか生きていたなんてね。その姿、君も小さな命に縋らなければ形すら保てないほどに消耗していたと見える。なんとも胸糞が悪いが、お互い似たような経緯を辿ってしまっていたようだ」
「ああ、この姿かい? 似合ってるだろう? 実は気に入ってるんだ。お前が瀕死の鼠の肉体を借りたのをこっそりと見ていたんだ。お前にできて私にできない事なんてあるはずが無い。それに元の体はあの女に八つ裂きにされたからね」
「自業自得だろう? 君がして来た事に比べたら軽すぎる罰さ。まさかこんな長い年月、僕に気づかれる事なく生きていられたなんて素直に驚きだよ。執拗でねちっこい君なら、まぁ当然できた事だったんだろうね。やはりあの時、念入りに君の存在を探すべきだったんだ」
「ははっ、そうは言っても苦労したんだ。元の力を取り戻す術は今となっても一切見つかっていないからね。まぁ、見たところそれはお前も同じらしい。だからこそ、私は今まで生きて来られたんだが」
「さて、一体今まで何を欺き、誰をたらしこんで醜く生き永らえたんだい? 僕を弟と言うのならば教えてくれてもいいんじゃ無いかお姉ちゃん?」
「ふふふ、さーてどうだろうね。たった一人の身内と言えど、手の内を晒すよな真似をする私じゃないよ。なんて言ったって我が愚弟は、今でも私の命を狙っているようなんでね」
「当然だ。本当なら今すぐにでも殺してやりたいぐらいだよ。不死である君を完全に滅する事ができるのなんて、『同じ』僕や、セラフィだけだ」
「できもしない事を言うもんじゃ無いよ」
「できないことは無いさ。君が一ヶ月ほど相手をしてくれればね。でも、逃げるんだろう?」
「ああ、逃げるとも。私だって死にたくは無い。やるべき事も残っているしね」
「僕がそれを許すとでも?」
お互いがお互いの言葉に食い気味で、身構えるような姿勢で言葉の応酬をするアルバとクレイ。
クレイはその首をずっとアルバに向けて、アルバは杖の先端をクレイに向けて、絶対に目を逸らさずに向かいあう。
待ってくれ。本当に待ってくれ。
誰か俺に少しでもいいから説明をしろ。
なんでも良いから、俺にわかるような事を喋ってくれ!
「その小僧。何者だい?」
クレイが俺を横目で見る。
「転移術式に干渉した時、すぐ私の元に飛んで来るように設定したんだ。だがこの小僧は一度亜空間から姿を消し、私の感知の及ばない場所へと転移した。ありえないね。私のこの眼が一度捉えた物を見失うなんてあるはずが無い。たった一箇所、あの場所を除けばね」
「……何を言ってるんだい?」
わかる。
馬鹿な俺でも何と無く分かる。
アルバは今、何かをはぐらかした。
絶対に知っているはずの事をクレイに悟られないように取り繕った。
ならば俺がさっきまでいたあの場所は、クレイに知られてはいけない場所なんだろうか。
母さん、いや、あの白い少女と二匹の妖精達が居た場所。
乳白色の空と、深い緑の森にあるボロボロの石舞台。
あの場所には、アルバが隠そうとする何かが。
隠さなければならない誰かが居るって事で、良いんだよな?
なら俺は何も口に出さない。
馬鹿な俺がぽろっとあの場所について零してしまったら、取り返しのつかない事になる。
本当に何と無くだが、そう直感した。
俺は口をつぐむ。
一言も発さなければ、相手の欲しい情報が相手に渡る可能性はゼロだから。
「そして……お前が隠そうとすると。まぁ、もうほとんど分かってはいるんだ」
クレイは一度その両目を細め、またニタリと笑う。
「聖域」
その言葉に反応したのは、アルバだった。
肩を一度震わせ、杖の切っ先を揺らす。
「あの忌々しい白女が死んだ場所。かつての守護の森は今じゃそう呼ばれているんだろう? 確かあの女の直系の龍が居たはずさ。42年前、世界と世界が衝突した時に消滅したはずのあの場所。だがあの土地が消えてなお未だに精霊が生きているのはおかしい事だ。絶対にどこかに隠されていると思ってはいたんだが見つける事は出来なかった。全てを見通す私の眼を持ってしても……だ。つまりそれはこの世界に存在せず、どこか別の次元にあるって事」
クレイの眼の赤が、より強い光を放って俺を見る。
「だがそうなると、あそこにたどり着ける者などいるはずがない。なら何故そこの小僧は辿り着いた? 一体その小僧に何がある? その心臓に施された何重もの封印式は何を封じ込めたモノなんだい? 知りたいねぇ。ああ知りたいとも。弟よ。同じ『泥』から生まれた我が半身よ。今はアルバ・ジェルマンと名乗る、愚かな愚かな『始まり』の者よ」
クレイの声色が、変わる。
女性的だったその声が、重く、そして脳髄に響くほどに鋭利な物に変わる。
俺の体が震え始めた。
怖い。
恐ろしくてたまらない。
こんな存在が、居て良いはずが無い。
その細くて長い体の全てが醜く、悍ましく、そして不吉だ。
関わる者全てを不幸にするための在る者、それが目の前のクレイ・エンデだ。
この蛇はきっと世の邪悪の全てを鼻歌交じりでやってのけるだろう。
なんでそう思うかは分からない。
でも全身に走るこの鳥肌がそれを俺に教えてくれている。
逃げたい。
でもやっぱり動かない。
「だから、その精神汚染の魔術をやめろと言っているだろう。……一つ、僕も聞きたい事があるんだ」
アルバが言葉を発したら、俺の体にまとわりつく恐怖が消えた。
なんだよ本当に!
精神汚染って俺何されてたんだよ!
もういやだ!
ジャジャとナナに会わせてくれ!
「なんだい?」
俺の心の叫びなんて届くはずも無く、クレイはまたニタリと笑う。
「42年前、世界と世界が衝突したあの日。その発端となった八三名の魔族と獣人。彼らが聖域へと襲撃した事件と、大規模すぎる『消滅の火』を生み出したあの魔術儀式……アレには、君が関わっているな?」
アルバの杖に、淡い光が灯される。
金切り音に似た耳に痛い音を出しながら、その光は強く、大きくなっていく。
「答えろ。君があの襲撃を計画し、何千人もの獣人や魔族の命を用いてあの魔術を行ったんだろ? まさか君としても、遥かなる時を経て再び世界が衝突するなんて思ってもみなかったようだけど、聖域に守られたヒルデガルダを殺すためにあんな事をしたんだろう?」
アルバが凛とした声でクレイに問う。
その声は強く、そして頼もしく、何より安心感のある声だった。
「……どうだかね? まぁ、私だったかも知れないが、それがどうかしたのかい? 龍は私にとっての純粋な敵さ。聖域に居るのがあの白女の直系と言うなら、そりゃ殺す理由なんて腐るほどある。単純な疑問としてなんであの女以外に龍が生まれてきたのかっていうのもあるが、私は龍の存在を許さないし、憎み続けるよ」
笑みを絶やさずに、クレイは告げる。
「かつて、僕は君に言ったはずだ。セラフィを傷つける者を僕は許さないと。そして今を生きる龍は全てセラフィの子。彼女達を脅かす者に、僕は一切容赦しない」
「へぇ?」
アルバの声を楽しそうに聞くクレイ。
その額の赤い宝石がアルバの杖と同じように光りだす。
「それじゃあ、そんなアンタが私をどうするって言うんだい?」
「そんなの、決まってるだろう?」
お互い薄く微笑み合い、同時にアルバの構える杖から強烈な光が迸った。
「うわっ!」
目の前で、大爆発が起きた。
続いて俺の体が吹き飛びそうな程の爆風が巻き起こる。
振動で地面が揺れ、辺りで繰り返し明滅する光に吐き気を催す。
いつの間にか俺の足元にいたはずのアルバがいなかった。
光の明滅は俺の視界の至るところで起き、そして上空や背後まで及んでいる。
アルバとクレイが、訳のわかならい戦い方で戦っている。
そう直感した。
俺は地面にうずくまり、頭を抱えて身を守る。
「やめてくれ! もうやめてくれよ! なんなんだよ本当に!」
どんなに叫んでも、その声は爆発音にかき消される。
「勘弁してくれ! 誰か俺にちゃんと説明してくれ!」
永劫に終わらないんじゃないかと思える時間、アルバとクレイは戦い続けた。
重なる爆発音。
閉じた瞼の裏まで突き抜けてくる暴力的な光。
地面にしっかりと伏せる俺の体を、右に左にと揺さぶる強い風と振動。
地面を抉り、空間を喰らい、夜の闇を消しとばすほどの凶暴な光の明滅。
この光を一発食らうだけでも、おそらく俺は跡形も無く消滅するだろう。
それほどの威力、それほどの戦い。
これは、俺みたいな弱い生き物が巻き込まれてはいけない物だ。
あの鼠と蛇の手元や思考が少しでも狂うだけで、俺の存在は馬鹿みたいにあっけなく消えるだろう。
夜の荒野は一瞬で人外の戦場と化し、そこには吹けば飛ぶような儚い命の俺がいる。
帰りたい。
家に帰って、アオイに甘えられたりしたい。
ジャジャとナナを存分に構って、ルージュの羨ましそうな視線を笑いたい。
呆れた翔平に怒られて、帰ってきた親父を出迎えて、みんなでご飯を食べて、寝る前の授乳をするためにアオイを胸に抱き、ジャジャとナナの重みも加えて、幸せな気持ちのまま微睡みたい。
こんなわけのわからない場所で訳のわからない話なんて聞きたくない!
何一つ理解できないまま、死にたくなんかない!
帰らせてくれ!
俺を!
俺たちの家に!
家族が待つあの、暖かい家に!
「う、うわああああああああああああああああああああっ!!」
帰らせてくれ!
アオイ!





