聖域と蛇眼②
「薫平……なんだよね?」
真っ白い少女は俺をまっすぐに見据えながら、胸に組んでいた手を下ろす。
ゆっくりと立ち上がって白いドレスの裾をギュッと握った。
「え、えっと。はい、風待薫平……ですけど」
とりあえず名乗った。
なんでこの子は俺の名前を知ってるんだろう。
会った事あったっけ?
いや、こんな全身真っ白でものすごく綺麗で可愛い女の子を忘れるわけない。
……無いよね?
いくら俺が馬鹿だからってまさかそんな。
おぼつかない足取りで一歩づつ近寄ってくる少女は、石の舞台の端で思い出しかの様に立ち止まった。
「あ……」
オロオロと舞台の淵を視線で追い、強く唇を噛み締める。
降りられないとか?
いやそんな馬鹿な。その段差は10センチも無いぞ?
「あ……あぁ……」
困り顔で俺と舞台の床を見比べて、また胸の前で手を組んだ。
「あ、あの。降りられないの? 手伝おうか?」
一応一言聞いてみて、俺は一歩石舞台に近づく。
二歩目を踏み込もうと足を上げたその時。
「ダメ!! そこから近寄ったらいけない!」
少女が大声を張り上げて俺を制止した。
「お願い……そこで止まって。大丈夫だから。大丈夫だから……」
震えだしたその声は、泣くのを堪えているのだろうか。
「わ、わかった」
二歩目の足を後ろに引いて、念の為更に後ずさる。
「あぁ、なんでここに……アルバは何をしているの?」
少女は両手で顔を覆い、俯いた。
ん? アルバ?
「な、なぁ。アルバって、アルバ・ジェルマンの事か? ちっこい鼠の?」
良く少女を見ると、尻尾が生えている。
その額に小さな白い角が二つ。髪と同じ色だから気づかなかったが、あれは間違いなく角だ。
もしかして、龍なのか?
「ヒルダたま! ヒルデガルダたま! 何事でしゅか!」
「ヒルダさま! どうしたんですか!?」
突然俺の後ろ側、森の方から子供の声がした。
女の子と男の子。それもかなり幼い声だ。
その声に振り向くと、手のひらぐらいの大きさの光の玉がが二つ。ビュンビュンと凄いスピードで飛んで来た。
「ヒルダたま! アンミラが来ましたよ!」
「ロックヒルトもいますよ! もうだいじょうーーーーーーうわ! なんだお前どこから来た!」
その光の玉は俺の姿を見るや急ブレーキをかける。
俺の周囲を警戒する様に飛び回り、少女と俺の間に立ちふさがる様に止まった。
「ろ、ロロロ、ロック! 知らない生き物がいるのでしゅ! 見た事無い生き物なのでしゅ!」
「だ、大丈夫だアン! おれが絶対守ってやる! ていうかなんだお前! どうやってこの聖域に入って来た!」
「あ、え? どうやってってーーーーーーそれは俺が知りたいんだけどさ。聖域?」
片一方の光の玉が元気よく上下に揺れる。
今気づいたけど、ちょっと赤い光だ。
じっとその光を見ていると、その中に人のシルエットの様な物が見えた。
「アンミラ! ロックヒルト! 大丈夫だから! その子は大丈夫なの!」
少女が二つの光の玉に向かって声をかけた。
「で、でもヒルダたま! 知らない生き物なのでしゅ! 見た事の無い喋る生き物なのでしゅ!」
もう一方の光の玉が勢い良く少女の方へと飛んでいき、その胸へとダイブした。
あれは……青っぽい光だな。
赤い方が男の子で、青いほうが女の子……なのか?
いや、光の玉に性別があるかどうかは知らないけれど。
「この聖域は閉ざされた土地だぞ! 管理者のヒルダさまでも出入りする事ができないのに、どうやって入って来たんだ! ヒルダさまを狙って来たのか!? そうはさせるもんか! この灯火の妖精、ロックヒルトが黙ってないぞ!」
「ア、アンもいるでしゅ! 凪の妖精の守護魔法はしゅごいんでしゅから!」
そう言われても。
「い、いや! 本当に迷い込んだだけなんだ! ここが何処なのかもわかんないんだって! 聖域なんて知らなかったんだ!」
気がついたらここに居ただけだ! 入るも何も無い!
「落ち着きなさいロックヒルト! アンミラ! 良い子だから落ち着いて!」
「は、はいっ!」
「わ、わかったでしゅ!」
ヒルダと呼ばれている少女の一喝により、二つの光の玉はビクっと一回震えて止まった。
徐々にその光量が弱くなり、背中に4枚の蝶の様な羽を持つ小さな男の子と女の子の姿が現れる。
「よ、妖精?」
フェアリーって、妖精って意味だったよな?
本当に妖精だ……。何これファンタジー。三隈が喜びそう。
ロックヒルトと呼ばれていた赤い光の玉は、生意気そうな顔をした赤い短髪の男の子。
八重歯が可愛らしい。
アンミラと呼ばれていた青い光の玉は、オドオドと俺を見ながら怯えを隠さない大人しそうな青い髪の女の子。同じく青い髪のアオイよりその色は薄いが、その長さは女の子の身長の倍近くある。
どちらも小さな服を身につけている。小さい服だがかなり細かく作られていて、高級な人形とかに着せられてそう。
「よろしい。びっくりしたのはわかるけれど早とちりはダメよ? ほら、薫平にごめんなさいして?」
アンミラを両手の平で持ち上げたヒルダが俺の方へとその小さな体を差し出した。
なんか、この叱り方懐かしいな。
昔、母さんもこうやって同じ様に叱りつけていた。
怒るだけじゃなくて、ちゃんと何がダメなのかを教えてくれて、最後に必ず『ごめんなさいして?』って促してくれる。意固地ですぐイジける俺を素直に謝らせる母さんの気遣いだった。
「で、でもヒルダさま」
「知らない生き物なのでしゅ。くんぺいって生き物なのでしゅか?」
妖精達はそれでも引かない。
「ええっと、前に聞かせたでしょう? 人間っていう種族なの。聖域の外にはいっぱい居るのよ?」
「あ! 聞いた事ありましゅ! 魔族さんと獣人さんと人間さん! 前にヒルダさまが教えてくれたのでしゅ! ほかにも
巨人族さんとか、幻獣さんとか、ヒルダたまとおなじ龍族さんがいるのでしゅ!」
青い髪の妖精、アンミラが得意気に胸を張る。
ギガントさんってなんだろう。
「やい人間ってヤツ! ヒルダさまが謝れって言うから謝るぞ! ごめんなさいこのやろう!」
元気と勢いだけは認めてやろう。
だがそれが人に謝る態度か? なんで上から目線なんだよ。
でもまぁ、別に俺怒ってないし。酷い事もされてない。謝られる理由も無い。
「あ、ああ。こっちこそ急に現れて、ごめん?」
俺も謝った方が良いよな?
ロックはただあのヒルダって子を守ろうとしてただけみたいだし。
「良し。ロックも薫平もちゃんと謝ることが出来るいい子だ。偉い偉い」
そう言ってヒルダは誇らしげに笑った。
なんかさっきから子供扱いされてる気がする。
変だ。
既視感が凄い。
ヒルダの一挙手一投足が俺の中の思い出を刺激する。
今の褒め方といいさっきの叱り方といいなんでもこうも似ているのだろうか。
まるで母さんみたいだ。死ぬ前の元気だった時の母さんの姿がヒルダとダブって見える。
姿は全然似ていない。
母さんは翔平と同じ栗色の髪をしていて、肩ぐらいまで伸ばしていた。ヒルダの髪の毛は毛先から根元まで真っ白で、長さも身長より長い。
背丈も親父の胸ぐらいの身長で女の人としては小さい方だったけれど、目の前のヒルダの身長に比べたら全然高い。
顔の作りも違う。
母さんは息子の贔屓目を抜きにしても美人だったと思うけれど、日本人らしい顔立ちをしていた。
一方ヒルダは日本人離れした美人さんだ。ロシアとか東欧とかの女の子っぽい顔をしている。
何から何まで違うのにここまで似ていると思えるのは、なんでもない仕草や立ち方や話し方がそっくりだからだ。
まるで本人がする様に。
……イヤイヤ。
そんな馬鹿な。
母さんは死んだんだ。
7年前に、俺達兄弟と親父の目の前で。まるで眠る様に息を引き取ったじゃないか。
お通夜の時も冷たい体に触れていたし、遺体が火葬場で焼かれるのもずっと見ていた。
翔平と二人で三日三晩泣き伏せたじゃないか。親父だって俺達の見てないところで泣いていたのも知っている。
母さんが生きている筈なんか無い。
会いたいと願っている。
もう一度だけその顔を見れたらどれだけ嬉しいか。
だけどそれは叶わない願いだ。
死んだ人間は戻ってこない。だから俺達はしっかり生きなきゃいけない。
母さんの葬式を終えた後、親父が真面目な顔で言った事だ。俺達兄弟は何よりもそれを痛感している。
いくらヒルダが母さんと同じ仕草をするからって、母さんじゃない。
「な、なぁ。ここどこだか教えてくれない? 俺ここに突然飛ばされたんだ。ジャジャとナナ、娘達の所に帰らなきゃーーーーーー」
「娘!?」
手のひらの上のアンを撫でていたヒルダが、俺の言葉に驚いて顔を上げた。
「お、お?」
なんだ突然。びっくりした。
「薫平! 娘ってなに!? 貴方の子供なの!? 娘達って言ったよね今! て言う事は一人じゃないの!? 貴方まだ17歳なのに一体どこの女の子に手を出したの!? お父さんははそれを知ってるわけ!?」
「えっ!? いや! あの! ご、ごめんなさい!」
怖い! なんか知らないけどめっちゃ怖い!
思わず謝ってしまった。なんで謝る必要がーーーーーーって言うかなんで俺の歳知ってるんだよ! この顔のせいで年齢以上に見られるぐらい歳が分からないって言われてんのに!
「ジャジャちゃんとナナちゃんってーーーーーーっ外国の子!? ハーフなの!? どこの娘さんとの子供!? 貴方学校は行ってるのよね!? 翔平はなんて言ってるの!?」
「待って! 待って落ち着いて!」
グイグイ来るなほんと!
相変わらず石の舞台から降りて来ようとはしないものの、その勢いは5メートルぐらい離れた俺が気圧されるほどだ!
「ーーーーーーって翔平?」
「話をすり替えないで!」
おかしい。
なんで翔平の名前まで知っているんだ?
いや、俺の名前や年齢を知ってるのもおかしいけれど、この場に居ない翔平の事まで知ってるのは幾ら何でもおかしすぎる。
……嘘だろ?
「だいたい貴方! 相手の親御さんに対してはどうしたのよ! どう申し開きをしたの!? 歳は近い娘なの!? もしかしてーーーーーー年上の女の人じゃないわよね!? 誑かされたの!? それとも誑かしたの!? 私の目を見て答えなさい薫平!」
「いや、俺の言い訳も聞いてくれって! しょうがない事だったんだ! 何も悪い事してないし、アオイも悪い奴じゃない! 変な言い方はやめてくれよ!」
「その歳で子供を持つ事がどれだけ大変な事か理解してるの!? お金だってかかるのよ!? お父さんの稼ぎだってそんなに多くないし、貴方達の学費だってまだまだかかるんだからね!?」
怒涛の勢いでまくし立てるその言葉。その中に、一つだけ罠を張る。
「お願いだから! 落ち着いて話を聞いてくれよーーーーーー母さん!」
「じゃあ母さんが納得できる話をしなさーーーーーー」
ヒルダの勢いが、止まる。
俺の顔を見ながら、その目に動揺の色が浮かんだ。
「ーーーーーーはっ、ハハッ! アハハハハッ! いやいやいや!」
まさか、そんな。
本当に?
「……母さん、なのか?」
石舞台の上を、俺から逃げるように一歩下がる白い少女。
「ち、違う……違うの! 私はヒルダ! 『龍姫』、ヒルデガルダ・ドラグニール! この聖域を司る巫女! 世界を繋ぎ止めるだけに存在する風の龍よ! 貴方の母親なんかじゃ!」
頭を抱えて首を振るヒルダ。
泣きそうな顔で、辛そうな顔で。
「母さん! 母さんなんだろ!? だって俺や翔平を知っているじゃないか! 母さん!」
足が勝手に動いた。
石舞台に向かって、逸る気持ちのままに踏み込む。
「ダメ、ダメよ薫平! 止まりなさい! 来ちゃいけないの! 貴方はここに居てはいけない! こんなところに閉じ込めらるのは、私だけで良いの! 帰りなさい! 晃平くんの所にーーーーーーお父さんの所に帰りなさい! お願いだから!」
「ほら! 親父の名前を知ってるじゃないか! 説明してくれよ! その姿はなんなんだよ!? だって母さん、死んだはずだろ!?」
もう、言葉じゃ俺は止められない。
会いたくて会いたくて、ずっとずっと会いたかった! たとえその姿が違えども母さんだ! 俺と翔平の! 親父の! 俺達の母さんだ!
「翔平も大きくなったよ! 今じゃ家の事は俺や親父より翔平の方が何倍も凄いんだ! 親父も一生懸命頑張ってくれてる! 母さんが住みたいって言った町に引っ越したんだぜ!? ボロいけど、それでも大きい家を買ってさ! ローンは凄いけど、本当に良い家なんだ! 俺の娘達ーーーーーー母さんにとっては孫だけどさ! ジャジャとナナっていう双子の女の子がめちゃくちゃ可愛くてさ!」
「駄目! お願い薫平! 母さんの言うことを聞いて!」
「じゃあ! 説明してくれよ! 俺達、ずっと母さんに会いたくてーーーーーー」
地面と石舞台の境界線。そこに足を踏み入れた瞬間だった。
「うわあ!」
俺の手足に見えない何かが巻きついた。
「くっ、くそっ! またかよ! なんなんだよこれ!」
ここに来た時と一緒だ!
太くて柔らかいロープの様なもので両手足が拘束されている!
「母さんっ! 母さんっ!」
離せよ! 俺の目の前に居るんだ!
俺達家族がこの7年間求め続けて止まなかった人が! もう二度とその顔を見る事が出来ないと思ってた母さんが!
「じ、時空間転移魔法!? まさかそんな!?」
「ヒルダたま! ちがいましゅ! これは普通の転移魔法でしゅ!」
「でもすっごく強いんだ! でもそれだけじゃ聖域に入る事なんて出来ない筈なのに!」
見えないロープの先へと振り返る。ここに来る時は顔すら動かせなかったのに、今は縛られて居る手足以外は動いた。
「な、なんだよ……。あれ」
森と空との境界線に、まるで紙の真ん中を破り広げた様な穴が空いている。
その穴の中は真っ暗だ。先に何も見えない。
「くっそぉ! またあんなとこに引っ張られてたまるかぁ!」
両手足に思いっきり力を込めて踏ん張る。
せっかく会えたのに! まだ何も話してないのに!
母さんが目の前に居るのに!
「薫平ダメ! 抗わないで! どこに繋がって居るかは分からないけれどここに居るよりかはまだマシな筈よ!」
「そんな事あるかよ! 行くなら母さんも一緒だ!」
なんでそんな事言うんだ! 一緒に帰ろう! 親父が、翔平が待ってるから!
「ダメなの……母さんはここで、世界を繋ぎ合せないといけない。貴方達が生きる世界を、守り続けなければならない!」
「知るかよそんなの! 意味わかんねぇってば!」
母さんが何言ってんのか、俺には全然理解できないよ!
「薫平!」
母さんのその小さな手が、俺の両頬を包む。
「……よく聞きなさい薫平。転移先がどこかは分からないけれど、決して諦ちゃダメ。アルバ・ジェルマンを探しなさい。さっきの口ぶりだと、彼の事を知っているんでしょう? あの鼠の賢者がここに来なくなってもう半年近いけれど、彼は『私たち』が望めば絶対に貴方を見つけてくれる筈。どんなに辛くても、歯を食いしばって進み続けて。……できるわね?」
「そんなっ!」
なんでそんな、最後の別れみたいなこと言うんだよ!
それは一回終わってるじゃんか! もう良いだろ! 満足しただろ!?
「……風待薫平は風を待つ。風の薫りを嗅ぎ取って、何時だって、何処だって。飛びたい時に……」
瞳を閉じて、母さんはあの『呪文』を口にする。
俺と母さんの約束の言葉。
俺の心に深く深く根付く、大事な言葉を。
「ビュンと飛ぶ。できるわよね? 薫平は、強い子だもの」
ああそれは。
「母さんの、自慢の子だものね?」
あの時と全く同じ顔。同じ台詞。
「あの世界で、家族みんなで強く生きるの。それだけが母さんの望み。約束よ?」
「あ、ああああ……うわあああああああああっ!!!!」
そして同じ微笑み。
「嫌だぁああああああああああっ!!!」
俺の叫びが虚しく響く。
母さんの姿は、瞬く間に遠ざかって行った。





