聖域と蛇眼①
「準備は済んでるのか?」
アトル王子が俺の顔を見つめて問う。
「おう、バッチリだ。お前らは?」
「い、良いよっ」
「ん。いつでも」
「はい、大丈夫です」
緊張してるのがバレバレな翔平がぎこちなく頷き、ルージュはいつもの澄まし顔。アオイは微笑みながら返事を返した。
「ジャジャとナナも寝てますし、起きてたら怖がったでしょうから今がチャンスですね」
ベビーカーの中で静かな寝息を立てる双子達を見ると、小さなおでことおでこをくっつけて気持ちよさそうに眠っていた。
「あぁ、寂しくなるなぁ。嫌だなぁ。じーじも行きたいなぁ。仕事休もうかなぁ」
親父。気持ちはわかるんだが、だからってベビーカーにすがりつくのは止めろよな。
みっともない。
あと仕事は行け。頼むから。
今親父に職を無くされると我が家は崩壊してしまう。お願いします頑張って下さい!
「じゃあ、親父とアズイ達のことよろしくお願いしますね」
「ええ、気をつけて行ってらっしゃい。こっちは任せて楽しんで来なさい」
アオイの荷物を持ってくれてたユリーさんに軽く頭を下げて、荷物を受け取る。
俺達がいない間、風待家の台所はユリーさんに預けている。
親父やウエラやアズイの飯が心配だからな。快く引き受けてくれて本当にありがたい。
「行ってらっしゃいルージュさま、アオイさま。僕らなら大丈夫だよ。庭園作りがあるからね」
「ええ、ジャジャさまとナナさまが居ないとちょっと寂しいけれど、我慢するわ」
親父の横でベビーカーを覗き込んでいたちびっ子二人がヒラヒラと手を振った。
つい2日前に我が家に来たばかりだが、ウエラとアズイはもう双子にメロメロだ。
空龍王の娘であるアオイの娘だから、ジャジャさまとナナさま。
そう呼びながらルージュと一緒になって双子の面倒を見てくれている。俺とアオイの手が離せない時って結構あるからな。かなり助かってるんだ。
「翔平、財布は持ってるよな? 中身はあんまり入れとかないで鞄とか靴下の中に入れとくんだぞ? 後は……薬は持ってるだろ? 最近は調子良いみたいだけど、環境が変わったらすぐ寝込むからなお前は」
そう良いながら翔平の背負うリュックのジッパーを開く親父。
ようやくベビーカーから離れたと思ったら、今度は翔平の所に行きやがった。
過保護なんだからもう。
「う、うん。兄ちゃんとアオイ姉ちゃんの財布にも分けて入れてる。薬も大丈夫だよ」
初めての海外旅行が怖いのか、それとも初めての転移魔法が怖いのか。
珍しく翔平が年相応にオドオドしている。
気持ちは分かる。兄ちゃんも本当はちょっと怖い。
「薫平、任せたぞ。絶対危ない事すんなよ? アルバの奴にもキツく言っておいてくれ」
「わーったわーった。もう何度目だよ。心配しすぎだろ親父」
一応向こうではアトル王子達に保護される形になってんだ。
言うなればゲスト。危ない場所に行く事なんてあるはずないだろ?
「そうは言ってもなぁ。父ちゃんも海外なんて経験ないし」
「心配しないで下さいお父上様。皆様は鼠の賢者様所縁の方々。それに龍樣です。海龍樣を崇拝している我が国の名に誓って、その御身を守らせていただく事を約束いたしますから」
「ダイランはとっても良い国だよ! そりゃ日本みたいな先進国に比べたら田舎だけど、一年中暖かいし国民も大らかなのが自慢なの!」
アトル王子の側で待機していたカヨーネとウタイが親父を安心させようと声をかける。
カヨーネは静かに。ウタイは相変わらずの声量で。
だからウタイ。双子達寝てるんだってば。ボリューム絞って! 無理なら喋らないで!
「ウタイ。赤ん坊が寝てるんだ。お前はちょっと黙ってろ」
口から出かけて押し戻した俺の言葉を、アトル王子が代弁してくれた。
喋るなってのは流石にひどいかなって思ったんだけどな。
「ああ、風待父。気持ちは多少理解しているが案ずるな。先の決闘でお前達には迷惑をかけたからな。滞在中は俺の名誉にかけて保護する事を誓う」
「ほら、王子様が言ってんだから。大丈夫だって」
「……あぁ分かった。ただ、ちょっと嫌な予感がするだけだ」
気のせい気のせい。
俺と翔平が揃って家を空けるなんて初めてだからな。しかも長期間だ。
ナイーブになってんだよきっと。
「問題ないなら行くぞ? ここから先は呪紋のある者しか降りれない。見送りはここまでだ」
そう言ってアトル王子が右手を上げた。
ああ、両手の甲に書かれたこの紋様の事か。
レッドヘナだかなんだかって言うハーブを磨り潰した赤い染料で、ついさっきカヨーネの手でみんなに施された細かい模様の図形。
なんでも乾燥したら消えづらく、風呂にさえ入っていたら1週間ほどで消える体に無害な染料だそうな。
「この地下にある魔法陣が起点でダイラン王墓の魔法陣が終点です。その紋様は終点にある魔法陣が正確に個体を識別するためのマーカーなんです。それがないと王墓からちょっとズレちゃったりするんです。そして無差別に作動しない為の鍵でもあります。なので転移しない者は万一を考えてここまで。間違えて転移に巻き込まれたらどこに辿り着くかわかりませんから」
にっこり微笑みながら怖い事を説明し始めるカヨーネ。
見ろよ。親父の顔が引きつってるんだけど?
「あ、心配しないで下さい。この転移魔法陣で怪我をしたり亡くなったり行方不明になった者は居ませんから」
「そんな物を王族に使わせるわけないだろ」
カヨーネの補足説明にアトル王子がより確かな説得力を持たせた。
なるほど、目の前にいるバカ王子はこう見えて紛れもない王子だ。
身に危険が及ぶ可能性のある物を頻繁に使わせたりはしないだろう。
「んじゃあ親父。行ってくるな」
「父さん、ちゃんと部屋の掃除とか洗い物とかやってよね? ユリーさんに任せっきりにしたら怒るからね?」
「分かってるって。お前らもちゃんとやれよ? 休みだからってあんまり夜更かしすんじゃねーぞ?」
「ユリーさん、お義父様をよろしくお願いします」
「ええ、安心して行ってらっしゃい」
「ん。ウエラ、アズイ。父とユリーさんの言う事ちゃんと聞く」
「分かってるわ!」
「良い子にしてるよ僕ら」
ガヤガヤと賑やかに俺達は見送られた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そう、今日は球大陸への出発日だ。
昨日の夜から親父は心配を隠そうとしなくなり、翔平は期待と不安でソワソワしだった。
我が家の初めての海外旅行。
その発端はあの鼠なのが大分気に食わないが、こうなりゃヤケである。
目一杯海外を堪能してやろう。
三隈は明日飛行機で日本を発つそうだ。
商社勤めの三隈の父親の出張に付いて行っての家族旅行らしい。
かの有名な魔法大国フランシオンで開かれる大規模な魔法具展示会。それが三隈の親父さんの出張理由で、最近はニュースでも開催を報じられている世界的なイベントらしい。ガサラが涙目で悔しがるほどだ。アイツ、魔法具オタクだから。
三隈も親父さんに連れられて見学に行くと言っていた。
その日以外の滞在日程は全部観光に使うそうだ。母親が興奮しすぎて大変だって笑っていた。
上手くいけば向こうで落ち合う事もできるかもな。いや、俺達の方は旅の日程が此の期に及んで未定だから分かんないんだけどさ。
アルバ・ジェルマン。
龍の医者を自称するあの鼠の賢者。
ついに今日まで姿を現さなかったな。
龍さえ居れば距離も場所も関係ないとか言ってた癖に、アオイやルージュや双子たちが居るんだからちょくちょく説明に戻って来ても良いんじゃないか?
アルバがアトル王子に預けていた手紙にはアイツですら気を抜けない大手術があるとかなんとか書いてあったけれど、そんなに具合の悪い龍が居るんだろうか。
アイツが三隈に頼んだ調べ物も、レポートにまとめて貰って俺が預かっている。
一回読んだけれど、俺にはチンプンカンプンだった。
受け取るアルバが分かるなら良いか。アイツなら俺でも分かるような説明をしてくれるだろ多分。
色々とわからない事や心配事は尽きないけれど、この旅行の目的はジャジャとナナの体の為だ。
俺の体から生み出されるらしき緑色に発光する、アルバ曰く『命の精霊』とか言う謎の精霊。
生み出している俺にも全くもって意味の分からないそれをジャジャとナナがその小さな体に溜め込む事で、アイツらの負担になっているらしい。
今は1週間に一度俺がそれを取り込む作業をしているから大事には至っていないが、この取り込む作業っていうのがとんでもなく辛い。
作業を行なったその日は俺が立てなくなるまで疲労してしまうので、休みに前の日である金曜日に行う様にしている。
全身を襲う倦怠感と物凄い頭痛はフルマラソン並の疲労感を俺にもたらし、アオイはそれを見て辛そうな顔をする。
アルバが球大陸に求めているものは、そんな作業を緩和させる物らしい。
アトル王子の全身に施された刺青。アジンアンカ石と言う鉄鉱石の粉を染料としたそれは、王子のあふれんばかりの魔力を体から外へと放出するための魔法紋だ。
アルバはこのアジンアンカを欲しがっている
それがジャジャとナナの問題の解決策になるかも知れないなら、球大陸だろうとなんだろうと行かねばならない。
ただなぁ。
王子と同じ様に全身に刺青を施すってんなら断固反対させてもらおう。
他の方法を探し尽くしてからの最終手段だ。
こんなにモチモチしてプルプルしてる双子達のお肌を傷つけるなんて絶対に許さない。
それ以前に、可哀相だ。
「到着だ」
親父達に見送られてから、俺達はずっと階段を降りている。
「結構降りるんだな」
「当たり前だ。ダイランの秘匿魔法だぞ?」
俺の疑問にアトル王子が答えてくれた。
片道であるなら地球上のどの位置からでも転移できると言う、長距離転移魔法。
俺達は今からその魔法によって、約6000㎞を一瞬で転移する。
42年前の世界衝突。その時にオーストラリア大陸の東側に突如現れた球大陸。
大陸のほとんどを球体の壁に覆われたその大陸の南東の海沿いに、アトル達の国ダイランがある。
「ここが転移魔法陣の中央です。魔法陣自体は屋敷の敷地全体に施されていますから、ここだけを模写したところでその全容はわかりません。庭の樹木の位置や家具の配置まで偽装してる部分もありますしね」
そう説明してくれたカヨーネに促されて、俺達は階段の先の扉を潜った。
我が家の数倍の規模を誇るアトル王子の屋敷。その地下を多分4階分ぐらい下りたその先に、ちょっとした体育館並の広さがある部屋があった。
「うわぁ……。すごいねぇ」
部屋を見回す翔平が大きな感嘆の声を漏らす。
「綺麗ですねぇ」
「ん。不思議な感じ」
アオイとルージュは天井を見上げている。
「これ全部魔法陣か?」
真っ暗な部屋の壁に走る、発光した薄い青の無数の線。
天井から床に縦横無尽に走るそのラインが転移魔法陣なんだろうか。
階段を降りる為に抱き上げていたジャジャを抱え直す。
ナナはアオイの腕の中で、ベビーカーは翔平が持ってくれていた。
俺達の重い荷物を軽々と背負ってくれているのはルージュだ。トランクケースの中身、1週間分ぐらいあるんだけどな。さすがは龍だ。なんともないぜ!
「惚けてないで進んでくれ。こちら側の魔法陣を維持するのは大変なんだ。ウチの使用人達が持たん」
「え、マジで?」
見ると部屋の4隅に5名づつ人が立っていて、手を前に出してプルプルと震えている。
それを早く言えって。あのメイドさんなんか汗だくじゃんか。
「ダイラン王墓側の魔法陣なら維持しなくても常に作動してますが、こちら側の起動は完全に人力なんです。起動準備も1時間前ぐらいから行なってましたので、そろそろ限界かと。急かしてしまって申し訳ございませんが、部屋の中央の円の中へお急ぎ下さい」
「わ、わかりました」
「ありがとうございます」
翔平とアオイが頑張ってくれている使用人さん達に頭を下げて、部屋の真ん中で一際強く光る円へと向かう。
俺とルージュも続いて全員円の中に入ると、アトル王子とカヨーネ、ウタイも入ってきた。
なんでもこの魔法陣を使うと屋敷の使用人の半分が一日倒れこむらしく、どうせならってことでアトル王子達も同じタイミングで帰郷する事にしたらしい。
「はい兄ちゃん。ジャジャ寝かせていいよ?」
「おう、ありがとな」
翔平が畳んであったベビーカーを広げてくれたから、ジャジャを寝かせた。
アオイも同じ様にナナを寝かせて、しっかりとベルトで固定する。
ハンドルはアオイが握り、ルージュと翔平がその脇を固めて完全防御。俺が先頭に陣取る。
この陣形こそが風待家の絶対防衛陣。名付けて『ジャジャとナナをお守りする陣』である。
嘘だ。今考えた。
「もうよいな? 起動するぞ?」
「ああ、頼む」
アトル王子の言葉に軽く頷くと、右手を誰かに握られた。
「ん?」
「ご、ごめん兄ちゃん。僕ちょっと怖い」
ああ翔平か。
「心配すんなって。兄ちゃんもそれなりに怖い」
「なにそれ……」
我が弟がこんなに甘えてくれるのも久しぶりだよなぁ。
兄ちゃん嬉しい。
「距離捕捉。座標識別。呪紋認識。ダイラン王墓の術式起動を確認。問題無し」
うおっ。何か始まったぞ?
カヨーネが目を瞑ってブツブツと呟いている。
部屋の4隅にいる使用人さん達も作業を始めた様だ。
「転移式起動準備。起動確認。各術式紋の動作確認を開始。外周一式正常作動」
今度はウタイが何かを唱え始めた。あれ? お前そんな声量出せたの?
「外周二式正常作動。続いて三式と四式も問題無し。五式は作動確認中」
「内周一式から三式の正常作動を確認。転移陣初動動作開始」
「次、試験動作の手順を省略。ウタイ、もう少し早く済ませろ」
なんかぼんやり光始めたウタイとカヨーネを交互に見て、アトル王子が腕を組む。
「うぅ……。こんな精密な魔法陣に無茶言わないでよ殿下ぁ」
「ウタちゃん集中して。ほら、外周五式の結果来たよ」
えっと、俺らは何もしないで良いの?
なんか落ち着かないんだけど。
「ソワソワするな。心配ない」
何かを察したアトル王子が俺を横目で見て口を開いた。
「いや、すまん」
なんか謝ってしまった。
「ふぇ……ふぇええええええええっ!」
「わっ、ジャジャ起きちゃった?」
ベビーカーの中から可愛い泣き声が聞こえて来た。アオイが慌てて身を屈めて頭を撫でる。
「んぅ、んびぃ……んにゃああああっ!」
「おっとナナもか」
周りの空気を敏感に察してしまったのかな?
とは言っても今は転移を始める寸前だ。下手にベビーカーから下ろすのもなんか怖い。
せめて撫でてやろうと俺はナナに手を伸ばし、その頬に触れた瞬間だった。
「あれ……? わっ! わわわっ! 外部より大量の魔力が流入!? 構成式の一部が改竄されてる! 何これ凄い早さ!」
「何!?」
ウタイの報告を聞いたアトル王子が慌てて片膝をつけて地面に右手を落とす。
「殿下! 呪紋識別に異常があります! 転移魔法陣の完全作動を確認! 皆さん至急避難して下さい!」
「龍様方! 風待! 部屋の外に!」
物凄い剣幕で俺を見るアトル王子。
なにがなんだかわからない俺は、とりあえずベビーカーを動かそうと足を動かしてーーーーーー。
「あれ?」
足が動かない。
足どころか指一本動かす事ができない。
なんだこれ。
「ダメです! 間に合いません!」
「転移先は王墓で間違いないな!?」
「なにこれ! この術式なんの意味があるの!? ていうかこの魔力どこから来てーーーーーーどこかを経由してる? 嘘でしょ! そんな遠回りでなんでここまでの干渉を!」
「殿下! 構えて下さい! みなさんも!」
「薫平さんこっちに! 薫平さん!?」
「兄ちゃん! なにしてんの!?」
「薫平!!」
大騒ぎしている皆んなの声を聞きながら、俺は背筋を凍らせている。
背中に、何かが触れている。
腕と足に柔らかいものが巻きつかれていて、痛いほど締め付けられている。
声すら発する事も出来ず、強い力で後ろへと引っ張られていた。
「座標確認! 王墓で間違いありません! 間違いないんですけど! 一箇所追加されている!? そんな馬鹿な! 王墓以外に行ける訳ないのに!」
「薫平さんどうしたんですか! なんで返事をしないんですか!」
俺の異変に気付いたアオイが肩を掴んで揺さぶる。
「呪紋を一人づつ確認している!? 該当者ーーーーーー風待くん! 逃げて!」
「兄ちゃん!」
ウタイが俺を見て叫び、翔平が怯えた顔で俺の手を強く握る。
「ダメです! 陣に注入された魔力が規定値を突破! 外部から強制的に転移扉が開きます! 皆さん離れないで!」
「薫平!」
泣き続けるジャジャとナナを守るように覆いかぶさったルージュが俺を呼ぶ。
だが俺はそれどころではない。
眉間の奥、脳の中心に鋭い痛みが走る。内臓が発火してるんじゃないかと思うほどに熱い。
心臓の周りを得体の知れない何かがモゾモゾと動き回り、壊れたメトロノームの様に鼓動がその速さを加速させていく。
探られている。
誰かが、俺の体の隅々まで調べ尽くそうとしている。
視界全てをチカチカとした光が走り、目の痛みで涙が出そうだ。
気づけば、緑色の発光体がこの部屋を埋め尽くすほどに飛び回っていた。
アルバの言う『命の精霊』だ。だが見覚えのある蝶の姿だけでなく、小さなトカゲや小魚の姿まで見える。
俺の周りに密集するそれは、気のせいだろうか。おそらく俺を心配している。
顔に触れた緑の蝶達が優しく頬を撫で、足元にまとわりつ緑のトカゲ達は服をぎゅっと掴んでいる。緑の小魚達は忙しなく俺の周囲を泳ぎまわり、その動きはまるで巨大な波を連想させる。
動かせない顔の代わりに、視線を手の甲に移した。
手の甲にカヨーネが書いた呪紋が、緑色に発光している。
俺の背中で、何かが渦を巻き始めた。それはゆっくりと大きくなっている。
風の音が耳をつんざき、徐々に徐々に体がそこに吸い込まれ始めている。
「びゃあああああっ!」
「ふにぇええええっ!」
「うっ、ぐっ! な……んなろぉおおおおおおおおっ!!」
ジャジャとナナの声に向かって手を伸ばそうと、力一杯気合いを込めた。
パキン、と何かが壊れる音と同時に体が動く。
「ジャ、ジャジャ! ナナ!」
ようやく絞り出せた声を張り上げ、双子達を呼ぶ。
ギギギと、まるで油を差していない機械のような動きで俺の手が伸びた。
「薫平さん!」
「兄ちゃん!」
「薫平!」
その手を取ろうとアオイが身を乗り出し、突き出したその手がもう少しで届くかというその時ーーーーーー。
「ーーーーーーう、うおっ! うわぁああああああああ!」
「薫平さん!? 嫌ぁ! 薫平さぁん!」
泣きそうなアオイの顔が、とんでもないスピードで遠ざかっていく。
手足にまとわりついた見えない『何か』が俺を後方へ一気に引っ張る。
足は地面を離れ、体は宙へと浮いた。
ブツン、と視界が真っ暗に変わる。
何もない空間。床も天井も壁も無い、果ての無い暗闇の空間を俺の体が飛んでいる。
もう誰の姿も見えず、恐怖と混乱が俺の脳裏を支配する。
『な、なんなんだよこれ! う、うわぁああああああっ!』
エコーのように反響する俺の声。
体はなおも後ろへと引っ張られ続けている。
『ぐっ! ああああああああああっ!』
揺れる。
全てが右へ左へ上へ下へ。
体と頭が激しくシェイクされ、ブチブチと何かが千切れる音が耳の奥で鳴り続ける。
『ぐはっ!』
何かに勢い良くぶつかった。
肺の中の空気が口から漏れる。
だが勢いそのままその何かを突き破り、俺の体はなおも引っ張られ続ける。
真っ暗だった空間が徐々に白くなっていく。
意識朦朧とその景色の変わっていく様を見ながら、俺は死を強く意識した。
死ぬ。
これは本当に死ぬ。
全然意味が分からないけれど、今日俺はここで死ぬ。
双子達を残したまま、親父や翔平の姿も無いここで。
アオイの顔を思い出す。最後に見たアイツの顔。心配そうな、泣きそうな顔。
嫌だ。アイツにはいつも笑っていて欲しい。
俺の最後を見届けるアイツの顔は、あんなんじゃない。
嫌だ。
嫌だ!
死にたくない! こんな死に方、絶対に嫌だ!
『い、いやだ……っ! 死んでたまるかっ! 死ぬもんか!』
最後まで足掻き続けてやる!
決意を込めて声を張り上げると、視界は一気に真っ白に変わった。
「ぐはっ! あだっ!」
ゴロゴロと転がる。
頬にざらついた感触。鼻に瑞々しい木々の匂い。
突然襲った衝撃に思わず目をつぶってしまい、状況がさっぱり分からない。
この感触は……地面がある?
どうやら俺は倒れているみたいだ。
さっきまで俺を引っ張っていた見えない何かはもう無い。
手足が自由に動くのがその証拠だ。
「な、なんなんだ本当に……」
困惑しつつも、安堵していた。
さっきまで感じていた得体の知れない恐怖から解放されたからだ。
目を閉じたまま、地面に手をつけて体を起こす。
勢いよく起き上がり、未だ揺れ続ける思考を頭を支える事で落ち着かせようとする。
「ここは、どこだ?」
ゆっくりと目を開けると、空が見えた。
「な、なんだここ」
空、なんだと思う。
ただ俺の知っている空の色じゃない。
柔らかな乳白色。
バニラ色といったほうがわかりやすいかも知れない。
雲一つないそのバニラ色の空の下に、緑が広がっている。
森だ。
所々に陰のできた深い森。その中に俺は居る。
「球大陸……じゃないよな?」
ネットや本で調べた球大陸は、空を高い球状の壁で覆われていた。
所々に空いた大きな穴から太陽光を取り入れたとても不思議な場所な筈。
少なくとも今目の前に広がっているような光景ではないと思う。
ん? 太陽?
そういや、太陽が無い。
これだけ明るいなら、空の中央に太陽があってもおかしくないのに。
「……だ、誰?」
背後から声がした。
「え?」
ゆっくりと、恐る恐る振り返る。
「どうして……ここに? どうやって来たの?」
女の子?
「あ、あの」
声の主は、幼い女の子だった。
両膝を地面につけて、両手を胸で組むその姿はまるで何かを祈っているようだ。
石で作られた舞台の様な場所で、真っ白な少女が俺を見ている。
その目は驚きで見開かれている。
眩しいほどに真っ白なその髪は、見た限り少女の体より長い。
地面についている部分を纏める事もせず無造作に流したままだが、汚れ一つ見当たらない。
髪の色と同じくらい真っ白なその服は、所々に金色のラインが入っている。
ドレスだろうか。上品さを感じさせるその佇まいはなんだかとても神々しい。
その白い少女に少しだけ見惚れていたら、自分がまだ地面に倒れこんでいる事に気付いた。
大慌てで立ち上がり、頬と服についた土を右手で払う。
そしてできるだけ優しく、少女に語りかけた。
「あ、あの。お、俺もなんだか良く分からないんだけどさ。ここ、どこですか?」
そう、まずは現状をちゃんと認識しよう。
俺に何が起きたかなんて分かるはずがないからな。
少女はまだ俺を見ている。
さっきよりもその目は見開かれていて、小さなその口がポカンと開かれている。
「えっと、俺はーーーーーー」
「ーーーーーーく、薫平……なの?」
は?
「薫平……よね?」
なんで、俺の名前を知っているんだ?





