59 源流に棲むもの
窓を開けると、外は濃い霧だった。
「下の川まで見下ろせる最高の景色なのに、真っ白だ……」
今日はいよいよ源流へ向かう日だ。
これから朝食だが、その前に念のためスキルを使ってみる。
「生命反応感知!」
ポワン。
マップを見る。
だが、昨日よりもさらに生命反応が少なくなったように感じた。
(やっぱり、おかしいな……)
朝食の席で、ケイトとミリスと食事をしながら、女将さんに源流について聞いてみる。
「ここ一週間くらいだろうかね。山の様子がおかしいんだよ」
女将さんは、困ったように眉を寄せた。
動物をまったく見かけなくなり、漁師も山へ入らなくなったらしい。
確かに、不穏な状況と言っていい。
◇
食事を終えた僕たちは、ドルガ村唯一の道具屋を訪ねる。
「いらっしゃい。今日は何をお探しで?」
「実は、アルセリアから来まして、クリアスライムを探しているんです。源流へ行こうと思うのですが、何か情報はありますか?」
「クリアスライムですか。確かに、ここ一週間くらい見ませんね。彼らは普通ならこの辺りの川でも見かけるスライムですよ。何より、水が腐らなくなるから色々と重宝されるんです」
「それはすごいですね。襲ってきたりはしないんですか?」
「ないない。至って穏やかなモンスターですよ。むしろモンスターというより、精霊の一種なのかもと思うくらいです」
ケイトとミリスは顔を見合わせて驚いている。
「ノア。これなら、アルセリアも助かるんじゃない?」
「そうだね。ぜひともご協力たまわりたい」
「うんうん」
ミリスも頷く。
「それで、店主さん。源流についてなんですが……」
「んー、源流ですか。あそこは神の聖域とされていますからね。村の人間も神事の時くらいしか行かないんですよ。ダイダラボッチを見たとか、大きな光を見たとか、大きな尻尾を見たとか、色々と逸話はありますし」
(なんか、きな臭いな……)
「この一週間、動物たちがいなくなってるという話はどうです?」
「確かにそうなんです。虫や魚も見ないんですよ。あとは、山鳴りもしますしね」
「何か心当たりはないですか?」
「ないことはないんですが、親父や祖父に昔聞いた話では、五十年に一度くらい、こういったことがあるらしいんです。なので、私自身はあまり心配していないんです」
(なるほど、定期的にあるなら、地震みたいな一種の自然現象なのかもしれないな……)
「ありがとうございます。あっ、あとポーションは置いてありますか?」
「もちろんありますよ。いくつご入用です?」
「ケイト、どうする? 5つくらい買っておく?」
「うん、そうだね」
「じゃあ、5つください」
「まいどあり」
その横で、ミリスが棚をじっと見ていた。
「ノア。僕、このミサンガ欲しい」
(フィーネでも同じようなもの買ったよね……)
「しょうがないなぁ。一つで良いよね?」
「二つ。ケイトの分も」
「しめて、2100ゼニーです」
「どうぞ」
(ミリスさんも、おねだりが上手になったようで……)
「ケイト! ノアに買ってもらったよ。つけよー」
「うん、そうだね。ありがと、ノア」
(まぁ、喜んでいるならいいか)
◇
村を出ると、整備されていた道はすぐに山道へと変わった。
道幅は細く、霧がかかっているため足元も見えづらい。
踏み外せば、谷底へ真っ逆さまもあり得そうだ。
「なんか、昨日よりもっと静かだね。朝だからかな?」
「ミリスもそう思う? やっぱり変だよね」
平和といえば平和なのかもしれない。
だが、鳥の声も虫の音も聞こえない。
うっすらと白く視界を覆う霧だけが、ゆっくりと流れている。
「そろそろ、川への分かれ道に着いても良さそうだけど」
ケイトがつぶやく。
「ケイト、ミリス。一度止まって!モンスターの反応だ」
「OK!」
「うん」
山特有の膝丈ほどの草が立ち並ぶ中、山側から何かが近づいてきた。
「来る!」
ガサッ。
ガサガサッ。
飛び出してきたのは、蛇型のモンスターだった。
全長は二メートルほど。
青灰色の鱗を持ち、身体には波紋のような模様が浮かんでいる。
「リップルスネークね」
「うん」
ケイトとミリスは、戦ったことがあるようだった。
「二人とも、あと2匹いる。草むらの中だよ」
「了解」
ケイトは剣を抜いた。
ミリスも杖を構える。
僕は《臨床検査》を発動した。
すると、目の前のリップルスネークの身体を巡る青白い魔力の流れが見えてくる。
蛇のように細長い身体の中を、川のように魔力が循環していた。
(あった)
頭の付け根。
青白い流れが渦を巻くように滞っている場所。
「ケイト! 首の後ろ!」
「了解!」
ケイトが一気に踏み込む。
ザシュッ!
剣が滞りを正確に斬り裂いた。
その瞬間――
ギャアアアッ!!
リップルスネークが大きくのけぞった。
傷自体は深くない。
だが、青白い魔力の流れが激しく乱れている。
(やっぱりだ!)
「もう一つ! 胴体中央!」
「任せて!」
ケイトは止まらない。
身体を回転させ、そのまま二撃目を放つ。
ズバァッ!!
二つ目の滞りが断ち切られた。
ブツッ。
魔力の流れの一部が完全に途切れる。
リップルスネークはその場で硬直し、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「倒した!?」
「うん! 生命力ゲージが消えた!」
「なにそれ、便利すぎるでしょ!」
ケイトが笑う。
だが、戦いはまだ終わっていなかった。
左の草むらから2匹目が飛び出す。
「ミリス!」
「うん!」
ミリスが杖を前へ突き出した。
「ウォーターボール!」
バシャァァッ!!
巨大な水球がリップルスネークへ直撃する。
蛇は吹き飛ばされる。
だが、まだ生きていた。
(今度は……)
《臨床検査》を重ねる。
すると首元の少し下に、異様に濃い魔力の塊が見えた。
「ケイト! 首の下!」
「そこね!」
ザシュッ!
切り裂かれた瞬間――
ブシャァッ!!
紫色の液体が噴き出した。
「うわっ!?」
ケイトは慌てて飛び退く。
液体が地面へ落ちる。
ジュウウウッ……。
草が溶けた。
「毒!?」
「そう。そこが毒袋みたい!」
「先に言ってよ!」
「今見つけたんだって!」
「それを先に言うって言うの!」
(仲良いな……)
そんなことを考えている間に、ミリスが追撃に入った。
「ウォーターアロー!」
ズドッ!!
水の矢が、首元の滞りへ突き刺さる。
青白い魔力の流れが一気に乱れた。
リップルスネークは力なく倒れる。
2匹目撃破。
「残り1匹!」
しかし、その3匹目は僕たちに向かってこなかった。
シュルシュルと身体を丸める。
そして――
ブシュッ!!
口から白い霧を吐き出した。
「えっ!?」
周囲の霧と混ざり、一気に視界が悪くなる。
「これが厄介なのよ!」
ケイトが叫ぶ。
「リップルスネークは霧に紛れる!」
確かに視界は真っ白だった。
だが――
僕には関係ない。
「生命反応感知!」
ポワン。
白いマップが展開する。
霧の中でも、生命反応は隠せない。
(いた)
蛇は右側へ回り込んでいる。
狙いはミリス。
「ミリス! 右後ろ二メートル!」
「えっ!?」
ミリスが反射的に振り返る。
その瞬間、リップルスネークが飛び出した。
だが――
「ウォーターボール!」
ドゴォォッ!!
至近距離から放たれた水球が、蛇を正面から吹き飛ばした。
岩へ叩きつけられる。
「今!」
僕は再び《臨床検査》を重ねた。
(頭の後ろ!)
「ケイト!」
「見えなくても分かる!」
ザシュッ!!
一撃。
ギャアッ!
「もう一つ、腹部!」
「了解!」
ズバァッ!!
二つ目の滞りを斬り裂く。
ブツッ。
青白い魔力の流れが途切れた。
リップルスネークはそのまま地面へ崩れ落ちる。
静寂。
霧だけがゆっくり流れていた。
「終わったね」
ミリスが息を吐く。
「思ったより強くなかったかな」
「いや、ノアがいたからよ」
ケイトは剣を納めながら言った。
「普通なら霧の中で居場所なんて分からないし、弱点も知らないまま戦うの」
「そうなの?」
「そうなの」
「なるほど……」
そんな手応えを感じながら、僕たちは再び源流へ向けて歩き始めた。
◇
「ここだね、最初の分岐点」
「みたいだね。看板の左矢印は、川って書いてある」
「じゃあ、左だね」
僕たち三人は一本道を進む。
すでに一人が通るのがやっとの道で、左右がどうなっているかは白い霧でよく分からない。
一方で、《生命反応感知》の反応は相変わらず減っていく一方だった。
「川の音が聞こえる」
「ほんとだ」
少し歩くと、霧が晴れた。
目の前には、アルセリア川の渓流が広がっている。
ここからは川沿いの道というより、岩で縁取られた川岸を登っていく形になる。
ちょっとしたクライミングだ。
川を覗き込むと、水は驚くほど澄んでいた。
川底の石まで見える。
だが――
生命の気配がない。
魚もいない。
虫もいない。
何かがおかしい。
「んっ」
「どうしたの、ノア?」
ケイトとミリスが警戒する。
「少し先に6頭いる」
「モンスターなの?」
「たぶんそうだね。ん? いや、6頭じゃないな……もっといる」
「……」
「戦うしかなさそうね」
「任せて」
「向こうも気づいてるようだけど、ゆっくり近づいて遠距離攻撃から始めよう」
「そうだね」
「了解」
ケイトは弓を構え、ミリスは杖を握った。
僕も《臨床検査》を重ねる。
やがて、岩陰の向こうに姿が見えた。
鹿だった。
いや、ただの鹿ではない。
二メートル近い体高。
立派な角。
灰色の体毛。
「グレイディアだね」
ミリスが呟く。
「本来は大人しいモンスターなんだけど……」
言葉の途中で、ケイトが顔をしかめた。
「様子がおかしい」
確かにそうだった。
群れは10頭近くいる。
だが草を食べているわけではない。
全員が落ち着きなく周囲を見回し、地面を蹄で掻いている。
怯えているようにも見えた。
そして。
一頭がこちらを見た。
ギロッ。
赤い目だった。
「来る!」
その瞬間。
群れ全体が突撃してきた。
ドドドドドドドッ!!
地面が揺れる。
「ミリス!」
「うん!」
「先頭集団!」
「ウォーターランス!」
ゴォォォォッ!!
圧縮された水槍が先頭のグレイディアへ直撃した。
一頭が吹き飛ぶ。
だが、群れは止まらない。
後続が続く。
「ケイト! 一番右!」
「了解!」
ヒュン!
放たれた矢が、グレイディアの肩を射抜く。
しかし――
「硬い!」
「魔力で強化されてる!」
僕は《臨床検査》を集中させた。
青白い魔力の流れが見える。
全身を巡る循環。
そして――
首。
胸。
右前脚。
いくつもの滞りが見えた。
(多い!)
フォレストウルフより明らかに大きい。
「ケイト! 首の付け根!」
「了解!」
ヒュン!
矢が飛ぶ。
ズドッ!
滞りへ命中。
すると、グレイディアの身体が大きくよろめいた。
「効いた!」
「次は胸!」
ヒュン!
ズドッ!
二つ目の滞り。
青白い流れが大きく乱れる。
グレイディアが転倒した。
「ミリス!」
「ウォーターアロー!」
三本の水矢。
ズドドドッ!!
頭部へ命中。
生命力ゲージが消えた。
「1頭!」
だが、群れは止まらない。
左右へ展開する。
囲もうとしている。
「左3頭!」
「右4頭!」
「正面2頭!」
僕はほぼ反射的に叫んでいた。
「ミリス! 左を牽制!」
「ウォーターボール!」
ドゴォッ!!
水球が左側のグレイディアを吹き飛ばす。
「ケイト! 正面!」
「任せて!」
今度は弓ではない。
剣を抜く。
疾走。
ザシュッ!
首元の滞り。
ズバァッ!
胸の滞り。
2箇所を連続で斬り裂く。
グレイディアはその場で崩れ落ちた。
(速い!)
ケイトの動きも、明らかに昨日より冴えている。
いや。僕の指示を信じて、迷わず踏み込めているのだ。
「次、右前脚!」
「了解!」
「腹部!」
「了解!」
もはや説明は不要だった。
ケイトは指示された場所を正確に斬り裂く。
ミリスはそこへ魔法を叩き込む。
僕は滞りを探し続ける。
気づけば三人とも、同じ流れで動いていた。
「ノア!」
「左肩!」
「了解!」
ヒュン!
ズドッ!
ケイトの矢が刺さる。
グレイディアが体勢を崩す。
そこへ――
「ウォーターランス!」
ドォォォン!!
水槍が貫いた。
残るは3頭。
だが。その時だった。
ドォォォォォォォォォォン!!!
山全体が震えた。
岩が揺れる。
川面が波打つ。
耳をつんざくような「咆哮」。
僕たちは動きを止めた。
グレイディアたちも止まった。
全員が同じ方向を見る。
源流。
さらに上流。
山の奥。
そこから響いている。
「な、何……?」
ミリスが震えた声を出した。
次の瞬間。
残っていたグレイディアたちは一斉に逃げ出した。
戦うことも忘れたように。
ただひたすら、山を下っていく。
ドドドドドドドッ!!
あっという間に姿が消えた。
静寂。
誰も口を開けない。
そして僕は、無意識に《生命反応感知》を発動していた。
ポワン。
マップが広がる。
その瞬間。
背筋が凍った。
さっきまで大量にあった生命反応が――
消えていた。
「おかしい……」
「どうしたの?」
ケイトが尋ねる。
僕は源流の方向を見た。
「生命反応が……ない」
「え?」
「何?」
冷たい風が吹き抜けた。
◇
グレイディアとの戦闘後、僕たちは一切のモンスターと遭遇しなかった。
いや、モンスターどころではない。
鳥もいない。
虫もいない。
小動物の気配すらない。
山全体から生命が消えたような静けさだった。
「なんか……気味悪いね」
ミリスが小さく呟く。
ケイトも無言のまま周囲を警戒していた。
そして――
森が開けた。
「何ここ……?」
「滝……?」
目の前に広がっていたのは、巨大な滝と広大な滝壺だった。
圧倒的な水量。
落差は50メートル以上あるだろうか。
轟音を立てて流れ落ちる水は白い飛沫となり、離れた場所にいる僕たちの頬まで濡らしている。
周囲には濃密な水の魔力が漂い、まるで神殿の中にでもいるような神聖さがあった。
「ここが……アルセリア川の源流」
「そうだよね」
「うん」
本来なら、感動してもおかしくないほどの景色だった。
だが、誰一人として喜ぶことはできなかった。
この場所には何かがいる。
理由は分からない。
それでも三人とも、本能的にそう感じていた。
(これが虫の知らせってやつなのか……?)
僕はゆっくり息を吐く。
そして恐る恐るスキルを発動した。
「生命反応感知」
ポワン。
半透明の地図が目の前に広がる。
その瞬間だった。
「っ……!」
地図の中央。
滝の方向。
そこに、これまで見たこともない巨大な生命反応が表示された。
フォレストウルフなど比較にならない。
グレイディアの群れよりも大きい。
スラム全体の生命反応にも匹敵するほどの存在感。
それが、一つだけ表示されていた。
「どうしたの?」
ケイトが尋ねる。
僕は答えず、さらにスキルを重ねた。
「臨床検査」
ボワン。
今度は青白い魔力の流れが浮かび上がる。
そして僕は、息を呑んだ。
「えっ……」
「な、何?」
「どうしたの、ノア?」
滝の奥。
そこにあったのは、生き物の魔力とは思えないほど巨大な流れだった。
青白い魔力が、炎のように揺らいでいる。
まるで滝の裏で、巨大な焚き火が燃えているかのようだった。
いや。
違う。
それは確かに生きていた。
ドクン。
ドクン。
巨大な心臓が脈打つように、魔力が循環している。
そして――
ギロリ。
滝の奥。
暗闇の奥。
二つの瞳が開いた。
黄金色。
いや――深紅。
その眼は、真っ直ぐこちらを見ていた。
圧倒的な威圧感。
まるで格の違う存在を前にしたような感覚。
巨大な生命反応が、ゆっくりと動き出す。
一歩。
また一歩。
滝の裏側から、こちらへ近づいてくる。
「……」
ケイトは剣の柄を握り締めた。
ミリスも無意識に杖を構えている。
誰も言葉を発しない。
発することができなかった。
そして僕だけが理解していた。
その存在が、これまで出会ったどんな生物とも違うことを。
(あれが……)
(源流に棲むもの――)
轟音を響かせる滝の向こうで、巨大な影がゆっくりと姿を現そうとしていた。
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