09 小さな事件
あれから数日が経ち、いよいよ明日、家を発つ。
準備の合間に、スキル《臨床検査》について、いくつか試してみたが――何も起きなかった。
両手を前に出して「臨床検査」と唱えてみる。
石や本に向けて試してみる。
地面を這う蟻に対しても発動を試みた。
「……何も起きない」
自分でも笑ってしまうほど、何の反応もない。
(本当に……スキルなのか?)
無力感だけが、じわじわと胸に広がる。
明日には、この家を出るというのに――。
(どうするんだ、これから……)
そんな不安を抱えていたときだった。
◇
使用人の一人が、突然倒れた。
「大丈夫ですか!」
周囲が慌てて声をかけるが、返事はない。
一緒にいた使用人が言うには、頭痛を訴えた直後に嘔吐し、ろれつも回らなくなり、そのまま倒れたという。
「ノア様……どうしましょう……」
たまたま近くにいた僕は、すぐに駆け寄った。
「とりあえず、セドリック先生を呼んできて。部屋にいるはずだ」
「は、はい!」
使用人が駆け出す。
僕は倒れている使用人のそばにしゃがみ込み、顔色を確認する。
――そのときだった。
「……なんだ、これ」
言葉にできない違和感。
視界の奥に、何かが“見えた”。
倒れている使用人の頭のあたりを流れる、青白い流れ。
その流れが、一か所に集まっているような――そんなイメージ。
(これ……まさか……)
一瞬、思考が止まる。
「ノア様。連れてまいりました」
声に振り返ると、セドリック医師が到着していた。
「先生、お願いします!」
「はい!」
その瞬間、さっきの“イメージ”は消えていた。
セドリック医師は迅速に状態を確認し、周囲に指示を出す。
やがて、使用人は運ばれていった。
「……これで、ひとまず安心か」
そう口にしながらも、胸のざわつきは消えない。
(今のは……何だったんだ)
◇
その後――
その使用人は、帰らぬ人となった。
治療の甲斐もなく、亡くなったという。
セドリック医師の診断は、「頭の病」。
非常に珍しい症例とのことだった。
「……頭の病気、か」
あのとき見えた“流れ”を思い出す。
(あれが……原因だったのか?)
◇
この世界のヒト族の平均寿命は、50歳に満たない。
死因の多くは、高熱、止まらない咳、下痢――だと、『病の手引き』というこの世界の医学書に記されていた。
「……つまり、感染症か」
転生前の世界でいえば、平均寿命50歳前後は、発展途上国の一部や日本でいえば戦後すぐの時代に近い。
だが、戦後すぐの日本ですら、大病院が存在し、顕微鏡やX線、ワクチン、外科手術といった医療がすでに存在していた。
それと比べると、この世界の医療水準は――明らかに低い。
(医学が、体系化されていない……)
むしろ。
魔法があるがゆえに、“それで治す”という考えが優先されているのかもしれない。
この世界における医学は、セドリック医師のように、個人から個人へと受け継がれる“技術”に近い。
体系だった知識ではなく、経験則。
ましてや、「感染症」という概念すら、一般には知られていない。
「……魔法の弊害、か」
小さく、そう呟いた。
魔法で“治す”とは、どういうことなのか。
それは、想像以上に奥深いテーマなのかもしれない。
そして、この世界にはエリクサーという万能薬があるらしい。
寿命が極めて長いとされるエルフやドワーフといった種族もいる。
そして、モンスターという存在。
――いったい、それらは何なのか。
「……なんだか、不思議なものばかりだな」
気づけば、少し楽しくなっていた。
知らないことばかりのこの世界。
解き明かしたい謎が、いくつもある。
「……悪くないかもしれない」
そんなことを考えている自分に、思わず苦笑する。
――どうやら、オタク気質と中二病は、転生しても治らないらしい。
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