私は、“人喰い”だ
―――後ろから引っ張られているようで気持ち悪い……。
初めて髪に櫛を通して貰った時はそう思った。しかし、髪に触れる彼女の手が温かくて、嫌な気持ちはすぐに消えていった。
「どうかしら……? 痛くない?」
背後から聞こえる彼女の声に、頷く事しか出来ない。それ程までに心地良かった。
安全な寝床で微睡んでいるような安心感と、身を任せたくなるような包容力があった。
「屋敷の生活にもなれた?」
「ええ……。とても……」
ボヤけてきた思考で返事をする。
彼女に仕えて数ヶ月が経っただろう。仕事と言っても、彼女の世話をするくらいで、その内容も、荷物を運ぶなど簡単なものが大半であった。
最初の頃は人の言葉を覚えたり、制服を着るのが嫌であったが、慣れてしまえばどうということは無かった。
まだ慣れないとれば“食事”くらいだろう。“人間の外見”というのは酷く窮屈だ。
「はい、これで綺麗になったわ」
彼女が櫛を置くと、私は立ち上がり深くお辞儀をした。
「ありがとうございました……」
「いいのよ、お礼なんて。練習みたいなものだから」
彼女は少し張った腹部を摩った。
「ずっと夢だったの。娘ができたら毎晩髪を手入れしてあげるのが……」
彼女は夢でも見るように呟き微笑むと、視線を私に向けた。
「もちろんその時はシャルロット、貴方も一緒にね?」
「私もいいのですか……?」
「もちろんよ。そのためにもこれからも練習させてちょうだいね」
嬉しかった。
あの温かみにこれからも触れられると思うと、それだけで幸せな気持ちになれた。
彼女の子が生まれてこれば、この幸福はもっと大きなものになる。……そう信じてた。
―――――――――――――――――――――
街の郊外にある、ミローザ牢獄。
その牢屋の一つで男はベッドに横になり、1ブロック程空いた窓から夜空を見上げていた。
雲ひとつなく、ちょうど月の見える綺麗な夜空だ。……明日には満月だろう。
そう思いながら男はまどろんでいた。
金にものを言わせて入った個人牢というだけはあり、静かなものだった。最上階であるため景色も良い。
問題があるとすれば、窓が小さいことだろう。
ちょうどその時だ。
衝撃音と揺れ、そして埃が沸き立ち、男の視界を塞いだ。
「なんだ!?」
咳き込みながら男は立ち上がった。
煙をはたきながら目を開けると、そこには、壁に空いた大穴とローブを着た何者かが立っていた。
フードの中で光る、緑色の瞳が男を睨みつける。
「貴様の力を借りたい。―――サンチェス」
男、もといサンチェス。
ウルカ・グアリーの誘拐未遂で捕らえられた彼は、思わぬ来訪者に、笑みを抑えることが出来なかった。
「まさか、お前が助けに来るとはな……。どういう風の吹き回しだ?―――シャルロット」
「その名で呼ぶな。私は“もう”シャルロットに相応しく無い……」
彼女は残っている腕でフードを脱いだ。
その姿は“人間の形”をしているが、決して“人間”と呼べる容姿では無かった。
「私は、“人喰い”だ」
耳が生え、牙を尖らせたその姿。
“人喰い”の名で恐れられた“未確定”である彼女に相応しいと言える容姿だった。
「それで、何故私を助けた?」
ミローザ牢獄から抜け出し、安全な場所にまで逃げてきたサンチェスは、木箱に腰を下ろし問いかける。
至極真っ当な疑問だろう。サンチェスは警備隊長の立場を利用し、ウルカを連れ去った張本人なのだ。人喰いに好まれているはずがない。そんな彼をわざわざ牢屋から連れ出したとなれば、相当な理由があってのことだろう。
壁にもたれた“人喰い”は重々しい口を開く。
ウルカの体調不良から、“グアリー教団”が攻めてくるまで。そして、ウルカが連れ去られ……、いや、自ら身を差し出した事を丁寧に説明する。
サンチェスはその話をニヤケながら、興味深げに聞いていた。
「なるほど。その時の傷を癒すため適当な獣を貪り食い、そのような歪んだ容姿になったのか。―――しかし、腕は生えてこなかったようだな」
ローブの隙間から見える、何も生えていない右肩に気づいて、サンチェスは嬉しそうに笑う。
「それで、私を連れ出したのだ。つまりまだ諦めていないのだろう?」
「……その通りだ」
“人喰い”はサンチェスの前に向き直った。
「転生の儀式が行われる明日の夜、ウルカ様を救出する。そこで貴様の力を借りたいのだ」
「力を借りたいねぇ?」
サンチェスは冷笑し、強気な態度で足を組んだ。
「それなりの対価はあっての申し出だろうな? 言っておくが金は―――」
“人喰い”があるものを投げると、サンチェスの言葉が止まった。
「倉庫で取ってきたものだ。貴様のだろう?」
放られたのは、猟銃と眼鏡。
「これは……! これは我が愛しの“アルゲーザー”ではないか!? そして“神眼魔術”を施した眼鏡!!」
サンチェスは玩具を手にした子供のようにはしゃぎ、ついには愛銃に頬擦りさえし始めた。
しばらくして“人喰い”の目線に気づいたようで、落ち着くように咳払いをした。
「ふ、ふむ。良いだろう。力になってやる」
サンチェスは眼鏡を掛け直すと、格好付けるようにアルゲーザーを片手に立ち上がった。
「ウルカなどとうに興味は失せたが、協力してやる!」
「……もう1つ頼みがある」
「この後に及んでなんだと言うのだ。私が協力するのだぞ?」
「貴様が、ウルカ様を攫うのに雇った組織。彼らの力も借りたい」
「ふむ……。代金は安くないぞ?」
「構わん……」
サンチェスはため息を着き、詠唱をする。しばらくして連絡が着いたのだろう、耳元に手を当てた。
「“疎楽園”か……? 一人派遣してくれ」
―――――――――――――――――――――
「こんな場所で会うなど奇遇も奇遇。久しいのオオバ ヨツバ」
「ごぶ、ごぶ……、御無沙汰してます」
そうだ……。この妙にジジくらい喋り方と異常なまでの吃り方。
俺に最も屈辱的な黒星を付けた二人組、プロメとミノリである。少し大人びて見えるようになったが、顔に貼り付いたような憎たらしさは健在のようだ。
「テメェらなんでここにいる! ていうか、ここ何処なんだよ!? 俺はなんでこんな所にいるんだよ!」
頭に浮かんだ疑問を考えもなしに声に出した。
「まぁ落ち着くのじゃ。主の聞きたいこともわかる。立ち話も何じゃし、ワシらの住処に案内してやろう。その間にでも説明してやる」
そう言うとプロメは踵を返し、テクテクと朱色の大地を進み始めた。
「ど、どうぞオオバさん。……案内します」
彼らに従うのはどうも癪に障るが仕方ない。屈辱を噛み締めながらプロメの後を追った。
「簡単に言うと、ココは“魔界”じゃな」
「魔界だぁ?」
「うむ、皆はそう呼んどる」
案内される中、プロメの説明が始まった。
皆ってことはコイツ以外にもいんのかよ……。
「そうじゃ。お主、私達が最後どうなったか覚えておるか?」
「忘れたくても忘れられるかよ……」
目の前で二人が“教会”に“消されたのは、相当ショッキングなもので、俺が“教会”を嫌う理由のひとつにもなった。今でもふと、あの時の映像が過ぎって震えてくることもあった。
「あの時我々は死んだのではない。魔界に“飛ばされた”のじゃ」
「飛ばされた?そんな事可能なのか?」
「うむ、現にお主もここに居るではないか。ついに“教会”から目をつけられたか?」
「俺は……」
あやふやだった思考に意識をめぐらす。
グアリー邸でも一件を思い出すのに時間はかからなかった。
「そうだ! グアリーが指を鳴らして、気づいたらここに居たんだ!」
「グアリーじゃとー?」
プロメが露骨に嫌そうな顔をする。
「あんの女郎め、また何か企んでおるな……」
「なんだ知ってんのか?」
「神の中では有名な奴じゃよ。オーゼに反逆したのじゃからな」
グアリーの名前が逆鱗に触れたのだろう、プンスカ怒り始めたウルカを、ミノリが落ち着かせる。
そうこうしていると、汚い小屋の前までやって来ていた。
「汚いですが、が……、どうぞ……」
ミノリに通され穴だらけの扉を開けると、外装に比例して内装も汚かった。
河原などにあるホームレスの家をそのまま大きくしたようである。
薄っぺらいベッドの上にプロメは腰を下ろす。
「住めば都というじゃろ……。顔見知りのよしみじゃ、しばらく住み着いても良いぞ」
「住み着くだと? 馬鹿言うなよ、俺は今すぐ戻りたいんだ!」
プロメは大きくため息をついた。
「そう言うでない。ここにはワシらのような飛ばされた“転生者”が沢山居る。皆親切さじゃし生活には困らんぞ?」
「んな、馴れ合いしてたまるか! 俺はウルカを助けに行かなきゃならないんだよ!」
「じゃあ、どうするのじゃ? 策はあるのか?」
そう聞かれると確かに……。どうしたらいいのか思いつかない。
探偵みたく顎に手を当てて唸ってみるが、やはり明確な方法は思いつかなかった。
こうなれば仕方ながない。俺は胸の前で手を組み、目をつぶった。
「何をしておるのじゃ?」
「見ての通り神頼みだよ。強く念じてれば誰かに届くかもしれない!」
「神に飛ばされてきたというのに、哀れな奴じゃの」
誰に届くか分からない。そもそも届くのかすら危うい。
しかしこの方法しか思いつかないのだ。
なけなしの人知は尽くしたのだ。後は天命を待つばかりだ。
過去キャラ出すのたのしいですね




