おかえりなさい……
「く……がァ……!」
壁にめり込み、瓦礫の山に下半身を横たえるイール。
ハロルドの一撃をもろに食らったが為に、街の郊外にまで飛ばされてしまったのだ。
「ふざけ……やがって……」
口から漏れる唾液交じりの血を拭い、身体を起こそうと瓦礫の山に右手を置こうとする。―――が、いつまで経っても手に硬い感触を受けない。
おかしいと、顔を向ければ、そこにあるはずの右腕が元から存在しなかったように消失していたのだ。
イールはその光景に舌打ちをする。
「“義腕”の限界が来たか……」
喪失した右腕を使わないよう左に重心を置きながら立ち上がろうとする。しかしその瞬間、左足が腐った粘土のようにボロボロと崩壊していった。
―――“狐野郎”の電撃が今になって効いたか……。
イールは残った左腕でなんとか立ち上がり、自身が元居た場所―――ヨツバの居る方角に顔を向ける。
「ウェンディ……。私は“また”、お前を救えなかったのか」
空っぽの右腕を見つめ、縋るように左手で右肩を撫でた。
―――――――――――――――――――――
気付けば夕暮れ時。……と言っても雨のため太陽は見えないのだが……。
拐われ、縛られ、押し倒され、凝り固まった身体を労りながらハロルドに着いて行く。
「マスター!」
「ぐもっ?!」
そんな疲労困憊の身体にダイレクトアタック。 懐かしい声と共に、ビオラが飛び込んできたのだ。
「無事でしたか? 何か乱暴や不快な行為はされませんでしたか?!」
ビオラは頬や、至る所にベタベタと触れ、自身の手で俺の安否を確かめる。
「大丈夫だからちょっと落ち着けって」
俺の声が聞こえていないのか、ビオラはその後も俺の華奢な体躯を触り続ける。しばらくして外傷が無いことを把握したのだろう、ビオラはホッと息を吐いた。…………かと思ったのもつかの間、今度は顔をグチャグチャに乱しながら大声で泣き始めたのだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい―――」
息継ぎすらない謝罪の連発。
「ちょっ! いきなりどうしたんだよ」
「全部私のせいなんです。くだらない意地と醜い嫉妬心からマスターと距離をおいてしまった私が全て悪いのです。いつも通り近くにいれば拐われることもなかったのです!」
学園外でビオラと離れると、確実に拐われている現状、反論の余地は無かった。
「痴話喧嘩なら後にしてくれないか。…………“教会”から距離をとりたい」
前方ハロルドから急かすように言われ、俺達は歩き始めた。―――今度は近すぎず遠すぎない適度な距離をたもって。
「“教会”に遭遇したのですか?」
「まぁな。そういう面では、ビオラが居なくて良かったよ」
ビオラがいたら、学園の時のように激戦が勃発していたかもしれない。……代わりに引くほど重い話に巻き込まれたが。
歩くペースを早めようとしたその時、後から何かに引っ張られる感覚を得た。振り返ればビオラが、俺の後髪を両手で掴んでいたのだ。
「これで……、何処にも行けませんから」
俺はリードを付けられた犬かよ……。
「そう言えば、レイビア達は?」
「ミルカさんの体調が優れないそうなので、先に待ってますよ」
あっちも中々大変だったようだ……。
―――――――――――――――――――――
夕暮れ時、ムーカティのとある場所。
人通りは無い、何かの施設跡地に“疎楽園”は訪れていた。
タチバナの手にはもちろん、“箱”が握られている。
「誰もいないけど、本当にここ?」
気絶状態から意識を取り戻したアンピが、頭を掻きながら尋ねる。
「間違いなんてことは無いはずだけど……」
リッティは取引場所の書かれた紙を見ながら答える。わざわざ“教会”の所有物を盗ませたのだ。イタズラと考えるのは難しいだろう。
「―――遅かったですね」
背後より、凛とした声が響く。
慌てて振り返り、そこに佇んでいた“人物”を見た瞬間、リッティは声を上げて後ろに飛び上がった。
後ろを取られた事を驚いたのではない。そこに佇む“少女”に見覚えがあったのだ。
肩にかかるほどの髪。透き通った指先。暗く輝く紅色の瞳。異なるのは黒髪と、右目に眼帯が巻かれていることだ。
そう、先程乗り込んできた人型魔導書と瓜二つなのだ。
「すまない、色々と立て込んだものでな」
タチバナは気づいていないのか、特に驚く様子もなく少女に“箱”を差し出した。
「ふむ、仕事は果たしているようですね」
少女は“箱”を受け取ると、何か小声で呪文を唱え、箱の中心を指でなぞる。
すると、この時を待っていたかのように“箱”は開かれる。
―――中には“黒い球体”。
「おかえりなさい……“ゼムスト”様」
―――“ゼムスト”?!
漏れそうになる驚嘆の声を手で抑える。
その代わりとでも言うように、箱から“黒い煙”のようなものが溢れ始めた。
全てを無に帰すように禍々しい。しかし、不思議と見とれてしまう美しさも兼ね備えている。相反する要素を含みながらも溢れ続ける煙。
―――違う!
リッティは叫びそうになった。自分が認識を誤っていたことに気づいたのだ。
煙などではない。これは―――“魔力”だ。
視覚できる程濃厚で膨大な“黒色の魔力”。それを有していたのは、長い歴史においてたった“一人”。
五大凶爛魔術を精製し、最凶と恐れられた最悪の転生者―――ゼムスト。
「お望みのモノだったか?」
タチバナは臆することなく、取引を続ける。肝が据わっているのか、ただ気づいてないのかリッティにも分からなかった。
「ええ、大変素晴らしいです。…………“これ”が何か分かりますか?」
「……なんとなくな。お前の主を甦らせる道具とかだろ?」
「ふふっ、その通りです」
少女は悪意の微塵もないように微笑み、“箱”を大事そうに懐へしまった。
「これで3つ目。……あと、“2つ”です。また依頼するかもしれません」
「“疎楽園”のご利用ありがとうございました。またの依頼をお待ちしております」
去っていく少女の背中に、タチバナは定型句を棒読みし、軽くお辞儀をする。
少女が見えなくなると、リッティは溜まっていた驚嘆や叫び声を解放するように大きなため息を吐いた。
「予想通り、“ゼムスト”の“鍵”だったみたいね」
「そうだな、苦労して盗んだかいがあったぜ」
「ちょっ! ちょっと待ちなさいよ! 貴方達、“箱”の中身を知ってて取引したの?!」
タチバナとアンピは顔を見合わせ、当然のように頷いた。
「あくまで憶測だったけどな」
「わざわざ“教会”が隠し持ってたのよ?」
悪びれることも、後悔もない。むしろ、何故そんなに慌てるんだ? とでも言いたげな視線をリッティに向けている。
「何で事前に教えてくれなかったのよ!」
「だって、絶対反対するだろお前」
「当たり前じゃない?! あの“ゼムスト”よ? 暴虐の限りを尽くし、“教会”に封印されたアイツを復活させるなんて…………普通じゃないわよ!」
リッティは堪らず頭を抱え込んだ。
“疎楽園”に入って、人に話せないような悪事に手を染めたことは何度もある。しかし、その行いで幸せになる人間はいた。それが唯一リッティの心の支えだった。
でも、今回は違う。誰も幸せになんてなれない。―――人類の滅亡に手を貸したと同じことだ。
彼女の中で、自分を保っていた何かが崩れていくのを感じ、嘔吐感すらこみ上げてくる。
そんなリッティの肩にタチバナは手を置く。
「大丈夫だ。俺にだって考え無しに取引したわけじゃない。ちゃんとした計画があるんだよ」
タチバナは優しく語る。
「ゼムストを復活させて俺がちゃんと倒せばさ、俺って英雄だろ? そしたら女の子が沢山群がってきて天国じゃん!!」
苦笑せざるおえない。……そんなものを計画と呼んでいいのか。
しかし、リッティは思った。
『コイツならやれるかもしれない』と。
ゼムストを封印ではなく、完全にこの世から消し去ることが出来れば、今後奴を恐ることは無い。
無茶苦茶だとリッティも分かっていたが、甘んじるしかない。……でないと、罪悪感から自分が崩壊してしまう気がしたから。
「よし、取引も終わったんだ飯でも食べに行こうぜ」
「高級料亭を見つけておいたわよ」
軽い足取りでお気楽に歩いていくタチバナとアンピの背中。
リッティはその光景をしばらく眺めた後、駆け足で二人に追いついた。
「ちょっと! 高級料亭なんて行けるわけないでしょ。もっと節約しなさい」
きっと、人間はこうやって妥協して堕ちていくんだ。“タクシーちゃん”も、これが恐くてやめたのか……。
「ちなみに……」
アンピが自慢でもするように指をたてた。
「私はもう一つの“鍵”も分かってるわよ?」
「冗談でしょ?」
「……どうだか」
アンピの戯言に一々突っ込んでいては切りがない。
施設跡地を去り、リッティは雨のやんだ空を見上げた。
さて、意味深な感じで終わりましたね。
ゼムストの精製した“五大狂爛魔術”。実は以前にチラッと名前は出てるんすね。どうしようもなくお暇でしたら探してみてもいいかもしれません。
話は微妙にシリアスになってきました。次回はアーサーとミヤビの夏休みを少しずつ触れようかと思います。




