9 エリオットとの遭遇
話を終えて制服に着替え直したリディアは、一人馬車までの道のりを歩いていた。
ついさっき、ヴァイオレットから言われた言葉が永遠に彼女の頭の中に流れた。
ミュージカルの主演を突然やってほしいと言われても、そう簡単には承諾できない。
(どうしよう……私演劇なんてやったことないし……)
当然、そのことをヴァイオレットにもきちんと説明した。
しかし、彼女は――
『演技に関しては私がついていますからご心配なく!リディアは歌もダンスもとてもお上手ですから指導の必要はありませんわ!』
歌とダンスは貴族令嬢としてある程度は習ってきたものの、演技に関しては完全に初めてだ。
経験者が多い演劇部の中で、彼女だけが未経験者。そんな自分が主演なんておこがましいのではないかと、思ってしまう節がある。
「やっぱり、ああ言ってくれたヴァイオレットには悪いけど、きちんと断りを入れよう」
いきなり主役として舞台に上がるだなんて、自分にはそんなことできない。
そう思ったリディアは、明日にでもヴァイオレットに話すことを決めた。興味が無いことはなかったが、拙い演技で劇を台無しにしてしまうのを考えるとどうしても気が乗らなかった。
「……」
そんなことを考えながら正門の前に差し掛かったとき――突如目の前に立ちはだかった人影に、リディアは顔を上げた。
「……………エリオット、様?」
門の前で彼女を見下ろしていたのは、婚約者のエリオットだった。
(どうして、エリオットがここに?)
いつものようにエミリーたちと遊びに行ったのではなかったのか。
クラブにも所属していない彼がこんな時間まで残るのは、普通ならあり得ない。
リディアはすぐにその場から立ち去りたいという気持ちに駆られたが、足は動かなかった。
彼とこうやって向かい合うのはいつぶりだろうか。婚約者となってから数えるほどしかなかったような気がする。
彼と向き合うと、リディアの足が小刻みに震え始めた。
エリオットという存在を目の前に、完全に委縮してしまっているのだ。長年婚約者だったとは思えないほどに、殺伐とした空気だった。
耐えられず、先に口を開いたのはリディアだった。
「……エリオット様、一体何の用で」
彼は相変わらず冷たい瞳でリディアを見つめている。
いつもと変わらない、凍え切った冷淡な眼差し。エミリーたちに向けられるものとは全く違う。
しばらくすると、エリオットは表情を変えないまま言葉を発した。
「―――今日の授業を欠席したと聞いた」
何の感情も宿らない平淡な声色が、彼女の頭上に降り注いだ。
何だ、そのことを聞きに来たのか。
彼がそんな小さなことを気にするとは意外だったが、聞かれたからには答える必要がある。
「……体調が優れなくて、休んでしまいました。もう治ったので、ご心配なさらないでください」
リディアはエリオットを安心させるように、ニコッと彼に笑いかけた。
本当は体調が優れないわけではなかったが、本当のことを言うわけにはいかない。
真実を知っているのはヴァイオレットだけで、他の誰かに知らせる必要はない。
特に、原因となったエリオット本人に言うことだけはどうしてもできなかった。
このまま何事も無く終わってくれたらいいのだけど。リディアはエリオットがその嘘に誤魔化されることを願った。
しかし、彼の反応は予想外のものだった。
「――そこまでして、注目を集めたかったのか?」
「……え」
呆れかえったようなエリオットの目が、リディアを真っ直ぐに捉えた。
注目を集めたいとは一体どういう意味なのか。リディアは震える唇で尋ねた。
「……どういうことですか?」
エリオットはやれやれと肩をすくめ、理解が追い付いていない彼女に説明を加えた。
「周囲の関心を引きたいがために、仮病まで使うだなんてどうかしている。お前が昔から目立ちたがり屋なのは知っていたが、他人に迷惑をかけているという自覚は無いのか?」
「そ、そんな……」
私のことをよく知りもしないくせに、何故毎回決めつけたように言うのか。
我慢の限界を迎えたリディアは、エリオットの前で声を荒らげた。
「私、仮病なんて使ってません!本当に授業には出られるような状態じゃなかったんです!それなのに、どうしてそんなことを言われないといけないんですか!目立ちたがり屋なのはそっちですよ!いつも人前でイチャイチャして!」
「な、何だと……!?」
反論されたのが気に入らないのか、エリオットが顔を真っ赤にした。
そして彼は、二人の仲を崩壊させる決定的な一言を放った。
「―――お前なんて、俺がいなかったら誰とも婚約できてないんだぞ!」
「ッ……」
――俺と婚約していること以外、お前に価値なんてないんだ。
まるでそう言われているような気がして、リディアは悔しくて唇を噛んだ。
どうしてそんなことを言われないといけないの。いつもいつも、何故何もしていない私を傷付けるようなことばかり。
言い過ぎたことを自分でも感じ取ったのか、俯く彼女にエリオットは肩をビクッとさせた。そして、顔色を窺うようにリディアを見つめた。
――どうしてあなたが、そんな顔してるのよ。
彼は何とか弁解しようと口を開いた。
「ち、違う……今のは違うんだ……俺はそんなこと言うつもりじゃ……」
「……帰ります」
リディアはそんな彼を無視して通り過ぎようとした。
エリオットは彼女の後ろ姿に向かって、声を上げた。
「――リディア!」
「……」
その言葉で、彼女は思わず足を止めた。
プルプルと震える体で、ゆっくりとエリオットの方を振り向いた。
今にも涙が溢れそうなその瞳が、彼を捉えた。
「……私の名前を、ご存知だったのですね」
「…………当然、知っているに決まっているだろう」
何年一緒にいると思っているんだと言いかけた彼の言葉を、彼女が遮った。
「――今まで一度も私の名前を呼ばれたことが無いので、知らないのかと思っていました」
「……!」
リディアは石のように固まったエリオットを一人置き去りに、その場を去って行った。
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